とくお組モブログ
いつも手元にとくお組

職務質問

職務質問を受けました。

先日、休みの日にデニーズで仕事をしようと思って、夜に自転車で駅前を移動していたら、職務質問を受けました。ちょうど止めようと思ったところが駐輪禁止で、しかも警官が張り込んでいるところだったので、止めかけてまた動き出したのだけど、そういうのを彼らは見逃さない。「こんばんはー」と声をかけて来た。優秀な警官だ。

僕は「太陽にほえろ!」が大好きなので、総じて警察が好きだ。なので、職務質問にもやたらニヤニヤして対応してしまう。防犯登録をしていないこともあって、どこに行くつもりだったのかだの、鞄の中を見せろだの、いろいろ聞かれても「はいはいご苦労様です」という感じで素直に応対する。もちろん嫌疑は晴れて無事解放されましたが。

ただ一般的には職務質問は疎ましいものというか、「善良な市民を捕まえて何だ」みたいな話で怒っている人もいるけど、まあ許してやってほしいというか、そりゃあなたは善良な市民だから結果的にその職務質問はハズレだとしても、当然アタリの場合もあって、そういうのが抑止力や犯罪防止に役立っている面もあるわけだから、自分がちょっと嫌な気分になったからと言ってぶーぶー文句を言うのは可哀想だと思う。

僕みたいな普通のサラリーマンからすると、怖いお兄さんとかにも臆せず話しかける警察官とかすごいと思う。消防士はあまり悪く言われないのに警官は結構嫌いな人がいるのはなんでかしらね。なんでも自分がその仕事をやれるのかどうかちゃんと考えてから批評すべきだと思います。警察官って地味な割に体力と勇気が必要で本当に大変な職業だと思うけどなあ。

このブログを読んでいる人で、これから就職活動という人はぜひみんな警察官になってほしい。もっともっと治安がよくなればいいのになあ。


Posted by 堀田 on 5月 19th, 2014 :: Filed under 日常

ガール

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前に書いてから、ちょっと時間なかったり、そんな気にならなかったりで、実はずっと見ていなかったのだけど、先日、久しぶりにかなりひどい風邪にかかってしまい、まあ今も治ってはいないのだけど、とにかくその時は一日中寝込んでいたのもあって、マイ・ガールを見てみた。
寝込んでるんだから、どうでもいい映画見てみるか、みたいな感じで。

これがもう、ボロボロになるくらい泣いた。
映画としては全然たいした代物じゃないんだけど、もうなんだろう、すっげー泣いた。
数日経った今でさえ、胸がしめつけられ、たまらずブログに書いてしまったくらいだ。

まずもって、音楽がいいんだよね。
いい映画の定義ってまあ難しいけれども、こうやってたいした映画じゃないのに何度も見てしまったり、なんとなく惹かれて見てしまう映画ってのは、だいたい音楽がいいのよね。
中学生の頃、友達とスワロウテイル見に行ったけど、あれも音楽に惹かれたからだし、マグノリアとかも高3の時一人で見に行ったけど、あれもCMで音楽聞いて、これは何がなんでも見たいな、とか思ったからだし。
いやー、音楽は超重要ね。
なんなら、本編がくそでもいいんだよね。
音楽が素晴らしかったら。

あとまあ、たいしたことないのに感動する映画は、だいたい人が死ぬよね。
マイガールの死ぬシーンの処理は考えられる中でも最低の部類の処理だったから、思わず吹き出してしまったけど、まあだいたい映画では人が死ぬもんだよ。
そんなわけで、そもそも映画ってのは人がよく死ぬものだけども、シナリオとか教わる時には、だいたい「人を死なさせるな」ってまず教わるんだよね。
あとはまあ、「ナレーションやめろ」とかね。
つまりは、そういった安易な方法に頼るなってことなんだけども、映画ってさっきも書いたけど、そもそも人死にまくるからね。
いかに殺すか、とかって映画の大命題の一つだし。
あと、ナレーションとかだってけっこう入るし、なんなら最初にデカデカと「19××年、〜軍は、〜軍と交戦中であった」とか平気で説明するしね。
マイガールでもナレーション入るけれども、なんかそこで泣いちゃったりするし。
だからほんと、ああいう教育は間違いね。
いまだに人を殺すシーン書く時は、なんとなく罪悪感あるからね。
人を殺すことではなくて、人を殺すという、やってはいけないと教わったシーンを書いているという罪悪感ね。
とにもかくにも、しちゃいけないことをつくることで教えようとするのはよくないと、僕は思うね。

まあ、とはいえ僕も、変な法律つくる芝居は、基本的にくそだと思ってるけどね。
「20××年、人口の増加に伴い、日本国は、恋愛禁止法を制定した」みたいなやつね。
だってそんな法律、リアリティがなさ過ぎるっていうか、もはやSF以上だと思うし、思考として安直過ぎるっていうかね。
ただこれ、本質的にはさっきの、人が死ぬのとは全然違う話ね。
人が死ぬのが別にいいと思うのは、映画ってのは「いかに」死なすかを考えるものだから、死なすことそれ自体は、だめとかそういう次元の話ではないっていうね。
だから、別に上に書いたような「恋愛禁止」とかの状態に最終的になったっていいと思うのよ。
ただ、その「いかに」恋愛禁止になるかって部分が、法律っていう処理なのは、完全に安直ね。
愚策もいいところでしょう。
そういうことやっちゃう人ってのは、「何を」描くかしか頭にないわけね。
「いかに」描くかの方がはるかに重要なのに。
まあ法律も、なんかイキガミみたいな感じでやられたら気にならないのかもしれないけど、基本、あれやっちゃう人とは気が合わないだろうな。
ほんと、学生演劇とかで多いんだよね。

まあ、そんなことはどうでもいいけども、なんかほんと、こういう映画をつくりたいね。
なかなかすぐに撮る感じにはいかないし、撮ったって金にならないだろうし、ヒットとかもしないだろうし、だからこそ世間から見たら社会的地位低いというか、映画やってるぶってる奴くらいにしか見られないだろうし、まあそれでいたく自尊心も傷付くし、そもそも本当に理解してくれる人ってのも非常に少ないから、まあ必然的に寡作にはなるだろうけども、いつか一本でも、たいしたクオリティじゃなくてもいいから、何日も心揺さぶられちゃうような、なんとなく見たら人生変えられちゃったみたいな、そんな作品をつくりたいよね。
まあ当然、そういうんじゃなく、普通に海外の映画祭とかで評価されるのも撮りたいけどもね。
ただ、海外の映画祭とかで賞とっても、全然日本で評価されないんだよね。
まあ映画祭が全てだとは思わないし、映画祭で賞とる映画でくそみたいなものがあることも、大衆的な映画の中にもすぐれた映画があることも、もちろん承知しているというか、実際、かなり大衆的な映画も僕はわりと見るけれども、カンヌとかたいして話題にならないのに、日本アカデミー賞とかめっちゃ話題になる現状ってのは、明らかにおかしい。

ほんとみんなもっと文化に興味持ってもらいたいわ。
女の尻追い掛けたり、kawaii!とか、リケジョとかカーママとかウチとかみたいなこと言ってたり、LINEとかFacebookとか携帯ゲームとかばっかやってないで。
せっかくみんなそれなりに金持ってんだから、エステとかで自分を磨いていないで、内面というかね、文化的な部分を磨くことに使って欲しいわ。
まあ最近はYouTubeとかでタダで色々見られるから、映画なんかに金払う気しないのかもしれないけど、タダとはいえ、一般のよくわからない人が商品紹介してたり、なんか意見述べてたりするの見たり、よくわからない配信してる女の子とかとコミュニケーションとったりするくらいなら、ちょっと金払ってでも、考え抜かれたコンテンツ見た方がよっぽど有益だと僕は思う。
人生は有限なんだから、暇潰しみたいなことばっかして過ごしてたらもったいない。


Posted by 北川 on 5月 12th, 2014 :: Filed under 日常

蘭寿とむ

らんとむが退団してしまった。

今日で僕の敬愛する花組トップスターの蘭寿とむが宝塚を退団してしまった。聞いた速報では、最後しんみりと終わるかと思いきや、幕が半分まで閉じたところでコンガが高鳴り、また幕が全開して大いに盛り上げ、ラストステージを終えたという。やはり最高のスターだ。

かつて僕の人生を救ったモーニング娘。の市井紗耶香もそうだったのだが、本当のエンターティナーは自身のサヨナラ公演でサヨナラ感をメインにするのを好まないというか、とにかく今までどおりで、それでいて今まで以上に最高の盛り上がりを起こそうとするところがあって、これはあくまで自身のこれまでの延長線上で、いかに最高点を叩き出すかを考えているからだと思う。その考えから行くと、本人にとって卒業だの退団だのはメインではなく、最高のステージを作り上げるための推進剤でしかないのだろう。だから泣かないし、泣かせるのが目的じゃないから最後は超明るく終わったりする。ああ、本当に尊敬してやみません。

先の市井紗耶香も、ニコルも、らんとむも、僕が尊敬する女性は全てこの点において共通している。自分にはこういう卒業的なものはないと思うので真似ることはありませんが、それこそ真似ることが目的ではないので、日々最高の成果をあげられるようにするべきですね。

本当にかっこいい人は、去り際が一番かっこいい。最高のパフォーマンスが常にできているから、最後はただ黙って立ち去るだけで、多くの人の心を震わせることができるのでしょう。さらば、らんとむ。繰り返しになりますが、本当に尊敬しています。


Posted by 堀田 on 5月 12th, 2014 :: Filed under 英雄

33

33歳になりました。

忙しくしていたら、33歳になっていました。これくらいにいなると歳を聞かれたとき「あ、意外に歳喰ってるね」と言われる率が高くなりますね。自覚が全くないけど、もう完全におじさんの域に行ってるのよね。若い子から見たら33っておっさんだよなあ。

32歳では家でウィスキーをストレートでぐいっと飲む機会ができたのですが、正直な話こういうのは全く味が分かりませんし、今後もずっと分からないのだと思う。まあ生クリームあんドーナツとかを好んで喰ってるやつには一生分からないジャンルだろう。でも大人になっても分からないものは分からないまま、とか言ってると本当におじさんになってしまうので、新しいものをできるだけ受容していけるような33歳になろうと思います。

まあこんな目標、すぐに忘れますけどね!


Posted by 堀田 on 5月 11th, 2014 :: Filed under 日常

眼科

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一昨日からものもらいになってしまい、近所の眼科は祝日休みと言うことなので、本日やっとこ会社の近くの眼科に行った。これまで眼科に行った記憶はない。つまり、僕には初めての眼科体験なのである。はじめにへんてこな機械をのぞかされ、気球を見ろとか、風邪が吹きまーすとか実験的なことをやられた。次にヘンテコなメガネをかけさせられ、視力検査をやらされた。ものもらいの検査で、果たしてこれは必要なのか。僕は騙されてるのではないか。ここは眼科じゃなくてメガネ屋なのではないか?勝手にレーシックされるのではないか?不安でたまらなかった。先生との話もものもらいではあるのだけど、何だかメガネをやたらと勧められ、メガネの検査日を教えてくれた。そして酒を控えろと。ああ、僕はついに眼鏡っこになってしまうのか。劇団でメガネかけない人いなくなっちゃうんじゃないのか。最後の砦は守るべきなのか。そもそも北川はメガネかけてたっけ?篠崎も堀田も徳尾も最近メガネしてたっけ?じゃあ鈴木くらいか。鈴木と俺かー。やだなー。もう少し粘ってみようか。


Posted by 柴田 on 5月 7th, 2014 :: Filed under 日常

なんでわかったんだろう。

今日、溜まりに溜まっていたゴミを一気に出そうと二袋もまとめて外に出したのですが、どうやら収集の時間を過ぎていたらしく、家に帰ったらそのまま置き去りになっていました。ああ、間に合わなかったかと思ってとりあえず家に帰ったら、ドアに大家さんからのお手紙が。

・・・なんで僕のゴミだって分かるんでしょうか。前にも一度そういうのがあって、家の前にゴミ袋がドンと置いてあったのだけど、中身を見たって僕だなんて特定できないと思うのだけど、確実に当ててくるのがすごい。もちろん回収しましたけれども。

ひとつ心当たりがあるとすれば、とくお組の先行予約特典だった脚本が余っていて、それを今回まあ捨てた訳ですが、それだろうか。でも外から見える部分なんて「とくお組」のロゴくらいなんだけどなあ。大家さんがとくお組で検索したのか、そもそも僕がとくお組であることがバレているとか。

まあそれは多分ないと思うので、監視カメラで出入り口を録画されているとか、そういう類いでしょうね。ブログ書いてたらわかっちゃった!


Posted by 堀田 on 5月 6th, 2014 :: Filed under 日常

かるた

だいたいこれで覚えました。

小さいころ、「犬棒かるた」というカルタが家にあって、姉とよくやっていたので、だいたいのことわざはこれか、五味太郎さんの「ことわざ絵本」で覚えました。「ていしゅのすきなあかえぼし」とか、正直今となっても意味不明のことわざも多いのだけど、この絵だけはよく覚えている。そもそもことわざじゃないのかもしれない。小さいときの脳みその柔らかいときに、こうやって遊びを通じて知識を植えつけるというのは本当にすばらしくて、どんどんやるべきだなとよく思います。

カルタといえば、僕は父方の親戚が多かったこともあり、お年玉を結構もらっていて、おじいちゃんおばあちゃん、おじさんおばさんを含めると8袋くらいお年玉袋があって、姉と合わせると16袋にもなったので、お正月ということもあって、姉とお年玉かるたをよくやっていました。16袋のお年玉袋をたたみの上に広げて、姉が「○○おじさん 1000円お年玉 ・・・・『か』!」と読み上げて、二人でお年玉袋を「バンッ!」と取り合うゲーム。「か」というのは、かなこの「か」、「ひ」はひろしの「ひ」です。

読み上げる姉のほうが完全に有利なのですが、当時の僕はその不正に気づかずにまじめに楽しくやっていたものです。しかし今から思えば、もらったお年玉をバンバン叩いていくというのも失礼な話ですが、別に大声で金額まで読み上げなくてもいいのに、と思います。


Posted by 堀田 on 5月 3rd, 2014 :: Filed under 日常

当たり前

当たり前のことをゴールにする人が嫌い。

近々「ありがとう」がテーマの表彰式みたいなのがあるらしく、本当にそういうのが嫌です。前にも書いたと思うけど、「ありがとう」の気持ちを大切にってことで、ありがとうと言っている写真をつなぎ合わせて、それで「ありがとう」の文字を作ったり、ビデオカメラを持って回っていろんな人の「ありがとう」をつなぎ合わせるビデオを作ったり、本当にそういうのが嫌いです。

ありがとうの気持ちを持って仕事をするのは当たり前であって、その当たり前ができていないのでちゃんとやろうというのは全然いいんだけど、そうではなくてもはや「ありがとう」を言うことが美徳になっていて、本質を見失っているのではないかと思うのです。ありがとうを言うもの大事ですが、ちゃんと仕事する方がもっと大事でしょう。

「もともと全員がオンリーワンだからナンバーワンにならなくてもいい」っていうのも本当に嫌いで、全員がオンリーワンなのは当たり前であって、そこを確認してゴールした感じで落ち着いていては何にもならないというか、だからそれは当たり前じゃん、と思う。それぞれがオンリーワンな上で、ナンバーワンを目指せよと。ナンバーワンを目指さなくてもいいけど、「オンリーワンだからそれでいい」というのは完全に思考停止している。

「ありがとうがテーマ」とか本当に演出が古いというか、寒いというか、そんなのアピールされてもうんざりで、ありがとうバッジつけるとかマジでやだ。と、いう風にピリピリせずに、流して適当に合わせてればいいじゃんね、とも思うのですが、このあたりがまだ子供だなあと自覚しています。


Posted by 堀田 on 4月 29th, 2014 :: Filed under 日常

おもしろトーク

ここ最近は、ほぼ毎日「タコ女」の稽古にいそしんでいます。

とくお組の稽古の時も、スパイスガーデンの稽古の時もそうだったけど、基本的に休憩時間は俳優さんたちの面白トークに耳を傾け、仕切る立場にいる僕も会話に参加してしまってなかなか稽古が始まらない、ということがよくあります。今回の稽古場もひどいです。なにしろおしゃべりのプロ、面白怪獣がそろっているので。普段は聞けない裏話だとか、なんだかんだ笑って聞いてるとだいたい休憩をオーバーしてしまいます。

まあ、自分も「話が途切れてしまったら、稽古を始めますからね」などとよく分からない脅しをしてしまっているのですが。それでも、今回は自分が本を書いているわけではないので、稽古自体はゆとりがあります。

昨日は出演者である小村さんが誕生日だったのですが、稽古の途中でサプライズをやろうということで、僕が他の出演者たちと、喫煙所に出向いて打ち合わせをしていたんです。普段、僕は喫煙所には行かないのだけど。そこで、セリフの途中で音楽が止まってモノローグを言う場面があるので、そこで「小村さんが41歳になりました!」とセリフを変えてはどうか?と提案したところ、ちょうどそのセリフを言ったところで小村さんが喫煙所のドアを開けて入ってきました。完全に聞こえていたと思いますが、小村さんは聞こえなかったふりといいますか、何も気づいていない体でいてくれました。そしてサプライズ本番では、めちゃくちゃ驚いてくれたのでした。さすが役者です。

そのことを抜きにしても、この方は名優だと思います。 是非、絶品の演技を劇場に見に来てください。


Posted by 徳尾 on 4月 29th, 2014 :: Filed under 日常

物悲しい

暖かくなってきました。

昨日今日と会社でひとり仕事をしていて、しかも珍しく誰もフロアに来なかったので、本当に一人でずっとお仕事をしていたのですが、なんていうか、本当にずっと一人だったんで、帰り道になんとなく悲しい気持ちになってしまいました。特に明確な理由はないので、ほんと、物悲しいとはこのことです。

やっぱり春とか秋とかは、寒くも暑くもないので、外を歩いているとなんかそういう余計な感情を抱く隙が生じるといいますか、汗だくとか、コートを羽織って足早に歩いてるときなんかに物悲しくなんかならないものね。なんていうか、広い空間で、静かで、暗めで、暑くも寒くもない条件下では、ふっと周りを見渡して不安になって悲しくなるんでしょうか。

逆に、狭くて、うるさくて、明るくて、めっちゃ暑い/寒いって環境だったら、全く物悲しくなんかならない。物悲しいとは「なんとなく悲しい」という意味のとおり、ほんと、特に理由はなくて、そういった環境に依存するもんなんですかね。こんな隙間の感情にも名前がちゃんとついていることにびっくりした。


Posted by 堀田 on 4月 28th, 2014 :: Filed under 日常

ごはん

ごはんがなぜだかおいしい。

大人になってからごはん(お米)がどんどんおいしくなる。僕は濃い味のものが好きなので、小さいころはあまり味のついていないごはんは食べる気がなく、おかずばかり食べていておかんによく怒られたものですが、最近はごはんをもりもり食べています。ただあまり味がないという点では昔から変わっていなくて、正直さっきもお弁当食べたときにご飯が余ってしまったのだけど、ごはんだけだとやっぱり味気ない。

なので、多分ごはんのおいしさはおかずとの組み合わせで突然倍増するものだと思うのだけど、なんでこんなにおかずもごはんもおいしくさせられるのかが考えれば考えるほどなぞだ。おかずっていうか醤油をちょっと垂らすだけでもすごいおいしいし。パスタも単体では全然おいしくないけど、味がつくとめっちゃうまくなる。パスタなんかは特に、味を味わうための媒体としての役割しかないのではないかと思うが、ごはんもそれに近いかもしれない。おかずを味わえる量を物理的に増やす媒体といいますか。主食なのに謎である。

あと就職活動の面接とかで「自分は食べ物に例えるならごはんです。誰とでもマッチして相手の力を引き出せるから。」とか言っちゃう人がいますが、そんなのありふれていていろんな人と被ってるし、自分単体では何もできないと言っているのと同じなので、これに関してはごはんとかは言わないほうがいいと思います。「僕はチーズインハンバーグです。中身がドロッとしてるんですが、そこが喜ばれます。さあ、みなさんもぜひご賞味あれ!」とか言う人の方が採用されると思う。


Posted by 堀田 on 4月 26th, 2014 :: Filed under 日常

アフリカ

イケメン後輩くんとコンビニに行きまして。

お昼ごはんを買おうと二人でコンビニに行ったのですが、二人とも特にコレと言ったものを見つけられず、「心躍らされるものはないッスね」「もう何年も食ってるからねえ」なんて会話をして、それぞれ弁当やそうめんを買いました。

でもよくよく考えてみたら、例えばアフリカの子供とかがコンビニに来たら、めちゃめちゃ心躍るものばかりが並んでいるワンダーランドなのではないかと思った。日本があまりにも豊かなだけで、それを当たり前みたいにしてはいかんなと。「アフリカの子」ってひとくくりにするのも間違ってると思いますが。

というふうに、大変失礼かもしれませんが、基本的に何かあっても「アフリカの子に比べたら全然マシ」と日々思うようにしています。なので毎日めちゃめちゃ楽しいです。


Posted by 堀田 on 4月 25th, 2014 :: Filed under 日常

エネルギー

比較的、脱原発派です。

あまり深く考えている訳ではありませんが、原発についてはやめた方がいい派です。最近では小泉さんと細川さんが一緒になって、脱原発、再生可能エネルギー社会へ、的なことを言っていて結構だと思っているのだけど、なんていうか再生可能エネルギーじゃなくても、別に火力発電でいいじゃんと思ってしまう。

火力発電もCO2とか害があるのだろうけど、原発で事故って海や土を汚したり、人や動物が住めなくなったりするよりはマシというか、まあマシじゃないかもしれないけど、とにかく「原発をなくしたい」なら、難しい再生可能エネルギーとか言っていないで手っ取り早い方法で一時的にしのぐ、まず実現する、という技もあると思うのですが、どうなんでしょうか。

やれるところからやる、っていうのは、前に進むという意味でとても大事だと思いますけどね。ちょっと一足飛びにやりすぎなんだよな。バブルを生きた人たちはだいたいそんな気がします。


Posted by 堀田 on 4月 23rd, 2014 :: Filed under 日常

うち

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最近は、大学生、高校生、中学生、小学生、女の子はだいたい、自分のこと、「うち」って言うでしょう。
方言ならまあいいんだけども、東京生まれ東京育ちの子でも、もうバンバンにみんな言ってますよね。
なんでしょう、僕は、あれが、大っ嫌いなんですよ。

まず、端的にいって、くそダサいですよね。
自分ことを「うち」って。
家じゃねえんだから。
あと、言葉として、すごく、下品ですよね。
自身のことを指す言葉っていうのは、この世にたくさんありますが、間違いなく、その中で最も品のない言葉だと思います。
二位は「オラ」ね。
とにかくまあ、知性を全く感じないですよ。
一時期のおバカタレントや、海外のタレントさんが拙い日本語を話すのを聞いて「かわいいー」みたいに言われる風潮にも、ほんと反吐が出ましたが、そういう感じいつまで引きずってんだっていうね。
小学生がギャルぶって「うち」と言ってるのを見ると、「え、なに、君、ギャルなの?」とか「それ言うとモテると思ってるの?」とか、とにかく、将来にまで精神的影響を及ぼすくらい追い込んでやろうか、みたいな気持ちになってきますね。
ただでさえ、バカみたいなドキュンネームつけられてる子供が多いのに、言葉使いまでバカ丸出しじゃあ、ほんと、将来とんでもないことになりますよ。

とにかくもう、ほんと最近は、世論が力持ち過ぎっていうか、なんかみんな、わーっと表面的な事柄や意見に流されるでしょう。
ニュースも視聴率のことばっかですし。
ほんと、どうでもいいっていうか、ちょっとは中身の部分語ってくれよって思いますね。
しかも、それで叩かれたりする側はたまったもんじゃないですよ。
小保方さんの問題はあまり言うつもりはないんですけども、少なくとも、素人がギャーギャー勝手に言って、リンチみたいなことしてんじゃねえよ、とは思いますね。
街やワイドショーで騒いでる人で、実際に論文読んだ人っているんでしょうか。
まあ僕は当然、読んでないですけどね。
とにかくまあ、ありゃ、ちょっと異常ですよ。

もうしかしほんと、FacebookとかTwitterとかLINEとかのせいで、しょうもない意見が世間に蔓延し過ぎね。
僕のこのブログも含めてね。
だって、最近の子は、家帰ったらずっとLINEやってるっていうじゃないですか。
コミュニケーションが大事とか、そこから学ぶものもある、とか抜かすのかもしれないですけども、そんな、周りの小学生とか中学生とかの意見とかなんて何の足しにもならないっていうか、そんなもん聞いてる暇あったら、世界的な哲学者の意見とか、文豪の言葉とか聞いといた方がはるかに有益でしょう。
しょうもない、まだ未成熟な人間とコミュニケーションをとることで得られるものなんて、はっきり言って、何もないですよ。
LINEとかを一日中やることほど、くだらないことはないですね。
だからもう、FacebookとかTwitterとかLINEとか、そういったものにまつわる全てのもの、つぶれりゃいいんですよ。
あの手のものは、世の中をよくする、みたいなことをたいてい掲げていますけれども、ほんとかよって気がしますよね。
どうせ、バカ騙して金稼いでやろう、くらいにしか思ってないでしょう。
本当にくだらない。
小学生が電車でゲームやってるのちらっと見ましたけれども、カードみたいなの出てきて、「バトル!」とかなって、バッバッバッ!「Win!」みたいな、あまりにもくそみたいなゲームで度肝抜かれましたよ。
どう考えても、あれで世の中がよくなるとは思えないし、なんなら世界を変える、とかそんなこともあり得ませんし、新しい価値観をつくろうとだってしていないしで、ほんともう、完全に詐欺ですよ。
とにかくもう、僕はキレそうです。

話が逸れましたが、とにかく「うち」ね。
これだけは、やめてもらいたいですね。
まったくかわいくないんで。
方言は別ね。
方言の人は、遠慮なく使ってください。
東京とかの子供がギャルぶって使う、「うち」の話です。
あれはほんと、自分のことを名前で呼ぶのと同じくらい、強い自尊心を感じて吐き気がしますよ。
長々書いてきましたが、実は最大の問題は、こういった「うち」をかわいいとか言い出す男の問題だったりもするんですよね。
もうほんとくそだと思いますが、まあそれはまた、気が向いた時にでも書きます。


Posted by 北川 on 4月 22nd, 2014 :: Filed under 日常

大冒険

ドラクエⅢをクリアしてしまいました。

こつこつと隙間の時間でやっていたドラクエⅢをクリアしてしまって悲しい。過去にやったことがあるから、というのは大きいとは言え、小さいころはもっと難しかったはずなんだけど、やっぱり大人になると武器と防具の上手な買い方とか、敵を効率的に倒す手順・魔法の使いどころ・・・などなど、頭がよくなってしまっているので、圧倒的に速くクリアしてしまった。

子供のころはゲームをやる上限時間も限られていたし、攻略サイトもなかったし、頭もまだ弱かったりで、本当に手探りで、それでもとても楽しくやれていたなあと思う。それこそ攻略本ももっていなかったから、友達の話を聞いて情報を得たり、夜は布団に入って説明書についている世界地図を穴の開くほど見て、「明日はこのルートで攻めてみよう」とか、まさに大冒険していたように思う。すばらしいゲームだ。

当時のプロフェッショナルたちがあの2Dの世界に全力投球しているだけあって、ワクワクできて、かつ子供でも簡単にできる素敵な遊び道具となっていたのだなあとしみじみ思います。今の3Dバリバリのゲームも否定はしないけど、ちょっと3Dというフィールドが高スペック過ぎて、遊びの視点がぶれているといいますか。まあ子供たちは今でもそれでめっちゃ楽しんでるんだろうから、そんなことないのかもしれませんが。

あと関係ないけど過剰スペックで昔から思っているのは、テレビの音量の幅はなぜあんな余裕があるんでしょうか。家庭用のテレビでどんなにがんばってもあんなMAX値まで上げないと思うんですが。拷問器具かと。


Posted by 堀田 on 4月 13th, 2014 :: Filed under 考察

ジョーク

彼ら、彼女らはやっぱり強い。

クリントン前国務長官が講演中に靴を投げられたそうで、幸い当たらなかったらしく、「彼女が私みたいにソフトボールをやっていなくてよかったわ」なんてジョークで返したらしい。そういえば、前にブッシュ大統領がイラクで講演していたら靴を2発投げつけられたことがあって、そのときも見事にかわした上で「彼の靴のサイズは10号だったよ」、「いつも君たち(記者)の質問をかわしているからね」などとジョークで返していた。かっこいい。

ただ投げつけた側としてはそれなりの理由があって、その背景たるやいろいろ根深い問題があるのだろうけど、そういうのを理解しないで、つい欧米人のかっこよさみたいなところだけ見てしまうのはよろしくないのだと思いますが、やはり我が事ではないので、申し訳ないけどそこまで興味を持っていない。本当に投げつけた側はジョークなんかで小粋に返されてマジでむかついてると思いますが。

てかこういうのはやっぱり当てないとダメですね。当てたらジョークもちょっと負け惜しみになりそうだし、主張もちゃんと報道されると思う。靴を当てるのは相当難しいと思うけど、そこは念入りに練習して臨むべき。


Posted by 堀田 on 4月 12th, 2014 :: Filed under 考察

花見再考

今年もお花見はできませんでした。

暖かい日が続いたと思ったらまた冬みたいな寒い日があったりして、気がつけば桜にも葉っぱが混じって、ふりかけみたいになってきてしまっている。こんな寒い中でお花見をするのはどう考えても無理だ。平日にやろうと思ったら夜になってしまうのでかなりの確率で肌寒いし、土日の日中にやろうにも寒い日にあたる可能性が五分五分なのに数日前から約束して集まるのも難しい。

思うに花見はある程度寒いことを前提に企画し直した方がいいと思う。つまり「桜を見ながら酒を飲む」だと寒さ対策がゼロなので、「桜を見ながら鍋をする」とか暖かいものを喰う前提にしておかないとやろうという気にもならない。要は外でみんなと酒を飲みたいというのが本音で、桜は集まるための口実にすぎないと考えると、もっと暖かくなる5月とかに集まれる理由だけ考えればよっぽど参加率も上がると思う。母の日にみんなで集まるとか、メーデーとか。


Posted by 堀田 on 4月 8th, 2014 :: Filed under 日常

4月、愛

金曜日は事業部の発足会でした。

特にメンバーは変わらなかったけど、4月から心機一転がんばりましょう、ということで事業部メンバー30人くらいで飲み会がありまして。幹事をやらされた出来の悪い3年目くんのトレーナーである大先輩のおじさんが、「今日はやつの卒業試験だ。俺は何も手を貸さない」と言っていたのだけど、なんか緊張したのか、その大先輩が前半も前半でベロベロに酔ってしまい、それはそれは盛り上がって大変でした。キュウリを股間に挟んで女子に迫るなど。

一次会こそ女子に迫るおじさんたちを多彩なツッコミでかわす、という素敵なお兄さんを演じていましたが、二次会のカラオケになると僕も楽しくなって来て、全裸で踊るおじさんが風邪を引くといけないからと、女子のコートを掛けてあげてマジ切れされるなど、4月ならではの異常なテンションに呑まれていきました。後半はひたすら一人でエアギターをやったりステップを踏んでおりましたが、当然最後は僕も脱がされて、エアギターがエアでなくなるなど。

今時からするとかなりひどい飲み会だったと思いますが、きっかけはその3年目くんに対する大先輩の親心がおかしな方向に行ってしまったというだけで、とても愛に溢れた素敵な飲み会だったと思います。


Posted by 堀田 on 4月 6th, 2014 :: Filed under 仕事

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何週間か前に、ただ寝ていて起きたら、なんか腰が怪しい感じになっていて、まあその時は湿布していたら数日で痛みが引いたから大丈夫か、と思っていたのどけれども、昨日、コンビニで下の棚を見て、体を上げたら、それだけで完全にぎっくり腰になってしまった。
今は、腰が痛過ぎて全く動けないし、もうとにかく腰が痛いということしか考えられなくて、様々なことが滞りまくっている。
何年前だったか、たしか漂流教室のちょい前だったと思うのだけれども、机をちょいと押したらぎっくり腰になってしまったことがあった。
あの時はスパーンといっちゃった感じがあったけども、今回は、ぐわあっと三秒くらいかかって認識していく感じだったな。
なった瞬間は、段々下半身の力が抜けていって、思わずその場にヘタヘタと倒れ込んでしまったよね。

しかし、ぎっくり腰ってここまで痛かったかなあ、あんまり覚えていないんだよな。
いや、すっげえ痛かった記憶はあるんだけどね、今回ちょっと尋常じゃないんだよね。
一歩歩くだけで、腰に激痛が走り、腰というか上半身が落ちそうな気がして、ビクンっと全身が緊張状態に陥って硬直し、その場にぶっ倒れそうになるというか。
まさかヘルニアじゃあないよな。

いやー、あれ、何日くらいで動けるようになったかな。
覚えてないんだよな。
ほんとつらいわ。
なんなんだろうな、この体。
ほんと、生きづらいわ。


Posted by 北川 on 4月 6th, 2014 :: Filed under 日常

プリキュア

プリキュアが気になり始めた。

気がつけば歴代のプリキュアが溜まりに溜まってかなりの数になっているようで、こういう歴史を感じさせる作品がすごく好きなので、気になり始めています。彼女たちのどれかが初代で、二代目三代目・・・と続いているのでしょうか。世界観はどうなっているのだろう、連続した同じ世界の人々なのかしら、などなど。

でもその昔、セーラームーンをテレビで観たことがあって、その異常な脚の長さはいいとして、顔が隠れていないのに変身前後で正体がばれないとか、戦闘よりも変身シーンが長いとか、やはり男女では重要視するポイントが違うようなので、もしかしたらプリキュアを観ても「おもしろい」とは思わないのかもしれないけど。セーラームーンで言うと、戦闘シーンは各々のセーラー戦士たちが必殺技をくるくる回りながら連続発射すると、次の瞬間、敵が「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」と叫んで、背景がビカビカしながら死ぬ、みたいな感じになっててマジで驚いた。必殺技が当たる描写はないのね、みたいな。

その点、男の子の番組はあくまで戦闘シーンが重要で面白いのだけど、ドラゴンボールは、高重力下で修行する、わざと瀕死になってから回復する、合体する、一日で一年分の修行が出来る、など「どう闘って勝つか」よりも「どういう修行をしたら相手を超えられるか」みたいにシフトしてて、それはそれで面白かったと思う。


Posted by 堀田 on 4月 4th, 2014 :: Filed under 日常