とくお組モブログ
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運命

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運命について。

妻の勤務先は、古くて伝統的な会社なのですが、そのためか今時めずらしいほど男尊女卑というか、役割や組織の別ではなく、女性だからという理由で会議に召集されなかったり、飲み会に誘われなかったりするそうで、妻はそういう悪しき文化を将来の後輩たちのためにも普通の文化に正していくという要らぬ苦労を背負わされてしまったなぁと感じます。

そういう意味では、妻がトレーナーをしている後輩男子くんは、体育会系の純粋ないいやつだがキャパシティの小ささが難点、という青年のようなのですが、いずれにせよ新しい人間なので、悪しき文化を正していくための貴重な戦力であり、また体育会系ゆえに古い慣習を素直に継承してしまう危険性もはらんでいるわけです。

ですが、先日そのテンパり屋の青年が、体育会系にも関わらず、妻を庇って「いや、それはおかしいですよ!」と先輩であるおじさん社員に噛み付いてくれたらしく、それを聞いて、彼とは面識もありませんが、アイツがそんなに立派なことを…と涙が出そうになりました。

小学生の頃、仲良しグループの一人がひょんなことで仲間内からイジメられ始め、それを止められる立場にいたのは僕だけだったのに何もできなかったことを今でも悔いているのですが、つまり自分の意志とは関係なく「正しいこと・やるべきことをやれる立場にいるのが自分しかいない」という状況に気づいてしまったら、それはもう運命であり、それを受け入れて「やるか」と決めたらそれは使命となって、自分や誰かにとって大きな意味を持つので、たとえ面倒でも運命を感じたらやるべきなのだと思います。

多分その後輩男子くんは、そんな運命に気づいていないと思いますが、今お前にしかできないことがあるんだぞ!その純粋さで世の中を変えるんだ!という願いを込め、唐突に妻を経由して彼に500円あげました。頼むぞ佐藤!


Posted by 堀田 on 3月 10th, 2018 :: Filed under 考察

時間を売る

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キャバクラも全部そう。

時間を売買するアプリというのがやたらネット広告で流れてきて、一体どういうことだと調べてみたら、個人のスキルを30分いくら、という感じで売り買いするアプリとのことで、それを言い出したらサービス業は全部そうだろうと、当たり前のことすぎてびっくりしました。

例として出ている法律相談30分◯◯円とか、セミナー講師2時間◯◯円とかはサービス料金そのものだし、恋愛相談1時間◯◯円とかもやっぱりサービス料金だし、一定時間なにかのサービスを受けるんなら、それは時間じゃなくてサービス(スキル)を買ってるのであって、なんか言い回しがズルいというか、虚偽広告のような気がしてしまいます。

時間を買うというなら、本当にその人の寿命をいただく、といった類のものか、例えば美容師さんに対して、散髪ではなく1時間ずっと折り紙を折らせるとか、歌手に2時間ずっと意味のない計算をさせるといった風に、本当にその人のスキルと関係ないことで拘束したり時間を無駄にさせたりするもの、つまり時間以外の対価を得ない状態でないと、時間を買うとか売るとかは言えないんじゃないの?と意地悪なことを思ってしまいます。売る側が時間の使い方を指定したらただのサービス業。

時間というのはなんかもっと崇高な概念というか、誰にも平等に一定に流れる大いなるものといったイメージがあるので、あまり簡単に操ってるようなこと言わないでほしいなぁと思いました。ちなみに僕が誰かに無為に1時間を売るなら8000円ぐらいにしますし、そんな時間誰も買わないと思います。


Posted by 堀田 on 1月 30th, 2018 :: Filed under 考察

2017年

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今年は堀田メンディーになろうと思います。

あけましておめでとうございます。毎年、年始はどの人も一年の抱負を書くと思いますが、僕は今年は筋肉隆々になって最終的に堀田メンディーになろうと思っています。既に昨年から近くのトレーニングジムに申し込みをして、もう4回くらい行ってます。

前にもジムに通ったことがありまして、僕は基本的に筋トレが大嫌いなので、あの筋トレマシーンは全く使わずに、ただただ走っているだけだったのですが、今回は合計6回もの初心者説明会コースになっていて、毎回マシーンの使用が組み込まれており、おかげでこれは本気で堀田メンディーになってしまうのではないかと思っています。なお、妻に僕が堀田メンディーになったらどうするかと聞いたところ、「ならないと思うからまずは目指したらいい」と言われました。

どうなるかはわかりませんが、筋肉ムキムキ状態に一度もなったことがないので、一体どういう心理状態になるのだろうと今からワクワクしています。きっと周りに見せたくなって、必要以上に脱いだりしてしまうんだと思いますが、でも筋肉なんて鍛えたって使うときなんてそんなにないので、ほんと「人に見せる」が主になるのは仕方ないと思います。

てか、自分からというより、周りが見せろと言うようになって、隠すのも変だからと見せたら、あいつは見せたがっている、脱ぎたがっているみたいに言われて、筋肉キャラ=脱ぎたがり、みたいな構図になるのかもしれません。でも隠すなら何で鍛えるんだっていう側面も大きいと思うし(健康のためっていうのも…)、やはりこれはなってみないとわからないので、やってみようと思います。

あと筋肉隆々になると、髪型もたぶん変えたくなるのではと思っていて、それも実際にやってみて心理状態の確認をしてみたいと思っています。今年もどうぞよろしくお願いいたします。


Posted by 堀田 on 1月 3rd, 2017 :: Filed under 考察

加藤

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加藤紘一さんが亡くなられて。

「加藤の乱」で有名な加藤紘一さんが亡くなられて、なんだか悲しい気持ちになっています。加藤の乱の「あんたが大将なんだから!」のシーンはとてもおもしろく、とくお組では何度か舞台中でパロディをしており、大変お世話になっていましたので。

正直、リアルタイムで見ていたときは、加藤の乱について何も理解していなく、ただ子供心に「政治家が何かやっているな」という印象で、むしろその劇場型といいますか、そんな内部のドラマをわざわざ報道陣の前でやっている感じが、ちょっと酔っている感があってどうかなと思ったくらいで、ただそれ以上におもしろかったというか、加藤さんが目を真っ赤にして口を真一文字にして堪えている顔が、何か訴えるものがあって、結果的にすごく印象的でした。

今になって乱の顛末をWikipediaとかで知ってなるほどとなっているわけですが、亡くなってからも各種報道では、改革を目指して反旗を翻した加藤の乱について触れ、また彼の人柄や政治家としての高い能力などを紹介するなど、誰も悪い風に言っていないのは、やはり実際にこの人は周りの人に信頼されたいい人だったんじゃないかと思ったりします。もちろん、政治家は出世を本懐とした人たちのドロドロした世界だから、いい人なんて居ないんだと思いますし、故人を悪く言わないのもあると思うのですが、それでもやはり世間から惜しまれている感じがなんとなく伝わります。森さんが亡くなってもこういう雰囲気にはならないのかなと。

やはり大きな組織に於いて、改革をするのは本当に生半可ではできないというかほぼ不可能で、そういう面では加藤さんは少し甘かったのかなと思いますが、男なら、ロマンというか、そういう夢に向かって突き進む人生も悪くないし、実際そんな加藤さんをヒロイックに感じて人は語り継いでしまうのだと思います。結果的に改革もできず首相にもなれなかったけど、よっぽど首相になるよりも人の心に強く残ったのかなと思いますし、少なくとも僕らは、今後も加藤の乱をしばしば再現させていただくと思います。

心よりご冥福をお祈りいたします。


Posted by 堀田 on 9月 11th, 2016 :: Filed under 考察

クレープ

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クレープが好きです。

久々の更新なのにこんな薄い話で申し訳ないのですが、昔からクレープがすごく好きです。いろいろ種類はあると思いますが、僕はオーソドックスなバナナチョコクリーム的なやつが一番好きで、次いでイチゴクリーム的なやつです。生地の温かさと生クリームのもふっと感のある一口目がたまりません。

ただ35歳のおっさんが一人で喰うのがすごく難しいため、滅多に食べることができません。もちろん恥ずかしいという意味です。基本、妻と一緒でなければ食べることができませんし、妻もそれを知っているので、クレープ屋に近づくと「食べなくていいのか?」というオーラを送ってくれるのですが、これはこれで恥ずかしいものです。

名前も妙に可愛らしいし、包み紙も赤いギンガムチェック柄だったりして可愛いのが多いし、あと片手で食べにくいというか、特に前半は両手でフォローしながら頬張らなきゃならない仕草とかが、なんつーか、女子っぽくて、とても一人で食べることができません。片手をポケットに入れ、歩きながら「別になんだっていいんだけど」というスタンスでパパッと喰える感じにしてほしい。

でもあの可愛らしい感じも込みで好き、ってのもあるんだよな。一番悪いのはクレープが似合わないほどおっさん化している自分自身なんだと今思いました。

 


Posted by 堀田 on 6月 15th, 2016 :: Filed under 考察

競争

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先日は出張でした。

朝早くから新幹線に指定席で乗ったのですが、乗ってみたら席のほとんどがシニアで埋め尽くされていて、どうやらツアーで旅行している一団のようでした。みんな割りとでかい声でしゃべりながらお茶やお弁当を楽しんでいる様子。

それはいいんですが、添乗員さんが各席を回って何やら説明したり配って回ったりしているのだけど、まず理解力が弱いようで何度も一から説明しなきゃいけなかったり、唐突に思い出話を聞かされたりで本当に大変そうでした。この老人会がひとたび街に繰り出したら、制御するのは本当に大変だろうなと、かなり同情させられました。耳も遠そうだし。

添乗員さんといえば、元とくお組のNヶ塚俊太ボーイ君が某旅行会社に勤めていたときに、相当ハードな仕事だった上に社内もかなりの体育会系で、飲み会で土下座させられた頭をサッカーボールのように蹴られたというエピソードが頭から離れないので、添乗員を見るたびに哀れみの目で見てしまいます。

妻の職場にも旅行会社からの電話がよくあるそうなのですが、中にはすごい慌しく、タメ口で、失礼な物言いをする人も多いようで、そういう話を聞いても、もうその人は心が壊れてしまっているというか、そうでないと闘えないというか、もうこちら側が許してやるしかないなと思ってしまいます。しかも仕事量の割りにかなり給料が安いとか聞くし、この労働のキツさと賃金が比例しない感じは、本当に世の中の怖さを感じるところです。

同様にピザ屋もかなり競争が厳しそうで、以前、直接お店で注文すれば半額!ということで妻と一緒に行ったことがありますが、その際もすごく忙しそうな現場で、店長も全く余裕がなく、バイト君に対する指示やアタリもそれはきつい感じで、楽しい雰囲気でやってきたこちらがシュンとなってしまいました。他にも、ちょっと配達が遅れたぐらいで500円割引券を渡されて謝罪されたり、いやいや全然気にしてないからいいよって気持ちになります。競争が激しいからこそなんでしょうが。

確かにピザなんてどこもそんなに変わらないというか差別化が難しいというか、僕の住んでいるマンションにはよくちょっと高級っぽいピザ屋のチラシが入っていて「私たちがお届けするのはピザではなく、ピッツァです」と本格派を謳っているのだけど、ドミノピザが「いや、うちもピッツァです」とひとこと言えばもうそのピザ屋の優位性はほぼ無くなってしまう感じもするし、いや、本当に世の中大変だなと思います。

旅行にしろピザにしろ、いずれにしてもサービスを受ける側があまりわがままを言わないようにする、ちょっとしたことでクレームをつけないようにするという文化を根付かせたほうがいいかなと思います。LCCみたいに、安いんだから、文句も言わないというスタンスを再認識するべきというか、「お客様は神様です」はもう古くて、「高い金払うお客様は神様です」という文化を広めていければいいのになと思います。


Posted by 堀田 on 4月 3rd, 2016 :: Filed under 考察

フリーハグ

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フリーハグが嫌いです。

まあ嫌いってわけでもないのですが、渋谷とかで最近「フリーハグ」って看板持って突っ立ってる人を見かけるたびに、あれは一体何がしたいのだろうと、若干、軽蔑にも似た気持ちになってしまうのは事実です。そもそもフリーハグにはちゃんと立派な意味があるのだと思いますが、なんというか、僕がよく見かけるフリーハグ人は、そういう理念みたいなのがなくて、ファッションでやっている感じがするのです。

まずフリーハグって言ってる本人が全然魅力的じゃない気持ち悪い男なのがほとんどで、なんでそんなやつに抱き付かなきゃならんのだろうという気持ちになるし、よしんば可愛い女性だったとしても、それは単なるスケベ心で抱き付くだけでフリーハグの何らかの理念とはほど遠いものだし、またそういう可愛い子がクソみたいな男に抱き付かれているのもむかつくわけです。僕は抱き付けに行けないタイプだから。

そもそもフリーハグ人の出しているニュアンスが「抱き付いてもいいですよ」「受け入れますよ」というちょっと上から目線な感じがして、しかもそれが気持ち悪い男だったりするので、てめえ一体何様だと言いたくなります。

フリーハグってのは「抱き付いてもいいですよ」なのか「抱き付かせてください」なのかどっちのニュアンスなのかはよくわからないですが、何となく前者のように思えて、ほんと、この偉そうな上に気持ち悪くて、さらに時間と公共の場所の浪費をしているこの行為を、大した理念もなくファッションでやっている、あわよくばかわいい女子と抱き付けるんではないか、みたいな下心もありつつ、といった感じで、そんな気持ちで偉そうに平和とか言ってんじゃないよと思います。

ほんと、ああいう人はどういう精神で家を出て、そして帰ってくるのか全く理解できませんね。悪い人じゃないのは分かります。


Posted by 堀田 on 10月 27th, 2015 :: Filed under 考察

システム

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システム屋さんで働いています。

最近、刑事ドラマなどを見ていると、刑事さんなど警察の人が何かしらの専用システムを使って何かを検索したり、分析したりするシーンがありますが、ああいうシステムの画面の雰囲気がいつも気になってしまいます。なんというか「そんなカッコいい画面じゃねえだろう」とか「そのピピピーって感じで矢印とか出るのすげー難しいから」とか「その情報どこから取ってきてんだよ」とか、そういう感じです。

警察など公共機関のシステムは基本的に入札なので、あまりかっこいいインターフェースにしている余裕はないだろうし、まあそれはあったとしても、動きとかが完全にそれっぽく作った動画ファイルなのがバレバレと言うか、業務システムっぽくないというか、なんかすごく嘘っぽいのです。IE9で動いてるWebシステムとかの方がよっぽどそれっぽいのに、などと思ってしまいます。

そんなレベルで言い出したら、それぞれの専門分野の人がそれぞれの部分で気になるところが出てくるからキリがないのですが、ドラマとかでは「お前ら普通の会社で働いたやつ一人もいないだろう」と思わせるようなシーンは結構あって、あのあたり、普通のOLとかサラリーマンを「監修」として入れるだけですごくリアリティのあるドラマができるのではないかと思っています。

あと前に「HEAT」というドラマで採用面接のシーンがあって、「そんな面接官いねーよ」とか「そんな答え方する奴いねーよ」とか思っちゃうほどすごくリアリティがなく、専門分野じゃない普通の設定でも違和感が満載で、もう土台が全然できていないからすごいつまんないんだろうなと思います。実際、そのシーンだけでもありえないくらいつまらなかったです。


Posted by 堀田 on 10月 4th, 2015 :: Filed under 考察

セーフ

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僕は擁護派です。

デザインのことはよくわからないのですが、今問題になっている東京五輪のエンブレムについては、個人的に言えばセーフ判定です。まあ、どちらかというとこういう不特定多数の人に叩かれる人に対して同情してしまうからなんですが、シンプルなものであればあるほど、たまたま似たような感じになるとかはあると思いますしね。1964年の東京五輪のエンブレムはとてもカッコいいと思いますが、これなんて、パクリだとか言い出したらキリがないわけですし。

でも本当に一度叩かれ出すと、すごい数の人間が勝手に調査員になって余罪を探し出してしまうので、デザイナーさんもマジで自殺してしまわないかと心配になります。こんなの彼の作品を探してきて、googleの画像検索とかして似たようなのがあればそこから調べて行けばホイホイ出てくるでしょう。こういうネットで叩きまくる人は、「自分は一切あらゆることに関してパクったり、モチーフにしたりしたことはないか」と胸に手を当ててから発言してほしいなと思います。

少なくとも五輪の件はグレーなラインだと思うので、選んだ側も「これはこれで全然パクリじゃない」と責任を持って彼を擁護してあげてほしいですし、デザイナーさんもめげずに適当に2本ぐらい線入れて「じゃあこれが新デザインです」とかロックな返しをしてほしいです。


Posted by 堀田 on 8月 21st, 2015 :: Filed under 考察

アンバサダー

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ネスカフェアンバサダーは嫌われてそうなイメージがあります。

オフィスでおいしいコーヒーを入れるネスカフェアンバサダーになろうというCMがよく流れていて、結構売れているように聞くのだけど、こういうのってかわいい女性がやるイメージがあるのですが、一方で、同僚の女子からはすごく嫌われているのではないだろうかと勝手に想像しています。

CMのイメージだと疲れた営業マンに対してかわいい女子が「おつかれさまでした♡」的な感じでコーヒーを振るまい、「やっぱりミキちゃんのコーヒーはうまいなあ」「えーほんとですかあ」「談笑」という感じなのですが、こんな女子のことを、女子は大嫌いなんじゃないかと思うのです。そもそもオフィスにおいて「私がみんなのために美味しいコーヒーを淹れる人になろう!」という発想が、ちょっとアイドル地味ている感があって、そういう女子を女子はすごく嫌いなのではないかと。同じこと何度も言ってすみませんが。

ただこれが売れているということは、アンバサダーになっている女子が増えているということだと思うのですが、それは想像するに、小さいベンチャー的な会社で、女子と言えば若い子ばかりの、比較的若いオフィスにおいて、広まっているのではないかと思います。つまり、お局様とよく言われるような人がいないオフィスでは成立しうるけど、そうではない歴史あるオフィスにおいては、こういうアイドル的存在を許容する土台、器、文化のようなものはないのではないかと思います。

僕のオフィスレディに対する偏見だけで勝手に書いていますが、少なくとも僕が若い女子だったら、ネスカフェアンバサダーになるだなんて、怖くて絶対に言い出せないと思うのです。


Posted by 堀田 on 8月 10th, 2015 :: Filed under 考察

ホットパンツ

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堀田はホットパンツが好きです。

夏になると女性の露出が多くなるのが唯一ありがたいことですが、そんな僕が一番好きなのがこのホットパンツです。ミニスカートよりもパンチラの心配がないからか、アクティブで健康的で若々しくていい。この太ももを全く隠す感じがないのがいいです。

あとホットパンツという名前もすごくいいですね。何でホットなのかはよく知りませんが、熱い!ホット!ホットホット!!って感じがこう夏を真正面から受け止めて、暑いんだからしょうがないじゃないという言い訳とともに挑発してくるオンナ感が、ネーミングとしてとてもぴったりだと思います。あとポケットの裏地が下からはみ出ている部分を、かつてザキさんあたりが「キンタマ」と称していましたが、そのキンタマ感もなんかいいですよね。

今日はこの辺でやめておこうと思います。


Posted by 堀田 on 8月 10th, 2015 :: Filed under 考察

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お魚を食べてきました。

最近お魚を食べていないなあと思い、魚がメインの居酒屋に行ってきました。刺身、塩焼き、煮付け、西京焼といろんなお魚を食べました。写真はちゅるんとしたフォルムの鮎の塩焼き。

魚って毎日すごい量が消費されていると思うけど、本当によく無くならないなと思います。港で大量の魚が水揚げされてる映像をよく見るけど、一つの漁港で一日にそんなに穫っていいの?って思うほどで、実際穫りすぎで少なくなっているんだろうけど、それでも、魚が食べられなくなる気配はなんだかんだであまりないし、やっぱり海が相当広いんだろうなあと思います。

実際、学生時代のまだ演劇に出会う前、知人の誘いで土用の丑の日の前日に、うなぎ屋さんでバイトしたことがありまして、百貨店向けに卸す蒲焼きをひたすら箱詰めするという作業だったんですが、「うなぎって、こんなにいるんだ…」と、ちょっと引くぐらいの量を焼いていて、しかもそれが一軒のうなぎ屋だけの話だったので、これは将来的にうなぎはこの世から居なくなるんじゃないかと思っていました。まあ実際、居なくなってきてますけど。そんな経験もあって、魚を食べるたびに、人間の漁獲量の異常さと、それに耐えている地球の魚力(ぎょりょく)に驚いています。

あとこれまた余談ですが、熱帯魚を飼っている人って魚を食べるのかなって思ったりしています。同じ理論で、インコを飼っている人は鶏肉を食べるのか結構気になります。でもたぶん普通に食べるのかな。熱帯魚やインコを食べるわけじゃないしね。でも人間側はあまり気にしていなくても、熱帯魚側は結構気にしていると思います。


Posted by 堀田 on 7月 28th, 2015 :: Filed under 考察

問う

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精神鑑定って要るのでしょうか。

最近、突然殺されてしまう的な事件が結構あって、たまに「刑事責任能力を問えるか精神鑑定にかける」とか聞きますが、本当にあれはなんでそういう制度になっているのかよくわかりません。刑事責任は問えるだろう。

心を病んだ人の苦労は想像を絶するものがあると思いますが、それでも人を殺して刑事責任なしとはならないと思う。そもそもハッキリとした原因も分からない、治す方法も確立されていないかなり謎に満ちた病気なのに、鑑定なんてどうやってできるんでしょう。

もし病気のせいだというのであれば減刑という形で量刑をo.8掛けするとか、そういう対処をすればいいじゃんね。病気でも普通に暮らしている人がいるんだから、変に特別扱いしてたら、その人たちもいい迷惑だと思う。障害者を障がい者と表現するのもそうだけど、なんか変に意識しすぎな感じがします。

嘘をつくやつがいるとか被害者家族の立場になって…とか云々の前に、普通にやってしまったことに対しては大人であれば責任が生じると思うし、それこそ公平に裁けばいいのにと思うけど、なんか理由があるんですかね。とにかく僕の身の回りの人が不運な目に遭わないことを祈るばかりです。


Posted by 堀田 on 6月 2nd, 2015 :: Filed under 考察

正解はこうです

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白々しく思えてしまいます。

よくCMで、一般人風の人にクイズを出したり、試食・試飲をさせて、「正解はこうです」「え〜」みたいなのがあると思いますが、あれは一体なんなんだろうと思っています。あんたら役者だろと。

なんだろう、この完全にバレてるけど、あくまで素人のフリして訴求するところが白々しくて、そんなことしなくても普通に言えばいいじゃんと思います。バリスタが入れたと思ったら本当は缶コーヒー、みたいなCMも、飲んでる奴が全員明らかに役者だから、「これ缶コーヒーなんだ」みたいなのも、もう何をやっているのか全然意味が分からない。

あと歯磨き粉のCMとかで、芸能人が白い部屋で「この歯磨き粉のどこが気に入ってるか」みたいなのをいろんなカメラワークから語るみたいなのも、あれもギャラもらって言ってるのが丸出しで、何をいけしゃあしゃあと語ってるのかしらと思ってしまいます。なに客観性をもたせようとしてんだと。

そういう意味では昔やっていた電気ひげ剃りのCMで「ブラウン モーニングリポート」シリーズは、いいラインを攻めていたと思います。実際のところは不明だけど、素人さんをマジで突撃してる感じと、あの剃り残しが出てきたときの「あれ〜今朝ちゃんと剃ってきたんですけどねえ」的なリアクションが綺麗にテンプレート化されていて、見る側も「今回はどれくらい残ってるかな…?」なんて、ちょっとワクワクしてたもんね。あの自然で楽しい「え〜」感をみんな目指すべきだと思います。


Posted by 堀田 on 5月 8th, 2015 :: Filed under 考察

コラボとカバー

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あの人とあの人が、あの名曲を!

先日、久々の音楽番組として期待された「水曜歌謡祭」が低視聴率スタートというニュースを聞きました。まあ視聴率でなんでも評価するのはどうかと思いますが、かくいう僕も観ていません。今の歌は全く分からないというのもありますが、最近の歌番組は、「あの人とあの人が、あの名曲を!」というような、コラボとカバーをやたらに推すんだけど、それってみんな聴きたいのかなあって思います。

僕らが若かりし頃の歌番組では、それぞれの歌手が人気だったからというのはあると思うけど、それぞれがそれぞれの持ち歌を披露していて、ファンはそれを見たくて観ていたように思う。例えばライブを観に行って、なんか別の人と違う歌を歌われても、決してそれはメインでないでしょう。あと芸能人のカラオケを流す番組もあるけど、あれもどうなのかなと。歌うまいですねーとか言っててどうすんだと。なら最初から歌手を出せよと。

普通にそれぞれの持ち歌を歌わせる番組を作っていれば、最初は視聴率が悪くとも、アーティスト側からは「あの番組はちゃんと歌わせてくれるからいいよね」っていう支持が集まって、結果的にいい番組になるような気がするのです。コラボ&カバーの番組は、ミュージックフェアに任せておけばいいと思います。


Posted by 堀田 on 4月 19th, 2015 :: Filed under 考察

ペット

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最近は専ら猫派です。

昔から犬や猫などペットを飼いたいとは思っていますが、面倒見切れる自信がないのと、何よりも死別の悲しみに耐えられそうにないので、一生飼うことはないと思っています。さらに、最近SNSなどでペットの殺処分問題を解決しようと、ストーリー仕立てで「安易に飼うのではなく責任と覚悟を持って飼うこと」が啓蒙されていて、なるほどやっぱりダメだなとか思ったりします。

それでふと思うのですが、そうやって安易に飼う人がいなくなるのはいいとしても、結果的にペットの貰い手もかなり減ってしまって、誰にも飼ってもらえずに殺処分になるペットは出てこないのでしょうか。安易に飼う人の100%が途中で投げ出すわけではないだろうから、ある程度安易に飼い始めたけど、その後愛情を持って育てたであろう人と、動物たちとの出会いの場がなくなってしまうのも問題なのかなと。そんなことないんですかね。

一定の割合で捨てられる動物はいるだろうから、ペットショップで高級な動物を売る業者は一定割合で殺処分予定の動物も売らなければならない法律とか、そういうのができるといいんでしょうけど、大人になった犬猫はあんまり売れないのかしら。いずれにしても関心が高まって処分される犬猫がもっと少なくなればいいなと思います。なので、漫画もいいけど、もっとビジュアルに写真で見せたほうがいい。みんな十分かわいいじゃんね。

でもイルカ漁の問題のときも思ったけど、こういう運動が起きるのはやっぱり犬猫がかわいいからとか、感情が伝わるからなんでしょうね。虫は殺虫剤とかあるくらいかわいくないので、本当に見た目って大事だなと思いました。虫の感情が伝わったとしたら多少は殺しにくいんだろうけど、甘えてこられても困るし、やはりそういう意味で虫はかわいそうですね。全く同情しませんが。


Posted by 堀田 on 3月 4th, 2015 :: Filed under 考察

ミュージック!!!

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音楽を聴きながら仕事をすると非常にはかどります。

みんなそうだと思いますが、仕事をするとき、単純作業であろうが、頭を使う作業であろうが、集中力が必要なときには音楽を聴きながらやるととても効率が良いです。だけれど、クリエイティブな雰囲気の会社でもないので、残業時間になるまではイヤホンを挿して仕事をしているといろいろ文句を言われてしまいます。

なので最近はPCを持って近くのカフェに行き、音楽を聴きながら仕事をして、残業時間帯になったら会社に戻るというスタイルを採用しています。若手のころはそういう動きに遠慮がありましたが、今では堂々と「ちょっと外で仕事してきます」と宣言して行けるまでになりました。徐々にふてぶてしくなっていると自分でも思います。

ところで、以前ブログで「音楽を聴きながらできる作業とできない作業の組み合わせが分らない」と書きましたが、その法則が分ってきました。基本、僕は音楽は集中して聴きたいほうなので、ご飯を食べるときとか、家事をするときとかに音楽が鳴っていると、音楽に気をとられてしまい、作業に集中できなくなってしまいます。でもテレビはそこまで集中して見る感じでもないので、つけながらご飯を食べたり家事をしたりできます。

一方、「音楽を聴きながら仕事をする」のがなぜできるのかというと、仕事のほうが考える比重が大きいので、集中して音楽を聴くことがなくなり、文字通りBGMになって周りの雑音をシャットアウトしてくれるからOK。ただこれが音楽じゃなくてテレビとか人の会話とかだと、BGM的に聴き流せないのでNGです。

あと、音楽を聴きながら通勤するのもあまりしないほうで、仕事を終えたらイヤホンを外して帰るみたいな感じです。これは通勤中は何にも集中したくないからではないかと。

と、書いてみたら全然法則性が見出せませんでした。単純に生活習慣だと思います。


Posted by 堀田 on 3月 3rd, 2015 :: Filed under 考察

複雑系

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公演が終わりまして。

「光沢のある赤いスイッチ」にご来場くださったみなさま、ありがとうございました。年末からずっと続いた稽古と二週間の本番とで結構疲れましたが、おかげさまでこの土日になってやっと落ち着いた時間を過ごしています。もちろん、以前ブログで紹介した篠崎ハイパートレーニングゾーンからも晴れて解放されました。

ゆっくりする時間ができたことと、公演中にイスラム国の事件もあったこともあり、関連する本を買って読んだりしているのですが、一言で言うと難しすぎるというか、知れば知るほど、軽率に色々言えないものだなと思いました。何せ情報量が多すぎるし、歴史的に複雑に絡まりすぎていて、素人が口を挟める感じがしない。

日本の政治に関することもそうだけど、専門的なレベルにまで踏み込まないと正しい理解や判断はできないので、国民だからもっと関心を持とう!と言われてもなかなか難しい。それは僕ら一般人は政治や国際情勢を考えることで給料をもらう人ではないのが大半というか、別のことで給料をもらう以上、そっちを考えざるを得ないという感じで、バイトも含めて何も仕事をしていない人なら考えられるかもしれないけど、つまり専門的にやらない以上、全部薄っぺらい理解や発言になっちゃいそうだなと。

なので、政治の専門家として政治家がいて、それを選挙で選ぶんだろうけど、専門家の割には分野が多岐にわたりすぎていて、論点が多すぎて選びにくい上に、情報操作されてるだの、ネットも含めて真偽は確かめる必要があるだのと言われたら、そんなのお金ももらってないのに労力かけて調べるわけないじゃん、という気がしてしまう。それで戦争になってもいいのかと言われたらそれはNOなんだけど、つまり「そんな当たり前にNOなことをいちいち言わせないでほしい」という感じ。頼むよ安倍ちゃん。

なんだかんだで、麻生さんのころは楽しかったような気もしますね。アニメの殿堂とか。


Posted by 堀田 on 2月 8th, 2015 :: Filed under 考察

4年

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オリンピック選手がすごい。

テレビを見ていると、いろんなスポーツ選手のインタビューで「東京オリンピックで金メダル穫ります」というのがあるけど、本当にオリンピック選手って尊敬する。4年に一度しかないイベントに生活のほとんどを捧げ、しかも当日のコンディションとかでまあまあ左右されたりするのだから本当によくやると思う。その精神力もすごいし、それに全く共感できないというか、マジですごいと思う。

特に重量挙げとか、比較的ゲーム性が低い競技は本当にすごいと思う。これを4年やるのか…と思ったら実際に選手でも結構キツいんじゃないかと思うけど、やっぱり「好きこそ物の上手なれ」って感じなんでしょうか。

鈴木さんとか、オリンピックを観て涙を流せる人は本当に心の優しい人だなあと思うのだけど、こういう人は選手の辛く苦しい日々に思いを馳せ、その苦労が実ったことに感動するのだと思うけど、僕の場合はその苦労をするという選択肢がちょっと信じられないレベルなので、全く共感できずに泣けないのだと思います。

まあ世界一っていう事実はすごいけどね。すごいけどそれもたった4年でまた塗り替えられることもあるわけで、そういう意味では4年ってのが短いのか長いのかよくわかりませんね。てか4年ってのがやっぱりちょうどいいんでしょうね。会場の準備もあるしね。


Posted by 堀田 on 1月 18th, 2015 :: Filed under 考察

スミノフ

スミノフのCMが変わりましたね。

最新のバージョンはサラリーマンが4人ぐらいパーティしてるみたいなやつですが、一つ前のバージョンは金子ノブアキが部屋でくつろいでいるパターンでした。オシャレな部屋で、好きな音楽をヘッドホンで聴き、スミノフを飲みながら写真集を見る、というやつ。写真集て!

僕はデザイナーズマンションに好んで住んでオシャレな生活を最低限レベルで楽しんでいるわけですが、だからと言って生活スタイルまでは格好つけられないわけで、でも金子ノブアキくらいのスタイリッシュな人は、本当にこんなオシャレな生活してるんでしょうか。楽しいんでしょうか。この絵に描いたような生活感のない金子ノブアキの生活を描くこのCMが、僕はたまらなく好きだったので、終わってしまってとても残念です。

なお僕は、金子ノブアキと同い年です。


Posted by 堀田 on 12月 5th, 2014 :: Filed under 考察