
久々にミスチルを聴きました。
お風呂に入って鼻歌を歌っていたら、ふとミスチルの「LOVE」という曲を思い出してしまい、そのあとYouTubeで聴いてみたら、びっくりするぐらい歌詞を覚えていて、メロディに乗せればほとんどそらで歌えました。やはり青春時代に何度も聴いた曲ってのは脳裏に染み付いているのか、あのときの情景とともにしっかり覚えているものです。
最近の曲を聴いていないのでアレですが、やっぱりミスチルは若い頃には若い頃なりの内容で、つまり普通に恋愛をテーマにして、そこに「普遍性」というか、「あるある」というか、絶妙なラインの歌詞を連ねてくるところがすごい。ろくに恋を経験していない高校生でも「ああ、わかるわ〜」みたいな共感を得られる「日常性」を持っている感じがすごいいい。
ミスチルも「深海」あたりから思想に訴えてくる感じになるけど、ちゃんと恋愛をしっかり歌ってる時期があるから、生意気に見えないというか、「いろんなものが見えてきたんだな」「そうだよな」みたいな、なんか納得性が高い。いきなりここのフェーズに入られるとムカッと来たりしそう。でまたおっさんになってから胸がキュンとなるような恋愛を歌ったりするからもう説得力がすごい。そんなに大した恋愛もしてないし思想も持ち合わせていないのに、なんか無理なく共感できるんだよな。やっぱり歌詞に普遍性が込められているからなんでしょうなあ。
生意気に共感した例で言うと、「終わりなき旅」がミュージックステーションで初めてフルコーラスで披露されたとき、僕はちょうど高校二年生で、しかも修学旅行でクラスのみんなでテレビを付けてみていたのですが、曲が流れた瞬間に全員が静まり返り、最後の最後まで誰一人しゃべらず、食い入るようにテレビを見ていました。当時17歳で、今から考えたら大したことじゃないことでも悩んでたものだし、そんな時にあんな曲歌われたら脳裏に焼き付くに決まっている。結局今聴いても勇気づけられるもの。
小沢健二もマジで天才だった。ああ、これからも彼らみたいな曲を輩出する人がたくさん出てくればいいのに。
Posted by 堀田 on 8月 12th, 2014 :: Filed under
考察
ネットで適当に拾ってきた画像だけども、いやー、しかしよく似てるわ。
生き写しレベルだな。
前にも書いたことなのだけども、ほんと最近の女の子はみんな、自分のことを「うち」って言うよね。
最近、若い人に会う機会がけっこうあるけど、十中八九言ってるよ。
あれほんと、どうにかならないのか。
方言じゃなくて、関東の人が言う「うち」ね。
あれほんとムカつくわ。
無自覚に使ってる感じがムカつくわ。
無自覚に自意識をこじらせてるところが、すげえたち悪いっていうか。
ほんと、自分のことくらい、普通に呼べよな。
いちいちそんなどうでもいいところで浅はかな個性表現してくんなよ、めんどくせえ。
僕なんか、小学校の時、周りの友達が自分のことを「オレ(↑↓)」って言ってても絶対言わなかったもんな。
「なんでひい君(当時、そう呼ばれていました)はオレ(↑↓)って言わないの?」とか聞かれたことあったけど、「イチゴオレみたいでバカみたいだから俺は絶対言わないんだ」って答えたし。
まあ、あんだけみんな平気で使ってるんだったら、つまりは僕が異常者なんだろうけどね。
男子校出身で、頭イカれてて、チビで、デブで、ハゲで、卑屈なくそ野郎だから、こんなこと思うのかもしれないけどね。
しかし、あれだけはほんと許しがたいのよ。
それでいうと、自分を「うち」とか呼んじゃう自意識をさらにこじらせちゃって、女の子なのに自分を「ボク」とか言い出す人もまじでめんどくさいけどね。
男でも自分のことを「小生」とか「拙者」とか言い出す変な輩もいたりするけど、女の子で自分のことを「うち」とか「ボク」とか言う人って、自分のことを普通に呼んでる人からして見たら、ほんとあの変な輩と何一つ変わらないからさ。
かわいいと思ってやってるんだったら、ほんとやめた方がいいよ。
かわいいなんて全く思わないし、すごくぶっちゃけると、僕なんかはむしろ「こいつただのバカだ」とか、「うわ、こいつすっげえめんどくせえわ」って思って聞いているから。
全ての男がそうとは言わないけど、何人かの僕みたいなクズ野郎たちは、本音ではきっとそう思ってるよ。
だって、端的に、気持ち悪いよ、あれは。
女の子だってさ、自分のことを「小生」とか「拙者」とか言い出す男、気持ち悪いと思うでしょう。
「拙者ってwお前、侍かよwww」みたいに陰で女の子が笑ってるの、時々見かけるもんな。
それと同じで、僕からしたらほんと、「うちってwお前、人間じゃなくて家かよwww」みたいな感じなのよ。
あと、ついでだから言うけど、僕は男のことを「キミ」って呼んでくる女の人にもムカついてしまうよね。
「キミ」ってさ、ほんと上司じゃあるまいしさ、なめてんのかって感じだよね。
あとね、はっきり言って、「キミ」とか言ってる時って、酔ってるでしょう、自分に。
それがバンッバンに透けて見えるから腹たつのよ。
ほんとあれさ、花とアリスとか、ハチミツとクローバーとか見過ぎなんだよ。
なにちょっといい女気取ってんだよ。
ああいうのはフィクションなんだからさ、現実にそういうのを持ち込まないで欲しいんだよ。
「よーい、スタート!」とかどっかで言われてるわけでもないし、カメラまわってるわけでもないし、みんなうんこして、現実的に生きてるんだからさ。
そこは、嘘つかないで、ほんと普通に生きてもらいたいんだよね。
無理して「キミ」とか呼んでキャラつくられても薄気味悪いってのがあるし、あとそもそもほんと、「キミ」とか言われたら、俺、普通にキレちゃうよ。
まあ、僕みたいな気持ちの悪い人間に言われたくないだろうけどね。
画像の奴みたいな顔してるしさ。
まあでも、こっちも顔見られただけで「キモい」だの「生理的に無理」だの「吐き気がする」だのと色んな女の人に平気で言われてきたわけだからね、これぐらいは言わせてちょうだいよ。
僕は今も毎日、女性からゴミを見るような目で見られて生きているけどさ、ゴミにもこれくらいの権利、あったっていいでしょう。
あーでもほんと、向井理みたいな顔に生まれたかったわ。
全然好きじゃないし、かっこいいとも全く思わないし、むしろけっこう嫌いな気すらするけど、あんな見た目で生まれてれば、「うち?かわいい言葉遣いだね」とか言えたんだろうなあ。
「肌男です」
なんだよ、ありゃあ。
俺がやらされたらあの場でビックンビックン、顔が痙攣し続けるだろうな。
Posted by 北川 on 8月 7th, 2014 :: Filed under
日常

ありがとうございます。
夏になると女性の露出が多くなってきて男の子である僕も例に漏れずうれしい季節なのですが、ホットパンツで脚が丸見えってのもいいんですが、もうひとつパンチが効いているのが、胸元にサングラスを引っ掛けて格納するスタイル。これはいかん。
こんなの胸元に指を引っかけてズッと下に降ろしているようなもんで、サングラスが軽いからいいものの、急に重力場がおかしくなってサングラスが重くなったら・・・なんてことを誰しもが考えるだろう。この指をひっかけて「どれどれ」と覗き込む感覚を連想させるこのスタイルは、単純に胸元を覗き込むのに比べて非常にエロさが増してしまっている。いやらしい感じがする。
あとこれは胸の大きさというよりは、Tシャツ側の伸縮性の高さが重要で、多少柔らかい素材で「引っ張られている感」を出せることが重要です。サングラスにどんどん分銅を乗せていくゲームとかやったらいいんじゃないかと思います。ちゃんとお店で。
Posted by 堀田 on 8月 5th, 2014 :: Filed under
考察

ウルフェスに行ってきました。
実は毎年ウルフェスに行っています。池袋でやる子供向けのウルトラマンに関するフェスなんですが、親子の楽しい思い出作りにもなる大変よいイベントと思います。毎年ウルトラマンと写真を一緒に撮れるコーナーがあって、どのウルトラマンが来るかは運なのですが、今年は大好きな「帰ってきたウルトラマン」と写真を撮れたので満足です。
さらに毎年ライブステージがあって要はヒーローショーを見ます。ライブステージではお姉さんのかけ声と共に子供たちが一生懸命「がんばれーーー!!!!」と叫んで応援するのだけど、もうこれが可愛くて可愛くて、なんて子供は純粋なのだろうといつも心を打たれます。またふれあいコーナーではウルトラマンタロウによる子供との相撲教室が開かれていて、子供たちに力を合わせることや諦めないことの大事さを教えていました。
写真を一緒に撮るときも思うのだけど、目の前にウルトラマンがいると大人の僕でも感動するというか、やっぱりちょっとガッチリしていて、強くて大きい何か、畏怖の念を抱くもので、そんな「大いなる存在」が力強く、優しい目で子供たちに「正義」という概念を教えてくれる。しかも何世代にも渡って。ウルトラマンとは、なんて素晴らしいコンテンツなのだろうと毎年来るたびに思います。この子たちが将来、悪い大人になることはまずないだろう。
仮面ライダーとか戦隊ものと比べて、僕がウルトラマンでいいなと思うのは、やはり巨大であることと、他の星の宇宙人なのに地球のために命をかけて戦うことで、「守るために戦う」ということを教えてくれるところです。男の子はそうでなくちゃなと。最後に、ウルトラマンAが最終回に子供たちに託した言葉をここに記したいと思います。
「優しさを失わないでくれ。弱い者をいたわり、互いに助け合い、どこの国の人達とも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。例えその気持ちが何百回裏切られようと。」
Posted by 堀田 on 8月 3rd, 2014 :: Filed under
英雄

気持ち悪い男。
今朝、出社前にニュースバードを見ていたら、アートアクアリウムなるものの紹介をしていた。観賞魚を水槽に入れて光を当てて幻想的な空間を演出するというもので大々的に取り上げられているものの、正直全くいいと思わなかった。超くだらない。
写真を見ていただくと分かるかもしれないけど、魚+水槽+光で、ただの足し算でしかない。かけ算になって「おお」と思わせる仕掛けとかがない。予想を超えて来ないというか、何がすごいのかよくわからない。「で、何?」感が半端ない。
実際、インタビューに答えていた作者がまた気持ち悪い感じの人で、格好付けてるけどモテたい欲満々で、しかもモテてると勘違いしている感じ。すごい自信満々だけど顔はミニラみたいで気持ち悪いし、さらに「観賞魚は人間に見られるために生まれているのだから、個人で見るだけでなくてもっとたくさんの人に見てほしいと思っているはず」みたいなこと言ってるけど、そんなことあるかと。人間に見られるために生産されているかもしれないけど、だからといって観賞魚たちがたくさんの人間に見られたいとか思う訳がない。なんだその人間目線の決めつけは。本当に頭が悪い。
先日、お姉様方とお話をする機会があったのですが、女性は男性を初対面のときに「SEXはありか、なしか」の基準で一瞬で判断しているとのこと。なしという人を「全く男として意識しない」だとか、ひどい方になると「生理的に受け付けない」とかになるらしい。これは顔とか見た目だけではなくて、完全にDNAレベルの直感で決まるらしい(フェロモンなのか)のだけど、僕が女性だったらこの作者については完全に「生理的に受け付けない」に分類されていると思う。マッジ気持ち悪い、みたいな。
ただテレ朝の協賛かなんからしくニュースバード出演者が全員で褒めちぎっていて「おいおいホントかよ」と思っていましたが、コーナーの最後の締めで羽鳥さんが「まあ鑑賞魚にしてみたらストレスかもしれませんけれども」と付け足してくれて、本当に羽鳥さんは素敵だなと思いました。
Posted by 堀田 on 8月 2nd, 2014 :: Filed under
日常
画像はネットで適当に引っ張ってきたものだ。
人からもよく言われることだが、驚くほど僕に似ている。
作者と面識は一切ないが、僕をモデルに描いた可能性も否定できない。
ちょっと言い過ぎたが、まあ、かなり似ている。
しかし、自分というものは一体なんなのだろう。
本当に正体不明だ。
自分らしい作品を、とか考えていくと、わけがわからなくなって発狂しそうになる。
だって、肉体的な部分ではなく精神的な部分においては、その気になれば自分なんていくらでも曲げられるわけだから、自分らしいものとか考え出すとほんと意味がわからなくなってくる。
とりあえず、何やったってだいたい最後はその人らしいものになっちゃうもんなんじゃないのか。
だったら、自分らしいものなんて、わざわざ狙うもんじゃないだろう。
どうせ勝手にそうなると、そういうことだな。
そう考えると、よく女性誌にある「ワタシらしくあるために」とか「本当のジブン」とかそういう文言、ちょっと本当に意味がわからない。
まあ読んだことないんだけど、自分らしく生きる方法とかメイク法が載ってるんでしょう、あれ。
だとしたら、自分らしく、とかいっておきながら、思いっきり女性誌の助言に乗っかって行動することになるわけで、そんなの自分らしくもなんともないでしょう。
自分らしく、じゃなくて、女性誌らしく、でしょう。
なんてまわりくどいことを書いたのだけど、まあすっげえぶっちゃけると、あの手の特集、ものすげームカついてしまうんだよね。
僕は男子校出身だから、とりわけそういう感性を受け入れづらいというか、つまりは狂ってるだけだから、気にしないでもらいたいというか、僕が頭おかしいだけなんだけど、まあとにかくあれ、すごく嫌なのよ。
だって、世の中の人はみんな、自分というものを押さえ込んで、仕事して、生きていっているわけよ。
それを、「ワタシらしく」とか、ほんとナマ言ってんじゃねえよっていうか、わがまま言ってんじゃねえよって感じなんだよね。
どこの誰だか知らない人のジブンとか見せられても、ほんと承認欲求強すぎて目まいがするっていうか、そんなの知らねえよって感じだし、最近、でけートートバッグ肩に提げて携帯いじりながら道の真ん中歩いて、バッグ思いっきり人にぶつけといて、「何よ、あたしがこんなに忙しく頑張ってるのに、少しは気遣って道あけなさいよ」みたいに睨みつけてくるOL多すぎでしょう。
あれが「ワタシらしい」態度なのだとしたら、その人間性まじで終わってるからワタシらしくなんかしない方がいいし、だいたいこっちはお前の事情とかそんなもん知ったこっちゃねえんだよって感じなんだよね。
僕がこの世から消えたって何の滞りもなく社会は動くだろうけれども、それと同様に、そのOLが消えたって、ちょっと週末のFacebookのバーベキュー写真や夕飯の写真撮ったひねりのない投稿の数が減るだけで、そんなに影響なく社会はまわるはずなわけで、ほんとそんな大々的に推すほどのジブンじゃねえだろって感じなんだよね。
僕も大概だけども、ほんと自意識過剰っていうか、最近はFacebookだTwitterだと、自分を表現する場が増えすぎちゃって、多くの人の自己が増長しすぎね。
で、またそれを女性誌とかが「ワタシらしく」とかいって煽っちゃうからタチ悪いわ。
よく書くけど、自分のことなんて、細胞レベルでいったって、内臓とか、つまりは身体の90%以上のこと、みんな見たことないっていうか、よく知らないわけでしょう。
だったら、自分のことなんてよくわからないんだよ、どうせ。
ということはつまりは、自分らしくなんてなくていいわけ。
それならちょっと、他人のことでも考えた方がいいわ。
バッグ当たって痛かったかな、とか考えて欲しいわ。
で、「あ、すいません。痛かったですよね?」とか言ってくれたら、僕も「いやいや、大丈夫です。むしろ、お忙しそうだったのに、気を遣えずすいません」なんて返して、恋の始まる音が聞こえたりしたかもしれない。
色々書きましたが、僕が卑屈でひねくれてて、頭がおかしいだけなんで気にしないでください。
Posted by 北川 on 7月 30th, 2014 :: Filed under
日常

空港に行ったら池田さんがいた。
今朝モノレールに乗って空港に行くと、駅のホームで知ってる人がいる気配がして、キョロキョロしてみたら池田嘩百哩さんだった。たぶん視界の隅に入ってきて、誰か知ってる人とすれ違ったような感覚に陥ったのだろうけど看板でした。
ただこの感覚は僕としてはとても新鮮で、今までこんなデカい看板に知ってる人が載っているのいうのはなかったので、芸能人を見るというより知り合いを見ている不思議な感じ。確かに、失礼な言い方になるかもしれませんが、池田さんをテレビなどの媒体で見るより前にお知り合いになっているので、究極的な話、ゼミの友達や会社の同僚がJALの看板に載っているような違和感。まあこんな奇麗な方、会社にいませんけれども。
さらにこれをFacebookにアップしようとしたら「イケダカオリさんと一緒です」と、しっかり顔認定されてて、なんとういうか「街の看板を写真に撮ったらお友達リストにヒットする」というのはなかなか経験できないことで、えなりかずきの写真で僕がヒットしたり、フルーツポンチ村上の写真で本折がヒットするのとは訳が違うなと思いました。
まあいろいろと書きましたけれども、こんな閉鎖された空間でしか言えませんが、つまるところ池田さんが好きだということです。
Posted by 堀田 on 7月 29th, 2014 :: Filed under
日常

昔から二番手志向です。
組織におけるポジションを考えるとき、昔からトップや真ん中ではなく、二番手で真ん中の隣ぐらいにいるのが好きです。男の子は小さい頃に、よく戦隊ものごっこをして遊んでいたと思うけど、やっぱりだいたい二番手の役を好き好んでやっていました。実家に、上の写真の黒い奴のヘルメットを被って、同じポーズしている写真があります。
当たり前の話だけど、当然その写真には赤い奴の役をやっている友達もいて、彼は多分、真ん中とかリーダーとかが好きなんだと思う。僕からしたら彼の感覚が全然分からなくて、なんで真ん中行っちゃうのかしら、逆にかっこ悪いし、ど真ん中で赤とか恥ずかしいじゃん、みたいな感じなんだけど、こういうのは完全に個性なんだなと思います。
思えば小学校の頃とかも副班長みたいなのを歴任していた気がするし、大学のゼミでも副代表をやっていました。この二番手というのはカリスマ性はないけどちゃんとできる、みたいな美学があって、そういうのが好きというか、要は自身の地味さを早くから自覚しているのです。何をやっても目立つ人っていうのはやっぱりいるものね。
そういう意味では小学校5年生くらいのとき、一度だけ学級委員長に任命されたことがあって、これは完全に他薦で「何となく堀田にしておけばこの場は収まるだろう」的な流れで票が入った結果なんだけど、実際ちゃんと仕事をしたのに、あとで同じクラスの誰に聞いても「え、お前そんなのやってたっけ?」と言われ、本当に自分が間違っているのではないかと疑うくらい誰も覚えていないという悲しい状態になっていて(今も)、そういうのもあってやっぱり二番手がいいなと思って生きています。
Posted by 堀田 on 7月 24th, 2014 :: Filed under
考察
ここのところ、お盆でわりと忙しかったですが、ちょっとは落ち着きました。
まあ、ちょっとやらないといけないことあるので、またすぐにたてこみますが。
全然関係ないが、LINEでのトラブルがいじめに発展し自殺か、みたいな記事を読んだ。
前から書いてるけども、本当にLINEって、つぶれてしまえばいいと思っている。
メールとか電話で十分というか、メールや電話ですら面倒くさいのに、LINEとかFacebookとか年がら年中やってる人の気がしれない。
LINEとか、スタンプで簡単にコミュニケーションがとれるからいい、とか言われてるけども、なんでいちいちスタンプみたいなわけのわからないもの使ってまで人とコミュニケーションとらないといけないんだよ。
そんなこと一日中やっていて、いったい何になるのよ。
ほんとただのコミュニケーションの入れ物しかないっていうか、まじで意味ないと思う。
まあ、ビジネス上とかの連絡とか議論用に使うんならまだいいけどね。
高校生とかには必要ねえよ、あんなもん。
ガキが大人ぶっていきがってんじゃないよ、まったく。
やらないとハブられたりするのが恐いんだったら、高校生とかは全員使えないようにすりゃいいんだよ、別に困らねえよ、あんなもんなくても。
それに、あんなものやってる暇あったら、本の一冊か、映画の一本でも見ておいた方がいいよ。
「夏目漱石?誰それ?知らねえ、ウケる!まじで!?」とか言ってる人の言葉なんかをLINEで見聞きしてるより、偉人の言葉見聞きする方がよっぽどためになるし、おもしろいだろう。
中高生なんてのは、そりゃあ一部、すごい奴もいるだろうけども、ほとんどが毒にも薬にもならない、ほんとしょうもない生き物だよ。
僕もそうだったからわかるし、電車とかで盗み聞いてると、中高生の話って、あまりにつまらなくて時々引くよ。
クラスで一番おもしろい奴とか、どうせだいたいがただの太った人か、今だとどぶろっくの歌歌ってる人とかだろう。
意味ねえよ、あんな人たちと一日中コミュニケーションとったって。
というか勉強してろよ、高校生や大学生はさ。
勉強が全てじゃないとかいう人いるけども、何事も勉強が全てだよ。
そんなの当たり前だよ。
勉強しない奴なんて、だいたいがロクなことにならないんだよ。
よっぽど運が悪い人はまあしょうがないけども、結果出ない人ってのは、だいたいがサボって勉強してないんだよ。
そんなことは、もう歴史的にみたってなんだって、めちゃくちゃ当然のことなんだよ。
別に勉強ってのは、学問上のことだけ言ってんじゃないのよ。
野球の勉強というか、まあ訓練だって、もうなんだっていいよ。
とにかく、興味持ったものとか、自分のためになることとかのことを、しっかりと学ぶべきだろう。
スタンプでコミュニケーションばっかとってんじゃないよ。
お前、スタンプでコミュニケーションとるプロでも目指してるのかって感じだろう。
もうほんと、僕みたいになりたくなかったら、LINEなんかやってないで、ちゃんと勉強した方がいいんだよ。
僕の頃はLINEなんてなかったけれども、高校の頃とか勉強まったくしないで、もうほんと一日中エロいことばっか考えて過ごしてたもんな。
ひどい時は偏差値35くらいになってたし。
まあ浪人中はけっこう勉強したけども、これに関しては、なんだかもう、悔やんでも悔やみきれないところがあるよな。
東大とか東京芸大とかいう名称を聞くと、いまだに体の奥底が震え上がるほどのコンプレックスが湧き上がってくるからね。
激しい後悔の念から、発狂しそうになることもあるよ。
もうほんと、若いうちはとにかく勉強よ。
頑張ればだいたいのものにはなれるんだからさ。
まあなれない時もあるだろうけど、勉強しないよりはした方がいいだろ。
それに、勉強してない人は、はっきり言ってバレるよ。
Twitterとかで、色んな意見とか見かけるけども、勉強してない人はもう一瞬で薄っぺらさがバレるよ。
一文ですらバレるよ。
ただこれ、上にも書いたけど、学問的な意味での勉強だけを言ってるわけじゃないからね。
スポーツ選手だってなんだって、やはりその道のスペシャリストは素晴らしい言葉をだいたいみんな残すもんだよ。
だからもう、ほんと勉強というか、まあ努力よ。
頑張ってくれよ、ほんと。
LINEなんかやってんなよ。
Posted by 北川 on 7月 24th, 2014 :: Filed under
日常

ありがとうございます。
おかげさまで小さいですが新規案件が無事受注できまして、それが和歌山の件だったので関西支社と契約書類のやり取りをしています。そしたらば関西支社のアシスタントのお姉さんが、お客さんからの契約書類一式をこんな素敵なクリアファイルに入れて送ってくださいました。ちなみに、こういう人は間違いなくモテるし、実際この方もかわいらしい方です。
ご本人としては大した話でもなく、なんとなくのノリでやっているのだと思うのですが、男というのは本当にこういうのに弱い。まずこういうのって捨てられないし、せっかくデコっているのをビリビリ剥がすのも悪いし、かといって後生大事に持っているのもおかしいし。で、結局どうしようもなくなってちょっと保管しておくだけのつもりが後生大事に持ってしまっていたりするのです。
高校時代に、好きな女の子でこういう小さい手紙みたいなのをノリでどんどんくれる子がいまして、もう本人としては何の意味もなく、軽い気持ちでどんどんくれるものだから、もうどんどん好きになってしまって大変でしたね。あの手紙たちはいったいどこに行ったのかしら。でも多分捨ててはいないのでどっかで発掘されるはず。
あとこういう人は本当に簡単にハートマーク使うから注意しなくてはなりません。などなど、僕も大人になりましたので、もう大丈夫です。
Posted by 堀田 on 7月 20th, 2014 :: Filed under
仕事

気になっている武器シリーズ。
以前、気になっている武器として「釘バット」の話をしたけど、もうひとつ気になっているのがこのブーメランです。投げると弧を描いて戻ってくるのが特徴らしいけど、何とも扱いにくそうな上にキャッチミスすると大怪我するし、実際これで本当に狩りをするのだろうかと不思議に思っています。当たったとしても、頭に当てない限りダメージも地味そうだ。
そもそも、よく漫画とかで見るのは獲物やら敵やらに命中した後、自分に返ってくるイメージがあるけど、実際は当たったら拾いにいかなきゃならないだろう。ということは戻ってくる機構になっているのは、ある程度外すことを想定しているということだろうか。一回外したら、もう相手に気づかれてなかなか相手に当たらないと思うのだけど。
と思って調べていると、やはり当たったら戻って来ないのだそうで、戻ってくるタイプは比較的軽くて殺傷能力が低く、狩猟用のタイプは重くてカンガルーが気絶するほどなので、戻ってくると逆に危ないのでやはり投げっぱが基本らしい。なるほど確かにボクシングが得意なカンガルーを仕留めるには死角からバコーン!と当てるブーメランがちょうどいいのかしらね。と、思いました。
次に気になっている武器は「トンファー」です。
Posted by 堀田 on 7月 15th, 2014 :: Filed under
考察

ラーメン二郎に抵抗があります。
こってり系のラーメンは昔から大好きなので、ラーメン二郎も別に嫌いではないのが正直なところなのですが、いろいろあってこれが好きになれません。というのも、学生時代に三田に本店(?)があったこともあり、まわりの友人とかが連日食べに行っては、「俺は鍋で食った」だの「三日連続で食った」だの自慢しあっているのを聞かされて、「それがどないやねん」とずっと思っていたので。
ラーメン二郎をこよなく愛する人のことを「ジロリアン」というらしいのだけど、なんというか、そのジロリアン自慢が、なんか偉そうというか、「俺は慶応だ」的な色を勝手に感じてしまうのと、実際「こってりラーメンを大量に食うこと」の何がそんなに威張れるのかとか、なぜそんなに冷めた目で見ていたのか分かりませんが、とにかく当時は一切言えなかったけど、どうにもそのあたりがダメでした。
別にいいじゃんね、とも思うのですが、何か好きになれなかったんだよなあ。何というか、特に面白い話でもなかったので、ほんと「だから何?」とずっと思っていたので。なんでラーメン二郎についてだけ、そんなに尖っていたのか、今でもよく分かりません。
Posted by 堀田 on 7月 13th, 2014 :: Filed under
考察

GoogleMAPが好きです。
方向音痴のくせに、出不精のくせに、地図を眺めるのは結構好きなほうです。特に紙の地図や地球儀ではなくて、GoogleMAPが好きです。なんというか色合いと、検索したときの「グウン!」と動く動作とか、ピンが刺さる動作とかがなんとなくいい。
僕は仕事で地方をあちこち回ることも多く、仕事でなければ絶対に行かなかっただろうし存在すら知らなかったところに行くことがあって、そこでありがたいことにお客さんになっていただいたところとかは、マイマップ機能を使って密かにピンを刺したりしている。新規案件が獲れたらピンを刺すのだ。超楽しいが暗い。
塗り絵とかジグソーパズルとか、こういう「面を埋めていく」楽しみって結構あると思うのですが、他の人はどうなのでしょうか。売上だとかノルマだとか言わずに、部のみんなでこの地図を埋めていく、みたいな夢のある楽しい仕事場になればいいのに。
Posted by 堀田 on 7月 12th, 2014 :: Filed under
日常

ローファーに憧れています。
高校時代、ローファーというものを知ってからずっと気になっているのですが、未だにあれが何なのかよくわかっていません。僕の高校は学ランだったのですが、ローファーはブレザーの高校生が履いているイメージだったこともあり、特に履く機会は無かったのと、何よりもハイセンスすぎて僕には手が出せませんでした。
結局、ただの革靴と何が違うのかよくわかっていませんが、僕の中では「スーツを着ていないときに履く革靴」みたいな定義です。スーツでないのだから革靴を履く必要がないのに敢えて履く、みたいな感じがとてもハイセンスで、大人になってもまだ手が出せません。基本的に革靴は好きな方なのですが。
たぶん、本当は靴の「ファー」という部分が「ロー(浅い)」のではないかと思っていますが、ファー(毛皮)なんかついてないしね。その他、カットソーとかブルゾンとか、レギンスとかアイテムとか、そのあたりの定義を全然覚えないまま大人になってしまった。私服で働く職場とかだったら、途中でパニックになって裸で出社すると思う。
Posted by 堀田 on 7月 11th, 2014 :: Filed under
日常

銀河ホテル、終了しました。
今回もたくさんの方に観に来ていただきまして、本当にありがとうございます。また客演の皆様、スタッフの皆様にも大変支えられました。この場をお借りして御礼申し上げます。千秋楽が終わったらすぐに和歌山に出張し、一泊してプレゼンをして帰ってきまして、やっと落ち着いたところです。
今回の出張はパソコンやらプロジェクターやら重い荷物が多くて、さらに雨も降らないのにずっと傘を持っていたし、さらにプレゼンだから上着もあるわで、本当に荷物が多くてキーーー!っとなりそうだったけど、そこはいつもの「アフリカの子供よりマシ」という思考で平常心を保つことが出来ました。こんなことで愚痴を言っていては彼らに申し訳が立たない。そもそも雨だったり強風だったりするのに比べたら、傘を差さずに持ち歩く方がずっとマシ。アフリカの内戦とかに比べたらすごいマシ。
とくお組はよく「仲がいい」と言われるのですが、理由の一つとしてみんな愚痴を滅多に言わないというのがあると思う。何かあるとしても非常に建設的な意見しか出ないし、さっぱりしていて楽しいです。愚痴ばっかりの人とお話ししてても面白くないしね。よく考えたら愚痴という字も愚かなアホみたいな感じだし。本当にみんな愚痴るのやめたら世界はもっと素敵になるのに、とか思っています。
まあでもたまには愚痴ったっていいじゃんね。とも思います。
Posted by 堀田 on 7月 8th, 2014 :: Filed under
考察
若干酔っている。
昨日までは仏教の学会での発表があって、かなり忙しかったのだが、なんとか無事乗り切ったもので、それなりに気分がよく、いつもならためらわれることなのだが、今日は書いてしまう。
ネタバレ等はあまりないとは思いますが、僕はあらすじ等を言われても全く気にならないタイプの人間で、つまりはその辺の感覚壊れてしまっているもので、気になる方は読まないでください。
今日は、銀河ホテルを見た。
おもしろかった。
最初の五分間程度で、誰が見てもわかることではあるため、酔っていないといえないが、観客は物語から解放される。
どこを見ても、どこも聞いてもいい芝居ですよ、物語は追わなくていい芝居ですよ、こう宣言される。
そうなると必然的に観客は、前のめりに自身で情報を取捨選択することとなるし、芝居は個別のシーンのおもしろさ、すなわち、演出と俳優の演技に委ねられることとなるし、まあそれは、なんなら観客が何回もその芝居を見に来ることの契機となるしで、いいことであるはずだ。
しかし、これは何回も繰り返す類のものでは決してなくて、つまりは方法論としては実験的で本質とは離れた位置にあるものなわけで、そういった意味では、あらゆる会話が同時多発的に起こるリアルな演劇というものは僕の中では、基本、形骸化した、終わっているものではあるのだけれども、今回のような形式の下で行われるもの、すなわち、全体の形式ではなく細部への意識の下で行われる同時多発的な会話は、強い覚悟をもって行われるチャレンジであるし、それを賞賛しないことはあり得ない。
ちょっと違うし、伝わらないかもしれないが、僕の中ではカサヴェテスのイメージね。
大学の頃、美学科の授業で、学校を使ったイベントを何かたてろ、というレポートがあったが、僕は、学校全てを貸し切り、100人くらいの俳優が出演して、あらゆる場所で演技をして、観客が自由に動いてどこを見てもいい、つまりは全ての場所で、学校という一連の芝居が繰り広げられている、という企画を書いた。
これは、機会があったら今でもやりたいと思っているが、時間という制約のある、映画や演劇という芸術の中において、どの瞬間を、どの部分を、観客が自由に自身の意志で切り取って見てもおもしろい、というのは、一つの夢であり、理想である。
しかし、生意気な意見かもしれないが、僕の中で惜しむらくは、その点、すなわち、細部における最後の一手であった。
ラスト、僕は、多くの役者は、雨に濡れているべきだったと感じたのだ。
先日、テレビでやっていた思ひ出ぽろぽろを一瞬見たが(僕は実は思ひ出ぽろぽろの全編は、人生でいまだ見てはいない)、雨は、二人を車の中に閉じ込めるために降っていた。
今回の芝居において、雨は、物語のために降るのではなく、ラスト、濡れた髪の毛としたたる水の中、光を受けつつも、あるものを見るために、降るべきであったと、僕は思った。
濡れていない人間との対比も含め、これは、全てを包み込む強烈な細部となることは間違いないし、どこを見てもいい芝居であるからこそ、ここは欠かすことのできない一手となったのではないかと、僕は思った。
リアリティの問題としてではなくて、端的にラストの細部の美しさとして、これはこちらだったのではないかと、僕は感じた。
色々な理由もあるかもしれないので、誠に勝手な意見ではあるのだけれど。
しかし、そんな意見を言いたくなるくらい、様々な箇所を見、聞きし、豊かに楽しめる、お芝居であったと感じました。
時間ある方はぜひどうぞ。
酔った人間のしょうもないブログを最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました。
では。
Posted by 北川 on 7月 4th, 2014 :: Filed under
日常

風邪はだいぶよくなりました。
昔からどちらかというと病弱な方で、おかげさまで大病こそ無いものの、インフルレベルまでなら結構あります。今でこそ病気になったらひたすら薬を飲んで無理やり治すというあまり良くない方法を採りますが、小さい頃は本当に薬を飲むのが苦手でした。錠剤が飲めませんでした。
なぜ錠剤が飲めなかったのかというと、うちの母に薬の飲み方を教えてもらうときに、「まず水を口に入れてから、薬を入れて、一旦浮かべて、一気に飲む」というかなり高度な方法を教えられたのだけど、これが小さい僕にとっては相当難しく、何度やっても口の中に薬が残ってしまう。いったん水に触れると、せっかくの錠剤が溶けてしまい、薬のまずさが出てくるわ、何度やっても飲めなくてイライラするわで、それはもう大変でした。
母も一生懸命飲ませようと思って、カナヅチでわざわざ砕いたり、アイスクリームに忍ばせたり(ガリってなる)と、かなり努力をしてくれていたのだが、姉も含めて誰一人「薬を先に口に入れて、水で流し込む」という最もシンプルな方法に気がつかなかった。それこそ10年くらい。
ある日、何かの拍子でその方法を思いついて、やってみたら今までの苦労がなんだったのかと思うほど簡単に飲めてしまい、母に対して「なんでこんな変な飲み方してるんだ!」とかなり噛み付いた記憶がある。そのときの母の申し訳なさそうな顔ったらなかったですね。本当に悪いことをしました。
ちなみに、様式トイレで用を足して水を流すときに、上から流し込むのではなく、どちらかというと下から吸引するタイプの場合、この話を思い出します。たまに飲めて(流せて)なかったりすると、ほらやっぱりやり方がおかしいよ、と思うのです。
Posted by 堀田 on 6月 24th, 2014 :: Filed under
日常

やってしまいました。
今日は夜遅くまで仕事をしていたら、いつのまにかフロアの最後の一人になってしまいました。最後の人はカードキーでロックをして地下の警備員室に返すというルールなのですが、気がつけば家に持って帰ってきてしまっていた。
残念なことに土日なので、もう正直、このまま月曜日まで気づかなかったということでいいのではないかと思っている。だって絶対予備のカードがあるだろうから、きっと実際にはそんな問題ではないと思うんだよな。月曜日に完璧に演じてみせよう。
あと関係ないけど、この施錠をするときって、夜だし一人だから、ぶっちゃけちょっと怖いんだよな。何が怖いって施錠すると「ドン!」って何かが落ちる音がしてフロア内の電気が消えて、おばさまの声で「ここは、機械警備をしています」「ここは、機械警備をしています」って絶妙な間でアナウンスが流れるんだけど、なんかトーンが低くて怖い。こういのはかわいい女の子の声にしてくれりゃいいのに。それか超マッチョな男の声とか。
一度それでビビりながらエレベーターホールで待っていたら、突然フロアの中からドアを「ドンドンドンドン!!!」って叩かれて「ぎゃー!」って飛び上がりそうになったことがある。どうやらまだ残ってるのに施錠してしまったらしく「開けてくださーい!」って叫ばれてマジでそのまま逃げようかと思った。閉じ込められた人も相当怖かったと思うけど。
Posted by 堀田 on 6月 21st, 2014 :: Filed under
仕事

ご無沙汰しておりました。
数日前から風邪を引いてしまい、ノビております。僕は風邪は悪寒から入るタイプが多いのですが、先日も夜中に歯がガタガタ言うほどの強い悪寒に襲われ、薬を飲んでとにかく休もうと思ったのも束の間、翌日は出張でまさかの5時起き。そのまま新幹線やら飛行機やらで日帰りでぐるぐる回って、帰ってきた頃にはなぜか異常な肩こりになっていました。
とにかく右肩だけ異常な張りで動かすだけでビキビキビキ!!!と激痛が走り、寝返りもできないほどなので、これはどうしたものかと。ネットで調べたら「たまにウィルスが肩に飛び火する」「発熱以外に筋肉を硬化させてウィルスを殺す(すり潰すの?)」などとあったので、やはり風邪が原因かと思って内科に行ったら「それは整形外科に行くべきじゃないの?」と冷たく言われて悲しくなった。困ってんだからそんなこと言うなよ。
でも痛み止めと緊張緩和剤をもらい、おかげで少しは動かせるくらいになったのだけど、そのうち左肩もバランスよく凝って来て、まさかこのまま肩こり症になってしまうのではないかと、いま恐怖を抱いている。風邪の調子はよくなったのだけど、風邪が治っても肩こりは治らないのか?原因は風邪じゃないのか?やだー!
こうなったらザキさんの奨める玉ねぎ健康法を前倒しで導入して、血液さらさら人間に一刻も早くなる必要がある。ここ数日で治らないようなら決行せざるを得ない。ちなみに、先日ザキさんにブルーライトカット眼鏡を奨められ、その三日後には既に採用しています。
Posted by 堀田 on 6月 16th, 2014 :: Filed under
日常
今日、喫茶店にいたら、声優とかのような話し方をする男女四人の隣になってしまったのだけども、なんかムカムカしてきて、パソコンを何度か叩き割りそうになってしまった。
そういった方々に罪がないことはわかっているのだが、僕自身の生理的な問題として、昔からそうなのだが、どうしてもあの手の声にはイライラしてしまう。
というか、もっと正直にいえば、声だけでなく、話す内容、所作、そういったすべてが癇に障る。
表現を志す人間は、つい表現そのものの進化などに目を奪われがちなのであるが、すべての表現というものは、どう考えても、本来的にいって、リアリティというものとの距離感や折り合い、そんな葛藤の中に存在するべきだろう。
なぜなら、この世界は、確かに、明らかに、目の前に存在してしまっているのだから。
しかし、あくまで僕の言う、ではあるが、声優的なる人たちというのは、まるで、目の前にあるこの世界を忘れてしまったかのような、そんな態度をとってきはしまいか。
自身の醜い顔など忘れてしまったかのように、アニメのキャラクターよろしく、奇妙な猫なで声で話し、さっき便所でうんこした薄汚い身体など忘れてしまったかのように、漫画の登場人物よろしく、コミュニケーション上不必要なほどの大きな動きでリアクションをとる。
忘れてはならない。
お前はアニメのキャラクターでも、漫画の登場人物でもなく、醜い顔して、うんこして、生活している、一人の人間だ。
線で描かれた絵ではなくて、普通に存在している人間なのだ。
お前がアニメのキャラクターみたいに行動したって、周りからは、「普通の人間が奇妙な行動をして、アニメのキャラクターのように見てもらい、かわいい(かっこいい)と思われようとしている身の程知らずの気持ち悪い奴」という風にしかうつらないのだ!
この世にある、すべての素晴らしい作品たちは、どれも、現実と闘い、苦悩する中で、つくられている。
自身を包む現実から目を逸らし、安直で非現実的な行動をとってはならない。
この点において、僕のいう、声優的なる人たちというのは、明らかに、表現者として失格なのだ。
まあなんでもいいけれども、喫茶店とかの公衆の面前では、もっと普通にしてくれ。
Posted by 北川 on 6月 10th, 2014 :: Filed under
日常