とくお組モブログ
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香港

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香港に数日行っていました。
写真はホテルの前で適当に撮ったやつなので、あまりいい写真じゃありません。

僕もあまり詳しくはない上に、ニッチなあれなので、説明してもあまり伝わらないとは思うんですが、まあ、でかい国際映画祭には、だいたいマーケットってやつが併設されてるんですね。
映画祭ってのは、映画を上映するだけではなくて、いわゆるバイヤーとか色んな人が来ますから、併設されたマーケットというもので、映画が売り買いされたりするものなんですね。
で、よく賞が話題になったりしますけれども、あれは基本、マーケットではなく、映画祭の方の話ですね。
しかもコンペ部門という部門でありまして、これは、まあ日本語だと招待って言われるのでわかりにくいんですが、何千という応募の中から選ばれた10本とかしか入れない部門でありまして、たとえ賞をとれなくても、コンペ部門に入るだけでも相当にすごいことではあるわけです。
入選というニュアンスの方が、本来は近いでしょう。
まあコンペにも、メインコンペとか色々ありますが、賞レースに乗っかること自体、大概がすごいことですね。
逆に、コンペじゃないものは、金払ってマーケットで全員参加、みたいなものがほとんどでありましょう。
この辺、一般の人や、なんならマスコミでもめっちゃくちゃに報じられることが多くて、そもそもコンペ部門じゃねえから、金でぶっこんだだけだから、みたいな映画を「受賞なるか!?」とかいって報じてるしょうもないケースもよくあります。
それ絶対賞とれねえというか、賞レースに入ってすらいねえから!みたいな。
もちろん、武の映画なんてのはカンヌとかのコンペ部門であります。

で、僕は今回は、マーケットの方に行っていたんですね。
ただ、これがまたややこしい話なのですが、時に、企画マーケットという形で、映画の企画のコンペをマーケット側が主催するケースもあるわけなのですね。
これは、応募のあった企画が審査され、選ばれた企画のみがコンペ対象として、ビジネスマッチングの機会を与えられ、さらには賞の授与もある、つまるところ、そういったものなのでありまして、まあほとんどの人が知らないとは思うのですが、香港国際映画祭のこのマーケットのコンペは、その界隈じゃあけっこう有名なやつなのです。
で、僕はそれに行っていたのです。

長々書いてきましたが、僕は一応、企画を出して、それこそ世界から何百という応募がある中で、20企画くらいだかとして選ばれ、コンペ対象として香港に行ったのだと、なんなら飛行機代と宿泊費とかは全額向こうが払ってくれて行ったのだと、これを強調したいがために、ここまで言葉を重ねてきたのです。
まあ早い話が自慢なのですが、あまりにも話題にならなかった上に、金払ってマーケットに来た観光客みたいなロクに事情を知らない日本人のおっさんに「僕もあっちにブース出してるんですよ。一緒ですね」みたいな態度とられてキレそうになったりで、もうとにかく、なんで日本人の多くはこんなに事情を知らないんだ、と激しく憤ったので、誰も読むことのないこの場所でくらい、自慢させてください。
まあ、結果からいいますと、受賞はならなかったんですけどね、僕の企画以外のほとんどは、総予算5億とかそんなのなんですよ!
そもそも、よくもまあ、僕みたいなもんのくそ安い企画が入ったもんでしょう。
まあ、受賞とかだけでなく、普通にビジネスマッチングの場ですし、それはちゃんとやってきたので、別に賞はいいんですけども、受賞しなかったらクソとかすぐ言われたり思われたりするんでね、これだけは言わさせてください。
そんなことはない!
理由は上に長々書いてきましたがね、そんなことはないのです。

で、こんだけ長く書いてきて、ここから本題なのですが、その期間中に、いくつかのパーティーに誘われまして、まあしょうがないので出席してきたんですね。
これがもう、ほんとしょうもないというか、なんでしょう、とにかく不健全だなと感じたのです。
僕のいたコンペのパーティーとかはいいんですよ。
みんな、自分の企画やクリエイティビティに自信を持っていて、だからこそ、相手もすごい奴なのだ、君も選ばれて来たのだろう?みたいな感じで、対等に、相手と意見を交わし合い、健全にクリエイティブというものと向き合った、素晴らしい空間です。
ああいうのがあるからこそ、あの場に憧れるというのもあるくらいです。
問題は、金にものいわせて、なんの哲学もない、映画というものをロクすっぽしらない、クリエイティビティの欠片もない、ただ、そういう空間に憧れているだけの人たちが主催した、日本人だけの、バカみたいに派手なパーティーです。
彼らにとっての映画は、酒、金、女、それを手に入れるための手段にしか過ぎないのですね。
もしくはただのミーハー、下手の横好きです。
ロクな作品もつくれず、選ばれもしなかったおっさんが、偉そうにガハハと笑いながら、むしろこっちをバカにしてきたりもする。
ああいった場で一番偉いのは、金持ってる奴でも、女はべらしてる奴でもなくて、最もよい作品をつくれる奴、そうなるべきだと僕は思います。
あんなしょうもねえ人間がはばかっている場なんてもんからは、新しいものなど何一つ生まれません。
あんな場からは、金を生み出すシステム、ヒットを生み出すシステム、と彼らが盲信するものによって、くそみたいな作品が、バカみたいに量産されていくだけです。
ほんと、僕が彼らの立場だったら、恥ずかしくてあの場にいれないですよ。
プロデューサー気取り、クリエイター気取りの人間の、いかに多いことか。
ああいう奴らが、日本の文化のレベルをガンガン下げていっているのだと、ほんとまじで気付いて欲しいですよ。
あいつらバカだから、自覚がないんですよ。
だって、ああいった手合いは、もうとにかく声と態度がでかいし、性欲が尋常じゃないし、金もバカみたいに持っているでしょう。
だから、なんか勘違いするんですね。
俺は偉い、みんなもそれをよいと思っている、と。
しかも、明らかに接待用の姉ちゃんと思われる人とかが、軽く仕切られた空間に待機してて、おっさんが帰る時に呼び出されて、さっとついて行かせたりしてるんですよ!
ほんと、嫌悪感しか感じなかったですね。
そういうのは、せめて人に見せないで、勝手にひっそりとやってくれよと。
ああいう奴らはその辺さえも、自分の偉さを強調するために、あえて見せてくるんですよね。
どんだけ不安なのかわからないですけど、もうほんと、なんか気持ち悪いですよ。
まあ別に、そんな人がいてもいいんですけどね、とりあえず、あそこをクリエイティブな場だと言い張るのであれば、そこは別のものとして考えてもらいたいですね。
全くもって自己が作品というものに飲み込まれていない。
むしろ作品やクリエイティビティが、自己顕示欲と性欲に飲み込まれている。
まあ、確かにああいった世界は華やかですからね、憧れるのもわかりますよ。
僕だって憧れていますしね。
しかし、それならそれ相応に、ちゃんと表現と向き合って、ああいった場にいるべきだと僕は思いますね。
それが、僕みたいな、才能の乏しい人間がああいった場にいる、最低限の礼儀というものだと僕は思いますね。
ほんと、てめえくそつまんねえんだよ、のさばるな、とか、よっぽどはっきり言ってやろうかとも思ったんですけどね、まあその勇気はなかったですね。
こわいですからね、ああいう奴らは。
まあここに書くのもあれかもしれないですけどね。
そうしたら消しますか。

いやー、しかし腹たったなあ。
ほんとくだらねえわ。


Posted by 北川 on 3月 30th, 2014 :: Filed under 日常

11

おかげさまで11年目です。

先日、会社の4月からの新体制が発表されまして、今年も無事、転勤もなく本社勤務となりました。そろそろローテーション的には危ないのだけど、仕事に対して後ろ向きだと飛ばされかねないので、逃げるより攻めろの精神で何とか今年も生き残りました。まあそもそも頑張れる環境にいることの幸運が前提としてあるんでしょうが。

具体的に何かあったわけではないけども、Twitterとかで誰かに愚痴を言ったり、不満をこぼしたりしている人をよく見かけるけども、あれは普段から愚痴っぽい人なんだろうか、それとも我慢ばかりしている人なんだろうか。王様の耳はロバの耳的な感覚だとしたら、かなり聞こえてしまっている。

かつて第一回WBCで日本代表が優勝して、次の監督に原さんが指名されたとき、前任の王監督へのインタビューで「原監督は相当なプレッシャーだと思いますが?」という質問に、王さんが「彼は大丈夫。明るいから。」と言っていたのをよく思い出すのだけど、内面はどうあれ、やっぱり対外的に明るい人っていうのは素敵だなあと思います。

ちなみに僕は明るくはないですが、前向きな方だと思います。いいね!


Posted by 堀田 on 3月 25th, 2014 :: Filed under 日常

足場

足場の強度が気になる。

東京ではまだまだどんどんビルが建てられていて、大手町とか、まだ作るんかと思うほど建設中のビルが多くてシティ派の僕としては嬉しい限りですが、足場の上を悠々と移動する鳶の人とか見ると本当にすごいなあと尊敬してしまいます。

高所恐怖症の僕としてはこの足場の強度が気になるところで、つまりどれくらいの風でどれくらい揺れるのかとか、やんちゃな人がわざとガタガタ揺らしたりしたときにどれくらい大丈夫なのかとかが、乗らないけど、すごい気になる。てか人が揺らすのは大丈夫だとして、地震になったら思いっきり下から揺らされるわけだから絶対危ないと思うのだけど、どうなんだろう。「震度7にも耐える足場」とかあるんだろうか。

なんかあんまり足場の耐震性を重視してたらビルを作ってるんだか足場を作ってるんだかよくわからなくなりそうだし、やっぱりある程度弱いモノだと思うのだけど、でも地震で崩れて死んだりしたら大変だしね。そこは「うまく崩す」とかそういう技術があるんでしょうか。いやー気になります。


Posted by 堀田 on 3月 19th, 2014 :: Filed under 日常

ご無沙汰

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ご無沙汰しております。
最近、かなり時間がなくて、更新できていません。
すいません。

色々と完成させないといけないものがあるのですが、押せ押せになっちゃってて、ほんとちょっと責任感で頭おかしくなりそうです。

そんな中ではありますが、何日かに一回は映画を見に行っています。
まあ、それがいけないのかもしれませんが、いま行かないと終わっちゃったりするんで。

で、その中で、画像のもの見に行きました。
大衆的な映画だとナメてかかる人も多いかもしれません。
が、間違いなく素晴らしい映画だと思います。
メリーゴーランドのシーンは言わずもがなですが、北川景子が錦戸くんの寝顔を見るところなんかも涙止まりません。

というか、他にも様々素晴らしいところがあり、なにより色々長く書きたくなる映画なんですが、あんまり時間ないもので、これで。
もうすぐ終わっちゃうんで、ぜひどうぞ。


Posted by 北川 on 3月 18th, 2014 :: Filed under 日常

客観

センスとか能力とか、そういうこと以前に大事なのは、やはり客観性というやつだろう。自分の出し物が、他の人からどう映っているかということだ。客観性を欠いた出し物は、単に演者が青春の汗を散らせただけで終わる。柴田が演劇を観たあとによく怒っているのはそれだ。

これまた難しいのが、じゃあ客観性があれば面白いかというと当然そうは言えない。見てて最初は全然ついていけないんだけど、あまりにポジティブで進み続ける表現に、いつの間にかハマっていた、などという経験もあるだろう。見ている人の顔色を窺っていてもダメで、味方がたとえ自分一人でも続けなければならないこともある。それは前提に置いたうえでの客観性だ。

写真の鈴木さんを例に取ると、これは客観性を欠いた、世界中が自分の味方(ファン)であるということを前提にしたポジティブな表現だ。何も悪いことをしていないのに、悪口の対象になりうる隙がある。具体的にはつま先がちょっと上がっている部分が腹立つだろう。

僕は何も鈴木さんのダメ出しをしたい訳では無い。これはこれでいいのだ。なぜなら、この雰囲気は僕が要求したものだからだ。

 


Posted by 徳尾 on 3月 14th, 2014 :: Filed under 日常

パナマ運河

パナマ運河が意外に狭い。

昔から大変有名なパナマ運河が、写真で見たらびっくりするくらい狭かった。まあ、この写真はパナマ運河の一部しか表していないのだと思うけど、それにしても船一隻しか通れない(どうやら二車線あるみたいですが)というのは意外でした。なんか道路みたい。でもここを通らないと大陸をぐるっとまわらないといけないのだろうから、やはり要所なんですなあ。

あと全然話が逸れるけど、昨日は震災から3年ということでいろんなニュース番組で特集を組んでいて、復興がいまだに進まない現状だとか、原発職員の現場とか、頑張っているボランティアとかが中心で、なんというか、末端の現状を報じるだけで、それがなぜなのか、みたいな部分があまり分からなくて、なんだかなあと思ってしまいました。核心を突いていないというか。原発がなぜなくならないかとか、なぜお金がうまく使われないかとか、いろいろあるでしょう。

「震災を風化させてはいけません」みたいなことをみんな言って締めるのだけど、それなら震災特番とか言って、一日中放送するくらいやってもいいのにと思う。確かに毎日震災の話するものあれだから、せめて3年目とかの日には一日中やればいいのに。一日やれば、どうしても核心を突かざるを得ないだろうし。なんか、ニュース屋さんも思いっきり風化してるじゃん、みたいな印象。「笑顔」とか「絆」とかもいいんですけど、それって全然根本を見ていないというか、そんなことより「分析」が必要だと思いますけどね。

まあ結局なにが言いたかったかというと、パナマ運河が思ったより狭いということです。


Posted by 堀田 on 3月 12th, 2014 :: Filed under 日常

完敗

偏見もあると思いますが。

女性になったことがないから分からないけれど、生まれてこのかた男に生まれてよかったとずっと思っている。世の中がなんだかんだで男社会だし、男はいろいろと面倒くさくない。あまり深く考えてないから、男同士の人間関係でドロドロすることも少ないし、比較的合理主義者が多いから話が早いし、防犯面も女性の何倍も緩くて平気だし、何よりなんとなく楽しい。死ぬまで遊んでいると言いますか。

そんな話を会社のとなりにいるアシスタントの女性とおしゃべりをしていたら、「私は女でよかったと思うな」というので、理由を聞いてみたら「子供を産めたから」らしい。僕は絶対に産みたくないんスけど、みたいな反論をしたらば「うまく言えないけど、人生で最高に幸せな瞬間だった」とのこと。もうこの一言で完敗です。

所詮、男は女性という海の中で遊んでいる子供みたいなもんなんスね。いやー、大変勉強になりました。


Posted by 堀田 on 3月 9th, 2014 :: Filed under 考察

ワイン

多少酔っております。

今日は先日完了した2つのプロジェクトの打ち上げでした。基本はエンジニアさんばかりで僕は大変だった2案件を穫って来た営業として一人参加したのですが。

打ち上げというのは芝居も仕事も、基本的に相手を褒め合うものだと思うのですが、それにしてもいろんな方から「堀田さんに出会って久々に火が点いたんスよ」とか「お前の案件には全面的に協力するからな」とかありがたいお言葉をたくさんいただいて、素直に嬉しい飲み会でした。

これはザキさんの真似をしているからというのがタネ明かしなんですが、周りの人を巻き込んで通る道幅を広げて行く、という技が何となく見えてきたというか、とにかく、僕と仕事をしたいという人が増えて来ているのが何となく分かって、大変ありがたいなと思いました。中学校時代の僕が見たら信じられない状況だと思いますが、人は変わるもんです。

なお、二次会で連れて行かれたよくわからない古い居酒屋で、「歌えバンバン」を何十年かぶりに歌わされて、結果、隣のテーブルのおじさんからワインをおごってもらいました。まあ、そういうことですよね。


Posted by 堀田 on 3月 8th, 2014 :: Filed under 仕事

追憶

最高傑作でした。

ここ最近、隙を見てはドラクエⅢをやっています。スーパーファミコンでのリメイク版をやっているのだけど、小学生のときに姉ちゃんと一緒に胸熱くしたあのファミコン版の方がやっぱり面白かったなと改めて思います。ラスボスのゾーマがあらわれた時には鳥肌が起ちました。名前も、デザインも、音楽も、何もかもが洗練されていた。こんな奴に勝てるのかよっ!とか言いたくなる感じね。

会社の後輩らの世代だともうファミコンと言ったらスーパーファミコンを指すらしく、あのファミコンは「なんかあったみたいッスねw」というレベルだったりしてびっくりである。「ドラクエを終えるときはリセットボタンを押しながら電源を切らねばならない」なんて、笑われそうで言えやしない。

当時はバグが「裏技」として広まったりと、あの不安定さもよかったと思うけど、僕は昔「ナイトガンダム物語」というRPGをやっていて、かなり後半の後半くらいになったら、あるはずの町がなくて(バグ)、結局クリアできなかったという苦い経験もあります。当時は「バグ」という概念がなかったので訳が分からず、本来その町があるはずの島の1マス1マスを泣きながら「しらべる」して歩いたものです。

似たような経験で、コンビニのおにぎりが出てきた頃に「牛カルビ」のおにぎりを食べていたら、最後まで牛カルビが出て来なかった、なんてこともありました。当時の僕はすごい悲しそうな顔をしていたと思う。


Posted by 堀田 on 3月 4th, 2014 :: Filed under 日常

いい男

いい男いないかしら。

最近なんとなく感じるのだけど、フリーのいい女に比べてフリーのいい男が少ない気がする。人付き合いの少ない僕の周りでさえ魅力的な女性は結構いて、誰とも付き合ってなかったりして勿体ないなあと思うのだけど、じゃあ誰か紹介してくれと言われると、彼女らに見合うだけのいい男というのが全然空いていない。

これは僕が男だから、魅力的な女性が相対的に多いように感じるのだと思うけど、それにしてもいい男だなと思う奴は見事に埋まっていて、これは男というのは中身が成熟してくるのがやっぱり遅いからだと思う。男が20代前半ぐらいから大人びていれば、女性からして素敵な男ももっといるだろうに。

男がいい男になるにはウィスキーみたいに熟成期間が必要なので、早いうちから押さえておかないといけないのだけど、早く押さえたら押さえたらで、ガキで面倒な時期に付き合わなければならない。しかも多少育ててやらないと下手したらガキのままデカくなる可能性もあるので本当に女性は大変だと思う。その上、若い女が現れるとフラフラしたりするしね。

これは僕の仮説ですが、猫好きの男は将来いい男になる可能性が高いと思っています。


Posted by 堀田 on 3月 2nd, 2014 :: Filed under 考察

普通

難しい。

今日は大きめのお仕事が二つ同時に終わった日でした。途中でちょっと大変なことになって社内も協力会社も苦労して何とか納期を守れた案件で、おつかれさまということで営業の僕が打ち上げを企画することになりまして。

僕としてもみなさんの労をねぎらいたい思いでご案内メールを送ったのだけど、ただの打ち上げというよりも、この案件の苦労と達成をなんとか盛り込むべきと思って飲み会にタイトルをつけたら、選んだ言葉のニュアンスがよくなかったらしく、上の方から「ちょっとそれは失礼なんじゃないの?」みたいな話になった。何となく予想してたけど、やっぱりそうなるか。

別にただの「打ち上げのご案内」でもいいんだけど、ただの飲み会じゃないんだから、何か特別感をと思ってやると反対意見も出てくる。僕は、仕事においては特に、タイトルというか冠というか、コンセプトを頭に持ってくることってすごく大事だと思ってるんだけど、こうなってくると面倒なのでどんどん普通になる。そうすると、特別な打ち上げもただの飲み会になる。まあ誰にも反対されない良いコピーを考えろってことでしょうけど、そうするとどんどん普通になるから本当に難しい。

このろくでもない、すばらしき世界。とかは本当にすごくいいコピーだなと思います。


Posted by 堀田 on 3月 1st, 2014 :: Filed under 仕事