フレンチの堀田。
先日、結婚一周年を過ぎると得られる帝国ホテルでタダでディナーができる権を行使して、妻と普段は行けない高級フランス料理を食べてきました。写真は企業スパイのように隠れて撮影したパン。
過去にもフランス料理を食べたことはあったんだと思いますが、今回改めて本格的なコースを食べてみると、総じて濃い味で、ハンバーグやオムライスみたいな分かりやすい味ではなく、幾重にも味が重なった複雑な味がしました。もう4,5周回って美味しい、みたいな感じだったので、出てくる感想としては「濃厚っ!」とか「んんっ!」とかばかりで、自分の語彙力の低さに愕然とします。
思えば、ソムリエがワインの味を説明するときに、「少女の髪を撫でる柔らかな風のような香り」とか、「雨上がりのバス停にいる一匹の蛙のような飛び跳ね」とか、ちょっとよく分かりませんけれども、とにかく分かりづらい表現をするなぁと不思議がっていましたが、確かにこれらの複雑な味を説明するには、そういう語彙力が必要なのかもしれないなと思いました。
ただホテル側も我々が明らかに庶民というのはわかっているので、別料金のワインで一番安いのを選んでも「今日のお料理にはベストチョイスだと思います」といった配慮や、「お腹いっぱいですか?ではデザートはよろしいですね?」といった鉄板ギャグなど、小洒落たトークをかましてきて、堅苦しくなく非日常を味あわせてくれる感じはさすがというべきでした。
これからも4年に一度くらいのペースで行きたいので、ちゃんとあの味を表現できるように、日頃から練習していこうと思います。ちなみに、乾杯用のシャンパンは、まるでラジウム温泉かのようにずっと底から泡がぶくぶくとしていました。
Posted by 堀田 on 6月 24th, 2017 :: Filed under
日常
腹がデルタ航空。
僕も36歳になり、日々体の劣化に恐怖しているのですが、やはりどんどん痩せにくくなっていて、少しずつ、そして確実にだらしない体になっていくのがわかります。
ということで、去年からジムに行ったりしているのですが、やはり週一回でちょっと鍛えたり走ったりしても効果はなく、週に3回は通わないといけないのはわかっているのですが、筋トレも好きじゃないし、走るのもすぐに嫌になってしまうので、どうしても腰が重くなってしまいます。
思うに、好きこそ物の上手なれ、というように、この運動という行為を楽しめないと、ただ苦痛ばかりですぐに挫折してしまいそうです。それか何か高い目標(ジュノンボーイになるとか)があってその延長線上にある苦痛ならいいのですが、それもなく、ただ太ったらかっこ悪いから、という弱い理由だと、ぬるま湯に浸かった蛙のように毎年2kgずつくらい徐々に体重が増えて、10年後に+20kgとかなってそうで、そういう想像をするたびに今の1kgの大切さをひしひしと感じています。
先日、NHKで160cmの元NBAプレーヤーが弱小中学生チームにバスケを教える番組があったのですが、その先生のマグジーさんが自らを証拠に「全ては可能なんだ」「自分の目標が実現できると信じること(マインドセット)が大事なんだ」と言っていて、うつむいていた子供たちが目を輝かせて成長する様子を、僕も涙を流しながら見ていました。
ただ前述の通り、自分にはもうそんな目標もないので、マグジーさんが見ているぞと勝手にプレッシャーをかけ、さらに1回ジムに行くと1マグジーがもらえ、1年で100マグジーに到達すると理想の体型になる、ただし3日連続で行くと+1マグジーがもらえるボーナスあり、などと、もはやマグジーさんを目標そのものにすり替え、なおかつ「マグジーさんを100集める」と意味不明のマインドセットをすることで何とか意識を保っているという状態です。
まあ方法は何であれ、とにかく目標を立てて頑張れとマグジーさんも言ってくれると思うので、おっさん化しないためにも頑張りたいと思います。ちなみに先日集め始めばかりなので、まだ2マグジーです。
Posted by 堀田 on 6月 17th, 2017 :: Filed under
日常
涙じゃなくて反吐が出ます。
先日、王様のブランチで涙活なるものが紹介されていたのですが、その仕掛け人として涙活プロデューサーと名乗る男が出てきて、こいつとは絶対に友達にはなれないなと思いました。
そもそも泣くことを目的として動画などの作品を見る行為自体があまり理解できていなかったのですが、それは個人の考えとしても、それを涙活という名前をつけて広めてるやつがいるというのは驚きで、泣ける動画3本などをブランチガールに見せるのですが、もうベタベタの内容のもので、それらを完全に泣くことを目的として見なきゃならないのは、笑うことを前提としてコメディを見なきゃならないようで、ブランチガールは本当に大変だなと思いました。
また、推薦動画のひとつとして、子育てに悩む若い母親が、自分の母親からのメッセージを通じて、子供を愛するという本質に気づく、というドラマだったりするのですが、こういった泣くのを目的として視聴される想定で作った短編動画というのも好きではなくて、作品性のある映画と違って、手っ取り早く泣きたいニーズに応えました、みたいなところに感動の商業化を露骨に感じます。しかもドキュメンタリーならまだしも、ドラマなのがまた浅いなぁと。
他にもペットの闘病の記録といったドキュメンタリーも推薦動画にあるのですが、これも泣くために見る動画として推薦するのが、その闘病したペットに失礼というか、別に泣いてほしくて、同情してほしくて、闘病してたわけじゃないんですけど、と思うだろうなと思ったりして、そういった風に感動を売り物にしている男の中身の無さというか、口先だけ感に、涙どころか反吐が出る感じがしました。
あと観る側も、その作品が本当に泣ける内容なのかは厳しくというか、素直な心の揺らぎに従ってほしいなと思います。感動的な音楽がかかったら泣く、みたいなパブロフの犬みたいにならないでほしいなと思います。
てか、まさに涙活とか言われて動画を見て泣いてる人が、そのプロデューサーの犬みたいに見えて、そんな簡単に操られないでほしいと思いました。そのコンテンツとして動画を作っている人も浅はかだし、真面目な作品はかわいそうだし、結局そのクソ野郎に金が入っているというのが気に入らないです。またその中で何人かそいつに抱かれているのかと思うと、本当に世の中どうなっているんだろう、と思ってしまいますね。抱かれてから泣いてしまわないように気をつけてほしいです。
Posted by 堀田 on 6月 4th, 2017 :: Filed under
日常