とくお組モブログ
いつも手元にとくお組

募金

image

したいと思っていますがしていません。

街で募金をやってるのをたまに見かけますが、内容にもよるけど、基本的には募金してあげたくなるんですが、したことはほぼありません。コンビニのレジにあるやつはできるんですが、街頭のやつはどうにも無理です。

一番募金したくなるのは盲導犬で、あれは本当に盲導犬は偉い!と普段から思っているのもありますが、実際に目の前に盲導犬が寝そべっているので、お利口さんねー!と褒めたい気持ちで募金したくなります。でもしません。

しない理由は単純に恥ずかしいからだと思います。一体何が恥ずかしいんだか分かりませんが、優しい人間みたいに見られたいと思ってると思われるのが嫌なのか、入れるときにお礼を言われたりする触れ合いが恥ずかしいのか、とにかくわざわざ足を止めて財布を取り出して、っていう間が嫌なんだと思います。

あとなんか、根底に募金をやることが偽善っぽいと思っているというか、誰かのために立って声をあげている行為に、なんか素直になれないというか。募金ってそんなに効率のいい集め方じゃない気がするし、その時間働いたほうが稼げないか?とか、あと実際たまにちょっと気持ち悪い人がやってたりして、その募金対象には募金したいけど、なんかあなたには嫌なんだよな、みたいな。ああ、なんて汚い心の持ち主なんだと書いていて自戒します。

最近では、貧しい子供たちのために毎月定額で引き落とされるタイプとかあって、あれは誰に見られるでもないのでいいのですが、それでも、なんかそういうことをして自己満足したい自分のエゴの方を意識してしまい、結局やってません。この偽善という概念との闘いはなんだろうと思います。別にもはや偽善でも何でもない素直な気持ちなのに、当の僕が偽善判定をしてブレーキをかけるという。

「しない善より、する偽善」と言われるように、偽善でも何でもいいからやれよってのは分かっているのですが、募金を目の前にすると、結局、何も感じてないフリして目もくれずに通り過ぎてしまい、何となく罪悪感を感じています。いっそ触れ合いとかいいから、改札機みたいにSuicaでピピッとタッチする感じで募金できればいいんですが。


Posted by 堀田 on 9月 21st, 2016 :: Filed under 日常

集めて揃えて並べる

14760113077_d5e83d1b11_z

集めて揃えて並べるのが好きです。

僕に限った話ではないと思いますが、同じシリーズのものを集めて並べるのがとても好きです。マンガとかDVDは分かりやすい例ですが、大きさが揃っていて、番号が振ってあって、均等に並べることができるものに喜びを感じてしまうのは僕がA型だからでしょうか。

たまにDVDとかで一枚一枚の表紙が全て同じで、番号だけ違うのがありますが、あれは好きではないです。シリーズのいいところは規格が同じだけどそれぞれが違うところなのであって、太陽にほえろ!のDVDとかは全部違う装丁だったのに、途中から同じ写真になってしまって、もうそれだけで集める意欲が失せてしまいました。たまにそういうコレクター気質を理解していない商品があったりすると分かってねえなあと思います。

仕事に於いてもそうで、僕は新規担当営業だったりする訳ですが、会社の共有フォルダに提案先企業ごとのフォルダを作っていて、提案中は企業名だけのフォルダ群なのですが、新規でGETできた場合には、そのフォルダ名を右クリック→「名前を変更」をして「01.〇〇社」「02.△△社」…という風に番号を振ると、新規獲得企業が上から順番に並ぶので「おおー」と自分の中でなって、また集めたくなる、みたいなことをしています。今度、後輩ちゃんが仕事を穫ったらこの番号を振る儀式をやらせてやりたいと思うのですが、多分「あーはい、わかります」とスカされてしまうのだと思っています。

という風に同じ規格のものを並べるのが好きなので、丸いものよりも四角いもののほうが好きというか、佐藤可士和の事務所みたいな、四角い箱が並んでいる倉庫みたいなのにすごく萌えます。そういうのは自然界にはあまりないと思うので、やはり都会のコンクリートのカクカクした世界でずっと生きて行きたいなと思っています。


Posted by 堀田 on 9月 18th, 2016 :: Filed under 日常

加藤

kato

加藤紘一さんが亡くなられて。

「加藤の乱」で有名な加藤紘一さんが亡くなられて、なんだか悲しい気持ちになっています。加藤の乱の「あんたが大将なんだから!」のシーンはとてもおもしろく、とくお組では何度か舞台中でパロディをしており、大変お世話になっていましたので。

正直、リアルタイムで見ていたときは、加藤の乱について何も理解していなく、ただ子供心に「政治家が何かやっているな」という印象で、むしろその劇場型といいますか、そんな内部のドラマをわざわざ報道陣の前でやっている感じが、ちょっと酔っている感があってどうかなと思ったくらいで、ただそれ以上におもしろかったというか、加藤さんが目を真っ赤にして口を真一文字にして堪えている顔が、何か訴えるものがあって、結果的にすごく印象的でした。

今になって乱の顛末をWikipediaとかで知ってなるほどとなっているわけですが、亡くなってからも各種報道では、改革を目指して反旗を翻した加藤の乱について触れ、また彼の人柄や政治家としての高い能力などを紹介するなど、誰も悪い風に言っていないのは、やはり実際にこの人は周りの人に信頼されたいい人だったんじゃないかと思ったりします。もちろん、政治家は出世を本懐とした人たちのドロドロした世界だから、いい人なんて居ないんだと思いますし、故人を悪く言わないのもあると思うのですが、それでもやはり世間から惜しまれている感じがなんとなく伝わります。森さんが亡くなってもこういう雰囲気にはならないのかなと。

やはり大きな組織に於いて、改革をするのは本当に生半可ではできないというかほぼ不可能で、そういう面では加藤さんは少し甘かったのかなと思いますが、男なら、ロマンというか、そういう夢に向かって突き進む人生も悪くないし、実際そんな加藤さんをヒロイックに感じて人は語り継いでしまうのだと思います。結果的に改革もできず首相にもなれなかったけど、よっぽど首相になるよりも人の心に強く残ったのかなと思いますし、少なくとも僕らは、今後も加藤の乱をしばしば再現させていただくと思います。

心よりご冥福をお祈りいたします。


Posted by 堀田 on 9月 11th, 2016 :: Filed under 考察

バイキング

image

帝国ホテルに行ってきました。

早いもので先日結婚記念日を迎えることができまして、記念に奮発しようということで妻と帝国ホテルのバイキングに行ってきました。写真は後半にひたすら食べたパンです。

北海道の新婚旅行では、ホテルのバイキングが今ひとつで、期待していたほど美味しくなく「普通に美味しい」の域を出なかったのですが、そこはやはり帝国ホテル、大変美味しくいただきました。

食べながら北海道のバイキングと何が違うのかを考えてみると、まず、お皿が違いました。北海道では3×3の9マスのお皿に盛っていくのですが、帝国ホテルは普通のお皿に盛ります。一見、仕切りがなくて不便ですが、仕切りがあるとプレート感というか、社員食堂感が出てしまい、結果、お皿のほうが高級感があります。

さらに食べ終わったお皿は、僕らが料理を取りに行っているうちにホテルマンがいつのまにか(いつのまにかではないですが)下げていたり、高い位置からお水をさーーーっとかっこよく入れてくれたり、我々のことを「奥様」「旦那様」と呼ぶなど、同じバイキングでもやはり違います。

見渡せば、客層も、北海道は旅行客がほとんどだから浴衣を着てるファミリーが中心ですが、帝国ホテルは多少着飾った大人の男女が中心で、かかっている音楽、夜景、などなど、隅々に高級感があるわけです。

ここまで来て遅ればせながら、僕らは料理というよりも、雰囲気を食べているのだということに気がつきました。よくテレビで芸能人の格付けと称し、高級ワインと安ワインの飲み比べなどをしてますが、実際はあれの通りで、なかなか僕みたいな普通の人は違いがよくわからないはずで、エビフライとかもすごく美味しかったけど、ニチレイの冷凍食品をあそこで食べたら絶対うまいと言っているだろうと思います。もちろん、絶対的にうまいものばかりでしたが、もはやその”確からしさ”なんて帝国ホテル側しかわからない。まぁつまり、どこにお金を払ってるかっていうことに改めて気がつきました。

いずれにせよ、世の中不景気だと言われていますが、我が身を顧みれば、南青山に住むだの、記念に帝国ホテルで食事をするだの、客観的に見て、リッチな生活をしてるもんだなと思います。これもこれまで育ててくれた両親や友人・会社の方々の支えがあってのことだなと、まず感謝の念を抱くことができたのも、これも帝国ホテルの雰囲気なのだと思います。


Posted by 堀田 on 9月 5th, 2016 :: Filed under 日常

下の名前

image

女子大生の話に聞き耳を立てています。

カフェやレストランなどで隣の話をなんとなく聞いてしまうのですが、女子大生の会話で、おそらくサークルの男子の話なのでしょうが、「こないだカズヤが」とか「でもそんときマコトに言われたんだけど」とか、ファーストネームで呼んでいるのが、なんか一軍感があっていいなと思います。

僕なんか、下の名前はヒロシですけれども、ヒロシなんて女子に呼ばれたことは一度もなくて、でもそれは僕がそう呼ばれるような風体をしていないからで、きっと僕がもっとチャラっとしているというか、トレンディーというか、もっともっと明るいやつだったら、周りの女子もそういう子たちだろうし、そういうサキとかアヤみたいな女子から、ヒロシがこないだ車を運転してたときに、なんて話をされてたんだろうなぁと、そんなパラレルワールドを想像したりしています。別にそうなりたかったわけでもないけど、そういうパターンもあったんだろうなと、その分岐点はどこだったんだろうなと考えたりします。

そう思うと、学生時代も僕の周りの仲間たちは、「こないだヒトシとマサヒデが」とか「コウジが」「シュンタロウが」とか誰も呼ばれてなかったし、一方で「テッペイが」「テツマが」とか呼ばれるやつは同期でもいたけど、彼らとはそんなに仲良くなかったし、まぁもっと前の時代、なんなら生まれたときからやっぱりこの道だったんじゃないかなと思います。

あと、ああいう一軍の人たちはあだ名をあんまり付けないイメージですね。ボーイとか、中将とか、カフェでそういう名前を耳にしないので。てか、ばかにしてるわけではないんですが、下の名前で呼び捨てにするのってちょっと恥ずかしくないのかなとか思ってしまいます。ダンサーがみんな下の名前でアルファベットみたいなのと同じ感じがして、なんか聞いてて笑ってしまいそうになるときがあって、そういうときに自分は根暗だなと思います。


Posted by 堀田 on 9月 1st, 2016 :: Filed under 日常