とくお組モブログ
いつも手元にとくお組

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若干酔っている。
昨日までは仏教の学会での発表があって、かなり忙しかったのだが、なんとか無事乗り切ったもので、それなりに気分がよく、いつもならためらわれることなのだが、今日は書いてしまう。
ネタバレ等はあまりないとは思いますが、僕はあらすじ等を言われても全く気にならないタイプの人間で、つまりはその辺の感覚壊れてしまっているもので、気になる方は読まないでください。

今日は、銀河ホテルを見た。
おもしろかった。
最初の五分間程度で、誰が見てもわかることではあるため、酔っていないといえないが、観客は物語から解放される。
どこを見ても、どこも聞いてもいい芝居ですよ、物語は追わなくていい芝居ですよ、こう宣言される。
そうなると必然的に観客は、前のめりに自身で情報を取捨選択することとなるし、芝居は個別のシーンのおもしろさ、すなわち、演出と俳優の演技に委ねられることとなるし、まあそれは、なんなら観客が何回もその芝居を見に来ることの契機となるしで、いいことであるはずだ。
しかし、これは何回も繰り返す類のものでは決してなくて、つまりは方法論としては実験的で本質とは離れた位置にあるものなわけで、そういった意味では、あらゆる会話が同時多発的に起こるリアルな演劇というものは僕の中では、基本、形骸化した、終わっているものではあるのだけれども、今回のような形式の下で行われるもの、すなわち、全体の形式ではなく細部への意識の下で行われる同時多発的な会話は、強い覚悟をもって行われるチャレンジであるし、それを賞賛しないことはあり得ない。
ちょっと違うし、伝わらないかもしれないが、僕の中ではカサヴェテスのイメージね。
大学の頃、美学科の授業で、学校を使ったイベントを何かたてろ、というレポートがあったが、僕は、学校全てを貸し切り、100人くらいの俳優が出演して、あらゆる場所で演技をして、観客が自由に動いてどこを見てもいい、つまりは全ての場所で、学校という一連の芝居が繰り広げられている、という企画を書いた。
これは、機会があったら今でもやりたいと思っているが、時間という制約のある、映画や演劇という芸術の中において、どの瞬間を、どの部分を、観客が自由に自身の意志で切り取って見てもおもしろい、というのは、一つの夢であり、理想である。

しかし、生意気な意見かもしれないが、僕の中で惜しむらくは、その点、すなわち、細部における最後の一手であった。
ラスト、僕は、多くの役者は、雨に濡れているべきだったと感じたのだ。
先日、テレビでやっていた思ひ出ぽろぽろを一瞬見たが(僕は実は思ひ出ぽろぽろの全編は、人生でいまだ見てはいない)、雨は、二人を車の中に閉じ込めるために降っていた。
今回の芝居において、雨は、物語のために降るのではなく、ラスト、濡れた髪の毛としたたる水の中、光を受けつつも、あるものを見るために、降るべきであったと、僕は思った。
濡れていない人間との対比も含め、これは、全てを包み込む強烈な細部となることは間違いないし、どこを見てもいい芝居であるからこそ、ここは欠かすことのできない一手となったのではないかと、僕は思った。
リアリティの問題としてではなくて、端的にラストの細部の美しさとして、これはこちらだったのではないかと、僕は感じた。
色々な理由もあるかもしれないので、誠に勝手な意見ではあるのだけれど。
しかし、そんな意見を言いたくなるくらい、様々な箇所を見、聞きし、豊かに楽しめる、お芝居であったと感じました。
時間ある方はぜひどうぞ。

酔った人間のしょうもないブログを最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました。
では。


Posted by 北川 on 7月 4th, 2014 :: Filed under 日常

薬の飲み方

風邪はだいぶよくなりました。

昔からどちらかというと病弱な方で、おかげさまで大病こそ無いものの、インフルレベルまでなら結構あります。今でこそ病気になったらひたすら薬を飲んで無理やり治すというあまり良くない方法を採りますが、小さい頃は本当に薬を飲むのが苦手でした。錠剤が飲めませんでした。

なぜ錠剤が飲めなかったのかというと、うちの母に薬の飲み方を教えてもらうときに、「まず水を口に入れてから、薬を入れて、一旦浮かべて、一気に飲む」というかなり高度な方法を教えられたのだけど、これが小さい僕にとっては相当難しく、何度やっても口の中に薬が残ってしまう。いったん水に触れると、せっかくの錠剤が溶けてしまい、薬のまずさが出てくるわ、何度やっても飲めなくてイライラするわで、それはもう大変でした。

母も一生懸命飲ませようと思って、カナヅチでわざわざ砕いたり、アイスクリームに忍ばせたり(ガリってなる)と、かなり努力をしてくれていたのだが、姉も含めて誰一人「薬を先に口に入れて、水で流し込む」という最もシンプルな方法に気がつかなかった。それこそ10年くらい。

ある日、何かの拍子でその方法を思いついて、やってみたら今までの苦労がなんだったのかと思うほど簡単に飲めてしまい、母に対して「なんでこんな変な飲み方してるんだ!」とかなり噛み付いた記憶がある。そのときの母の申し訳なさそうな顔ったらなかったですね。本当に悪いことをしました。

ちなみに、様式トイレで用を足して水を流すときに、上から流し込むのではなく、どちらかというと下から吸引するタイプの場合、この話を思い出します。たまに飲めて(流せて)なかったりすると、ほらやっぱりやり方がおかしいよ、と思うのです。


Posted by 堀田 on 6月 24th, 2014 :: Filed under 日常

機械警備

やってしまいました。

今日は夜遅くまで仕事をしていたら、いつのまにかフロアの最後の一人になってしまいました。最後の人はカードキーでロックをして地下の警備員室に返すというルールなのですが、気がつけば家に持って帰ってきてしまっていた。

残念なことに土日なので、もう正直、このまま月曜日まで気づかなかったということでいいのではないかと思っている。だって絶対予備のカードがあるだろうから、きっと実際にはそんな問題ではないと思うんだよな。月曜日に完璧に演じてみせよう。

あと関係ないけど、この施錠をするときって、夜だし一人だから、ぶっちゃけちょっと怖いんだよな。何が怖いって施錠すると「ドン!」って何かが落ちる音がしてフロア内の電気が消えて、おばさまの声で「ここは、機械警備をしています」「ここは、機械警備をしています」って絶妙な間でアナウンスが流れるんだけど、なんかトーンが低くて怖い。こういのはかわいい女の子の声にしてくれりゃいいのに。それか超マッチョな男の声とか。

一度それでビビりながらエレベーターホールで待っていたら、突然フロアの中からドアを「ドンドンドンドン!!!」って叩かれて「ぎゃー!」って飛び上がりそうになったことがある。どうやらまだ残ってるのに施錠してしまったらしく「開けてくださーい!」って叫ばれてマジでそのまま逃げようかと思った。閉じ込められた人も相当怖かったと思うけど。


Posted by 堀田 on 6月 21st, 2014 :: Filed under 仕事

肩こり

ご無沙汰しておりました。

数日前から風邪を引いてしまい、ノビております。僕は風邪は悪寒から入るタイプが多いのですが、先日も夜中に歯がガタガタ言うほどの強い悪寒に襲われ、薬を飲んでとにかく休もうと思ったのも束の間、翌日は出張でまさかの5時起き。そのまま新幹線やら飛行機やらで日帰りでぐるぐる回って、帰ってきた頃にはなぜか異常な肩こりになっていました。

とにかく右肩だけ異常な張りで動かすだけでビキビキビキ!!!と激痛が走り、寝返りもできないほどなので、これはどうしたものかと。ネットで調べたら「たまにウィルスが肩に飛び火する」「発熱以外に筋肉を硬化させてウィルスを殺す(すり潰すの?)」などとあったので、やはり風邪が原因かと思って内科に行ったら「それは整形外科に行くべきじゃないの?」と冷たく言われて悲しくなった。困ってんだからそんなこと言うなよ。

でも痛み止めと緊張緩和剤をもらい、おかげで少しは動かせるくらいになったのだけど、そのうち左肩もバランスよく凝って来て、まさかこのまま肩こり症になってしまうのではないかと、いま恐怖を抱いている。風邪の調子はよくなったのだけど、風邪が治っても肩こりは治らないのか?原因は風邪じゃないのか?やだー!

こうなったらザキさんの奨める玉ねぎ健康法を前倒しで導入して、血液さらさら人間に一刻も早くなる必要がある。ここ数日で治らないようなら決行せざるを得ない。ちなみに、先日ザキさんにブルーライトカット眼鏡を奨められ、その三日後には既に採用しています。


Posted by 堀田 on 6月 16th, 2014 :: Filed under 日常

生理的

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今日、喫茶店にいたら、声優とかのような話し方をする男女四人の隣になってしまったのだけども、なんかムカムカしてきて、パソコンを何度か叩き割りそうになってしまった。
そういった方々に罪がないことはわかっているのだが、僕自身の生理的な問題として、昔からそうなのだが、どうしてもあの手の声にはイライラしてしまう。
というか、もっと正直にいえば、声だけでなく、話す内容、所作、そういったすべてが癇に障る。

表現を志す人間は、つい表現そのものの進化などに目を奪われがちなのであるが、すべての表現というものは、どう考えても、本来的にいって、リアリティというものとの距離感や折り合い、そんな葛藤の中に存在するべきだろう。
なぜなら、この世界は、確かに、明らかに、目の前に存在してしまっているのだから。
しかし、あくまで僕の言う、ではあるが、声優的なる人たちというのは、まるで、目の前にあるこの世界を忘れてしまったかのような、そんな態度をとってきはしまいか。
自身の醜い顔など忘れてしまったかのように、アニメのキャラクターよろしく、奇妙な猫なで声で話し、さっき便所でうんこした薄汚い身体など忘れてしまったかのように、漫画の登場人物よろしく、コミュニケーション上不必要なほどの大きな動きでリアクションをとる。

忘れてはならない。
お前はアニメのキャラクターでも、漫画の登場人物でもなく、醜い顔して、うんこして、生活している、一人の人間だ。
線で描かれた絵ではなくて、普通に存在している人間なのだ。
お前がアニメのキャラクターみたいに行動したって、周りからは、「普通の人間が奇妙な行動をして、アニメのキャラクターのように見てもらい、かわいい(かっこいい)と思われようとしている身の程知らずの気持ち悪い奴」という風にしかうつらないのだ!

この世にある、すべての素晴らしい作品たちは、どれも、現実と闘い、苦悩する中で、つくられている。
自身を包む現実から目を逸らし、安直で非現実的な行動をとってはならない。
この点において、僕のいう、声優的なる人たちというのは、明らかに、表現者として失格なのだ。
まあなんでもいいけれども、喫茶店とかの公衆の面前では、もっと普通にしてくれ。


Posted by 北川 on 6月 10th, 2014 :: Filed under 日常

クソ豚野郎

市井さんが最近テレビに出てきていますが。

僕の人生を救った恩人である市井さんが、最近復帰したのか、テレビによく出ているけど、なんかAKBのオーディションを受けたことが売名行為だとか、総じてちょっと裏表があるキャラみたいないじられ方でよくバラエティに出ている様子。それはそれでいいのですが。

有吉さんの反省する番組に出ていたときに、そのような裏表あるぞ的なところを突っ込まれまくっていて、それはそれでいいのだけど、コメンテーターの人が本人を前にして、「お話聞いていて、市井さんって性格悪いんだなって思いました」と言っていて、市井さんは笑顔で返していたけど、僕はマジでむかつきながら聞いていました。なんて失礼な人なんでしょう!

流れというものがあるにせよ、本人に向かって「性格が悪い」というのは大変失礼で、お前のほうがよっぽど性格悪いよクソ豚野郎と思ってしまう。しかも全然面白くなかったし。陰口を叩くなとまでは言わないけども、本人を前にしてそういうこと言うのはマジでクソ豚野郎だと思いました。バラエティに過敏に反応するクレーマーみたいに聞こえるかもしれませんが、明らかに悪意を感じたんですよね。しかも軽い気持ちで悪意を持って言ってる感じがして、マジでクソ豚野郎だと思いました。


Posted by 堀田 on 6月 5th, 2014 :: Filed under 日常

外為

外為と後輩。

イケメン後輩君と飯を食っていたら、お金の話になって、聞けば彼は外為オンラインというので、スマホで何か、外為をやっているらしい。何を言っているのか分からないので聞いてみると、外国のお金を買って、円高になったり円安になったりしたときに、売ったり買ったりして、小遣い稼ぎをしているらしい。

とか言いながらスマホの画面を見せてくれたのだが、上の写真のような謎のグラフが出てきたので、まさかお前これが読めるんじゃないだろうなと問いただすと、「この辺がアベノミクスで上がってんスよ」と言い出し、さらに

「ここ数年で中国の住宅バブルが弾けるんで、そのときにみんな安定資産の円を買いに走るんで、そのときに売るんスよ」だの、「ウクライナとか世界の情勢が不安定だと円の価値が上がったりするんスよ」だの言い、加えて、「例えば100万円を元手に、1000万くらいの借金をして運用するんスよ。でも100万損した時点で損切りで解約になるんスよ。だから1000万の借金を抱えることはないんで、そんなにリスクがないんスよ」、「ゲーム感覚スよ」などと言いはじめ、「おい!お前何言ってんのかわかんねえぞ!おい!」ってなった。

もう今日のブログはほとんど僕のメモです。


Posted by 堀田 on 6月 3rd, 2014 :: Filed under 日常

さもしい

振り込め詐欺について。

オレオレ詐欺じゃなくて、最近はパターンが複雑化して「振り込め詐欺」とバクッとした表現になっているけど、これだけ世間で騒がれているのに、被害金額が一向に減らないというのはびっくりである。僕や僕の周りの人は絶対に引っかからないと思うんですが、みんなそう思っていて騙されるんだろうか。いや、絶対振り込むときに気づくだろう。

オレオレ詐欺は息子のピンチを救おうとする母の愛という全てを超越するものを狙った点で秀逸だと思ったし、うちの母親ですら騙される可能性はあると思うのだけど、それ以外の還付金詐欺だとか、さらには宝くじ系の当選番号を教えるだとか、「儲け話に乗ってしまう」系の騙され方には正直あまり同情できない。なんというか、歳を喰ってなお、うまい儲け話に飛びついてしまう点がとてもさもしい。品を感じない。老人であるならばそんな騙しなど簡単に見透かしてほしい。

実際、騙された老人のインタビューとか聞いてても、すごい嘆いていたりしてるけど、なんか聞いててかわいそうに感じないというか、被害者面しているというか(被害者なんだけど)、ああ、民度が低いなあと思ってしまいます。むしろ、そういう人がずっと持っていて使わなかったお金が、市場に流通してよかったのではないかとすら思ってしまいますね。おっと失言。


Posted by 堀田 on 5月 30th, 2014 :: Filed under 考察

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年々、体が弱くなってきている。
先日、ぎっくり腰になったわけだが、最近もまた、突然ピキっと腰の神経が痛くなることがしばしばあって、再発するんじゃないかとビクビクしている。
あと、この間は風邪をひいたが、それも三週間、治らなかった。
まあそれは、痩せるために食事制限しているせいで栄養が足りなくて治りにくかった、というのもあるかもしれない。
実際、最近かなり痩せたし。
その話でいくと、やってみてわかったが、痩せられない人というのは、とにかくもう、単純に努力が足りないだけね。
うちの母ちゃんも、変なカロリー切る薬飲んだりしてるのに全く痩せないけども、人間、そんな楽して痩せられるわけはないからね。
もうとにかく、ただただ食欲に打ち勝てばいい。
それだけで、人は痩せる。
なんかそう思った。
しかしまあ、なんか今年は総じて色々ついていない気がするわ。

この間、といっても一ヶ月以上前だけど、街を歩いていたら「誰か助けてー」って声が聞こえて、見たら婆ちゃんが倒れてて、なんか転んで足が変になって動けなかったみたいだから、婆ちゃんのヨダレまみれになりながら婆ちゃんを家まで運んで、ご家族に電話して、で、名乗らず帰る、っていう超かっこいいことしたのね。
だから、といったらあれだけども、まあそういうことしたら、きっといいことある、とか昔からいうじゃない。
だから、まあなんかいいことあるんじゃないかな、とか思ってたけども、なんにもないわ。

この世には巨悪がはびこってるし、人に迷惑かけて生きるような人ばかりがのさばってるし、ほんとなんか、世界のシステムっておかしいわ。
ゴリ押しだけがまかり通る社会、声のでかい者だけが得をする組織、正直者が損をするシステム、そんなのって、ほんとおかしいというか、前時代的というか、とにかく不健全。
いいものはいい、悪いものは悪い、くだらないものはくだらない、正統で、勤勉なものこそがちゃんと評価される、そんな健全な世界になるべきだと思う。
天才がそういった健全なものごとを一瞬で無意味で無価値なものにする、みたいなのはいっこうにかまわないけれども、別に天才でもなんでもない、ただ押しが強いだけなのにやけに自分に才覚があると思っている者が、なんだかよくわからないけどはびこって、真面目に頑張っている者が損をする、これには本当に納得がいかない。

ほんと神様仏様、いるんだったらさ、ちゃんとこっち見ておいてくれよ。
だってここに、こんなに優しい奴がいるんだぜ!
その目、ほんと、節穴だよ。
まじでちゃんと見とけよ。
眼科行くか、レーシックとか受けてくれ。
ほんと頼むわ。


Posted by 北川 on 5月 28th, 2014 :: Filed under 日常

職務質問

職務質問を受けました。

先日、休みの日にデニーズで仕事をしようと思って、夜に自転車で駅前を移動していたら、職務質問を受けました。ちょうど止めようと思ったところが駐輪禁止で、しかも警官が張り込んでいるところだったので、止めかけてまた動き出したのだけど、そういうのを彼らは見逃さない。「こんばんはー」と声をかけて来た。優秀な警官だ。

僕は「太陽にほえろ!」が大好きなので、総じて警察が好きだ。なので、職務質問にもやたらニヤニヤして対応してしまう。防犯登録をしていないこともあって、どこに行くつもりだったのかだの、鞄の中を見せろだの、いろいろ聞かれても「はいはいご苦労様です」という感じで素直に応対する。もちろん嫌疑は晴れて無事解放されましたが。

ただ一般的には職務質問は疎ましいものというか、「善良な市民を捕まえて何だ」みたいな話で怒っている人もいるけど、まあ許してやってほしいというか、そりゃあなたは善良な市民だから結果的にその職務質問はハズレだとしても、当然アタリの場合もあって、そういうのが抑止力や犯罪防止に役立っている面もあるわけだから、自分がちょっと嫌な気分になったからと言ってぶーぶー文句を言うのは可哀想だと思う。

僕みたいな普通のサラリーマンからすると、怖いお兄さんとかにも臆せず話しかける警察官とかすごいと思う。消防士はあまり悪く言われないのに警官は結構嫌いな人がいるのはなんでかしらね。なんでも自分がその仕事をやれるのかどうかちゃんと考えてから批評すべきだと思います。警察官って地味な割に体力と勇気が必要で本当に大変な職業だと思うけどなあ。

このブログを読んでいる人で、これから就職活動という人はぜひみんな警察官になってほしい。もっともっと治安がよくなればいいのになあ。


Posted by 堀田 on 5月 19th, 2014 :: Filed under 日常

ガール

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前に書いてから、ちょっと時間なかったり、そんな気にならなかったりで、実はずっと見ていなかったのだけど、先日、久しぶりにかなりひどい風邪にかかってしまい、まあ今も治ってはいないのだけど、とにかくその時は一日中寝込んでいたのもあって、マイ・ガールを見てみた。
寝込んでるんだから、どうでもいい映画見てみるか、みたいな感じで。

これがもう、ボロボロになるくらい泣いた。
映画としては全然たいした代物じゃないんだけど、もうなんだろう、すっげー泣いた。
数日経った今でさえ、胸がしめつけられ、たまらずブログに書いてしまったくらいだ。

まずもって、音楽がいいんだよね。
いい映画の定義ってまあ難しいけれども、こうやってたいした映画じゃないのに何度も見てしまったり、なんとなく惹かれて見てしまう映画ってのは、だいたい音楽がいいのよね。
中学生の頃、友達とスワロウテイル見に行ったけど、あれも音楽に惹かれたからだし、マグノリアとかも高3の時一人で見に行ったけど、あれもCMで音楽聞いて、これは何がなんでも見たいな、とか思ったからだし。
いやー、音楽は超重要ね。
なんなら、本編がくそでもいいんだよね。
音楽が素晴らしかったら。

あとまあ、たいしたことないのに感動する映画は、だいたい人が死ぬよね。
マイガールの死ぬシーンの処理は考えられる中でも最低の部類の処理だったから、思わず吹き出してしまったけど、まあだいたい映画では人が死ぬもんだよ。
そんなわけで、そもそも映画ってのは人がよく死ぬものだけども、シナリオとか教わる時には、だいたい「人を死なさせるな」ってまず教わるんだよね。
あとはまあ、「ナレーションやめろ」とかね。
つまりは、そういった安易な方法に頼るなってことなんだけども、映画ってさっきも書いたけど、そもそも人死にまくるからね。
いかに殺すか、とかって映画の大命題の一つだし。
あと、ナレーションとかだってけっこう入るし、なんなら最初にデカデカと「19××年、〜軍は、〜軍と交戦中であった」とか平気で説明するしね。
マイガールでもナレーション入るけれども、なんかそこで泣いちゃったりするし。
だからほんと、ああいう教育は間違いね。
いまだに人を殺すシーン書く時は、なんとなく罪悪感あるからね。
人を殺すことではなくて、人を殺すという、やってはいけないと教わったシーンを書いているという罪悪感ね。
とにもかくにも、しちゃいけないことをつくることで教えようとするのはよくないと、僕は思うね。

まあ、とはいえ僕も、変な法律つくる芝居は、基本的にくそだと思ってるけどね。
「20××年、人口の増加に伴い、日本国は、恋愛禁止法を制定した」みたいなやつね。
だってそんな法律、リアリティがなさ過ぎるっていうか、もはやSF以上だと思うし、思考として安直過ぎるっていうかね。
ただこれ、本質的にはさっきの、人が死ぬのとは全然違う話ね。
人が死ぬのが別にいいと思うのは、映画ってのは「いかに」死なすかを考えるものだから、死なすことそれ自体は、だめとかそういう次元の話ではないっていうね。
だから、別に上に書いたような「恋愛禁止」とかの状態に最終的になったっていいと思うのよ。
ただ、その「いかに」恋愛禁止になるかって部分が、法律っていう処理なのは、完全に安直ね。
愚策もいいところでしょう。
そういうことやっちゃう人ってのは、「何を」描くかしか頭にないわけね。
「いかに」描くかの方がはるかに重要なのに。
まあ法律も、なんかイキガミみたいな感じでやられたら気にならないのかもしれないけど、基本、あれやっちゃう人とは気が合わないだろうな。
ほんと、学生演劇とかで多いんだよね。

まあ、そんなことはどうでもいいけども、なんかほんと、こういう映画をつくりたいね。
なかなかすぐに撮る感じにはいかないし、撮ったって金にならないだろうし、ヒットとかもしないだろうし、だからこそ世間から見たら社会的地位低いというか、映画やってるぶってる奴くらいにしか見られないだろうし、まあそれでいたく自尊心も傷付くし、そもそも本当に理解してくれる人ってのも非常に少ないから、まあ必然的に寡作にはなるだろうけども、いつか一本でも、たいしたクオリティじゃなくてもいいから、何日も心揺さぶられちゃうような、なんとなく見たら人生変えられちゃったみたいな、そんな作品をつくりたいよね。
まあ当然、そういうんじゃなく、普通に海外の映画祭とかで評価されるのも撮りたいけどもね。
ただ、海外の映画祭とかで賞とっても、全然日本で評価されないんだよね。
まあ映画祭が全てだとは思わないし、映画祭で賞とる映画でくそみたいなものがあることも、大衆的な映画の中にもすぐれた映画があることも、もちろん承知しているというか、実際、かなり大衆的な映画も僕はわりと見るけれども、カンヌとかたいして話題にならないのに、日本アカデミー賞とかめっちゃ話題になる現状ってのは、明らかにおかしい。

ほんとみんなもっと文化に興味持ってもらいたいわ。
女の尻追い掛けたり、kawaii!とか、リケジョとかカーママとかウチとかみたいなこと言ってたり、LINEとかFacebookとか携帯ゲームとかばっかやってないで。
せっかくみんなそれなりに金持ってんだから、エステとかで自分を磨いていないで、内面というかね、文化的な部分を磨くことに使って欲しいわ。
まあ最近はYouTubeとかでタダで色々見られるから、映画なんかに金払う気しないのかもしれないけど、タダとはいえ、一般のよくわからない人が商品紹介してたり、なんか意見述べてたりするの見たり、よくわからない配信してる女の子とかとコミュニケーションとったりするくらいなら、ちょっと金払ってでも、考え抜かれたコンテンツ見た方がよっぽど有益だと僕は思う。
人生は有限なんだから、暇潰しみたいなことばっかして過ごしてたらもったいない。


Posted by 北川 on 5月 12th, 2014 :: Filed under 日常

蘭寿とむ

らんとむが退団してしまった。

今日で僕の敬愛する花組トップスターの蘭寿とむが宝塚を退団してしまった。聞いた速報では、最後しんみりと終わるかと思いきや、幕が半分まで閉じたところでコンガが高鳴り、また幕が全開して大いに盛り上げ、ラストステージを終えたという。やはり最高のスターだ。

かつて僕の人生を救ったモーニング娘。の市井紗耶香もそうだったのだが、本当のエンターティナーは自身のサヨナラ公演でサヨナラ感をメインにするのを好まないというか、とにかく今までどおりで、それでいて今まで以上に最高の盛り上がりを起こそうとするところがあって、これはあくまで自身のこれまでの延長線上で、いかに最高点を叩き出すかを考えているからだと思う。その考えから行くと、本人にとって卒業だの退団だのはメインではなく、最高のステージを作り上げるための推進剤でしかないのだろう。だから泣かないし、泣かせるのが目的じゃないから最後は超明るく終わったりする。ああ、本当に尊敬してやみません。

先の市井紗耶香も、ニコルも、らんとむも、僕が尊敬する女性は全てこの点において共通している。自分にはこういう卒業的なものはないと思うので真似ることはありませんが、それこそ真似ることが目的ではないので、日々最高の成果をあげられるようにするべきですね。

本当にかっこいい人は、去り際が一番かっこいい。最高のパフォーマンスが常にできているから、最後はただ黙って立ち去るだけで、多くの人の心を震わせることができるのでしょう。さらば、らんとむ。繰り返しになりますが、本当に尊敬しています。


Posted by 堀田 on 5月 12th, 2014 :: Filed under 英雄

33

33歳になりました。

忙しくしていたら、33歳になっていました。これくらいにいなると歳を聞かれたとき「あ、意外に歳喰ってるね」と言われる率が高くなりますね。自覚が全くないけど、もう完全におじさんの域に行ってるのよね。若い子から見たら33っておっさんだよなあ。

32歳では家でウィスキーをストレートでぐいっと飲む機会ができたのですが、正直な話こういうのは全く味が分かりませんし、今後もずっと分からないのだと思う。まあ生クリームあんドーナツとかを好んで喰ってるやつには一生分からないジャンルだろう。でも大人になっても分からないものは分からないまま、とか言ってると本当におじさんになってしまうので、新しいものをできるだけ受容していけるような33歳になろうと思います。

まあこんな目標、すぐに忘れますけどね!


Posted by 堀田 on 5月 11th, 2014 :: Filed under 日常

眼科

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一昨日からものもらいになってしまい、近所の眼科は祝日休みと言うことなので、本日やっとこ会社の近くの眼科に行った。これまで眼科に行った記憶はない。つまり、僕には初めての眼科体験なのである。はじめにへんてこな機械をのぞかされ、気球を見ろとか、風邪が吹きまーすとか実験的なことをやられた。次にヘンテコなメガネをかけさせられ、視力検査をやらされた。ものもらいの検査で、果たしてこれは必要なのか。僕は騙されてるのではないか。ここは眼科じゃなくてメガネ屋なのではないか?勝手にレーシックされるのではないか?不安でたまらなかった。先生との話もものもらいではあるのだけど、何だかメガネをやたらと勧められ、メガネの検査日を教えてくれた。そして酒を控えろと。ああ、僕はついに眼鏡っこになってしまうのか。劇団でメガネかけない人いなくなっちゃうんじゃないのか。最後の砦は守るべきなのか。そもそも北川はメガネかけてたっけ?篠崎も堀田も徳尾も最近メガネしてたっけ?じゃあ鈴木くらいか。鈴木と俺かー。やだなー。もう少し粘ってみようか。


Posted by 柴田 on 5月 7th, 2014 :: Filed under 日常

なんでわかったんだろう。

今日、溜まりに溜まっていたゴミを一気に出そうと二袋もまとめて外に出したのですが、どうやら収集の時間を過ぎていたらしく、家に帰ったらそのまま置き去りになっていました。ああ、間に合わなかったかと思ってとりあえず家に帰ったら、ドアに大家さんからのお手紙が。

・・・なんで僕のゴミだって分かるんでしょうか。前にも一度そういうのがあって、家の前にゴミ袋がドンと置いてあったのだけど、中身を見たって僕だなんて特定できないと思うのだけど、確実に当ててくるのがすごい。もちろん回収しましたけれども。

ひとつ心当たりがあるとすれば、とくお組の先行予約特典だった脚本が余っていて、それを今回まあ捨てた訳ですが、それだろうか。でも外から見える部分なんて「とくお組」のロゴくらいなんだけどなあ。大家さんがとくお組で検索したのか、そもそも僕がとくお組であることがバレているとか。

まあそれは多分ないと思うので、監視カメラで出入り口を録画されているとか、そういう類いでしょうね。ブログ書いてたらわかっちゃった!


Posted by 堀田 on 5月 6th, 2014 :: Filed under 日常

かるた

だいたいこれで覚えました。

小さいころ、「犬棒かるた」というカルタが家にあって、姉とよくやっていたので、だいたいのことわざはこれか、五味太郎さんの「ことわざ絵本」で覚えました。「ていしゅのすきなあかえぼし」とか、正直今となっても意味不明のことわざも多いのだけど、この絵だけはよく覚えている。そもそもことわざじゃないのかもしれない。小さいときの脳みその柔らかいときに、こうやって遊びを通じて知識を植えつけるというのは本当にすばらしくて、どんどんやるべきだなとよく思います。

カルタといえば、僕は父方の親戚が多かったこともあり、お年玉を結構もらっていて、おじいちゃんおばあちゃん、おじさんおばさんを含めると8袋くらいお年玉袋があって、姉と合わせると16袋にもなったので、お正月ということもあって、姉とお年玉かるたをよくやっていました。16袋のお年玉袋をたたみの上に広げて、姉が「○○おじさん 1000円お年玉 ・・・・『か』!」と読み上げて、二人でお年玉袋を「バンッ!」と取り合うゲーム。「か」というのは、かなこの「か」、「ひ」はひろしの「ひ」です。

読み上げる姉のほうが完全に有利なのですが、当時の僕はその不正に気づかずにまじめに楽しくやっていたものです。しかし今から思えば、もらったお年玉をバンバン叩いていくというのも失礼な話ですが、別に大声で金額まで読み上げなくてもいいのに、と思います。


Posted by 堀田 on 5月 3rd, 2014 :: Filed under 日常

当たり前

当たり前のことをゴールにする人が嫌い。

近々「ありがとう」がテーマの表彰式みたいなのがあるらしく、本当にそういうのが嫌です。前にも書いたと思うけど、「ありがとう」の気持ちを大切にってことで、ありがとうと言っている写真をつなぎ合わせて、それで「ありがとう」の文字を作ったり、ビデオカメラを持って回っていろんな人の「ありがとう」をつなぎ合わせるビデオを作ったり、本当にそういうのが嫌いです。

ありがとうの気持ちを持って仕事をするのは当たり前であって、その当たり前ができていないのでちゃんとやろうというのは全然いいんだけど、そうではなくてもはや「ありがとう」を言うことが美徳になっていて、本質を見失っているのではないかと思うのです。ありがとうを言うもの大事ですが、ちゃんと仕事する方がもっと大事でしょう。

「もともと全員がオンリーワンだからナンバーワンにならなくてもいい」っていうのも本当に嫌いで、全員がオンリーワンなのは当たり前であって、そこを確認してゴールした感じで落ち着いていては何にもならないというか、だからそれは当たり前じゃん、と思う。それぞれがオンリーワンな上で、ナンバーワンを目指せよと。ナンバーワンを目指さなくてもいいけど、「オンリーワンだからそれでいい」というのは完全に思考停止している。

「ありがとうがテーマ」とか本当に演出が古いというか、寒いというか、そんなのアピールされてもうんざりで、ありがとうバッジつけるとかマジでやだ。と、いう風にピリピリせずに、流して適当に合わせてればいいじゃんね、とも思うのですが、このあたりがまだ子供だなあと自覚しています。


Posted by 堀田 on 4月 29th, 2014 :: Filed under 日常

おもしろトーク

ここ最近は、ほぼ毎日「タコ女」の稽古にいそしんでいます。

とくお組の稽古の時も、スパイスガーデンの稽古の時もそうだったけど、基本的に休憩時間は俳優さんたちの面白トークに耳を傾け、仕切る立場にいる僕も会話に参加してしまってなかなか稽古が始まらない、ということがよくあります。今回の稽古場もひどいです。なにしろおしゃべりのプロ、面白怪獣がそろっているので。普段は聞けない裏話だとか、なんだかんだ笑って聞いてるとだいたい休憩をオーバーしてしまいます。

まあ、自分も「話が途切れてしまったら、稽古を始めますからね」などとよく分からない脅しをしてしまっているのですが。それでも、今回は自分が本を書いているわけではないので、稽古自体はゆとりがあります。

昨日は出演者である小村さんが誕生日だったのですが、稽古の途中でサプライズをやろうということで、僕が他の出演者たちと、喫煙所に出向いて打ち合わせをしていたんです。普段、僕は喫煙所には行かないのだけど。そこで、セリフの途中で音楽が止まってモノローグを言う場面があるので、そこで「小村さんが41歳になりました!」とセリフを変えてはどうか?と提案したところ、ちょうどそのセリフを言ったところで小村さんが喫煙所のドアを開けて入ってきました。完全に聞こえていたと思いますが、小村さんは聞こえなかったふりといいますか、何も気づいていない体でいてくれました。そしてサプライズ本番では、めちゃくちゃ驚いてくれたのでした。さすが役者です。

そのことを抜きにしても、この方は名優だと思います。 是非、絶品の演技を劇場に見に来てください。


Posted by 徳尾 on 4月 29th, 2014 :: Filed under 日常

物悲しい

暖かくなってきました。

昨日今日と会社でひとり仕事をしていて、しかも珍しく誰もフロアに来なかったので、本当に一人でずっとお仕事をしていたのですが、なんていうか、本当にずっと一人だったんで、帰り道になんとなく悲しい気持ちになってしまいました。特に明確な理由はないので、ほんと、物悲しいとはこのことです。

やっぱり春とか秋とかは、寒くも暑くもないので、外を歩いているとなんかそういう余計な感情を抱く隙が生じるといいますか、汗だくとか、コートを羽織って足早に歩いてるときなんかに物悲しくなんかならないものね。なんていうか、広い空間で、静かで、暗めで、暑くも寒くもない条件下では、ふっと周りを見渡して不安になって悲しくなるんでしょうか。

逆に、狭くて、うるさくて、明るくて、めっちゃ暑い/寒いって環境だったら、全く物悲しくなんかならない。物悲しいとは「なんとなく悲しい」という意味のとおり、ほんと、特に理由はなくて、そういった環境に依存するもんなんですかね。こんな隙間の感情にも名前がちゃんとついていることにびっくりした。


Posted by 堀田 on 4月 28th, 2014 :: Filed under 日常

ごはん

ごはんがなぜだかおいしい。

大人になってからごはん(お米)がどんどんおいしくなる。僕は濃い味のものが好きなので、小さいころはあまり味のついていないごはんは食べる気がなく、おかずばかり食べていておかんによく怒られたものですが、最近はごはんをもりもり食べています。ただあまり味がないという点では昔から変わっていなくて、正直さっきもお弁当食べたときにご飯が余ってしまったのだけど、ごはんだけだとやっぱり味気ない。

なので、多分ごはんのおいしさはおかずとの組み合わせで突然倍増するものだと思うのだけど、なんでこんなにおかずもごはんもおいしくさせられるのかが考えれば考えるほどなぞだ。おかずっていうか醤油をちょっと垂らすだけでもすごいおいしいし。パスタも単体では全然おいしくないけど、味がつくとめっちゃうまくなる。パスタなんかは特に、味を味わうための媒体としての役割しかないのではないかと思うが、ごはんもそれに近いかもしれない。おかずを味わえる量を物理的に増やす媒体といいますか。主食なのに謎である。

あと就職活動の面接とかで「自分は食べ物に例えるならごはんです。誰とでもマッチして相手の力を引き出せるから。」とか言っちゃう人がいますが、そんなのありふれていていろんな人と被ってるし、自分単体では何もできないと言っているのと同じなので、これに関してはごはんとかは言わないほうがいいと思います。「僕はチーズインハンバーグです。中身がドロッとしてるんですが、そこが喜ばれます。さあ、みなさんもぜひご賞味あれ!」とか言う人の方が採用されると思う。


Posted by 堀田 on 4月 26th, 2014 :: Filed under 日常