新幹線
昨日はいつの間にか寝てしまっていました。
今から名古屋に行きます。
新幹線のホームのきしめんもうまいという噂を聞いていますので、気が向いたら食べてみます。
Posted by 北川 on 6月 30th, 2012 :: Filed under 日常
昨日はいつの間にか寝てしまっていました。
今から名古屋に行きます。
新幹線のホームのきしめんもうまいという噂を聞いていますので、気が向いたら食べてみます。
最近、何していいんだかよくわからなくなってきていたんだけども、なんだか今日、すごくスカっとしたというか、変なつかえがとれた気がするな。
別に何かいいことあったわけではないんだけど。
なってみれば簡単で単純なことに思えるけれども、物事を、虚飾なしにただまっすぐに見るっていうのは意外と難しいことなんだよな。
ドコモが、この夏はスマホが驚きの特価で!!というような広告を打っていて、「これであなたもドコモの店頭で涙する!?」みたいなコピーが添えられていた。
なんというか、揚げ足をとるとかそういうことじゃなくて、んなわけないだろ、というか、そのリアリティの無さに悲しくなった。はっきり言ってコピーのセンスがおっさんである。まあ、そうか、おっさんにあてたコピーならいいのかもしれないけど。
ドコモは顧客も技術基盤もあるのに、無能なおっさんたちが一生懸命、成長に蓋をしている感じだ。
今日、柴田さんがTwitterで、人間失格の主人公が僕のようだ言ってくれていたのだけれども、これは実は、昔から色んな人に言われてきたことでもある。
そもそも僕があの本をはじめて読んだのも、中学生だか高校生だかの頃、友達から「あの本はお前のことを書いている。読んでみるといい」と言われたからだった。
確かに前半というか、幼い頃の感じなんかには共感するところも多かった。
だが、青年になった辺りからは、全く共感できなくなった。
僕から言わせれば、葉蔵は全然幸せ者だ。
僕には、酒に溺れられる強い胃腸も、女に溺れられる美しい顔もない。
酒や女に溺れ、俺はダメだ、つらい、助けてくれ、みたいな人って時々いるけれども、あんなの退廃的な自分に酔っているだけだし、なんかけっこうモテたりしている時点で、全くもって同情も共感もできない。
酒にも女にも逃げられない僕を見てみろ。
お前、葉蔵みたいだな、と言われているのに、酒にも、女にも、溺れることすらできない僕を見てみろ。
葉蔵がつらくて仕方がないんだったら、それ以上に逃げ道のない俺は一体なんなんだ。
あとな、そんな僕だけど、一生懸命生きているんだ!
狂わずにな。
そりゃ確かに、突発的にイライラして、時にはイスの布くらい破くよ。
でも、それくらいいいじゃない。
みんな普通は、夜な夜な女のストッキングとか破ってんだろう?
だったらイスの布くらいかわいいもんだろ。
そりゃ確かに、突発的にストレスが限界になって、時には大声で叫んだりしてるよ。
でも、それくらいいいじゃない。
みんな普通は、夜な夜な女を大声で喘がせてんだろ?
突然の下ネタ、失礼しましたー。
昨日も飲んだ。
最近仕事で遅い上に飲むという日が多くなっている。たまに23時からも飲んだりするし、結構それも楽しかったりする。昔はそんなことなかったのになぁ。
昨日も二年目の後輩くんと飲みに行った。彼からしたらかなり先輩に見えてるんだろう。おすすめの映画として、「七人の侍」を推しておいた。
今回のフライヤーは個別に写真を撮って、あとで組み合わせるという手法をとったのだが、堀田の視線がどうも合ってないような気がして、デザイナーのみえさんとリアルタイムにやりとりをしながら、「じゃあ黒目をちょっと移動させようか」と大胆な提案した。どちらが本物の堀田かお分かりだろうか。
実は上の写真は、右の黒目を少し移動させている。移動させる、戻す、移動させる、戻す、と見比べているうちにゲラゲラ笑えてきて、結局加工しちゃうと笑顔がなんか嘘くさくなるね、ということでもとに戻した。
なかなかいい仕上がりになっていると思います。お楽しみに!
いま編集で、アクティベーションが済むまでmedia composerのトライアル版を使ってるのだけど、これがすっげー遅くてもう半端でなくイライラする。
一回どこかをクリックしただけでもいちいち五分くらい応答なしの状態になる。
パソコンは新しいMac Proの一番安いやつだけど、メモリ16GB、起動ディスクをSSDにしているし、まじで原因がわからない。
AMAで、1TBにも及ぶAVCHDの素材使っているのが原因なんだろうか。
それとも、トライアル版だから最新版にアップデートできてなくておかしくなってんのか。
ほんとイライラし過ぎてクラクラしてきている。
このままじゃまじで頭がぶっ壊れてしまう。
原因わかる人とかいたら教えてください。
あー狂いそう。
そろそろ稽古が始まるので台本に着手しているところなのだけど、やはり十年前というのは今よりもずっとストーリー主義的で、今とは好みの方向が著しく違うというのがある。
ストーリー主義なのが悪いことではないけれども、物を作るたいていの人は、あるときからストーリーというものに支配されることを嫌い始める。ストーリーというのは歴史的にもうすでに出尽くしてしまって、感動を与えるためにはうまいアレンジをするしかない(技巧的なものを求められるだけ)と言われてるのもあるし、あとはお客さんには、ストーリー以外に見所(楽しみ方)を持ってほしいという、作り手の願望みたいなものもあるのだろうと思う。やっぱり、笑って泣いてオチがあります、みたいな話だけでは芸術文化というものは広がりも成長も見せないだろうし。お客さんも評論家気取りで今回はオチが、とか、ひねりが、とかいうことしか言えないものはやはり窮屈な世界だというか。良い、悪い、じゃなくて自分はこういうところが好き、あそこが好き、と幅が豊かな作品がいいものだと思います。
演劇に関していえば、心の中で言葉にできないものが揺り動かされるとか、ふわっと得体のしれない感情が沸いてきたとか、そういうことをやり取りできる可能性を持った媒体だと思うし、演劇なんてせっかく分かりにくいものをやっているわけだから、もっと深いところで楽しみたいよね、と思っているわけです。すごく分かりやすいのに、深い揺さぶりがある、というのが僕の目指すところです。
電気屋をふらついていたらテレビ売り場で異様な光景を目にした。
にこにこぷんのじゃじゃ丸といないいないばあのワンワンが相撲をとっていた。
行司は山しげさんだった。
NHKでもコラボをし始めたのか。
なんでもありだな。
まあ、劇団の客演と言うのもコラボではあるけどね。
鈴木さんと青春事情とのコラボは今週だったかな。
毎日時間を見つけて編集をしている。
イライラして何度かパソコンを壊しそうになっているが、今のところまだパソコンは壊れていない。
なんか色々書こうと思ったのだけど、ふっと冷めたというか、突発的にそんな気分ではなくなってしまったので、今日はこれでごめんなさい。
なんか急に冷静になっちゃった。
ひたすら巨乳であることを主張していたのだが。
ごぶさたしてます。最近はずっと会社で提案書を書いてます。今回は完全に不利な案件で、どうやらお客さんには意中のシステムがもうあるのが見え見えなのだけど、大人しく引き下がってやるわけにも行かないので、粘りに粘っている。
まずまともに告白しても勝ち目はないので、私は巨乳よ!とか、こんなにスケベなのよ!みたいにして何とか振り向かせようと大暴れしている提案になっていて、いい感じになってきたのだけども、ここに来て提案に穴があって、GカップがCカップくらいになってしまった。これはいかん。
明日がんばって、せめてDカップくらいまで持ち直したいと思う。
いつの間にか寝てしまっていた。
かっこ悪いはかっこいい。
醜いは美しい。
汚いはきれい。
ダサいはオシャレ。
一般によくないとされる概念にこそ実は善なる真実がある、とする考えというのがよくあるけれども、あれって嘘だよな。
だってそうしたら、かっこ悪いとかの言葉の意味がよくわからなくなっちゃうだろう。
かっこ悪いものはかっこ悪い。
醜いものは醜い。
汚いものは汚い。
ダサいものはダサい。
当たり前のごとく、これが真実だよ。
かっこ悪いって言ってんだから、かっこいいんじゃなくて、かっこ悪いんだよ。
しかも、なんかあの手の考えって、いいこと言ってるような感じではあるけど、実はかっこ悪いものをかっこよく見せられた方が、かっこ悪い人としては生きにくくないか?
かっこ悪い人としては、自分がかっこ悪いことなんてわかってんだよ。
でもそれ受け入れて、仕方なく生きてんだよ。
お前は本当はかっこいいんだ、みたいな無茶な嘘言うのはやめてくれ。
なんか押し潰されそうになるだろ。
事実、全くモテないしさ。
そこはさ、もうほんと無茶な嘘ついて上げようとしなくていいわけだよ。
完全にスルーして、忘れたまま生きさせてくれ。
それが一番だよ。
ほんと、それが一番わかってる人の考え方だと僕は思うね。
早朝からそんなことを思った。
電車乗ってると、まあ、東京の電車は
全体の母数がデカイ分、おかしな人も多いわけですが、たまに高校生くらいの男子が一人で窓のそとに向かってワアアア!!と叫んだり、バカバカ!!みたいなことを急に言い出して、え、なに?頭おかしいの?と思うことがあるのだけど、時間差があってから友人が乗り込んで来たりして、なんだよ、友達に言ってたのかよっていうことがある。あれ、ビックリするからやめて欲しいんだよね。そんなにさ、周りを驚かせてまで一緒に帰りたい?と思うわけ。
ラーメンでいつも腹立つのは混んでる店なのに男四人連れみたいなやつらが「並びで」って言うやつね。なんで?分かれろよ!って思いますね。あれ、ほんとは仲が良いというわけじゃなくて、群れてるだけなんですよね。仲が良かったら、昼メシくらい、お互い違う店入りますよ。とくお組でもそうですね。同じ店に必ずしも入ろうなんて発想はない。
ちょっと餃子の王将で「七人、かたまりで」っていうくらいなもんですよ。
来週の土曜、6月30日に、愛知芸術文化センターで、17時から僕が監督した映画が上映されます。
当日は登壇もします。
近郊にお住まいの方いらっしゃいましたら、ぜひよろしくお願いいたします。
僕は、映画館で大勢の人と一緒に見ないとわからないような効果を入れたりしているもので、DVDで作品を見せるということを滅多にしないことにしています。
まあ、それはもしかしたら映画つくったりしてる人とかじゃないとわからないような効果かもしれないないのであれなんですが、とにもかくにも、よかったら映画館でぜひ見てやってください。
よろしくお願いいたします!
しかしまあほんとアホみたいに暑いね。
バカみたいに毎日燃え続けてて、太陽ってほんと頭イカレてるんだろうな。
最近じゃあ、もうしょっちゅう顔拭くやつで顔拭いてるよね。
すぐ汗びちゃびちゃになって気持ち悪いから。
もう人前とか関係なしに、突然取り出して拭いているね。
でも、最初は僕も、人前でそんなのやるのは戸惑いがあったんだよ。
なんか恥ずかしいというか。
でも、高校の時に、アブラ取り紙をかっこよさげに取り出して、これ使うのがイケてるんだ、みたいな感じで顔拭いてる同級生見て、「あ、あれって人前でやっていいんだ。むしろこそこそやってるのは女みたいでダサいって思われちゃうんだ」って思ってからは気にしなくなっちゃったな。
あくびもそうだったな。
最初は手で隠したりしてたのよ、あくびする時。
なんか恥ずかしくて。
でも、中学生の頃、電車で堂々と口開けてあくびをするおっさんを見た時、「お前は女みたいにあくびを手で隠してやっていて気持ち悪い」ってなんか言われたような気がして、それからは手で隠すのやめたよね。
ていうのもね、小学生の頃、給食の時間にマスクして配膳していたのだけど、家にスヌーピーだかのマークの入ったマスクしかなかったから、別に何も考えずにそれ持っていってしていたら、いきなりクラスの女の子に「スヌーピーのマスクしてる。女の子みたい。気持ち悪い。」とか言われて、それから「女みたい」って言われることへの恐怖感が半端じゃなくなったからなんだよね。
もうほんと、そのマスクの件に関しては、違うマスク買ってって親に言えなかったから、毎日すげえ追い詰められながら給食の時間にそのマスクしててたよね。
ほんと一時期、ほとんどノイローゼみたいになったよ。
追い詰められ過ぎて、授業中とかに、それ言ってきた女を壁に蹴りつける想像をずっとしてた時期もあったもんな。
まあそういう、あくびとかみたいな感じで、僕は時々、下品というか、ワイルドな立ち居振る舞いをすることがあるのだけども、それは、無自覚にそうやってるんじゃないのがほとんどね。
全部、「女みたいにならないように」意図的にやってることだったりするのよ。
まあ、もう慣れちゃって普通に行儀悪くなってたりするかもしれないけど。
しかしあの女、いまなにやってんだろうな。
僕があんな悩まされたとか知らないだろうし、そもそもあんなこと言ったの忘れてんだろうな。
ほんと勝手なもんだね。
結論、無糖紅茶は、おにぎりに合う!アリ!みたいなCMがいやだ。自分で言うなよってな感じだ。アリ!とか言ってる人が、別にオレンジジュース売ってるならいいけどね。説得力ないんだよ。でも世間の人はそれでアリか〜なんて思うんだよね。AKBのあの人を「あれはヘタレだからねー」とかいうのも同じで、何時の間にか他人の考えたキャッチフレーズが自分の考えとか思想になっちゃってるんだよ。それくらい、ぼくら一般人というのは舐められた存在なんだということを自覚したほうがいいとおもいますね。
お茶の話に戻ると、個人的な感想を言わせてもらえば、無糖紅茶なんてパンにもご飯にも合わずに中途半端な存在だから。以上。
毎日みっちり授業と宿題、帰れば膨大な編集があり、土日はびっしり法事の仕事がありつつ、課題のレポートみたいな論文を二つ抱え、さらには提出しておきたい企画みたいなものも二つある。
どうでもいいようなことばかりに時間を割かれ、いったい僕はどうなりたいのだ。
あんまり寝てないせいか、ストレスのせいなのかなんなのかよくわからないけど、頭の肌に触ると神経に触れたような感じというか、なんか刺さるような激痛が走るし、ほんと嫌になってくるな。
仏教においては、生きるってのは苦であるとされているけれども、ほんとそうかもしれないね。
しかしまあ、本質的にはちょっと意味が違っていて、欲というやつが満たされることがないからこの世は苦、だから欲を生み出す煩悩とかを滅して悟りの境地に至ろうやみたいなことなんだけども、それはまあどうかと僕は思うな。
だってそれって、まるで欲からは苦しか生まれないみたいな言い方だもんな。
人間、欲が満たされなくてつらい思いもまあするかもしれないけど、欲があるからこそ、それがかなった時に、つらさを超える大きな喜びや楽しみを得ることができるわけでしょう。
で、それこそが生きる意味というか、張り合いというか、そういうもんなんだと思うね。
苦を滅することで、むしろ大切なものを失っちゃってるというか、そんな気がするね。
でもこれって、仏教だけでなくて、目先のめんどくささとか苦しさから逃げている人にも全般的に言えることだと思うな。
まあ、狂ったりしながら色々やる必要もないだろとは思うんだけど、しかし、きっとそうでもしないとつかめない大きな喜びというものもこの世界にはあると思うよね。
でも、まあそれもまた考えもんではあるよな。
この世には色んなささやかな喜びってやつもあると思うんだけど、そういうものには気付けなくなってしまっていくからね。
おもちゃ売り場の前とか歩いている時に、昔は1000円くらいのおもちゃ買ってもらっただけでも発狂するくらい喜んだもんだけど、今はそんな感情全く起こらないな、ちきしょう、俺の心は死んでいる、俺はなんて悲しい人間なんだ、となんか胸がぐっと締め付けられるような感覚に襲われることとかあるしな。
まあどうでもいいか。
そんなおもちゃ売り場通るだけでいちいち発狂してたら心持たんわな。
尋常でなく暑くなってきた。
虫もかなり活発に出てきたし、嫌な季節だ。
暑くなってきたことで、女性の肌の露出も増えてきたわけだが、高校くらいの頃の僕は、肌の露出の多い夏より、重ね着の腕が問われる冬の装いの方がぐっとくる、と考えていた。
だが、年を重ねるにつれ、とにかく肌が出ていれば出ているだけいい、要は夏の方がいい、というわかりやすい形へと趣向が変化していった。
で、その趣向は永遠に続くのだ、と考えていたのだが、気付いたら完全に枯れてしまっていたのだね、今は、女性が肌を露出しているとかしていないとか、そんなのどうでもいい、とにかく暑くてジメジメしているのが不快、と考え始めている。
いやー、しかしほんと暑いな。
日本全体をドームみたいなので覆い、その中にエアコンをガンガンにかけるとかしてくれないもんかな。
雨も防げるし、ちょうどいいんだけどな。
まあ、節電とかそういうの問題になってるから、無理だろうけど。
昨日は次回公演「常夏の星」のフライヤー撮影でした。柴田さんが遅れてきたのだけど、柴田さんが到着したころにはみんな撮影を終えて、そそくさと帰ってしまった後だった。柴田さんが一番びっくりしてた。
なんだかんだでもうすぐ稽古も始まりますし、10年前の作品(慶應義塾大学時代の作品で、数理科学科の卒業研究として大学に提出した台本)ですが、今回の座組用にイチから書き直す感じにはなっているので、そろそろ走りだそうかというところ。駅前劇場らしく、とことんコメディに徹した舞台になる予感。
今回は出演者も多いし、7月1日には特設サイトができるようなのでそちらもチェックしてみてください。