とくお組モブログ
いつも手元にとくお組

社員旅行

会社の温泉旅行に行ってきました。

最近元気が無いからみんなで温泉に行こう!という鶴の一声で決まった今回の旅行。僕も入社して10年になりますが、初めての経験でした。だからという訳ではないが、いつもは写真なんて全然撮らないのに、なぜか今回は100枚くらい撮っていた。

上の写真は僕のお風呂上がりのものですが、100枚ある写真のうち、上品なのはこの一枚くらいで、あとは本当におじさんの裸しか写っていない。諸先輩や後輩らの幹事団がバスやホテルの手配から宴会場でのゲームの数々などやってくれたのだが、これが大変よく練られていて、本当にこういうのは馬鹿にできないというか、尊敬に値すると思った。上下関係がある程度ある中で、宴会を盛り上げるのって本当にすごいと思う。

特に僕は入社以来、飲み会からイベントから、ほとんど幹事なるものをやっていなくて、これは別に僕が悪いというよりは周りが僕に幹事をなぜかやらせないから、そのまま何も分からないうちに10年経っちゃったのである。今でも僕の後輩と一つ上の先輩とかが幹事に指名されたりしてんだけど、絶対に誰も僕を指名しない。何かすごい気を遣われているというか、「こいつは絶対面倒くさがる」とバレているというか。

いや、思うに演劇とかやってるから宴会芸みたいなものに対して、ちょっと一歩引いてしまうというか、馬鹿になりきれないというか、そういう態度がちょっと透けて見えちゃってるのかもしれないなあ。いや、こういうのは馬鹿になってやったほうが絶対クオリティの高いパフォーマンスができるんだけどね。それは全然馬鹿じゃないし。

とにかく、忙しい仕事の合間を縫って宴会の準備をし、当日はきちっと段取りよく回して宴会では大いに盛り上げ、一段落したあとで幹事のおじさんがタバコをふうーーーっと吸ってまたゲラゲラ笑っているのを見て、本当にこの人たちはすごいなあと感心し、自らの小ささを再認識したのであります。


Posted by 堀田 on 10月 19th, 2013 :: Filed under 仕事

自分

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「よくわからない人だ」と言われることが多い。
先日、大学で講義する機会があったのだが、その時もそのようなことを言われた。
まあそれは別に何とも思わないのだが、そのような時、よく思う。

僕も、僕のことがよくわからない。
わからないし、もはやそれは、どうでもいいとすら思っている。
かなりの昔に、自分をわかることなんて、諦めるというか、放棄している。

というか、むしろみんなに聞きたい。
みんなは実際、自分のことってわかっているのか?

僕は、自分のことなんてやつは、一生かかっても、絶対に、わかることはない、と思っている。
だって、単純に自分の身体を構成している細胞だけで考えても90%くらいは見たことがないというか、よく知らないわけだし、脳みそだって、現代医学をもってしても、ほとんどが解析できていない。
そんな状態で、自分のことなんてわかるわけがない。
そりゃあまあ、適当な言葉で型にはめて、なんとなくわかった気になれたりすることもあるけど、そんな単純じゃないっていうか、それで自分の全てを示すことなんてやはり不可能だ。

だから僕は、他人のことも正直、よくわからない。
その辺は、なんかもう、ぼやっと、なんとなくで判断して、ものすごく適当に生きている。

でもまあ、それでいいとも思っている。
人間なんてそんなもんだ。

だから僕は、脚本とかを書く時、人物の設定っていうか、こういう性格で、誕生日いつで、こんなあれで、みたいなものを、一切つくらない。
いきなりシーンや物語というか、人物がどう動くかとか話すかをつくる。
我々は普段、他者のことを判断する時に、「あの人は誕生日いつで、こんな性格で〜」とか別に考えていない。
まあ、そういうのが絡む時は考えることもあるけども、基本的には、具体的な動きや発言からしか判断していない。
だから、それと同じように考えていく。
まあそうすると、かちっとした、いわゆるキャラクターみたいなものにはなりにくいんだけど、そんな、ミッキーみたいなマスコットじゃねえんだから、いわやる「キャラクター」って感じの人間なんてこの世にはいないだろう。
だから、人物像なんてもんは、不可解だったり、多面的だったりしていい。
それが人間というやつなわけだから。

上と関連して、学校ではだいたいこういったことベラベラ話すことにしてるんだけど、その考えを適用して作品つくった学生とか、後で先生にくっそ怒られてたりするんだろうな。
それに、こんなこと考えてたら、あんまりお金にもならないだろうし。
実際、まあ僕も先生には相当に嫌われていたし、ネットとかでくっそ叩かれることもあるしね。
でも、僕は僕の言ってることの方が正しいと、これに関しては、かなり信じてるね。
だからまあ、全然別のやり方でもいいんだけども、ぜひ周りのしょうもない意見とかは無視して、自分が正しいと思ったやり方で、ぜひみんな頑張って欲しいね。
まあそこにおける自分って、よくわからないから多少矛盾してるんだけどね。


Posted by 北川 on 10月 17th, 2013 :: Filed under 日常

忘れる

よく忘れ物をします。

歳を追うごとに、モノを忘れて行ってしまう事が多い。傘とかはビニール傘であろうが、ちゃんとした傘であろうが、簡単に電車の中に置き忘れて行ってしまうので、もう買っていると本当に勿体ないから、基本は雨が降っていても傘を差さずに濡れて帰るというのを徹底している。

まあ傘は誰でもあるとして、前には自転車を忘れて行った事もあって、コンビニに自転車で行って買い物をした後、自分が自転車で来ている事を忘れてそのまま歩いて帰り、その後、2週間後ぐらいに自転車に乗ろうとしてやっと「あれ?」と気がついた。しかもそのコンビニは駅までの通勤ルート上にあって、毎日行きと帰りに自転車の目の前を通っているにもかかわらず全然気がつかなかった。自転車からしたら毎朝晩「おいおいおいおいおい!」って感じだったろうと思う。

しかも気づいたときは完全に「盗まれた!」と勘違いしてたし。こういうときはだいたい僕が犯人です。


Posted by 堀田 on 10月 16th, 2013 :: Filed under 日常

ステルス

センサーに反応しません。

昔からずっとなんだけど、センサー関連の感度が悪い。自動ドアの前に立っても全然反応してくれなくて、ドアとキスしそうなぐらいまで近づいてしまうことがよくある。あとトイレの洗面所で、手を出すとセンサーが反応してお水を出すやつがあるけど、あれも何度やっても全然反応してくれないし、トイレで手を掲げると水が流れる系のやつも、何度やっても流れないときがあったりして、もう流すのくらい普通のレバー方式にしてくれよと思ってしまう。

もちろんうまく反応してくれるセンサーもあるので、要はモノによって、何に反応するかが違っていて、僕だと反応しにくいものがあるのだと思う。物理的にいるかどうかはさすがに反応してくれていると思うので、反応されていないとすると体温とかだろうか。それならまだいいけど、なんかドラゴンボールのスカウターみたいなので、ゴミ扱いされてたら嫌だ。


Posted by 堀田 on 10月 14th, 2013 :: Filed under 日常

コール

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飲み会にて。
男A、突然立ち上がり、

男A「学生注目!」
みんな「なんだなんだ!?」
男A「…いつ飲むの!?…今でしょ!」
みんな「(手拍子と共に)はい!はい!はい!はい!はい!はい!男Aに、お・も・て・な・し!お・も・て・な・し!」

男A、注がれたビールを一気飲みし始める。

みんな「じぇじぇじぇ!じぇじぇじぇ!じぇじぇじぇ!じぇじぇじぇ!」

男A、飲み干す。

みんな「じぇじぇじぇーーーー!?」

拍手が巻き起こる。
と、女B、突然立ち上がり、

女B「学生注目!」
みんな「なんだなんだ!?」
女B「いつ飲むの!?…今でしょ!?」
男A「女Bに、倍返し!」
みんな「倍返し!倍返し!倍返し!倍返し!」

女B、注がれたビールをあおる。


Posted by 北川 on 10月 11th, 2013 :: Filed under 日常

思い込み

思い込みが激しい。

自分のよくないところを一つあげるとすれば、思い込みが激しいときがままある。分析的思考はあるほうなのだけど、「ちゃんと調べる」ということはあまり好きな作業ではないので、こうだと思った事は、実は情報が足りなかっただけで、違っていた、なんてことはよくある。限られた情報の中で、自分の中では理路整然と論理立てられているだけに、大声で間違った事を言っている可能性もあって、これはやっかいだ。

かと言って、限られた時間や限られた情報の中で、ある程度見切り発車的に決めて行かなければならないことも多々あって、間違っていても仮説を立ててどんどん行動していかないと、正しいかどうかも分からないじゃないか、という思いも一方である。慎重になりすぎて大人しくなってもねえ、と。

でもそうやって仮説と検証を繰り返して得て行った経験値を、相手に押し付けてしまったりして、それもよくないというのもわかる。結局、常に謙虚に、見聞を広げ続けろという事なんだろうけど、やっぱり興味の無い事とか、全然知らない人の事、全然知らない世界の事について知るのは僕にはすごく苦手なことで、そこが大人になっていくにつれ重要なんだとすると、正直今後の人生について困ってしまう。

ベンチャー企業の社長とかが、この手の話で、ああだこうだとか、ああしようこうしようとかFacebookとかですごい語っているけど、確かに彼らは見聞を広めるという事にすごくどん欲なように見える。そしてああいう感じには、なんとなくなりたくない。もう32歳ですけど、これから一体どういう人間になって行くんすかねえ。


Posted by 堀田 on 10月 11th, 2013 :: Filed under 考察

驚く

哲学の話です。

今、ソフィーの世界と言う本を読んでいるのだけど、その本によれば、赤ちゃんはいろいろなものが新鮮だから、世界のいろいろなものにびっくりの連続なのだが、成長するにつれ、どんどん世界に慣れてしまって、大人になる頃にはすっかり驚く事はなくなってしまう。逆に、ある日お父さんが空中浮遊したとしても、赤ちゃんはそんなに驚かないけど、お母さんが超絶びっくりするものであると。哲学者たるものは大人になっても赤ちゃんのように様々な事に驚き、つまり不思議がり、真理を探究するべきというお話。

それを読んで思い出したのだけど、上述のお父さんの空中浮遊でお母さんが驚愕するのと同じ感覚が僕にもあって、それはアルパカを見たときだった。アルパカが急に流行りだした頃、僕はネット上の画像を見て、これは完全に合成による想像上の生き物だと思っていた。こんな動物が本当にいたとしたら、もっと大昔から話題になっているはず、という思考が自動的に入っていて、全く疑う事なく、これは空想上の生き物と思っていた。

ところがある日、Youtubeでアルパカの軍団が向こう側からこっちに向かって走りよってくる動画(まさに上の写真のやつ)を見たときに、「なんだこいつはあ!!!」と超絶びっくりした。あの感覚は、久々に赤ちゃんと同じような感覚を味わえたのだと思う。あれくらいの衝撃が、赤ちゃんには日々起きているとすると、毎日が刺激的で大変だろうなあと思う。犬とか見て「なんだこいつはあ!!!」とかシャンプーしてるお父さん見て「ぎゃーーーー!!!」とか思ってんのかなあ。


Posted by 堀田 on 10月 9th, 2013 :: Filed under 考察

iOS

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慣れてなくて、一回違うメールでブログ更新しちゃいました。
重複しちゃってるかも。

iPhone5sに変えた。
それに伴い、iOSが7に変わったが、超使いにくい。
無駄なアクション多いし、反応遅いし、超使いにくい。
というか、超ダサい。
全体的になんかカラフルでごちゃごちゃしてるし、デザインも「アメリカ」って感じでバタくさいし、とにかくもうくっそダサい。
なに考えてんだろう、これ。
ほんと終わってるわ。
今後Apple製品ってこんな感じになっていくのかな。
だっせーし詰めが甘いし、もうだめだわ、これ。
変えなきゃよかった。
5cとかこれ誰が買うんだよっていうだっせー色ついたやつ出してておかしいなとは思ってたんだよ。
5sもゴールドとかわけわかんないし、そもそも黒のやつもグレーの入り方がダサいんだよな。

いやー、失敗したわー。
大阪のおばちゃん以外喜ばないだろ、これ。
まあ、偏見だけども、そういうイメージね。

いやー、しっかしだっせーわ。
かっこいいデザインなんてそうそう出てくるもんじゃないんだからさ、毎回コロコロ変えないでいいんだよ。
ほんとわかってねーな。
こうやっていいアイデア出なかった時は、適当に中身の部品とかだけ最新のにしときゃいいんだよ。
もうなんか、その、進化した風を無理矢理装う感じとか、そういう根本的な考え方自体が、あ、ここもうだめだ、終わってきてるわって感じ出てるよ。
いやー、ほんとゴミみたいなもんつかまさせられた気分だよ。
やっちゃったなー。


Posted by 北川 on 10月 9th, 2013 :: Filed under 日常

ながら族

一度に二つの事ができない。

何かをしながら別の何かをするというのがすごく苦手だ。例えば、家で音楽をかけながら掃除をするとか、洗濯物を畳むとか、本を読むとかが全然できない。あとテレビをつけっぱにして何かする、というのも気が散ってあまりやらない。BGMを流すという事が基本的に無いので、僕の家はいつだって無音である。とっても静か。

こういう傾向は男性に顕著で、女性は割と問題なく同時処理できるらしい。同時通訳に女性が多いのもそういう理由があるのかしら。

あと携帯電話を見ながらごはんを食べるのもできないし、本を読みながらごはんを食べるのもできないし、音楽を聴きながらごはんを食べるのも無理。外食とかで注文していたものがきたら、携帯も本もイヤホンも全て外して食事に集中するので、ひとりで飯を食っているとあっという間に終わってしまう。でもごはんを食べながらテレビを見る事はできる。

それと何故か音楽を聴きながら仕事するのは全然できたりする。資料作っているときに音楽なってるのすごい雑念だと思うんだけど何でだろう。この「イケる組み合わせ」のパターンが全然分からないよ!


Posted by 堀田 on 10月 8th, 2013 :: Filed under 日常

語尾

将来、語尾に「~~じゃ」とつけるだろうか。

よくおじいちゃんは「~~じゃ」と言うイメージがあるけど、実際自分が歳をとったらそういう言い方をするかというと絶対そういう言い方はしないと思う。先述したとおり、身の回りにおじいちゃんがいないのでよくわからないのだけど、今の時代でも「~~じゃ」って言ってるおじいちゃんっているのだろうか。これはなんていうか、ただの方言であって、都会のおじいちゃんは既に使っていない気がするし、逆に地方の若者は使ってる気がする。

同じく自分がおじいちゃんになったら自分のことを「わし」というかというと言わない気がする。多分「俺」とか言うのだと思うんだけど、おじいちゃんで自分のこと「俺」って言ってる人もあんまりイメージがないと言うか、じゃあそもそも今のおじいちゃんたちは自分のこと何て言ってるんだろうか。

自分の父方のおじいちゃんは、ぼくが幼稚園くらいのときに亡くなったし、母方のはぼくの前では「おじいちゃん」と言っていたから、孫がいないときに何て言ってたのか分からない。もしかしたら歳を重ねると「わし」って言うようになるんだろうか。これはちょっとありえる気がしてしまう。

ちなみに。既に30歳を過ぎた頃から「僕たち」とか「俺たち」とか“We”を表現する際には、「我々」という言い方をするようになっている。まぁこれは多分ザキさんからの影響だけど。


Posted by 堀田 on 10月 7th, 2013 :: Filed under 考察

tink

なんかよくネットのサプリメントの広告で、「50代ですが、すぐ萎えてしまって・・・・・・」「まだまだ、40代でも現役でいたいから」みたいな、明らかにチンコがたつかどうか、ということを言ってるのに、さもそうじゃありません、みたいな顔をしているやつがあるでしょう。ああいうの、なんか腹立つんですよね。

以上です。

 


Posted by 徳尾 on 10月 6th, 2013 :: Filed under 日常

統一試験

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意味がないと思う。

CMでやってる東進かどこかの高校生や中学生の統一試験。一年生から三年生まで同じ問題を解くというものだが、正直それは全然意味がないと思う。

習ってないものは基本的に解けるはずがないし、こんなのは塾とかで先行的に勉強してる下級生が、俺はこんなにもできるんだぜと自慢するためだけにあるようなもんである。

受験自体は浪人生などの上級者か同期との戦いなのだから、できる下級生と比べても意味がないし、下級生からしたら将来の浪人生たちとの戦いのシミュレーションにはなるかもしれないが、習ってる範囲とかが違う時点であまりやる意味がない。

だってどう考えても、線形代数とか、数列とか、習ってもない場合は解けるはずがないし、英語とかも結局帰国子女が学年を超えて圧倒的有利なわけだし、歴史なんて知識として知らなければどんな天才だって分かるはずがない。やっぱりこれは、塾とかで先に勉強している下級生が上級生よりいい点を取って自慢しまくるためだけの仕組みだと思う。そんな余興に付き合う必要はない。

CMで体育館に集められた学生が内容を聞いて「これは…(ゴクリ)」みたいな顔させられてるけど、いやいや、全然意味ないから、と冷めた目で見ている。


Posted by 堀田 on 10月 6th, 2013 :: Filed under 考察

正解

嗚呼、愛しのニコル。

僕が愛してやまないKARAのニコルが、脱退する事が決まったらしい。理由は今のところ何か分からないので何ともいえないのだが、いくらKARAが存続しようが、ニコルがピンで活躍しようが、絶妙なバランスが崩れてしまう事は間違いない。理由はともあれ、そういうベストな状態を崩したその先に、ベストを超える結果は決してない。

KARAは5人だからよいのであって、ニコルは4人といるからベストなのである。これはもう分かりきっている。KARAに於いては、5人それぞれが全く被らない上に、お互いを補完しあいつつ、強力な光を放つという黄金比にあったグループなのに、理由はともあれ、それを崩してしまうというのは本当に勿体ない。やっちゃいけないことってのがあるのである。

何度も言うけど、「この組み合わせがベスト」というのは明確に存在する。世の中には「正解」というのが必ず存在する。不正解でない答えはたくさんあるだろう。でも本当の正解というのはきっと一つだ。本当の正解の前では、不正解でない答えも、やはり不正解なのだ。KARAはあの5人が正解だった。ニコルは決して正解が見えていない愚かな女ではない。その上での選択ということであれば、きっと何か重大な理由があるに違いない。恨むべきはその理由である。

罪を憎んで人を憎まず。ことわざは正解の集まりである。


Posted by 堀田 on 10月 5th, 2013 :: Filed under 考察

老人

お悔やみ申し上げます。

先日起きた事故で、踏切で倒れている老人を助けようとして40歳くらいの女性が亡くなった件。こういうニュースを観てまず思ってしまうのは「なんでそんなおじいちゃんを助ける必要があるんだ?」ということだ。5歳とか、20歳とか、そういう若者であればまだいいけど、70代とかで、しかも線路で横たわってしまっているような人を助けようとして死んだなんて、もう申し訳ないけど全然同情できなかったりする。

これは助けようとした人を非難しているというよりは、どちらかというと、老人の生に対する僕の優先度が低いからだと思う。こういうこと言うと冷たいやつだと思われると思うけど、もう70歳とか超えている人は、遅かれ早かれ死ぬ訳だから、みたいな発想があって、例えば遭難して亡くなった人のニュースが流れたとき、その人が30代とかだと「あらー、まだまだこれからだったろうに」と思うけど、70歳とかだと「ああ、まだよかったな」っていつも思っている。別に老人たちの命を軽視しているつもりではないけど、若い命から比べると、優先順位を下げてしまっているという事である。相対的な話で。

誰しもそういうところあるのかもしれないけど、僕は特に早くにおじいちゃんとおばあちゃんを4人とも亡くしてしまっているから、あまり身近に老人がいなくて、いまいち悲しいイメージがしないからかもしれない。少なくとも、踏切で遮断機が降りてる状態で70代のおじいちゃんが横たわってたら僕は絶対に助けに行きません。


Posted by 堀田 on 10月 4th, 2013 :: Filed under 考察

悪い

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地獄でなぜ悪い、を見た。
とてもおもしろかった。
ここはどうだろう…みたいなところもそりゃあるが、こんだけねじ伏せられたら気にならない。
なんならもう一回見たいくらいだ。
こりゃ愛のむき出しとかと張るくらいかも、とも思った。
ただ、個人的には、幻想というか、長谷川博己の頭の中でのことでもなんでもいいんだけど、映画館が満杯になるとか終映後に拍手するみんなの様子とかじゃなくて、撮った映画を映画館で実際に見ている役者やスタッフの様子を見たかったんだよなー。
スクリーンに反射する光浴びてね。
映画ってのは、まあ映画館じゃなくてもいいんだけど、みんなで映画を実際に見てるという、あの瞬間に最大の喜びがあるというか、スクリーン見て「あれは俺が光当てたんだ」とか「おお、お前映ってるじゃねえか、かっこいいなあ」とか言ってる感じとかすごくいいし、みんなで同じところ見て魅了されてる感じも素晴らしいし、なんかとにかく、あの瞬間にこそ、映画の夢が詰まってるっていうか、あれがあるからこそ人々は映画に夢見るというか、とにかくそんな風に僕は思うんだよな。
だから、わりと僕は、映画を見てる人を見るっていうシーンがあると、無条件に感動しちゃったりするんだよね。
いやー、ほんと、それあったらかなりよかったなー。
まあでもおもしろかったんで、機会あったらぜひどうぞ。


Posted by 北川 on 10月 3rd, 2013 :: Filed under 日常

復調しました。

熱が下がった後、食欲がないけど何か食べようとサンドイッチなどを食べるものの、消化がよくないようなので、薬局に行って相談しました。すると豆みたいな顔の薬剤師が出てきて問診するのだが、「酸っぱいものがこみ上げてくるか、または朝から胃腸が重いか」と聞くので、後者が当てはまると思い「はい」と答えたら、「じゃあ」と言って胃散の出過ぎを抑える薬を勧めてきた。それは前者の方ではないのかなと思ったけど、「胃散が出過ぎだとか、胃が重いときにはこれ」というので素直に買ってみた。

ところが飲んでしばらくすると、消化するどころか、お腹が急にパンパンに張って来て、すごい膨満感が出て来た。おかしいなと思って説明書を見たら、「以下の症状が出たら直ちにやめてください」の欄に思いっきり「膨満感」とある。あの豆ヤロウめ。

さらにそのうち屁がやたら出るようになって、さらにその屁が今までにない臭さで、もうトイレに行っては何度も屁をこき、消臭スプレーで臭いを消しては屁をこく、という哀しいループに陥ってしまった。全巻揃えたドラゴンボールを読みながら、屁が出なくなるまで、夜中まで何度もトイレを往復した。あの豆みたいな薬剤師を心の中でクシャクシャに潰しながら。

写真は闘いが終わったあとの僕。


Posted by 堀田 on 10月 1st, 2013 :: Filed under 日常

あま

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あまちゃん、一回も見ていなかったのだが、最終回だけ偶然見た。
最終回だけだというのに、正直、かなり感動した。
やり切った、という感じというか、役への自信といったらいいのかな、そんな感じが能年さんにみなぎっていた。
ラスト、線路を駆けるシーンなんか特に素晴らしい。
あんな走り方をできる女の子、見たことがない。
野生児っていうか、男の子っぽい走り方っていうか、一歩一歩の足腰が実に力強い。
たいして有名でないアイドルが、女優というものへと変貌していく瞬間を目撃したような気分になるくらい、見事にトンネルと海辺を疾走していた。
ラスト手を振る二人の姿とか、アデュー・フィリピーヌとかなんとなく思い出したし。

しかし、これだけ見事な役をやっちゃうと、どうしてもイメージがつきまとってくるし、次から非常に困るだろうね。
だいたいが、あまちゃんの前では霞んでしまうからね。
で、こういう時、最悪なのが、イメージをぶっ壊すようなやり方をとることね。
セクシーな役、いじめられる役、精神的に問題を抱えた役、女の子のことを好きな人の役、残虐な役、暗い役…まあ色々あるけれども、こういうのは全部、絶対にやってはならないね。
こういうのをやって、才能が潰れてしまった女優さんってたくさんいると思う。
別の安っぽいイメージみたいなのぶつけてみたところで、演技の幅なんか絶対に広がらないし、むしろ、下手くそみたいに思われて損をするだけ。
こういう時こそ、「等身大の女の子の役をまっすぐに、力強く、演じ続ける」、これをひたすらにやるべき。
まあ、いい監督のもとでやるなら話は別なんだけど、そうじゃない限りは基本的に他のことなんか考えなくていい。
そもそも、直球を投げられる人が、いちいち変化球なんか覚えなくていいんだよ。
そんなんしたら、肘ぶっ壊すだけ。
ただただ直球の速度を、ガンガンに上げていけばいいのよ。
それにあれだよ、一番投球がうまくなる方法ってのは、そもそもが間違いなく、直球の速度上げるっていう、その方法だからね。
それに、それさえ続けてれば、何年かで肩の強さが尋常でなくなってくるから、その頃には変化球も、肘ぶっ壊さずに、しかもすさまじいキレで投げられるようになってるはずなんだよね。
まあ、実際の野球の投球においてどうなのかはわからないけれども、これ、演技においてのたとえの話ね。
まあ、いうても人気稼業だから、時に浮き沈みもあるだろうけれどもね。
でも、30とかになっても消えないでいるための方法ってのは、間違いなく、これしかないと僕は思うな。

そんなわけで、ぜひ、しっかりと育てられていって欲しいなと、最終回だけ見たくせに勝手に思いました。


Posted by 北川 on 9月 29th, 2013 :: Filed under 日常

風邪を引きました。

昨日の昼頃から急に体調が悪くなって熱が出始め、夕方のアポを何とかこなしてから直帰してひたすら寝ていた。薬局で薬を買って、水分を大量に摂って、汗をかいてと、もう慣れっこではあるのだけど、昔と比べて違うのは、発熱時の体力の消耗具合が馬鹿にできない。多分38度くらいしか出てないのに、もう頭がぐらんぐらんして、一晩中ずっとうなされていた。朝起きたらもうクタクタだったし。

いっそのこと今日の午前中も会社休もうかと思ったけど、6月ぐらいに行きそびれた健康診断を受けなければならない日だったのを思い出して結局出社した。なんとも皮肉な話である。採血とかしてもらっても、白血球濃度とかすごい高いんじゃないかしら。あと血圧も元々低い方なんだけど、前日からほとんど飯を食っていなかったので、92/72とかで問診のときに「体調悪くありませんか?」とか聞かれた。

で、今日は熱は下がったものの、昨日のうなされの影響ですっごい体が疲れてて、あと食欲もないから歩いてるだけでフラフラしてくる。おじいちゃんになると風邪で死ぬというのは本当だと思う。


Posted by 堀田 on 9月 26th, 2013 :: Filed under 日常

夜中

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夜中にテレビでやっている映画を見るのが好きだ。
WOWOWとかじゃなくて、地上波のがいい。
適当に見ていたつもりがいつの間にか感動してしまった、そんなのが最高だ。
人生を変える作品と偶然出会ってしまった、みたいな感じがしていいんだろう。

こんな趣向になったのは、中学生の頃、深夜にテレビ見るのにハマっていた時に、ヨーロッパの農村かなんかで暮らす少女が、少しだけ大人になる、みたいな映画を偶然見て、ボロボロ泣いた経験からきている。
なんていう題名かもわからない映画だったけれども、あの映画が僕の人生を変えてしまった。

あと、これは映画ではないけど、これまた深夜に偶然見た、鶴瓶漂流記という番組もとてもよかったな。
「再放送してください」みたいな手紙をテレビ局に何枚も送って、毎日、新聞のテレビ欄チェックしてたのだけど、ついに再放送されなかったね。
新しいバージョンやったりしたことはあったのだけど、遠山景織子が出ていた最初のやつが一番よかったな。
あれ以来、遠山景織子のファンだしね。

しかしまあ、最近はインターネットが普及しているからね。
YouTubeかなんかでいくらでも映像見れるけれども、夜中、真っ暗な部屋で、偶然、素晴らしい作品と出会う、あの感覚はもう経験できないんだろうな。
自分でどれ見るか選んじゃうからね。
勝手にテレビから流れてくるあの感じにこそ、ロマンがあったんだけどな。

で、きっとこれは、恋愛とかにしてもそうだろうね。
今はTwitterだFacebookだと色々あるから、けっこうな確率で相手の名前とか個人情報わかっちゃうからね。
名前も学校も、どんな言葉を話すのかもわからない子なんだけど、人生変えられちゃうくらい恋をしてしまう、みたいなのはあり得ないよね。
Googleさんの手にかかれば、だいたいのことバレちゃうし。

ほんとなんか、ロマンがないよね。
そのロマンというやつにこそ、人生変えられちゃうくらいの強い力みたいなものがあったんだと思うんだけどな。

まあ、いうても僕も、かなりネットの恩恵受けてるし、実際、世界が変わっちゃうくらい、有益なものだとは思ってるけどね。
でも時々、ああいうの全部潰れねえかな、とか思っちゃうんだよね。
色んな情報手に入れられるし、実際、相当に便利なんだけど、でもそこに転がってる情報とか、ほとんどがしょうもないものだからなあ。
この記事含めてね。
まあ、だったらお前なに書いてんのって感じだし、そもそもそれをネットに書いてんだろって感じなんだけどもね。

三人の逃亡者っていう映画を見て、これは夜中にテレビで見たかったなーよかったなーと思ったことから考えました。


Posted by 北川 on 9月 26th, 2013 :: Filed under 日常

向上委員会

相武ちゃんは好きなんですが。

プロミスのCMがどうも好きではなくて、相武ちゃん好きを相殺して余るくらいイラッとしてしまう。そもそもこのシリーズの「お客様を想う」みたいなコンセプトが嘘くさいというか、過剰というか、お前らそんなにクリーンじゃないだろう、という偏見を持って見てしまっているのが大きいのかもしれないけれど、とにかく全く信用できない。この女子5人組の中身がいまいち空っぽなんだよな。写真のシーンも一体何に喜んでいるのか、もはや本人たちですら分かっていないだろう。

この向上委員会がやっていることも、まあ限界があるというか、スマホアプリ作ったり、WiFiアンテナ付けたり、はじめてサイトを作ったり、何気にシステム寄りなことしかやっていなくて、もっと泥臭い感じのことをやってほしい感じもするし、そうかと思えば突然新しい看板を作って、模型を作って「わー(パチパチ)」みたいなことをやっていて、全くもって意味不明である。それ全然サービス向上してないし、やるんだったら実際の看板取り付け工事に立ち会うとか、そういうシーンにして欲しい。

しかも最近はそれすらもなくなってきて、メンバーが胸に手を当てて、お客様を想う、みたいな超抽象的な内容になってしまっていて、そのCM流す意味がそもそもあるのか、という気にすらなってしまう。やってる相武ちゃんや吹越さんとかも困っていると思う。

とにかくやっていることが、本社の企画チームが机上の空論で自己満足しているよくない例に見えてしまうんだよな。やるなら頑張って金利下げるとか、そういう現実味があるやつにして欲しい。


Posted by 堀田 on 9月 23rd, 2013 :: Filed under 考察