平成の最後に。
平成も今日で最後ということで、なんとなく世の中が大晦日みたいな雰囲気で、国民がそわそわしているというか、お祝いムードなのが微笑ましいです。今日は家族で集まって寿司を食うなんて人も多いんじゃないでしょうか。僕もなんとなく今ブログを書いてますし。
平成の最後に苦言を呈したいもので、ここで書いても問題なさそうな程度のものでいうと、「一人称童話」でしょうか。桃太郎などの童話を主人公目線で語り、「僕は鬼を怖いと思いました」などと桃太郎の気持ちを書くことで、子供の想像の幅を広げると言って流行ってるらしいのですが、その「新しい目線感」にすごくドヤを感じてしまいます。結局、普通に読むよりも発想の幅をひとつに固定していて、大人による発想の押し付けとも感じるのに、これって新しくない?とドヤしているの感じがダサいなぁと思ってしまいます。
でも、まぁいいじゃん、そんな言い方しなくても、という風に最近思うようになってきました。令和というのは、一人一人が花開いて多様な文化が生まれるみたいな意味が込められてる的なことを聞くので、まぁつまり何でもアリってことで、いちいちとやかく言うことじゃないのかなと思います。人のことはいい意味であんまり気にしないでいこうよって時代よね。
Posted by 堀田 on 4月 30th, 2019 :: Filed under
日常
この時の記憶はありません。
先日、久々にゼミの同期会があったときの写真です。15年ぶりに会うやつもいて、うちのゼミは国際経済学のゼミで周りは優秀な人が多く、超大手金融機関だの、商社だのでバリバリにやっている様子。
そんな中で特にものすごい結果を出している後輩が来ていて、色々話を聞いていたら、「革靴に酒を注いで飲む」なんて闘いもしているそうで、そんな彼は確かにかなり体育会系だけど、頭も良くて、ちょっとそういう奴の世界を見てみようかと思ったのがよくなかった。彼が注ぐ日本酒を抵抗せずに飲んだ結果、気がつけば号泣していました。
号泣の理由は、数年ぶりに会う同期たちともっと話がしたかったのに、お前の酒を飲む、飲まないの話に終始した結果、こんなに酔い潰れてしまった、俺は悲しい、ということだった記憶があります。翌日に会社の後輩に聞いたら、そういう奴には「返し」をして飲ませないと防戦になって一瞬で終わり、と言われ、「返し」とかしても結局なんの会話もしてない無意味な時間だよなーと思い、改めて自分の飲み方について合う、合わないがあるなぁと痛感しました。
きっとすごい商談の裏には、こういう激しい飲みがゴロゴロあるんだと思うので、視野は広がったなと思う一方、酔っ払って何かの演説をしたり号泣したりするなど、なんかどんどん篠崎さんみたいになってるなと思いました。そのうちザキさんみたいに、帰り道に足を踏み外して滑落したりすると思います。
Posted by 堀田 on 4月 7th, 2019 :: Filed under
日常