とくお組モブログ
いつも手元にとくお組

武勇伝

早速、飲みに行きました。

公演が終わって溜まった仕事をガンガン消化しなければならない週なわけですが、昨日は先輩方に誘われてするっと飲みに行くことに。昨年度に僕がトレーナーをやっていた二年目くんも連れていったのですが。

この二年目くんが相当な問題児で、いいやつで好かれるタイプではあるんだが、仕事については「僕は向上心がない」と宣言するほど意欲がなく、まあとにかく仕事ができないでいつも怒られているので、こういう飲み会では必ず先輩たちからありがたいお説教を食らってしまう。

ただ彼からすると「みなさんは何をモチベーションにして仕事をしているのか」ひいては「なぜ働くのか」がそもそも分からないらしいのだが、諸先輩方はその感覚がまず理解不能なので「給料分は働け」とか「じゃあ明日から飛び込みで一日中回って来い」とか、そのうち「俺がお前ぐらいのときは…」とか「俺なんてこれこれこういうことがあったけど…」とか体験談や武勇伝に発展してしまう。もう二年目くんの耳は完全に日曜だ。

年齢を重ねて行くとついつい自分の苦労話や成功体験を話してしまいがちだけど、それって全然解決策として提示されていないので、聞く側は相づちを打つだけで、完全にすれ違いになっちゃってて悲しい。ちゃんと若手の聞いている事(この場合、働くモチベーションは何か)に答える必要があるし、昔話をするにも、その中に隠れている方法論とかノウハウとか具体的なアドバイスの方に軸足を置いて話さないと、エピソード主体で話しちゃうとただの武勇伝になってしまうんだよな。エピソードはあくまで補足要素でなければならない。

しかしアルコールを飲みながらこれを意識して話すのは、おじさんにはマジで至難の業だと思う。みんな苦労してるからねえ。


Posted by 堀田 on 1月 31st, 2014 :: Filed under 仕事

ししゃも

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弟から「たぶん好きなんじゃないかな」とSHISHAMOを紹介された。
誰でも気付くことである上に、他にも要素はあるけれども、まあ主だって若い頃のaikoをバンドにした感じであって、たしかに悪くない。
声もなんとなくかわいいし。
だが、どうにもこう、心にスコーンと刺さりはしない。
最近の曲ってのは、どれもそうだ。
別に心に刺さるような情熱的な曲を求めているわけではないのだけども、なんだろう、どれも今ひとつ心に響かない。
というか、そもそも情熱的であることを売りにした最近のバンドの曲ですら、有無を言わさず心に刺さってくるような感覚って、正直にいって全くない。
なんかただかっこつけてるだけか、ださく見えるようにしてるだけかのように見えてしまう。
昔の人より、みんな随分とうまいんだけどね。
最近の若い子ってのは、ほんと若いうちから色々うまいよね。

僕がこう感じてしまう原因ってのは、まあ多くは僕がおっさんだから、ということがあるのだろうけれども、それだけでなくて、なんだかどれもつくりが非常にロジカルなんだよね。
感受性に任せてつくりました、みたいなものも、全然そんな風には見えないというか、むしろそう見せるためのロジックにまみれているように見えてしまう。
別に何にも考えるな、感じろ、とかそんなわけわかんないこと言ってるわけではないのね。
あと、ロジカルに見えないための方法はこうだ、とかいうつもりもないの。
だってそんなことしたら、上に書いたように、そういうロジックで満ち溢れてしまうからね。
そうじゃなくて、どうしたらロジカルなものから逃れられるのか、そこと向き合って、闘うことがまず第一に必要なのだと僕は思うんだよね。
これだとロジカルに見えてしまう、これだとロジカルじゃないというロジックがバレてしまう、じゃあどうしたらいいんだろう、ここを何度も考えないといけない。
で、これがおそらく、最終的には、その人の作家性というか、作品をつくる時の倫理観として立ち上がってくる。
最近の人ってのは、早いうちから完成しちゃってるから、どうにもこの感覚を感じない。

だから、作品の細部同士が全然呼応しないんだよね。
たとえば、「僕に彼女ができたんだ」のサビのところとか、全然「僕に彼女ができた」感じがしない。
「みんなに自慢したい」感じもしない。
歌詞にロジカルにaikoっぽいメロディ乗っけて(逆かも)、それっぽく歌ってるだけだから、全てがエモーショナルに呼応しない。
こういうところって、歌詞を見ただけでこのメロディが浮かんだり、メロディ聞いただけで「彼女ができたんだ」っていう感情や情景がなんか伝わったりしちゃうくらい、ドンピシャっていうか、一体感を持ってつくられていない限りは、絶対に心に刺さらない。
そのためには、こうきたからこれ入れなきゃ、みたいなロジカルなことやってたら絶対だめなんだよね。
もう完全にそこだけぶっこぬきで、独立して成立するくらいの感覚でやらないとだめなんだと思う。

でもこれって、こうしたら売れる、みたいなマーケティングの理論みたいなやつが、一番の癌なんだと僕は思うんだよね。
だって、あんなにロジカルなものってないでしょう。
まあたしかに人は、そういうロジックで何かを買ったりするのかもしれないけれども、そういうロジックで人は作品に感動したりしてるわけではないと僕は思うんだよ。
aikoの桜の時とかだって、女の子の心を女の子の目線で歌ったから感動した、とかじゃなくて、CMで3秒くらい曲聞いた瞬間に「なんていい曲なんだ!」とか感動して、僕は買っちゃったわけね。
もうそんなもんなのよ。
色々なことはその後だよ。
だから、その3秒という細部をつくれなければダメなのだと僕は思うのよね。
その3秒を理解した上で、全ての意見ってのはあるべきであって、その3秒への理解がないところで偉そうにこうした方が売れる、とか語るから、今の色んな音楽やドラマみたいに、スッカスカの外枠だけしかないものができ上がるわけでしょう。
まあ、たしかにその方が金稼げるのかもしれないけどね。
でも、金稼ぎたいなら、普通の会社に就職して稼いだ方がよっぽど効率がいいわけでね。
だから金なんてのは、しょせん作品性を出せない人の言い訳ね。
まあこれは、ろくに金になっていない僕の言い訳であるけどね。


Posted by 北川 on 1月 30th, 2014 :: Filed under 日常

ネズミ

ご無沙汰しておりました。

本公演が無事に終わりまして、少しずつ日常に戻りつつありますので、そろそろこの何というわけでもない日常ブログを再開して行こうと思います。とは言え、公演が終わったばかりですので少し裏話でも。今回の公演では舞台裏が添付写真のような廊下で、本番中はこの廊下が「浴室」という設定で、声だけでシャワールームの実況見分を表現するというシーンがあったのですが。

この部分はセリフが脚本にないので、役者で適当に作っている中で、柴田さんの「シャワーの蛇口がどれか分からない」という演技に対して、「それひねるんスよ、その赤いネズミみたいなやつ」という返しをずっとやっていたのだけど、この「ネズミみたいなやつ」というのは具体的には何の事か僕もわかっていなくて、この「ネズミみたいな蛇口」というのが人の想像を喚起するシュールなボケになっているのだけど、誰か突っ込んでくれるかと思っていたらそのまま千秋楽までやり切ってしまったパターンだ。

正直、ボケにしてはかなり分かりにくいワードをチョイスをしてしまっているという自覚はあるのだけど、僕はちょっと自分で言うたびに「ネズミみたいなやつって何だよwwwww」とニヤニヤと一人でウケていました。突っ込まれるどころか、楽屋での話題にも上がりませんでしたが、たまにこういう”一人で勝手におもしろがっている”という謎の状態に入っていたりします。我ながらどこがおもしろいのか全然うまく説明できないけど、それを誰にも言わずにリリースし続けるのがおもしろい、みたいな。変人です。


Posted by 堀田 on 1月 28th, 2014 :: Filed under 演劇

傑作

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写真は関係ありません。

今日はブラックホールの出来事を見た。
まごうことなき傑作であった。
まずもって、構造が既に勝っている。
台詞も演出も演技も研ぎ澄まされている。
そして何より、沈黙をおそれない演出・演技が素晴らしい。
今回のような狭い、フラットな空間においては特にであるが、観客と演者が共有すべきは、人物像や物語や台詞等々ではなく、沈黙なのである。
沈黙の共有は、すなわち思考している時間そのものを共有することである。
人は、他者と会話をしている時には、他者と自己を差別化する。
人は、他者と沈黙を共有した時には、自己と他者が一体化する。
ここでのポイントは、沈黙を「共有」できるか、ということであるが、そのためには、沈黙をおそれない演出・演技が必要なわけである。
他にも沈黙については色々なポイントがあるが、まあとにかく素晴らしい。
内容に関しては、ネタバレになるのであまり書けないが、落とし所も僕は素晴らしいと感じた。
納得いかない人もいるかもしれないが、僕は、世界はそのようにできていると常々思っている。
もしかしたら、もっともっと不必要な、回収されない伏線というか、まあ要素が多数散りばめられていてもよかったのかもしれない、とも個人的に思ったけれども、今のシャープで硬質なつくりも素晴らしい。
何か賞とかとる可能性もあると思う。
他にも色々あるけれども、ちょっと今からやることあるので、とりあえずこの辺りで。
だいぶ席埋まってしまっているようですが、ぜひどうぞ。
傑作です。


Posted by 北川 on 1月 22nd, 2014 :: Filed under 日常

新年

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大変遅れてしまいましたが、あけましておめでとうございます。
年末年始だったというのもありますが、色々とけっこう忙しくて、なかなか書くことができませんでした。
まだ何ヶ月か忙しい感じなので、あんまり書けないかもしれませんが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

最近も時に映画見たりしていまして、先日、故あってソーシャル・ネットワークを見ました。
映画自体はそこまで、という感じでしたが、それとは別で、ほんとFacebookとかなくならねえかな、と新年早々思いました。
Facebookにアップするために写真を撮る、という発想が、そもそも僕には受け入れられません。
行楽地に行くと、「早く撮ってー」とか言って、片足を上げ、両手を目いっぱい広げるという明らかに不自然な状態で静止し、写真を撮ってもらって即Facebookにアップ、という人をよく見かけます。
なんというリア充詐欺でしょう。
そんな不自然な静止を演じてまで、自分は楽しい人生を送っているのだ、と他人にアピールしたいものなのでしょうか。
承認欲求の尋常でなさに、ちょっと引きます。
そりゃあ僕も時にさみしくもなったりしますが、人と繋がり続けることの面倒くささに比べたら、さみしさの方がまだましだ、とか思ってしまいます。
とにもかくにも、行楽地でリア充詐欺写メを撮っている人を見ると、だいたい小声で「けっ、詐欺師が、嘘つきが…!」と独りごちています。

全然関係ありませんが、他には、先日、かぐや姫の物語を見ました。
まあ他にも色々見てはいるんですが、このかぐや姫がまあ、本当に素晴らしい作品でしたね。
何回も体がぶるぶると震えて、嗚咽するくらい涙流しました。
宣伝では、姫の犯した罪と罰、とか言われていますが、みんなが知っているかぐや姫という物語を選んでいるという点において、既に、物語性やその解釈などというものはあんまり考えないでくれと、観客に監督が訴えているように僕は思います。
人々の顔、風にざわめく木々、そこら中を飛び回る虫や動物、落下する雨、雪、葉と、幾重にも折り重なった影。
きれいな音楽と歌声を聞きながらそんなものを見ていると、きっと体が底の方から、勝手にぞわぞわ震えてくるのを感じるはずです。
とはいえまあ、どこがいい、とか、実のところ、上に書いたようなことなんかじゃあ到底形容はできませんが。
まあとにかく、かなり遅れて見たくせにあれなんですが、見てくれと、そのように思いました。

では、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


Posted by 北川 on 1月 14th, 2014 :: Filed under 日常

洗濯物

洗濯物を取り込むのが遅いです。

自炊はしないけど、あまりクリーニングは使わないで、ちゃんと自分で洗濯して、干して、取り込んで、アイロンがけもやっています。ただ一度干してしまうと、本当にパンツとかシャツがなくなるとかしない限り全然取り込もうとしないので、下手すると一週間ぐらいずっと干しっぱというときもある。

別に忘れているのではなくて、何となく窓から見えるし、ああ取り込まなきゃなって思っているのだけど、やらない。で、結局雨が降ったりする。雨が降ると取り込むのかというと、だいたい家に帰ってくる頃にはもう結構濡れてしまったあとなので、この段階でも取り込まず、また翌日から干し始める、という感じ。もう1サイクル行こう、みたいな。

あと全然関係ないけど、下着泥棒って今ひとつ理解できない。きれいに洗ってあるパンツをGETしても何の意味もないんじゃないかと思ってしまうのですが。


Posted by 堀田 on 1月 8th, 2014 :: Filed under 日常

江戸城

お恥ずかしい話ですが。

つい最近まで、江戸城(の天守閣)はまだあって、陛下は江戸城をちょっとリフォームして住んでいらっしゃるのだと思っていた。言われてみれば天守閣を見た事が無かったけど、それは江戸城(皇居)の敷地があまりにも広くて、端からは見えないのだとばかり思っていた。

でも先日皇居周りを散歩していて(シティ派)、せっかくなので敷地内に入ってみたら(入れるのも知らなかった)、奥の方に石垣だけあるエリアに来て、まさかここが江戸城なのかと愕然とした。これは映画「猿の惑星」のラストで歩いていた砂浜がニューヨークだった時の衝撃に近い。

絶対、天守閣を復元したら観光名所として盛り上がると思うのだけど、やっぱり大変なのかしら。あのオフィスビル街に天守閣がどーん!とそびえ立つ様子は素敵だと思うんだけどなあ。まあ、そんなカッコいいことしたら他のお城の人気がなくなって商売上がったりなんですかね。名古屋城とか。


Posted by 堀田 on 1月 4th, 2014 :: Filed under 日常

ミサイル

あけましておめでとうございまーす!

唐突ですが、たまに脳内でミサイル発射のイメージが映るときがあって、検索したらまさにドンピシャな画像が出て来ました。これ、特撮じゃなくて本物らしいけど、こんなの飛んで来るなんて戦争ってのは恐ろしい。撃ってる側も大やけどしている。

ちなみに調べてみたら、ミサイルとロケット弾の違いも勉強できました。推進装置だけで誘導装置を持たないのがロケット弾だそうです。てかミサイルは誘導装置ついてんのか!

なんでこんな物騒なものがたまに脳内でチラつくのかは不明ですが、今年もまたこんな感じで、気になったことを調べるきっかけにするブログにしたいと思います。


Posted by 堀田 on 1月 1st, 2014 :: Filed under 日常