とくお組モブログ
いつも手元にとくお組

牛耳る

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聞き耳を立てています。

最近、カフェでぼーっとする時間が長いので、隣の人の話とかをよく聞いているのですが、表参道のカフェではどうも先輩が後輩にアドバイスをするために場を設けている、それなりに偉そうな感じの女性が普通の女性にアドバイスをする場を設けている、みたいなシーンが多いように感じます。

そういう人たちはだいたい先輩側が「最近3年生たちはどう?」みたいな切り口で入って(多分OB)、ある程度しゃべらせたあとに、「うんうん、いいじゃん」とひとまず肯定したのち、「ただもっとお前たちには期待している。俺たちの頃は」といった持論が展開されるのですが、それが延々に続いてずっとしゃべっているので、後輩君は本当に災難だなあと思います。

またおばさんアドバイザーみたいな人も、まずは相手の話をひとしきり話させた後、持論を展開し始めるのですが、その後はマシンガンのようにずっとしゃべっていて、相手の女性はただ頷くだけで合いの手も入れられないほどで、終わった後どういう気持ちで帰っているのかなあと気の毒になります。

どちらも共通しているのは、まずは相手にしゃべらせ、それに真摯に耳を傾けている感じを出してから、自分の言いたいことをずっとしゃべっているのですが、その最初に相手にしゃべらせるというステップが、ちょっと格好つけているというか、よく言われる「傾聴」をちゃんとやっているぜ俺、私、みたいな、すごくいい相談相手みたいな顔をしていて、横で見ていてかなり滑稽です。本当に気持ち良さそうな顔をしてしゃべっています。

ただ人のふり見て我がふり直せと言われるように、自分がそうなっていないか、ちょっと気をつけねばいけないなと思いました。後輩が多ければ多いほど、自分のしゃべる量を意識的に減らしていかないと、簡単に場を牛耳れてしまうので恐ろしいものです。かと言って、変に黙っていても気を遣わせてしまって牛耳れてしまうし、そうなると、どんどんいろんな人に振っていく技術と、合いの手やツッコミやらの膨らませる技術が必要になってくるわけですが、今度はMCみたいなポジションになってそれはそれでまた牛耳ってしまう感じがします。

いろいろ巡った結果、もう座ってくれているだけで嬉しい、みたいな、高橋一生みたいな顔と声だったらいいのになと思いました。高橋一生になら全身を牛耳られてもいいってどんな人でも思うと思うので、結局、圧倒的なカリスマで君臨しない限り、ニコニコしながら静かにしているのを基本スタンスとするのが一番いいのかもしれません。

 


Posted by 堀田 on 3月 20th, 2017 :: Filed under 日常

開眼

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写真はイメージです。

先日、ご縁があってお花の作品展にお邪魔しました。正直、絵画とか写真とか、心で感じるジャンルを観るのが得意ではなかったのですが、行ってみたら意外と何か引っかかるものがあって、この掴みかけた何かを逃すまいとジロジロ見入ってしまいました。

きっかけとしては、この流派のルールみたいなものがあって、先生に細かく指摘されながら作ったというお話を聞いた時に、それってあんまり自由度がないような気がしたのですが、その割にはそれぞれの作品が全く別物で、この違いは何によって生まれてくるのかと考えているうちに、作品の根底にある欲求というかパワーみたいなものを感じたわけです。

気づいてしまえば当たり前の話かもしれませんが、何かインスピレーションというかイメージというか衝動というか、何かほとばしるものがあって、それを自由に作ってもいいんだけど、師匠がいる場合は流派に従ったりして、ひとつの作品として仕上げていく。流派によって色々細かなルールがあるのだろうけども、それはあくまで個人のズガン!と降りてくるイメージを具現化する際の方法論であって、全ては作者のズガン!が始まりであって、このズガン!を心で感じればいいのだなと。そう考えると、急に見るのが楽しくなってくるというか、つまり「心で見る」とか言われるのはそういうことかと。まさに開眼した瞬間でした。

この衝動とかインスピレーションみたいなものがどんどん出てくる人は狂ったようにバンバン作品を出せるだろうけど、そんな人はそんなにいなくて、大体の人が枯渇した中から何とか糸を手繰るようにしてイメージを出してもの作りをしているのだろうというのは、身近に作品を作っている人がいるのでなんとなくわかります。ミスチルの桜井さんとか、本当に血反吐を吐くような追い込みで曲を作っているのをテレビとかでやっているけれど、あれだけ曲を作ってきてさらにまた作らなきゃいけないってのは本当につらい作業だろうなあと勝手に想像してしまいます。

写真とか絵とかをじっと見ていて、突然涙を流す人とか、いったいどういう思考なのかと思っていましたが、ようやく追いついたような気がしましたし、作品を作る側の気持ちも少しわかったような気がします。かつて、衝動のままにぴょんぴょんとその場でジャンプする作品を見て、「アートだね」とちょっと馬鹿にしていた節がありましたが、今となっては反省しています。もし今、あれを真正面から受け止めたら、僕もぼろぼろ涙を流しながらぴょんぴょんと飛び始めるんだろうなと思いました。また馬鹿にしてすみません。これでやめます。


Posted by 堀田 on 3月 12th, 2017 :: Filed under 日常