客観
センスとか能力とか、そういうこと以前に大事なのは、やはり客観性というやつだろう。自分の出し物が、他の人からどう映っているかということだ。客観性を欠いた出し物は、単に演者が青春の汗を散らせただけで終わる。柴田が演劇を観たあとによく怒っているのはそれだ。
これまた難しいのが、じゃあ客観性があれば面白いかというと当然そうは言えない。見てて最初は全然ついていけないんだけど、あまりにポジティブで進み続ける表現に、いつの間にかハマっていた、などという経験もあるだろう。見ている人の顔色を窺っていてもダメで、味方がたとえ自分一人でも続けなければならないこともある。それは前提に置いたうえでの客観性だ。
写真の鈴木さんを例に取ると、これは客観性を欠いた、世界中が自分の味方(ファン)であるということを前提にしたポジティブな表現だ。何も悪いことをしていないのに、悪口の対象になりうる隙がある。具体的にはつま先がちょっと上がっている部分が腹立つだろう。
僕は何も鈴木さんのダメ出しをしたい訳では無い。これはこれでいいのだ。なぜなら、この雰囲気は僕が要求したものだからだ。
Posted by 徳尾 on 3月 14th, 2014 :: Filed under 日常
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