
いい男いないかしら。
最近なんとなく感じるのだけど、フリーのいい女に比べてフリーのいい男が少ない気がする。人付き合いの少ない僕の周りでさえ魅力的な女性は結構いて、誰とも付き合ってなかったりして勿体ないなあと思うのだけど、じゃあ誰か紹介してくれと言われると、彼女らに見合うだけのいい男というのが全然空いていない。
これは僕が男だから、魅力的な女性が相対的に多いように感じるのだと思うけど、それにしてもいい男だなと思う奴は見事に埋まっていて、これは男というのは中身が成熟してくるのがやっぱり遅いからだと思う。男が20代前半ぐらいから大人びていれば、女性からして素敵な男ももっといるだろうに。
男がいい男になるにはウィスキーみたいに熟成期間が必要なので、早いうちから押さえておかないといけないのだけど、早く押さえたら押さえたらで、ガキで面倒な時期に付き合わなければならない。しかも多少育ててやらないと下手したらガキのままデカくなる可能性もあるので本当に女性は大変だと思う。その上、若い女が現れるとフラフラしたりするしね。
これは僕の仮説ですが、猫好きの男は将来いい男になる可能性が高いと思っています。
Posted by 堀田 on 3月 2nd, 2014 :: Filed under
考察

難しい。
今日は大きめのお仕事が二つ同時に終わった日でした。途中でちょっと大変なことになって社内も協力会社も苦労して何とか納期を守れた案件で、おつかれさまということで営業の僕が打ち上げを企画することになりまして。
僕としてもみなさんの労をねぎらいたい思いでご案内メールを送ったのだけど、ただの打ち上げというよりも、この案件の苦労と達成をなんとか盛り込むべきと思って飲み会にタイトルをつけたら、選んだ言葉のニュアンスがよくなかったらしく、上の方から「ちょっとそれは失礼なんじゃないの?」みたいな話になった。何となく予想してたけど、やっぱりそうなるか。
別にただの「打ち上げのご案内」でもいいんだけど、ただの飲み会じゃないんだから、何か特別感をと思ってやると反対意見も出てくる。僕は、仕事においては特に、タイトルというか冠というか、コンセプトを頭に持ってくることってすごく大事だと思ってるんだけど、こうなってくると面倒なのでどんどん普通になる。そうすると、特別な打ち上げもただの飲み会になる。まあ誰にも反対されない良いコピーを考えろってことでしょうけど、そうするとどんどん普通になるから本当に難しい。
このろくでもない、すばらしき世界。とかは本当にすごくいいコピーだなと思います。
Posted by 堀田 on 3月 1st, 2014 :: Filed under
仕事

バスタオルで髪の水分を取るのが好きです。
お風呂上がりに髪の毛をバスタオルで拭くときに、ちゃんと拭くと、ちゃんと髪の毛の水分がバスタオルに移ると思うんですけど、あれが結構好きです。ちゃんと拭けば拭いただけ、バスタオルが濡れるわけで、そのときに、ああちゃんと水分が移動してるな、というのに感動を覚える訳です。何を言ってるか分かりますでしょうか。
それの何が感動するのかというと、物理な感じがしていいのです。物質がモノからモノへちゃんと移動する感じ。腕の水分だって一緒なんだけど、髪の毛についてる水分は、一本一本についてるから量が多くて、拭いたら拭いただけバスタオルが濡れるので、その物質の移動する感じがよくわかるのです。物理っていうか化学なんでしょうか。
でも僕は文系なので、この程度の事象で勝手に感動しているのだけど、理系の人、特に研究職の人とからしたらチャラくて仕方ないと思われてしまうのだろう。世の中のいろんなものはたくさんの理系の人か研究して開発したモノで溢れていて、文系の人間はそれを使ってああだこうだと喋ってるばかりで、本当に申し訳ない。全然分からないけど、塩基配列とかを日々使っている人から見たら、お前に水というモノの何が分かるのか、と思われてしまうだろう。
上の写真は水の3Dモデルみたいなものらしいですが、僕ら文系からしたらブルマからはみ出たケツだとしか思えない。あなたも最初見たときそう思ったでしょ!
Posted by 堀田 on 2月 27th, 2014 :: Filed under
日常

忙しいアピールをするな。
日曜日にCoCo壱番屋に行ってカウンター席に座ったら、店員の一人でリーダー格と思われる男が、異常なまでの高速でバタバタと動き回り、他3名くらいの店員に対して大声でテキパキと指示を飛ばしていたのだけど、それが何とも煩わしくて大変気分を害しました。一生懸命働くのはよいことだと思うのだけど、その忙しさを客にアピールしているとしか思えないほど、とにかく全てが大袈裟なのである。
まず目の前で高速でバタバタと作られても落ち着いて喰えないし、声も異常にデカいし、しかも「うん、今んとこ耳に聞こえたのは全部(頭に)入ってる」とか「(伝票の)6枚目からはまだ全然”見えてない”」とか「これはまるで東京マラソンだ」とか、とにかくやり取りの内容が妙にキザというか、カッコ付けているというか、こんな忙しい状態を華麗に切り盛りしている俺=すごい、みたいな感がすごく伝わってくるのです。
でも実際そんな言うほど混んでないし、そもそもこの程度でアップアップしてるお前の実力はどうなのさ、という気もするし、さらに言ってしまえば「たかがココイチじゃねえか」と言いたくなるわけである。申し訳ないけど、世の中もっと大変な状況の人もたくさんいるのだから、この程度でかっこつけないでほしい。客はおいしいカレーを食いに来たのであって、君の活躍を見に来たのではない。
学生時代からそうだったけど、本番の数日前から、忙しいのをアピールしてやたらめったらせわしなく動き回ったり、必要以上に人にキツく指示したりする人がいたけど、あれはマジで自分が無能であることの証明でしかなく、周りから見たらかなりかっこ悪いと思うのだけどなあ。
まあヤル気に満ちているのはよいと思うけど、「これはまるで東京マラソンだ」にはちょっと笑ってしまったよ。
Posted by 堀田 on 2月 25th, 2014 :: Filed under
日常

あんまりいらないです。
たまに料理の上に金粉が乗っかっているものがあって、テレビレポーターとかが「わー!豪華ですねー」なんて言ってるけど、正直この金粉ってのは何なんでしょうか。確かに豪華と言えば豪華だけど、なんつーか料理(味)とあまり関係がないというか、「なんとなく豪華に見せる」だけの理由だったらいらないかなと。
あってもいいんだけど、正直、金属を食べるのはあまり好きじゃないし(銀紙を口に入れたらすごい気持ち悪いし)、なんか金を食べるのはもったいないというか、とにかく、食い物じゃない気がするんだよな金は。彩りのひとつとして乗っかってるんだろうけど、それだったら食い物でちゃんと彩って欲しい。それなりにコストもかかってると思うし。
「金粉なんてカスの寄せ集めだから安いんですよ」とかいう話だったらそれこそ「カスなのかぁ」という気もして豪華さも減るし、なんかとにかく発想に安易さを感じてしまう。金を乗せたからって豪華なのかと。そんなことでは騙されないぞ、味はどうなんだ味は、みたいな。乗せるんだったらちゃんと味をつけるとか、青のりを金色にするとか、そういう方向で頑張って欲しい。
Posted by 堀田 on 2月 23rd, 2014 :: Filed under
考察
今日から一週間、修行の予定だったのですが、雪で荷物が届かなかったため登嶺できず、来年にまた行かなければならなくなってしまいました。
奈良に前泊していたのが無意味になってしまったことはまあいいんですが、今は、頭をすでに剃ってしまっていたこと、これが、重く重くのしかかってきています。
完全に、ただ突然頭を剃っただけの人になってしまいました。
こんなことってあるんですね。
しかしほんと荷物届かなかった時は一時、パニック状態に陥りましたよ。
駅で知らされて、電話口にほんと大声でキレましたしね。
いやまあ、キレてもしょうがないんですけどね、ただ、ちょっとやばすぎるっていうか、ほんとどうすんだよそれって感じで。
まあしかしほんと、今年と来年の不運はもう使い果たしたように思いますね。
今年と来年はたっくさんいいことあるかなあ。
パニックで思い出しましたが、最近は、ベイビーレイズの恋はパニックを時に聞いています。
このブログを読んでくれている奇特な方々ならもうご理解いただけていることと思いますが、僕好みの、非常にいい曲だと思っています。
Aメロっていうんですか、最初の辺りはちょっと微妙ですが、サビ前辺りからの流れは素晴らしいですね。
お・て・あ・げ、みたいなところなんて、ここ何年も聞いたことのない、最高の軽さでしょう。
会いたいよ、あたしをわかって、こんなにも好きなのに。
そんな感じの、鬱陶しい背景や感情という情報の重たさを一切感じさせない、圧倒的なまでにスッカラカンの軽やかさ。
あまりの軽さに、聞いていながら何cmか身体が浮遊してしまうような、そんなウキウキした感覚。
そう、恋のキラキラした感覚というのは、まさにここにこそあるのです。
ほんと、アイドルの曲ってのはこうあるべきですね。
アイドルのかわいさってのは、軽さ、ここにこそあるのだと、僕は断言してしまいたいくらいです。
挫折みたいな深い感情とか、ライバルとのドロドロした関係とか、まあ裏では色々あるんでしょうけれども、そんなものを見せるのは、僕とかみたいな気持ちの悪い人間がやっておけばいいのです。
アイドルは、とにかく軽く、太陽のようにまぶしく、それが一番なのです。
ほんと、次に撮ろうと考えている映画のラストで流したいくらいですね。
まあ、ベイビーレイズ関係者、僕の関係者、双方から、激しい反対を受けて、なんなら何発か殴られることもあり得るでしょうけれども。
ゲオでDVD借りようとしていた時に(エロいのとかじゃないですよ)有線から流れてきて、気になって歌詞ググって聞いてみただけなんですけどね。
いやー、ほんといい出会いをしました。
Posted by 北川 on 2月 18th, 2014 :: Filed under
日常

仕事に飽きたのでブログでも。
今日は休日出勤をしていて、まだ全然帰れそうにない。土日はエアコンがつかないので、まぁとはいえ室内だし、ビルだから壁も分厚いので寒くはないのだけど、それでも指先とかはかじかんでくる。なので、プロジェクターのある会議室にこもって、プロジェクターの出す熱気で暖をとっている。
本来は僕の仕事でない部分を、プロジェクトの状況とか、その他の貸し借りもあって請け負っているのだけど、やはり「なんで休みなのに俺が」みたいな感情が芽生えてくるとどうしても作業が止まってきてしまう。会社に入って最初の上司が教えてくれたのは、「そういうときは感情を殺して淡々と手を動かせ」というものだったので、まさにそれをやってペースを上げているのだけど、終電までに終わるだろうか。ブログを更新している場合ではない。
ただ上司や一緒に仕事する先輩方が変わるたびに、それぞれから仕事の流儀というか得意そうなところを少しずつ真似するようになっていて、これが結構自身の成長となっているような気がする。その人のいい部分を真似れば、自分のオリジナリティが加わって、それは自身のオリジナルの力になるとはザキさんの言葉だったと思うけど、まさにそのとおり。なので、早く仕事を終わらせるべきでブログを書いている場合ではない。
コロッケさんとかも、いろんな人のいい部分(特徴的な部分)をたくさん真似ていって、それにどんどんオリジナリティが加わって、もはやあんまり似てなくてもすごい面白いし、芸達者だもんね。動物とかもやるしね。
Posted by 堀田 on 2月 16th, 2014 :: Filed under
仕事

前橋市のロゴです。
いやいやそんな、と思うかもしれませんが本当です。僕の担当マーケットは主に地方自治体なので、仕事柄、市役所のロゴマーク(市章といいます)をよく見かけるのだけど、度肝を抜かれたのがこの前橋市。あまりにも大胆である。ただの丸。
なんかいろいろ考えた結果、よくわからなくなって「シンプルイズベストだ!」みたいな話になってこうなったのかと思ったけど、調べてみたら「前橋の旧藩主だった松平氏の馬印『輪貫(わぬき)』からとったものです。」とのこと。由緒あるロゴのようだけど、でもこれじゃあロゴマークとしては機能しないのではないかと思ってしまう。てかそんなこと言ったら、もう世の中のいたるところが前橋市じゃないか。ここまで来ると潔くて気持ちいいので、このロゴはぜひ変えないで欲しい。
余談ですが、この市章というのは企業のロゴマークと違って、だいたい文字の入らないシンプルな丸いものが多いので、いろいろ調べて眺めるのが結構好きです。新規で獲得した市町村のロゴマーク入りバッジを作って、野球帽かなんかにどんどん付けていくというのを実はやりたいのですが、そういうことやった途端に獲れなくなる、とかなりそうだから控えています。なお、バッジをつける野球帽はジャイアンツがいいと思っています。
Posted by 堀田 on 2月 12th, 2014 :: Filed under
仕事

選挙、終わりましたね。
選挙前にテレビで選挙のCMが流れていて、それが家から投票所までの道のりを、たくさんの一般人(笑顔)の写真をパカパカと連ねてつなげていくやつだったのだけど、ああいう演出がすごく好きではない。基本的に、「みんな」とか「笑顔」とかを押されるのがすごく嫌い。
原則的に僕はチーム戦が大好きで、仕事も芝居もだけど、チームで何かを成すことに非常に喜びを感じるタイプなのだけど、でもそれはあくまで手段だったり過程であって、それを目的にしてしまってるというか、フィーチャーしているのはちょっと寒いと感じてしまうのである。あと「笑顔」とかを押すのも好きではなくて、そりゃ笑顔はいいものだけど、それは結果的に出てくる産物であって、笑顔を目的にしてたら、それはただの自己満足じゃないか、勝手に笑ってろよ、みたいな。大手を振って「みんな」とか「笑顔」とか言ってるやつは、中身が空っぽなのではないかと疑ってしまうのです。「みんなの笑顔を集める」とかほんとやめてほしい。
でもまあ、選挙は「みんな」でやるものだから悪くないのだけど、芸能人でもない一般人の笑顔を全面に押し出されたからか、妙にイラッとしてしまいました。全員小奇麗なモデルだったら文句なかったかもしれません。
Posted by 堀田 on 2月 11th, 2014 :: Filed under
考察

ペギラが来た!
昨日はすごい雪が降っていて、ペギラが来たのかと思ったほどでした。ペギラというのはウルトラQに出てきた冷凍怪獣で、普段は南極にいますが、たまに東京に来ます。
前々から言っているけど僕は寒いのが嫌いだし雪なんてもってのほかで、昨日は一日中家にいて寝ていました。雪できゃーきゃー遊んでいたのは本当に何年前なんだろう。小さい頃から雪はあまり好きじゃなくて、小学生くらいの頃に家族で「ザウス」という屋内スキー場に行ったことがあるけど、そのときも全然滑れないし、寒いし、何よりも足をとられることに小学生ながら異常にイライラして、かなりナーバスな精神状態になって家族を困らせた記憶がある。「スキーなんて二度とやらない!」とそのときに高々と宣言した。
僕にとってみれば、雪なんて災害みたいなものなんだけど、雪国で暮らしている人もいるわけで、つまりは雪と言うものを受け入れるメンタルが僕にはない。受け入れられるかどうかはつまり、日々の生活の中で雪対策がしっかりできていて、あまり被害を受けない状態まで持って行けているからだと思う。僕は厚手のコートもごつごつした靴も持っていないし、とにかく足をとられる状態を脱してないから、どうしても嫌いになってしまう。スキーも滑れるまで練習すればきっと楽しいのにね。
対策と言えば、ペギラは南極の苔からとれる「ペギミンH」という物質が弱点なのを知っているくらいです。これをミサイルに詰めて撃ち込めばやつは退散します(死にません)。
Posted by 堀田 on 2月 9th, 2014 :: Filed under
日常

車の臭いが苦手です。
昔からどうにも自家用車の車内の臭いが苦手で、よく気分が悪くなるタイプです。タクシーとかだとあまりそうならないのだけど、やっぱり自家用車ってのは持ち主の生活臭と、もともと車の持つ皮とかガソリンの臭いとかが相まってどうにも相性が悪い。うちの父はさらに運転が下手っぴだったので、臭いと揺れですぐに車酔いしてしまっていた。今から考えればタバコ臭い感じもあったんだよな。吸ってたんだろうか。
ただ持ち主の生活臭がこびりつくのだとすると、若い女性が運転している車ってのはやはり、すっごくいい匂いがするのだろうか。自分のまわりに車を運転する女性って全然いないから嗅いだことないけど、たぶん絶対にいい匂いがすると思う。
自分が運転できないのに何ですが、車を運転する女性ってのは結構好きで、バイクを運転する女性よりも断然いい。なんか慣れてなくて、傍からみるとちょっと危なっかしいんだけど、本人は意外に平気でぐいぐい運転する、みたいな感じが好きです。
Posted by 堀田 on 2月 7th, 2014 :: Filed under
考察

写真は昔のバイト先です。
19歳から20歳くらいのころ、東京に出てきて始めてのバイトをしたのが、写真のカフェでした。人見知りなくせに「やっぱりバイトは接客業だろう」と思ってホールで入りました。当時から形から入るスタンスは変わっていません。なお、あとで聞いた採用理由は「面接のとき、なんか生意気だったから」だそうで。
我ながらよかったなと思うのは、若い頃にしっかりと接客の教育を受けられたというか、オーナーが言葉遣いにうるさい人で、「チーズケーキになります」とか「メニューのほうをお下げします」といったいわゆる「喫茶店敬語」を徹底的に直されました。この場合、「チーズケーキです(ございます)」、「メニューをお下げします」と言わねばならない。
おかげで社会人になっても間違った敬語を使わないで済んでいるし、後輩が間違っているのを聞くと訂正したくなってしまうようになった。実際、よかれと思って、新人とかには注意したりしています。面倒くさがられているかもしれませんが。
他にも当時びっくりしたのは領収書で、宛名に「上様」と書く文化があるのを全然知らなくて、お客さんに「上様で。」と言われたときに、「上様?(将軍?)」としばらくの間、全く意思疎通ができないことがありました。あのとき店長が助けてくれなかったらマジで「お殿様のことですか?」と聞いてしまうところでした。
Posted by 堀田 on 2月 5th, 2014 :: Filed under
日常

もうこれが答えなんですが。
東京に出て来て早14年経ちまして、山手線なんてもう何回乗ったか分かりませんけども、いまだに内回りと外回りがぱっと言えない。正直、これが分かっていなくても全く問題ないというのはそれこそ14年やってきて分かっているのだけど、シティ派を自認する上でこれは知っておかないといけない気もしていて、何かいい覚え方はないかと思っていました。
受験勉強では日本史が僕の中の稼ぎ教科だったのだけど、攻略法としてはありとあらゆる出来事の年号を語呂合わせで覚える、という手法を採っていて、これがセンター試験で9割は簡単に取れるといっても過言ではないくらい効果てきめんだったので(私立一本だったので関係なかったけど)、その経験から内回り外回りも何か語呂合わせでいけないかと色々思案していたら、ネットで「自動車と同じく左側通行」というすごく覚えやすいのがヒットしてしまった。語呂合わせがよかったのになあ。
ちなみに、歴史の年号はきれいさっぱり忘れてしまったのでお教えできませんが、リトマス紙の色の変化については、”あお“から”あか“に変わると”酸性”なので、”おかあさん”と覚えてください。
Posted by 堀田 on 2月 4th, 2014 :: Filed under
日常

経験したことないので何とも言えませんが。
昔から家庭教師というものに懐疑的です。というのも大学に入ってサークルの友人とかが「これから家庭教師のバイトがあるから」とか言っててすごい驚愕したことがあって、なんでこんなやつに大事な子供の受験勉強を託せるんだ、と親の気持ちになってしまったからである。塾講師もそうだけど、特に教育に関する教育を受けていない普通の大学生が、アルバイトとして教えているというのが信じられない。簡単なことを教えるというのは難しいと思うのですが。
まあ塾講師ならまだ塾側が見張れるというかコントロールできるのかもしれないけど、家庭教師なんてもう派遣されたら誰の監視もないというか、子供側と結託すればお互い何もしないというwin-winみたいな関係だって出来てしまうだろう。しかも家庭教師にケーキとかコーヒーとか出さなきゃならないとか(イメージですが)、しかも時給も普通のバイトよりもメチャクチャいいし、なんでそんなに優遇してやらねばならんのだと。子供の教育に家庭教師を選ぶ親の判断が全然分からない。
僕の中では将来的には家庭教師というビジネス形態は衰退して、AVの世界でしか存在しないものになるのではないかと思っています。
Posted by 堀田 on 2月 2nd, 2014 :: Filed under
考察

早速、飲みに行きました。
公演が終わって溜まった仕事をガンガン消化しなければならない週なわけですが、昨日は先輩方に誘われてするっと飲みに行くことに。昨年度に僕がトレーナーをやっていた二年目くんも連れていったのですが。
この二年目くんが相当な問題児で、いいやつで好かれるタイプではあるんだが、仕事については「僕は向上心がない」と宣言するほど意欲がなく、まあとにかく仕事ができないでいつも怒られているので、こういう飲み会では必ず先輩たちからありがたいお説教を食らってしまう。
ただ彼からすると「みなさんは何をモチベーションにして仕事をしているのか」ひいては「なぜ働くのか」がそもそも分からないらしいのだが、諸先輩方はその感覚がまず理解不能なので「給料分は働け」とか「じゃあ明日から飛び込みで一日中回って来い」とか、そのうち「俺がお前ぐらいのときは…」とか「俺なんてこれこれこういうことがあったけど…」とか体験談や武勇伝に発展してしまう。もう二年目くんの耳は完全に日曜だ。
年齢を重ねて行くとついつい自分の苦労話や成功体験を話してしまいがちだけど、それって全然解決策として提示されていないので、聞く側は相づちを打つだけで、完全にすれ違いになっちゃってて悲しい。ちゃんと若手の聞いている事(この場合、働くモチベーションは何か)に答える必要があるし、昔話をするにも、その中に隠れている方法論とかノウハウとか具体的なアドバイスの方に軸足を置いて話さないと、エピソード主体で話しちゃうとただの武勇伝になってしまうんだよな。エピソードはあくまで補足要素でなければならない。
しかしアルコールを飲みながらこれを意識して話すのは、おじさんにはマジで至難の業だと思う。みんな苦労してるからねえ。
Posted by 堀田 on 1月 31st, 2014 :: Filed under
仕事
弟から「たぶん好きなんじゃないかな」とSHISHAMOを紹介された。
誰でも気付くことである上に、他にも要素はあるけれども、まあ主だって若い頃のaikoをバンドにした感じであって、たしかに悪くない。
声もなんとなくかわいいし。
だが、どうにもこう、心にスコーンと刺さりはしない。
最近の曲ってのは、どれもそうだ。
別に心に刺さるような情熱的な曲を求めているわけではないのだけども、なんだろう、どれも今ひとつ心に響かない。
というか、そもそも情熱的であることを売りにした最近のバンドの曲ですら、有無を言わさず心に刺さってくるような感覚って、正直にいって全くない。
なんかただかっこつけてるだけか、ださく見えるようにしてるだけかのように見えてしまう。
昔の人より、みんな随分とうまいんだけどね。
最近の若い子ってのは、ほんと若いうちから色々うまいよね。
僕がこう感じてしまう原因ってのは、まあ多くは僕がおっさんだから、ということがあるのだろうけれども、それだけでなくて、なんだかどれもつくりが非常にロジカルなんだよね。
感受性に任せてつくりました、みたいなものも、全然そんな風には見えないというか、むしろそう見せるためのロジックにまみれているように見えてしまう。
別に何にも考えるな、感じろ、とかそんなわけわかんないこと言ってるわけではないのね。
あと、ロジカルに見えないための方法はこうだ、とかいうつもりもないの。
だってそんなことしたら、上に書いたように、そういうロジックで満ち溢れてしまうからね。
そうじゃなくて、どうしたらロジカルなものから逃れられるのか、そこと向き合って、闘うことがまず第一に必要なのだと僕は思うんだよね。
これだとロジカルに見えてしまう、これだとロジカルじゃないというロジックがバレてしまう、じゃあどうしたらいいんだろう、ここを何度も考えないといけない。
で、これがおそらく、最終的には、その人の作家性というか、作品をつくる時の倫理観として立ち上がってくる。
最近の人ってのは、早いうちから完成しちゃってるから、どうにもこの感覚を感じない。
だから、作品の細部同士が全然呼応しないんだよね。
たとえば、「僕に彼女ができたんだ」のサビのところとか、全然「僕に彼女ができた」感じがしない。
「みんなに自慢したい」感じもしない。
歌詞にロジカルにaikoっぽいメロディ乗っけて(逆かも)、それっぽく歌ってるだけだから、全てがエモーショナルに呼応しない。
こういうところって、歌詞を見ただけでこのメロディが浮かんだり、メロディ聞いただけで「彼女ができたんだ」っていう感情や情景がなんか伝わったりしちゃうくらい、ドンピシャっていうか、一体感を持ってつくられていない限りは、絶対に心に刺さらない。
そのためには、こうきたからこれ入れなきゃ、みたいなロジカルなことやってたら絶対だめなんだよね。
もう完全にそこだけぶっこぬきで、独立して成立するくらいの感覚でやらないとだめなんだと思う。
でもこれって、こうしたら売れる、みたいなマーケティングの理論みたいなやつが、一番の癌なんだと僕は思うんだよね。
だって、あんなにロジカルなものってないでしょう。
まあたしかに人は、そういうロジックで何かを買ったりするのかもしれないけれども、そういうロジックで人は作品に感動したりしてるわけではないと僕は思うんだよ。
aikoの桜の時とかだって、女の子の心を女の子の目線で歌ったから感動した、とかじゃなくて、CMで3秒くらい曲聞いた瞬間に「なんていい曲なんだ!」とか感動して、僕は買っちゃったわけね。
もうそんなもんなのよ。
色々なことはその後だよ。
だから、その3秒という細部をつくれなければダメなのだと僕は思うのよね。
その3秒を理解した上で、全ての意見ってのはあるべきであって、その3秒への理解がないところで偉そうにこうした方が売れる、とか語るから、今の色んな音楽やドラマみたいに、スッカスカの外枠だけしかないものができ上がるわけでしょう。
まあ、たしかにその方が金稼げるのかもしれないけどね。
でも、金稼ぎたいなら、普通の会社に就職して稼いだ方がよっぽど効率がいいわけでね。
だから金なんてのは、しょせん作品性を出せない人の言い訳ね。
まあこれは、ろくに金になっていない僕の言い訳であるけどね。
Posted by 北川 on 1月 30th, 2014 :: Filed under
日常

ご無沙汰しておりました。
本公演が無事に終わりまして、少しずつ日常に戻りつつありますので、そろそろこの何というわけでもない日常ブログを再開して行こうと思います。とは言え、公演が終わったばかりですので少し裏話でも。今回の公演では舞台裏が添付写真のような廊下で、本番中はこの廊下が「浴室」という設定で、声だけでシャワールームの実況見分を表現するというシーンがあったのですが。
この部分はセリフが脚本にないので、役者で適当に作っている中で、柴田さんの「シャワーの蛇口がどれか分からない」という演技に対して、「それひねるんスよ、その赤いネズミみたいなやつ」という返しをずっとやっていたのだけど、この「ネズミみたいなやつ」というのは具体的には何の事か僕もわかっていなくて、この「ネズミみたいな蛇口」というのが人の想像を喚起するシュールなボケになっているのだけど、誰か突っ込んでくれるかと思っていたらそのまま千秋楽までやり切ってしまったパターンだ。
正直、ボケにしてはかなり分かりにくいワードをチョイスをしてしまっているという自覚はあるのだけど、僕はちょっと自分で言うたびに「ネズミみたいなやつって何だよwwwww」とニヤニヤと一人でウケていました。突っ込まれるどころか、楽屋での話題にも上がりませんでしたが、たまにこういう”一人で勝手におもしろがっている”という謎の状態に入っていたりします。我ながらどこがおもしろいのか全然うまく説明できないけど、それを誰にも言わずにリリースし続けるのがおもしろい、みたいな。変人です。
Posted by 堀田 on 1月 28th, 2014 :: Filed under
演劇
写真は関係ありません。
今日はブラックホールの出来事を見た。
まごうことなき傑作であった。
まずもって、構造が既に勝っている。
台詞も演出も演技も研ぎ澄まされている。
そして何より、沈黙をおそれない演出・演技が素晴らしい。
今回のような狭い、フラットな空間においては特にであるが、観客と演者が共有すべきは、人物像や物語や台詞等々ではなく、沈黙なのである。
沈黙の共有は、すなわち思考している時間そのものを共有することである。
人は、他者と会話をしている時には、他者と自己を差別化する。
人は、他者と沈黙を共有した時には、自己と他者が一体化する。
ここでのポイントは、沈黙を「共有」できるか、ということであるが、そのためには、沈黙をおそれない演出・演技が必要なわけである。
他にも沈黙については色々なポイントがあるが、まあとにかく素晴らしい。
内容に関しては、ネタバレになるのであまり書けないが、落とし所も僕は素晴らしいと感じた。
納得いかない人もいるかもしれないが、僕は、世界はそのようにできていると常々思っている。
もしかしたら、もっともっと不必要な、回収されない伏線というか、まあ要素が多数散りばめられていてもよかったのかもしれない、とも個人的に思ったけれども、今のシャープで硬質なつくりも素晴らしい。
何か賞とかとる可能性もあると思う。
他にも色々あるけれども、ちょっと今からやることあるので、とりあえずこの辺りで。
だいぶ席埋まってしまっているようですが、ぜひどうぞ。
傑作です。
Posted by 北川 on 1月 22nd, 2014 :: Filed under
日常
大変遅れてしまいましたが、あけましておめでとうございます。
年末年始だったというのもありますが、色々とけっこう忙しくて、なかなか書くことができませんでした。
まだ何ヶ月か忙しい感じなので、あんまり書けないかもしれませんが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
最近も時に映画見たりしていまして、先日、故あってソーシャル・ネットワークを見ました。
映画自体はそこまで、という感じでしたが、それとは別で、ほんとFacebookとかなくならねえかな、と新年早々思いました。
Facebookにアップするために写真を撮る、という発想が、そもそも僕には受け入れられません。
行楽地に行くと、「早く撮ってー」とか言って、片足を上げ、両手を目いっぱい広げるという明らかに不自然な状態で静止し、写真を撮ってもらって即Facebookにアップ、という人をよく見かけます。
なんというリア充詐欺でしょう。
そんな不自然な静止を演じてまで、自分は楽しい人生を送っているのだ、と他人にアピールしたいものなのでしょうか。
承認欲求の尋常でなさに、ちょっと引きます。
そりゃあ僕も時にさみしくもなったりしますが、人と繋がり続けることの面倒くささに比べたら、さみしさの方がまだましだ、とか思ってしまいます。
とにもかくにも、行楽地でリア充詐欺写メを撮っている人を見ると、だいたい小声で「けっ、詐欺師が、嘘つきが…!」と独りごちています。
全然関係ありませんが、他には、先日、かぐや姫の物語を見ました。
まあ他にも色々見てはいるんですが、このかぐや姫がまあ、本当に素晴らしい作品でしたね。
何回も体がぶるぶると震えて、嗚咽するくらい涙流しました。
宣伝では、姫の犯した罪と罰、とか言われていますが、みんなが知っているかぐや姫という物語を選んでいるという点において、既に、物語性やその解釈などというものはあんまり考えないでくれと、観客に監督が訴えているように僕は思います。
人々の顔、風にざわめく木々、そこら中を飛び回る虫や動物、落下する雨、雪、葉と、幾重にも折り重なった影。
きれいな音楽と歌声を聞きながらそんなものを見ていると、きっと体が底の方から、勝手にぞわぞわ震えてくるのを感じるはずです。
とはいえまあ、どこがいい、とか、実のところ、上に書いたようなことなんかじゃあ到底形容はできませんが。
まあとにかく、かなり遅れて見たくせにあれなんですが、見てくれと、そのように思いました。
では、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
Posted by 北川 on 1月 14th, 2014 :: Filed under
日常

洗濯物を取り込むのが遅いです。
自炊はしないけど、あまりクリーニングは使わないで、ちゃんと自分で洗濯して、干して、取り込んで、アイロンがけもやっています。ただ一度干してしまうと、本当にパンツとかシャツがなくなるとかしない限り全然取り込もうとしないので、下手すると一週間ぐらいずっと干しっぱというときもある。
別に忘れているのではなくて、何となく窓から見えるし、ああ取り込まなきゃなって思っているのだけど、やらない。で、結局雨が降ったりする。雨が降ると取り込むのかというと、だいたい家に帰ってくる頃にはもう結構濡れてしまったあとなので、この段階でも取り込まず、また翌日から干し始める、という感じ。もう1サイクル行こう、みたいな。
あと全然関係ないけど、下着泥棒って今ひとつ理解できない。きれいに洗ってあるパンツをGETしても何の意味もないんじゃないかと思ってしまうのですが。
Posted by 堀田 on 1月 8th, 2014 :: Filed under
日常