とくお組モブログ
いつも手元にとくお組

理不尽

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写真は関係ありません。

今年度のはじめくらいにマンションみたいなところで映画見るやつがあって、そこで、なんか足がくさい人がいるな、みたいな感じがあったのだけど気にしないでいたら、イボをうつされてしまったらしく、足に一個、イボができてしまった。
すぐに病院に行って液体窒素で焼いたのだけど、下手くそだったのかなんなのか、すさまじい勢いで増えていって、今、手に2個、足に8個もイボが広がっている。
で、仕方がないので先日、病院を変えて、それのうち、手のものを一個レーザーで焼いた。
で、それは治ったのだが、レーザーは保険きいてもイボ一個とるのに一万円かかるから、さすがに全部はやっていられない。
なので、今日、近所の適当なところでなく、もっとちゃんとした病院に行って、相談をしてみた。
そうしたら、「とりあえず、液体窒素で焼いて、かつ内服薬も処方して、それでも治らなかったら注射のやつをやってみることにしましょう」みたいな感じになった。
で、「ここまで広がっちゃうと、かなり強く焼かないとだめだけど、痛さ、耐えられるかな?」とか言われたのだけども、これでも僕は半年間、下手くそな医者で二週間に一回、液体窒素でイボを焼いてきたわけだ。
だから、胸を張って応えた。
「大丈夫です。液体窒素の痛さには自信があります」

で、焼いた。
もんのすげー痛かった。
帰り道とか、あまりに痛くてまともに歩けなくて、何度も壁に手をついたり、途中でうずくまったりした。
こんなに痛いものがこの世にあるなんて知らなかった。
何がつらいって、痛いのが一瞬ではないこと。
気が狂いそうなくらいの痛みが、断続的に、それこそ今も襲ってきている。
さっき風呂に入った時とか、途中でトイレに行きたくなったのだけど、まだ体洗ったりしていなかったから、腰をくねくねさせることで気を紛らせながら体を洗っていたら、その体重の移動によって足の患部に激痛が走り、「くっ!」と足を上げたら、風呂桶に別の患部がすごい勢いでぶつかり、ほんと一瞬、気を失ったんじゃないか、くらいの痛みが走って、結果、少し漏らした。
風呂場だから後処理は問題なく行えたものの、本当になんでこんな目にあうんだ、というか、何年間になるのかは知らないけども、自分の人生において、一年近くもこんなことに悩まさせられる期間があるということの理不尽、そんなものに激しく絶望して、涙が出た。

足がくさい人とかはほんと、イボとか水虫の菌を保有している可能性があるわけで、公共の施設では、ちゃんと靴下を変えるとか、まじで気を付けてください。
そのくささのせいで、その場だけでなく、長きにわたって苦しめられている人たちが、この世にはたくさんいます。


Posted by 北川 on 11月 27th, 2013 :: Filed under 日常

盲導犬

盲導犬はえらい!

先日、会社に何匹か盲導犬が来ていたのを横目に見て改めて思ったのだけど、盲導犬って偉い。実は最近、犬よりも猫派になってきていて、昔は人間に忠義を尽くす犬の方が賢い気がして好きだったのだけど、最近は逆に人間の言いなりになっているだけのようにも見えて、ともすると、何も考えていないやつなんじゃないか、とか思ってしまい、野性味溢れる猫の方が好きになりかけていたのですが。

でも盲導犬とか、警察犬のレベルまで来ると、ただ人間に従っているというよりは、使命を帯びて、主体的に考えて行動している点で、本当にすごいと思う。何がすごいって、その「目的理解力」が非常に高いところがすごいと思う。もちろん、ありとあらゆるシーンを想定した訓練を何度も繰り返しているとは思うけど、本番では、様々なレアケースが発生する訳だから、訓練でやっていないこととか、訓練でやったけど状況が違う事とか、ぽろぽろといろんな場面に出くわすと思う。それでも多分彼らは「主人の目になる!」という目的が理解できているから、訓練と訓練の隙間にある応用編にも適宜対応できちゃうんだろうと思う。猫はこんなの絶対やらない。

この目的を理解して臨機応変に動く点が、ロボットではできないというか、生物を使う所以なのだと思う。それに加えて犬のこの圧倒的な忠義!やっぱり犬はすごいわん。


Posted by 堀田 on 11月 27th, 2013 :: Filed under 考察

ピスタチオ

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今更な話ですが。

以前、ピスタチオと銀杏は同じものじゃないか、という話題になって、その場でYahoo!知恵袋で調べてみたことがあって、結果的には違ったんだけど、あのネットの掲示板的なものへの書き方が悪い人って、本当に何なのかしらと思ってしまう。

こっちは分からないから聞いているのに、「マニュアル読んで終わり。以上」とか、何かイラっとする書き方する人がいて、ピスタチオの件にも「ちゃいまんがな・・・・・」と呆れ返った感じをプンプン出してるやつがいて、だから分からないから聞いてんだよ、どこがどう違うのか言えよ、みたいな気がするし、ああいう人をバカにした感じの書き方をする人は実際に会っても嫌な人なんだろうなと思う。こんなの、語り尽くされた話だと思いますが。

ちなみにベストアンサーに選ばれてた回答は、冒頭から「どちらも美味しいですよね。」と、非常に丁寧な語り出しで、回答も丁寧で、この人は実際に会ってもちゃんとした人なんだろうなぁと思いました。一事が万事です。


Posted by 堀田 on 11月 26th, 2013 :: Filed under 日常

プレゼント

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YouTubeで偶然、サマンサのクリスマスバージョンのCMを見た。
毎回のことだが、あそこは本当に腹のたつCMをつくってくる。

首にネックレスを巻かれたりして喜ぶ女、ということに描写が集中し過ぎるあまり、プレゼントをあげる男側の人格が、全くもって無視されている。
本来的にいえば、大切な人に喜んで欲しい、という考えの下でのプレゼントだからこそ、その品には何ものにも代えがたい価値があるわけだろう。
気持ちがあればどんなに安いものでもかまわない、とまでは言わないが、そこの部分をはしょってしまったら、あの女はただの金の亡者だ、との誹りを受けても文句は言えない。
あんなに無人格な人間からプレゼントをもらい、その相手にではなく、不可解にもカメラに向かって喜んだ風(あくまで喜んだ風ね。本質なんて何もない、薄っぺらい演技や演出だから)の顔を見せるっていうんじゃあ、突然、どこかのわけわからないおっさんからプレゼントをもらい、その瞬間、明後日の方向を向き始めて一人、体をくねくねさせながらニタニタする、という状態とほとんど同じになってしまう。
というか、その、誰からもらうとかそんなのはどうでもいい、とにかく、喜んでる女の子ってかわいいよねー、みたいな、浅はかな上に、男を金づるだとしか思っていない発想がまじでむかつく。
もうほんと、キャバ嬢とかの発想というか、なんていうんだろう、とにかく貢がせりゃいい、みたいなバブル時代の発想というか、とにかくかなり自分本位の、自分勝手な発想でつくられている。
誰からでもいいからとにかくものもらったら体くねらせて喜んじゃう、っていうのは、野良猫が突然餌もらって喜ぶのとかなりかぶるところがある。

だいたいさ、あの感じでいくと、あのネックレスとか買うのは男なわけだろう。
だったら、男が買ってあげたくなるようなCMつくらないとだめだろ。
男は、女の子に喜んでもらって、自分を好きになって欲しいからプレゼントをあげる。
プレゼントをもらうことだけに目的を置いているような人間、人から何かをもらって自分が喜ぶことしか考えていない寄生根性の半端ない乞食のような人間、そんな人間になど、プレゼントをあげたいなんて、男は絶対に思わない。

あれほんと、毎回誰が考えてんだよ。
どうせ、「喜んでる女の子ってすっごくかわいくないですかー?」「あ、それすっごいかわいいー」とかみたいな、くそすっからかんな会議でつくられてんだろうな。
で、撮影中も、体くねらせてる出演者に向かって、カメラの後ろで何人もの人が、「うん、すっごいかわいいー!」「うわーかわいい!やばい、すごいかわいいー」とか言いまくってんだろうな。
ほんとなんなんだよ、あのCM。
かなり続いているけど、ほんとに評判いいのか、あれ。


Posted by 北川 on 11月 23rd, 2013 :: Filed under 日常

リボン

モデルさんがいいってのはあるんですが。

なんだかんだで、女子のリボンというのは好きなほうです。子供っぽいとかあるのかもしれませんが、いやいやなかなか可愛いじゃないですか。ガーリーな女子が好きな僕にとっては、比較的マストなアイテムである。小さいのでいいから、みんな積極的に付けてほしい。

しかし本当にリボンってのは男には似合わない。絶対にどんな男が付けてても似合わないし、かわいい顔した男だって、さすがにリボンして歩いてたら気持ち悪い。頭に付けても、鞄に付けても、何に付けても似合わない。リボンってのは本当に女子のものという感じがして、それで好きなのだと思うのです。

あと、よくパンティのおでこの部分についてる小さいリボン、あれは何であんなにいいんですかね。あれがあるのとないのとじゃ全然違います。


Posted by 堀田 on 11月 23rd, 2013 :: Filed under 考察

趣味

趣味らしい趣味がありません。

劇団活動を趣味というのかどうかは議論があるところですが、他にこれと言って趣味というものがない。逆に劇団活動がなかったら土日に何もすることがない。例えば、太陽にほえろ!のDVDを観るのは趣味っちゃあ趣味だけど、「刑事ドラマが好き」というのはコンテンツの話で、趣味としたら「DVD鑑賞」とかになっちゃうだろう。なんか別にDVD観るのが趣味じゃないんだよな。

というような話を後輩にしていたら「なんか習い事やればいいんじゃないスか」みたいに言われ、何がいいかなと考えたけど、やはりそういうのに興味がないから趣味がないわけで、なかなかやりたいことってのが思いつかない。強いて言えば、ペン習字とか習いたいけど、趣味はペン習字ですってのも変だ。でもまぁこんな風に考え始めると、僕に限らずほとんどの人が無趣味ですかね。

なお、ペン習字はまずは自分の名前を写し紙の上から清書することから始めると聞いたけど、なんかそれって全然面白くないというか、飽きちゃいそうだから、「長澤まさみ」という字を何度も練習するとかにしたい。


Posted by 堀田 on 11月 21st, 2013 :: Filed under 日常

渋谷

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ロジエとかロメールとか、バカンス映画ってのはそもそもが好きな部類なのだけども、ああいうのにはまっちゃうと危険だ、みたいな話も聞いていて、最近では見るの軽く避けていたんだよね。
他にも見たいのあるし。
まあ、それはどうでもいいんだけど。

「女っ気なし」を見てきた。
ほんともう、しびれるくらい素晴らしい作品だった。
最近ゲラな上に涙腺緩んでるせいもあるかもしれないけど、かなり笑ったし、かなり泣いた。
劇場を出ても、なんだか興奮してるっていうのかな、とにかくちょっと気分が高揚していて、映画のシーン何度も反芻しながら渋谷の街を闊歩したね。
あんな感覚は久しぶりだな。
ユーロスペースでやってますので、ぜひどうぞ。
DVDとかにもならない可能性かなりあるんで、興味ある人はぜひね。
最後の家でのくだりなんかほんと、バリいいですよ。

ほんと死ぬまでには一本、あんなの撮りたいよね。
狂ったようなのとかじゃなくてさ。
なんかね、まあかなり前からではあるんだけど、ほんともう、そういうのはいいんだよって気持ちあるよね。
だって俺、実際のところ、全く狂っていないしね。
というか、まあこの世の人を全て調べたわけじゃないからあくまで推測だけども、部類的にはかなり真面目な方の人間だと思うし。
だって、学校とかで最近の子たち見る機会あるけど、授業中、机に携帯置いてたり、堂々とそれいじってたり、何のためらいもなく飲み物飲み出したりするのよ。
先生もそれ注意しないし。
ほんと、アメリカの大学じゃねえんだからさ、そんな自由なスピリットとか発揮しなくていいから。
あれ、高校とかでも注意されないのかね。
そんなにアメリカの大学みたいに過ごしたいなら、くそだっせーブルーのジーパン履いて、授業も机をロの字に並べて討論形式で進めていって、休み時間にダンスパーティーの相手探して、で、親に借りたバカでけー車でパーティー会場向かってみて欲しいね、ほんと。
あれ見ると、ほんとこの国は狂ってきてるって心の底から思っちゃうよね。
そう考えると、俺なんかまあ実際、まともな上に、相当に人にやさしい方の人間だよ。
顔と体型が気持ち悪いし、性格もまあ、卑屈で歪んではいるからね、なかなかそうはとってもらえないんだけど。

まあ、とはいえ、もし実際に狂ってない映画撮ることになったら、なんか不安になっていって、どんどん狂わせていっちゃうかもしれないけどもね。
どうにも難しいね、そこのところは。


Posted by 北川 on 11月 20th, 2013 :: Filed under 日常

気分

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ほんとお前いくつだよって感じなんだけども、ここのところ、かなりヘビーローテーションでHeart of glassを聞いている。
というか、しょっぱなで突然Heart of glassが流れる映画の、そのしょっぱなの部分を何十回と見ている。
最初に見た時は、あまりにも美しくてすっげーかっけえって思って、なんというか、スパーン!と心に何か撃ち込まれたような感覚があって、ほんとわけわからないんだが、しょっぱなのところでいきなりボロボロ泣いた。
今でも、その映像を見る度に、身体の奥底がぶるぶると震えるような感覚があるし。
映画に限ったことではないのだけども、すごい作品というのは、物語なんかなくても、というか、そういうの関係無しに、心にダイレクトに視聴覚が触れてくることがある。
これがそれだよね。
ほんとこういう映画を撮れたら最高だよな。
映画において、脚本ではなくて監督が一番偉いとされているのはこの部分からくるわけだけども、現代って、観客が大半において物語至上主義的なところがあるから、どうにも難しいところあるけどね。

長々書こうと思ってましたが、ちょっと唐突に面倒になってしまったので、ここでやめます。
すいません。
いやー、意外と気分屋だね、僕ってやつは。


Posted by 北川 on 11月 18th, 2013 :: Filed under 日常

ヒロシ

カフェで時間をつぶしていたら。

隣の席の若い女性グループの会話で「私はケンジからもアツシからも両方から連絡来るもんね〜」みたいなことを言っていたのだが、僕の場合だったらやっぱり彼女たちから「ヒロシ」と呼ばれるんだろうかと無駄な想像をしてしまった。

彼女らのグループに入ることはもう一生ないだろうけど、もし入ったとして、「堀田尋史です」って自己紹介したら、それからすぐ「で、ヒロシはさあ」みたいに呼ばれちゃうのだろうか。僕は僕で「ユカはさあ」みたいに返しちゃうのかしら。いや、ちょっと言ってみたい。

僕の人生で言うと、こういうアッパーな女子と絡む事は一度だけあって、それは大学のゼミのときだったんだけど、その子に自己紹介したところ、ヒロシではなかったものの速攻で「じゃあホッティーだね!」と名付けられて、そのままゼミの中ではホッティーで通した。彼女らの直感で決めてくる感じ、嫌いではない。(ちなみに、彼女に対して僕は「ヨシミさん」と呼んでいました。)こういうアッパーなノリで決めちゃう感じの世界って、なんかちょっと楽しそうだなとこの歳になって思えるようになってきた。

という風に今まで「ヒロシ」ベースで呼ばれた事が家族以外にない(ひろくんと呼ばれています)ので、自分がヒロシであることには今ひとつピンと来ないが、もしも将来、結婚とかしたら名前ベースで呼ばれないと変だろうし、悩ましい。今更「ひろくん」も恥ずかしいので、いっそのこと「ホッタヒロシ」と語感が比較的近い「ヒッポリト星人」とかまで飛躍してほしい。


Posted by 堀田 on 11月 17th, 2013 :: Filed under 日常

接続詞

先日、送別会がありまして。

ここ5,6年の間、お世話になっていた開発部隊のSEさん(若手女性)が転職されるという事で、一番お世話になった堀田が慣れない幹事を引き受けて飲み会を開催させていただきました。

何か出し物を企画するのも苦手なので、とにかく今昔で関わりのある人を集めて、ゆるゆる飲むというスタイルにしたものの、送別のプレゼントだけは何か用意しなければならないということで、後輩くんや上司らといろいろ検討することに。

前にも書いたけど、女性へのプレゼントを選ぶなんて一番苦手なことなんで、何度も「プレゼントなし」を選択しかけたけれど、自分が何をもらったら一番嬉しいか、自分では買わないけど、もらったら嬉しいもの、をひたすら考えた結果、「おいしいお肉」がいいんじゃないかと閃いた。しかも翌日が飲み会だったので、肉を買うのも間に合わないため、パワーポイントで目録を作って渡して、後日郵送すればいい。これだ、もうこれにしよう。

ただその女性は全然肉キャラでもないし、突然ステーキ肉を渡してもみんなキョトンとなるのでは、という指摘もあったので、何か彼女と肉とをつなげる理由付けが必要だと思い、目録の冒頭に「SEは体力が一番!」と書くことに。おかげで当日はスムーズに繋がって大変盛り上がったし、本人にも喜んでいただけました。何事もこういう”接続詞”が重要なのよね。

ちなみに接続詞と言えば、お肉を候補に選んだ時点で上司が「保存のことを考えたら絶対に吊るしベーコンの方がいい」と主張しだして、それは肉を一回経由しての発想なんで、いきなり吊るしベーコン出てきたら謎ッスよって説得するのに苦労しました。


Posted by 堀田 on 11月 15th, 2013 :: Filed under 仕事

パイロット

踏ん張りどころです。

この業界ではよくある事ですが、ちょい会社の仕事でトラブっている状態で、SEさんが中心になって一生懸命リカバリー策を考えているのだけど、日が経つにつれてぽろぽろと色々問題が出て来ているので、まあ全体的にため息まじりというか、元気がない。

こういうときにあまりよくないのが、対策会議をしているときとかに、「なんでこうなっちゃったんだ」とか、「やっぱりああしておけばよかった」とか、「協力会社のこういうところがよくない」とか、「もう何も信用できない」とか、つまるところ、愚痴っている時間がちょいちょい挟まって、これが積もり積もって結構長い。それは終わってからにしませんかと。

例えば、飛行機のパイロットだったとして、何かしらの重大事故に遭ってしまったとしたら、前述の愚痴をこぼしている余裕なんかないはずで、どうやってこの飛行機を不時着させる事ができるか、ありとあらゆる手段を必死に考えるだろう。そういう意味では全然切迫感が無いし、どっちかというと乗客の立場でモノを言っている。これはただ思考停止しているのと同じで、そんなの間違いなく墜落する。

こういうとき、僕の大好きな中国歴史漫画「キングダム」では、大将軍級の人物が檄を飛ばして一気に士気を高めるのだけど、実際にやるとなると難しい。まあでもやらないとね。僕ら人間は高等生物なんだから。


Posted by 堀田 on 11月 13th, 2013 :: Filed under 仕事

下等生物

登山好きの後輩がいるのですが。

彼はよく週末に一人で登山に行き、たまに遭難しそうになって帰ってくる。昼休みにそういう報告を受けるたびに本当に気をつけて欲しいと思ってしまう。僕みたいに都会でしか生きたくない人間からすると、なぜそんな危険を冒してまで・・・と、ついついおせっかいを焼いてしまう。

何度も書いているけど、僕が山を嫌う理由は虫や草やら自然で溢れているからである。自然は確かに綺麗で雄大な面も多いけど、虫とか草とか気持ち悪いものも多いわけで、そういう部分が嫌いなのである。物事は全て多面的だ。例えば後輩君から聞いた話では、山の中には中指以上のサイズの、赤と黄色のしましまのヒルがいて、そいつがクネクネしてるから気になって眺めていたら、ミミズに追いついて、そいつをズルッと丸呑みとかするらしい。そういう世界なんだよな、あいつらって。

こういう話を聞くたびに如何に人間が高等な生き物であるかを思い知り、あっち側の世界には絶対に行きたくないと思ってしまうのである。みなさんも何か仕事などで悩んだら、ヒルがミミズをズルッと丸呑みしているのを思い浮かべて、あいつらよりマシだな、と思えばいい。相当つらいめに遭っている人、例えば、卑劣ないじめに遭っている人がいたら、ヒルの世界の方がまだマシとか思うかもしれない。しかし、それはいじめているやつがヒル以下なだけで、本来のあなたの世界はもっと美しいものだと思うのである。何ごとも一緒くたに考えてはいけない。物事は全て多面的だ。


Posted by 堀田 on 11月 11th, 2013 :: Filed under 考察

表情

我が家のぬいぐるみたちが表情豊か。

男の割には家にぬいぐるみがゴロゴロしてるんですが、あまり定位置が決まっていないのと寝るときは邪魔で落とすのとで、気がつくと部屋のどこかで死んだように転がっている事が多い。たまに「どうした?!」と言いたくなるような体勢になっていたりして、顔が変わらないのになかなか表情が豊かである。

という感じでゴロゴロしてるから、もうかなり汚くなって来ていて、手前で裏返っている羊なんて(羊です)、本当は真っ白だったのにもう完全に黄色くなっている。「汚いものは捨てる」をポリシーにしているけど、こういうのって捨てにくいんで、なんかきれいにしないとな。こういうの洗うのはどうやったらいいんでしょうか。洗濯機にぶっ込んでも大丈夫なのかな。出てきたときの表情に期待。


Posted by 堀田 on 11月 9th, 2013 :: Filed under 日常

黄色

活路は前だ。

人生色々あるもので、順調に進んでいたと思いきや、思いもかけないタイミングで急に大ピンチに陥っている。これを何とかしようと色々考えていて、いったん止まって何とかするか、前に進んで敢えて茨の道を行くか、大変悩ましい。

ほぼ全員が止まって何とかすることを選択しようとしているのだけど、正直、時間が止まる訳じゃないのに、止まって何とかなるものなのか?という気がしていてならなくて、余計に危ないが、ここは前進した方が結果的に問題を解決できるのではないかと考えている。でも当然それはさらにリスキーで、まさにハイリスクハイリターン。世の中はよくできている。

本当に意思決定というのは難しくて、ていうか自分に意思決定権限がなかったりもするのだけど、それだけに周りを説得して前進させるというのは大変なストレスがかかるというか、いっそ自分で決められるのなら腹くくるだけだけど、周りを説得しているうちに、反対意見もたくさん聞くから、なんか弱気になって来たり、何も自分がそこまで頑張って進まなくても、まわりが止まれって言ってんだから、止まった方が楽だし、俺の責任じゃねえし、みたいになりそうで、本当に面倒くさい。途中から俺がやりたいかやりたくないかみたいな話にすり替わってるんだけど、そうじゃなくて、やるべきかやらざるべきか、なんだけどな。

てかやっぱりどう考えても、活路は前だろう。もうこんなの世の中レベルでいえば、本当に大した仕事じゃねえのによう。


Posted by 堀田 on 11月 8th, 2013 :: Filed under 仕事

タカラヅカ

最高のステージでした。

先日、機会があって初めて宝塚を生で観てきました。これだけ長い間、多くの人々を魅了しているのだから、その人気の秘密を探ってやろうと、多少勉強してから臨みました。結果、とにかく素晴らしいものでした。

宝塚について僕が語るなんて大変おこがましい限りですが、思った感想として言うと、宝塚のよいところはその「フォーマット」の素晴らしさだと思う。大なり小なり、”お決まり”というか”ルール”みたいなのがあって、例えば最後のパレードなるものも、もうパターンは決まっていて、それをみんな観たいし、実際に観て、例外なく感動するのだと思う。こうやって書くとワンパターンだと言っているようだけど、これはフォーマットと言うべきもので、完全に大成されているもの、伝統芸能で言う”型”みたいな美しさがあって、これはきっと長い歴史の中で、磨きに磨いて出来上がった型なのだ。

ドリフや吉本新喜劇もそうだけど、このフォーマットを見つけられるかどうかで、世代を超えて永遠に愛され、未来永劫まで継続されるものになるかどうかが決まってくると思う。宝塚は、誰もが感動する美しいフォーマットが出来上がっていて、決してこの律を崩さず、そのフォーマットの中に圧倒的な実力で中身を入れてくるので、こんなにも力強く、安定したクオリティが出せるのだと思う。これこそ文化だ。

たまにこのフォーマットというものを理解しない人間が、パターンを変えたいとか言い出して崩す場合があるけど、本当にそれは愚かなことで、全く真実が見えていないクソやろうだと思っている。いいものの何がよくて、何が骨なのか、物事の構造を理解してほしい。


Posted by 堀田 on 11月 7th, 2013 :: Filed under 考察

ニュース

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Yahooニュースのアプリを使っている。

そうすると、「〜〜、視聴率10%!」とかそんな感じの見出しの記事をかなりよく見かける。
で、なんかこういう要素が必要、とかそんな感じのことを何の評論家だかわからん人が話していたりする。

まじでくだらないというか、本当にどうでもいい。
あの手のマーケティング理論とか、本当に、一欠片の価値もない。
そういうのが必要なら、そんなわけわからん奴の話なんかじゃなくて、パソコンで統計とって、超客観的にドラマつくった方がまだ参考になる。

あの手の、なんか視聴率とか、なんていうんだろう、ヒットの法則とでもいったらいいのかな、なんかそんな感じのことを語って作品を知ったつもりになっている人って、作品をまともに鑑賞し、語る感性や能力が自分にはない、と言っているようなもんだね。
批評家と作家ってのはそもそもの役割が違うから、だったら自分でつくってみろよどうせくそつまんねえから、とかは言うつもりないけれども、あんな何の発見もない、作品の魅力を引き出すこともない、後付けでどうでもいい作品の外側のデータばっか語る批評とか、なんていうか、批評になってすらもいない。
というか、そもそも作品を全く理解できていないしするつもりもないような奴の話なんか聞く気にもなれないし、聞いていてもくそつまらない。
ほんと、批評家気取り、プロデューサー気取りの多いことったらないね。

しかも、そういう、しょうもないくせにやたら声と態度だけでかい人たちが、あらゆる作品や才能ある人たちをだめにしていっている。
だって、そういう人ほど、売れ出しそうな人に向かってアドバイスとかし始めそうじゃない。
「これからはこれこれこうした方がいいよ。誰々の時はそうだった」とか「前にヒットしたやつはこれこれこうだったから、これこれこうした方がいい」とかさ。
だけどそういう意見って、その売れ出しそうな人ができることとか、やりたいこととか、そういうの完全に無視してるし、なんなら全く理解してないっていうか、たぶん理解できてないで言い出してる意見だから、はっきりいって何の参考にもならないし、無理矢理やって、まあうまく乗り越えて次のステージいく人もいることにはいるだろうけども、たいていの場合はまあ、潰れていくよね。
ほんと、そんな数字とか法則とかじゃなくて、その人ができることとか、一番に輝くこととか、そういうのをちゃんと理解して、その上で展開を考えていくことが重要だよね。

そのためには、やっぱり月並みだけども、まずはその人を完全に愛さないとだめね。
金とか自分の権威のためとかそんなんじゃなくね。
前にきゃりーぱみゅぱみゅを女優として売り出せるのは僕しかいないと書いたことがあるんだけども、当時の僕は、彼女を愛していたからね。
彼女の親が彼女を愛している強度の次くらいの強度で。
まあ最近は、なんかもう彼女自身が慣れてきちゃったというか、違う感じになってきちゃったなというのと、正直僕自身ちょっと飽きてきちゃったなっていうのと、あと単純に、もはや女優に転向するタイミング完全に逸しちゃった感もあるっていうか、世間がもうある種のイメージで見ちゃってるからどうしてもそれを意識した上で色々考えていかなくちゃいけなくなったってのもあるっていうので、あれだけども。

いやー、しかしほんと視聴率とかまじでくだらないね。
まあそれがないと金まわらないってのはわかってるけども、ほんと、どうでもいい意見とか人とか、そういうの全て無視してやっていけたら最高だよね。
まあ、こんなこと考えてる奴なんて、そもそもから無視されてしまったりするわけなんだけどね。
ほんと世知辛いよなー。


Posted by 北川 on 11月 6th, 2013 :: Filed under 日常

抱く

部屋の模様替えをしました。

デザイナーズマンションらしいマンションに引っ越して来て2年半が経ち、いつの間にかマンネリになってしまっていたのですが、先日次回公演のチラシ撮影で自宅を開放し、レイアウトをみんなでいじっていたら、なんだか模様替えがしたくなって来たので、一気にやってみました。

チラシ撮影のときにラブホテル感を出そうとしてベッドを中心に置く方式をやったので、それをそのまま採用したら、本当に抱き部屋みたいになりました。いやらしい。

正直、こんな部屋に連れて来られたら、引くというか、やる気満々すぎて、こっちも何をしゃべっていいか分からなくなってしまうと思う。それこそもう、やるしかないと言いますか。

夏には戻そうと思います。


Posted by 堀田 on 11月 4th, 2013 :: Filed under 日常

抗体

予防接種を受けました。

前にも書いたと思うけど、僕はインフルエンザにかかりやすい方なので、今年もちゃんと予防接種を受けました。数日間会社に来ている医療機関に任意のタイミングで受けに行けるんだけど、僕は注射が嫌いなので、なかなか行く気にならない。むしろ社員番号で区切って指名してくれた方が思い切りがつく。

まあ、そうは言っても大人だし、そんなにビビってる訳でもないのだけど、行ってみたら隣で注射されてるおじさんが「痛え!」みたいな顔してるので、かなりビビってしまった。でも運良く上手な方だったようで、あまり痛くなく終了しました。やっぱり腕ってあるんだと思う。

しかし人間の免疫力を応用したこの予防接種という仕組みは大変すばらしい発想というか、人間の体って本当にすごいし、それを突き止める人間の科学力は本当にすごいと感心してしまう。子供たちが注射がいやだとうるさいなら、こういう仕組みのすごさとか、それを突き止めた人間のドキュメンタリーを見せてから、その注射という行為の価値を知らしめれば、大人しくなるのではないかと思う。(僕がやっているように)

ていうか、なんで注射である必要があるんですかね。飲み薬で抗体入れてくれればいいのに。


Posted by 堀田 on 11月 1st, 2013 :: Filed under 日常

押し付け

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近々研究発表等々あって、精神的余裕がない。
といいつつ、合間でかなりの本数映画見たりしているから、まあ言い訳だけど。

先日、実家でWOWOWの映画を録画予約するために番組表見ていたら、マイガールを放映することを知った。
前に似たようなことをちょろっと書いたこともあるし、そういうのいくつもあるからあれなのだけれども、中学生の頃、夜中に偶然テレビで見てボロボロ泣いたことのある映画の一つだ。
ビデオ屋で借りればまあ一発なのだけど、なんとなく、そのWOWOWでやってたやつを録画して実家で見るんだ、みたいな気に今はなっていて、なんとなくそれを楽しみに日々を生きている。
中学生以来、一回も見たことがないし、マコーレカルキンが出てて蜂に襲われちゃう、くらいしか覚えていないから、非常に楽しみだ。
あれを見た次の日、学校行って、コンクリート貼りの階段で友人に「いやー昨日マイガールって映画見てボロボロ泣いちゃったよ」とか「俺はあの映画で女の子の心を少し知った気がするよ」とか「絶対見た方がいいよ」とかしつこくしゃべってたら、いきなり友人から「自分の価値観を人に押し付けないでくれ」とか言われたんだよなー。
あれはびっくりしたな。

というわけで、約20年越しくらいでここで皆さんに押し付けることになるわけですが、機会あったらマイガール、ぜひどうぞ。
これまた中学くらいの記憶なので曖昧ですが、2より1の方がよかった記憶があるので、ぜひ1の方をね。
全然違ったらすいませんて感じですが、たぶん涙止まりませんよ。


Posted by 北川 on 11月 1st, 2013 :: Filed under 日常