とくお組モブログ
いつも手元にとくお組

ジブン

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画像はネットで適当に引っ張ってきたものだ。
人からもよく言われることだが、驚くほど僕に似ている。
作者と面識は一切ないが、僕をモデルに描いた可能性も否定できない。
ちょっと言い過ぎたが、まあ、かなり似ている。

しかし、自分というものは一体なんなのだろう。
本当に正体不明だ。
自分らしい作品を、とか考えていくと、わけがわからなくなって発狂しそうになる。
だって、肉体的な部分ではなく精神的な部分においては、その気になれば自分なんていくらでも曲げられるわけだから、自分らしいものとか考え出すとほんと意味がわからなくなってくる。
とりあえず、何やったってだいたい最後はその人らしいものになっちゃうもんなんじゃないのか。
だったら、自分らしいものなんて、わざわざ狙うもんじゃないだろう。
どうせ勝手にそうなると、そういうことだな。

そう考えると、よく女性誌にある「ワタシらしくあるために」とか「本当のジブン」とかそういう文言、ちょっと本当に意味がわからない。
まあ読んだことないんだけど、自分らしく生きる方法とかメイク法が載ってるんでしょう、あれ。
だとしたら、自分らしく、とかいっておきながら、思いっきり女性誌の助言に乗っかって行動することになるわけで、そんなの自分らしくもなんともないでしょう。
自分らしく、じゃなくて、女性誌らしく、でしょう。

なんてまわりくどいことを書いたのだけど、まあすっげえぶっちゃけると、あの手の特集、ものすげームカついてしまうんだよね。
僕は男子校出身だから、とりわけそういう感性を受け入れづらいというか、つまりは狂ってるだけだから、気にしないでもらいたいというか、僕が頭おかしいだけなんだけど、まあとにかくあれ、すごく嫌なのよ。
だって、世の中の人はみんな、自分というものを押さえ込んで、仕事して、生きていっているわけよ。
それを、「ワタシらしく」とか、ほんとナマ言ってんじゃねえよっていうか、わがまま言ってんじゃねえよって感じなんだよね。
どこの誰だか知らない人のジブンとか見せられても、ほんと承認欲求強すぎて目まいがするっていうか、そんなの知らねえよって感じだし、最近、でけートートバッグ肩に提げて携帯いじりながら道の真ん中歩いて、バッグ思いっきり人にぶつけといて、「何よ、あたしがこんなに忙しく頑張ってるのに、少しは気遣って道あけなさいよ」みたいに睨みつけてくるOL多すぎでしょう。
あれが「ワタシらしい」態度なのだとしたら、その人間性まじで終わってるからワタシらしくなんかしない方がいいし、だいたいこっちはお前の事情とかそんなもん知ったこっちゃねえんだよって感じなんだよね。
僕がこの世から消えたって何の滞りもなく社会は動くだろうけれども、それと同様に、そのOLが消えたって、ちょっと週末のFacebookのバーベキュー写真や夕飯の写真撮ったひねりのない投稿の数が減るだけで、そんなに影響なく社会はまわるはずなわけで、ほんとそんな大々的に推すほどのジブンじゃねえだろって感じなんだよね。
僕も大概だけども、ほんと自意識過剰っていうか、最近はFacebookだTwitterだと、自分を表現する場が増えすぎちゃって、多くの人の自己が増長しすぎね。
で、またそれを女性誌とかが「ワタシらしく」とかいって煽っちゃうからタチ悪いわ。

よく書くけど、自分のことなんて、細胞レベルでいったって、内臓とか、つまりは身体の90%以上のこと、みんな見たことないっていうか、よく知らないわけでしょう。
だったら、自分のことなんてよくわからないんだよ、どうせ。
ということはつまりは、自分らしくなんてなくていいわけ。
それならちょっと、他人のことでも考えた方がいいわ。
バッグ当たって痛かったかな、とか考えて欲しいわ。
で、「あ、すいません。痛かったですよね?」とか言ってくれたら、僕も「いやいや、大丈夫です。むしろ、お忙しそうだったのに、気を遣えずすいません」なんて返して、恋の始まる音が聞こえたりしたかもしれない。

色々書きましたが、僕が卑屈でひねくれてて、頭がおかしいだけなんで気にしないでください。


Posted by 北川 on 7月 30th, 2014 :: Filed under 日常

池田さん

空港に行ったら池田さんがいた。

今朝モノレールに乗って空港に行くと、駅のホームで知ってる人がいる気配がして、キョロキョロしてみたら池田嘩百哩さんだった。たぶん視界の隅に入ってきて、誰か知ってる人とすれ違ったような感覚に陥ったのだろうけど看板でした。

ただこの感覚は僕としてはとても新鮮で、今までこんなデカい看板に知ってる人が載っているのいうのはなかったので、芸能人を見るというより知り合いを見ている不思議な感じ。確かに、失礼な言い方になるかもしれませんが、池田さんをテレビなどの媒体で見るより前にお知り合いになっているので、究極的な話、ゼミの友達や会社の同僚がJALの看板に載っているような違和感。まあこんな奇麗な方、会社にいませんけれども。

さらにこれをFacebookにアップしようとしたら「イケダカオリさんと一緒です」と、しっかり顔認定されてて、なんとういうか「街の看板を写真に撮ったらお友達リストにヒットする」というのはなかなか経験できないことで、えなりかずきの写真で僕がヒットしたり、フルーツポンチ村上の写真で本折がヒットするのとは訳が違うなと思いました。

まあいろいろと書きましたけれども、こんな閉鎖された空間でしか言えませんが、つまるところ池田さんが好きだということです。


Posted by 堀田 on 7月 29th, 2014 :: Filed under 日常

二番手

昔から二番手志向です。

組織におけるポジションを考えるとき、昔からトップや真ん中ではなく、二番手で真ん中の隣ぐらいにいるのが好きです。男の子は小さい頃に、よく戦隊ものごっこをして遊んでいたと思うけど、やっぱりだいたい二番手の役を好き好んでやっていました。実家に、上の写真の黒い奴のヘルメットを被って、同じポーズしている写真があります。

当たり前の話だけど、当然その写真には赤い奴の役をやっている友達もいて、彼は多分、真ん中とかリーダーとかが好きなんだと思う。僕からしたら彼の感覚が全然分からなくて、なんで真ん中行っちゃうのかしら、逆にかっこ悪いし、ど真ん中で赤とか恥ずかしいじゃん、みたいな感じなんだけど、こういうのは完全に個性なんだなと思います。

思えば小学校の頃とかも副班長みたいなのを歴任していた気がするし、大学のゼミでも副代表をやっていました。この二番手というのはカリスマ性はないけどちゃんとできる、みたいな美学があって、そういうのが好きというか、要は自身の地味さを早くから自覚しているのです。何をやっても目立つ人っていうのはやっぱりいるものね。

そういう意味では小学校5年生くらいのとき、一度だけ学級委員長に任命されたことがあって、これは完全に他薦で「何となく堀田にしておけばこの場は収まるだろう」的な流れで票が入った結果なんだけど、実際ちゃんと仕事をしたのに、あとで同じクラスの誰に聞いても「え、お前そんなのやってたっけ?」と言われ、本当に自分が間違っているのではないかと疑うくらい誰も覚えていないという悲しい状態になっていて(今も)、そういうのもあってやっぱり二番手がいいなと思って生きています。


Posted by 堀田 on 7月 24th, 2014 :: Filed under 考察

ライン

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ここのところ、お盆でわりと忙しかったですが、ちょっとは落ち着きました。
まあ、ちょっとやらないといけないことあるので、またすぐにたてこみますが。

全然関係ないが、LINEでのトラブルがいじめに発展し自殺か、みたいな記事を読んだ。
前から書いてるけども、本当にLINEって、つぶれてしまえばいいと思っている。
メールとか電話で十分というか、メールや電話ですら面倒くさいのに、LINEとかFacebookとか年がら年中やってる人の気がしれない。
LINEとか、スタンプで簡単にコミュニケーションがとれるからいい、とか言われてるけども、なんでいちいちスタンプみたいなわけのわからないもの使ってまで人とコミュニケーションとらないといけないんだよ。
そんなこと一日中やっていて、いったい何になるのよ。
ほんとただのコミュニケーションの入れ物しかないっていうか、まじで意味ないと思う。
まあ、ビジネス上とかの連絡とか議論用に使うんならまだいいけどね。
高校生とかには必要ねえよ、あんなもん。
ガキが大人ぶっていきがってんじゃないよ、まったく。
やらないとハブられたりするのが恐いんだったら、高校生とかは全員使えないようにすりゃいいんだよ、別に困らねえよ、あんなもんなくても。
それに、あんなものやってる暇あったら、本の一冊か、映画の一本でも見ておいた方がいいよ。
「夏目漱石?誰それ?知らねえ、ウケる!まじで!?」とか言ってる人の言葉なんかをLINEで見聞きしてるより、偉人の言葉見聞きする方がよっぽどためになるし、おもしろいだろう。
中高生なんてのは、そりゃあ一部、すごい奴もいるだろうけども、ほとんどが毒にも薬にもならない、ほんとしょうもない生き物だよ。
僕もそうだったからわかるし、電車とかで盗み聞いてると、中高生の話って、あまりにつまらなくて時々引くよ。
クラスで一番おもしろい奴とか、どうせだいたいがただの太った人か、今だとどぶろっくの歌歌ってる人とかだろう。
意味ねえよ、あんな人たちと一日中コミュニケーションとったって。
というか勉強してろよ、高校生や大学生はさ。
勉強が全てじゃないとかいう人いるけども、何事も勉強が全てだよ。
そんなの当たり前だよ。
勉強しない奴なんて、だいたいがロクなことにならないんだよ。
よっぽど運が悪い人はまあしょうがないけども、結果出ない人ってのは、だいたいがサボって勉強してないんだよ。
そんなことは、もう歴史的にみたってなんだって、めちゃくちゃ当然のことなんだよ。
別に勉強ってのは、学問上のことだけ言ってんじゃないのよ。
野球の勉強というか、まあ訓練だって、もうなんだっていいよ。
とにかく、興味持ったものとか、自分のためになることとかのことを、しっかりと学ぶべきだろう。
スタンプでコミュニケーションばっかとってんじゃないよ。
お前、スタンプでコミュニケーションとるプロでも目指してるのかって感じだろう。

もうほんと、僕みたいになりたくなかったら、LINEなんかやってないで、ちゃんと勉強した方がいいんだよ。
僕の頃はLINEなんてなかったけれども、高校の頃とか勉強まったくしないで、もうほんと一日中エロいことばっか考えて過ごしてたもんな。
ひどい時は偏差値35くらいになってたし。
まあ浪人中はけっこう勉強したけども、これに関しては、なんだかもう、悔やんでも悔やみきれないところがあるよな。
東大とか東京芸大とかいう名称を聞くと、いまだに体の奥底が震え上がるほどのコンプレックスが湧き上がってくるからね。
激しい後悔の念から、発狂しそうになることもあるよ。

もうほんと、若いうちはとにかく勉強よ。
頑張ればだいたいのものにはなれるんだからさ。
まあなれない時もあるだろうけど、勉強しないよりはした方がいいだろ。
それに、勉強してない人は、はっきり言ってバレるよ。
Twitterとかで、色んな意見とか見かけるけども、勉強してない人はもう一瞬で薄っぺらさがバレるよ。
一文ですらバレるよ。
ただこれ、上にも書いたけど、学問的な意味での勉強だけを言ってるわけじゃないからね。
スポーツ選手だってなんだって、やはりその道のスペシャリストは素晴らしい言葉をだいたいみんな残すもんだよ。
だからもう、ほんと勉強というか、まあ努力よ。
頑張ってくれよ、ほんと。
LINEなんかやってんなよ。


Posted by 北川 on 7月 24th, 2014 :: Filed under 日常

女子力

ありがとうございます。

おかげさまで小さいですが新規案件が無事受注できまして、それが和歌山の件だったので関西支社と契約書類のやり取りをしています。そしたらば関西支社のアシスタントのお姉さんが、お客さんからの契約書類一式をこんな素敵なクリアファイルに入れて送ってくださいました。ちなみに、こういう人は間違いなくモテるし、実際この方もかわいらしい方です。

ご本人としては大した話でもなく、なんとなくのノリでやっているのだと思うのですが、男というのは本当にこういうのに弱い。まずこういうのって捨てられないし、せっかくデコっているのをビリビリ剥がすのも悪いし、かといって後生大事に持っているのもおかしいし。で、結局どうしようもなくなってちょっと保管しておくだけのつもりが後生大事に持ってしまっていたりするのです。

高校時代に、好きな女の子でこういう小さい手紙みたいなのをノリでどんどんくれる子がいまして、もう本人としては何の意味もなく、軽い気持ちでどんどんくれるものだから、もうどんどん好きになってしまって大変でしたね。あの手紙たちはいったいどこに行ったのかしら。でも多分捨ててはいないのでどっかで発掘されるはず。

あとこういう人は本当に簡単にハートマーク使うから注意しなくてはなりません。などなど、僕も大人になりましたので、もう大丈夫です。


Posted by 堀田 on 7月 20th, 2014 :: Filed under 仕事

ブーメラン

気になっている武器シリーズ。

以前、気になっている武器として「釘バット」の話をしたけど、もうひとつ気になっているのがこのブーメランです。投げると弧を描いて戻ってくるのが特徴らしいけど、何とも扱いにくそうな上にキャッチミスすると大怪我するし、実際これで本当に狩りをするのだろうかと不思議に思っています。当たったとしても、頭に当てない限りダメージも地味そうだ。

そもそも、よく漫画とかで見るのは獲物やら敵やらに命中した後、自分に返ってくるイメージがあるけど、実際は当たったら拾いにいかなきゃならないだろう。ということは戻ってくる機構になっているのは、ある程度外すことを想定しているということだろうか。一回外したら、もう相手に気づかれてなかなか相手に当たらないと思うのだけど。

と思って調べていると、やはり当たったら戻って来ないのだそうで、戻ってくるタイプは比較的軽くて殺傷能力が低く、狩猟用のタイプは重くてカンガルーが気絶するほどなので、戻ってくると逆に危ないのでやはり投げっぱが基本らしい。なるほど確かにボクシングが得意なカンガルーを仕留めるには死角からバコーン!と当てるブーメランがちょうどいいのかしらね。と、思いました。

次に気になっている武器は「トンファー」です。


Posted by 堀田 on 7月 15th, 2014 :: Filed under 考察

限定

ラーメン二郎に抵抗があります。

こってり系のラーメンは昔から大好きなので、ラーメン二郎も別に嫌いではないのが正直なところなのですが、いろいろあってこれが好きになれません。というのも、学生時代に三田に本店(?)があったこともあり、まわりの友人とかが連日食べに行っては、「俺は鍋で食った」だの「三日連続で食った」だの自慢しあっているのを聞かされて、「それがどないやねん」とずっと思っていたので。

ラーメン二郎をこよなく愛する人のことを「ジロリアン」というらしいのだけど、なんというか、そのジロリアン自慢が、なんか偉そうというか、「俺は慶応だ」的な色を勝手に感じてしまうのと、実際「こってりラーメンを大量に食うこと」の何がそんなに威張れるのかとか、なぜそんなに冷めた目で見ていたのか分かりませんが、とにかく当時は一切言えなかったけど、どうにもそのあたりがダメでした。

別にいいじゃんね、とも思うのですが、何か好きになれなかったんだよなあ。何というか、特に面白い話でもなかったので、ほんと「だから何?」とずっと思っていたので。なんでラーメン二郎についてだけ、そんなに尖っていたのか、今でもよく分かりません。


Posted by 堀田 on 7月 13th, 2014 :: Filed under 考察

地図

GoogleMAPが好きです。

方向音痴のくせに、出不精のくせに、地図を眺めるのは結構好きなほうです。特に紙の地図や地球儀ではなくて、GoogleMAPが好きです。なんというか色合いと、検索したときの「グウン!」と動く動作とか、ピンが刺さる動作とかがなんとなくいい。

僕は仕事で地方をあちこち回ることも多く、仕事でなければ絶対に行かなかっただろうし存在すら知らなかったところに行くことがあって、そこでありがたいことにお客さんになっていただいたところとかは、マイマップ機能を使って密かにピンを刺したりしている。新規案件が獲れたらピンを刺すのだ。超楽しいが暗い。

塗り絵とかジグソーパズルとか、こういう「面を埋めていく」楽しみって結構あると思うのですが、他の人はどうなのでしょうか。売上だとかノルマだとか言わずに、部のみんなでこの地図を埋めていく、みたいな夢のある楽しい仕事場になればいいのに。


Posted by 堀田 on 7月 12th, 2014 :: Filed under 日常

ローファー

ローファーに憧れています。

高校時代、ローファーというものを知ってからずっと気になっているのですが、未だにあれが何なのかよくわかっていません。僕の高校は学ランだったのですが、ローファーはブレザーの高校生が履いているイメージだったこともあり、特に履く機会は無かったのと、何よりもハイセンスすぎて僕には手が出せませんでした。

結局、ただの革靴と何が違うのかよくわかっていませんが、僕の中では「スーツを着ていないときに履く革靴」みたいな定義です。スーツでないのだから革靴を履く必要がないのに敢えて履く、みたいな感じがとてもハイセンスで、大人になってもまだ手が出せません。基本的に革靴は好きな方なのですが。

たぶん、本当は靴の「ファー」という部分が「ロー(浅い)」のではないかと思っていますが、ファー(毛皮)なんかついてないしね。その他、カットソーとかブルゾンとか、レギンスとかアイテムとか、そのあたりの定義を全然覚えないまま大人になってしまった。私服で働く職場とかだったら、途中でパニックになって裸で出社すると思う。


Posted by 堀田 on 7月 11th, 2014 :: Filed under 日常

和歌山ホテル

銀河ホテル、終了しました。

今回もたくさんの方に観に来ていただきまして、本当にありがとうございます。また客演の皆様、スタッフの皆様にも大変支えられました。この場をお借りして御礼申し上げます。千秋楽が終わったらすぐに和歌山に出張し、一泊してプレゼンをして帰ってきまして、やっと落ち着いたところです。

今回の出張はパソコンやらプロジェクターやら重い荷物が多くて、さらに雨も降らないのにずっと傘を持っていたし、さらにプレゼンだから上着もあるわで、本当に荷物が多くてキーーー!っとなりそうだったけど、そこはいつもの「アフリカの子供よりマシ」という思考で平常心を保つことが出来ました。こんなことで愚痴を言っていては彼らに申し訳が立たない。そもそも雨だったり強風だったりするのに比べたら、傘を差さずに持ち歩く方がずっとマシ。アフリカの内戦とかに比べたらすごいマシ。

とくお組はよく「仲がいい」と言われるのですが、理由の一つとしてみんな愚痴を滅多に言わないというのがあると思う。何かあるとしても非常に建設的な意見しか出ないし、さっぱりしていて楽しいです。愚痴ばっかりの人とお話ししてても面白くないしね。よく考えたら愚痴という字も愚かなアホみたいな感じだし。本当にみんな愚痴るのやめたら世界はもっと素敵になるのに、とか思っています。

まあでもたまには愚痴ったっていいじゃんね。とも思います。


Posted by 堀田 on 7月 8th, 2014 :: Filed under 考察

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若干酔っている。
昨日までは仏教の学会での発表があって、かなり忙しかったのだが、なんとか無事乗り切ったもので、それなりに気分がよく、いつもならためらわれることなのだが、今日は書いてしまう。
ネタバレ等はあまりないとは思いますが、僕はあらすじ等を言われても全く気にならないタイプの人間で、つまりはその辺の感覚壊れてしまっているもので、気になる方は読まないでください。

今日は、銀河ホテルを見た。
おもしろかった。
最初の五分間程度で、誰が見てもわかることではあるため、酔っていないといえないが、観客は物語から解放される。
どこを見ても、どこも聞いてもいい芝居ですよ、物語は追わなくていい芝居ですよ、こう宣言される。
そうなると必然的に観客は、前のめりに自身で情報を取捨選択することとなるし、芝居は個別のシーンのおもしろさ、すなわち、演出と俳優の演技に委ねられることとなるし、まあそれは、なんなら観客が何回もその芝居を見に来ることの契機となるしで、いいことであるはずだ。
しかし、これは何回も繰り返す類のものでは決してなくて、つまりは方法論としては実験的で本質とは離れた位置にあるものなわけで、そういった意味では、あらゆる会話が同時多発的に起こるリアルな演劇というものは僕の中では、基本、形骸化した、終わっているものではあるのだけれども、今回のような形式の下で行われるもの、すなわち、全体の形式ではなく細部への意識の下で行われる同時多発的な会話は、強い覚悟をもって行われるチャレンジであるし、それを賞賛しないことはあり得ない。
ちょっと違うし、伝わらないかもしれないが、僕の中ではカサヴェテスのイメージね。
大学の頃、美学科の授業で、学校を使ったイベントを何かたてろ、というレポートがあったが、僕は、学校全てを貸し切り、100人くらいの俳優が出演して、あらゆる場所で演技をして、観客が自由に動いてどこを見てもいい、つまりは全ての場所で、学校という一連の芝居が繰り広げられている、という企画を書いた。
これは、機会があったら今でもやりたいと思っているが、時間という制約のある、映画や演劇という芸術の中において、どの瞬間を、どの部分を、観客が自由に自身の意志で切り取って見てもおもしろい、というのは、一つの夢であり、理想である。

しかし、生意気な意見かもしれないが、僕の中で惜しむらくは、その点、すなわち、細部における最後の一手であった。
ラスト、僕は、多くの役者は、雨に濡れているべきだったと感じたのだ。
先日、テレビでやっていた思ひ出ぽろぽろを一瞬見たが(僕は実は思ひ出ぽろぽろの全編は、人生でいまだ見てはいない)、雨は、二人を車の中に閉じ込めるために降っていた。
今回の芝居において、雨は、物語のために降るのではなく、ラスト、濡れた髪の毛としたたる水の中、光を受けつつも、あるものを見るために、降るべきであったと、僕は思った。
濡れていない人間との対比も含め、これは、全てを包み込む強烈な細部となることは間違いないし、どこを見てもいい芝居であるからこそ、ここは欠かすことのできない一手となったのではないかと、僕は思った。
リアリティの問題としてではなくて、端的にラストの細部の美しさとして、これはこちらだったのではないかと、僕は感じた。
色々な理由もあるかもしれないので、誠に勝手な意見ではあるのだけれど。
しかし、そんな意見を言いたくなるくらい、様々な箇所を見、聞きし、豊かに楽しめる、お芝居であったと感じました。
時間ある方はぜひどうぞ。

酔った人間のしょうもないブログを最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました。
では。


Posted by 北川 on 7月 4th, 2014 :: Filed under 日常