とくお組モブログ
いつも手元にとくお組

下等生物

登山好きの後輩がいるのですが。

彼はよく週末に一人で登山に行き、たまに遭難しそうになって帰ってくる。昼休みにそういう報告を受けるたびに本当に気をつけて欲しいと思ってしまう。僕みたいに都会でしか生きたくない人間からすると、なぜそんな危険を冒してまで・・・と、ついついおせっかいを焼いてしまう。

何度も書いているけど、僕が山を嫌う理由は虫や草やら自然で溢れているからである。自然は確かに綺麗で雄大な面も多いけど、虫とか草とか気持ち悪いものも多いわけで、そういう部分が嫌いなのである。物事は全て多面的だ。例えば後輩君から聞いた話では、山の中には中指以上のサイズの、赤と黄色のしましまのヒルがいて、そいつがクネクネしてるから気になって眺めていたら、ミミズに追いついて、そいつをズルッと丸呑みとかするらしい。そういう世界なんだよな、あいつらって。

こういう話を聞くたびに如何に人間が高等な生き物であるかを思い知り、あっち側の世界には絶対に行きたくないと思ってしまうのである。みなさんも何か仕事などで悩んだら、ヒルがミミズをズルッと丸呑みしているのを思い浮かべて、あいつらよりマシだな、と思えばいい。相当つらいめに遭っている人、例えば、卑劣ないじめに遭っている人がいたら、ヒルの世界の方がまだマシとか思うかもしれない。しかし、それはいじめているやつがヒル以下なだけで、本来のあなたの世界はもっと美しいものだと思うのである。何ごとも一緒くたに考えてはいけない。物事は全て多面的だ。


Posted by 堀田 on 11月 11th, 2013 :: Filed under 考察

表情

我が家のぬいぐるみたちが表情豊か。

男の割には家にぬいぐるみがゴロゴロしてるんですが、あまり定位置が決まっていないのと寝るときは邪魔で落とすのとで、気がつくと部屋のどこかで死んだように転がっている事が多い。たまに「どうした?!」と言いたくなるような体勢になっていたりして、顔が変わらないのになかなか表情が豊かである。

という感じでゴロゴロしてるから、もうかなり汚くなって来ていて、手前で裏返っている羊なんて(羊です)、本当は真っ白だったのにもう完全に黄色くなっている。「汚いものは捨てる」をポリシーにしているけど、こういうのって捨てにくいんで、なんかきれいにしないとな。こういうの洗うのはどうやったらいいんでしょうか。洗濯機にぶっ込んでも大丈夫なのかな。出てきたときの表情に期待。


Posted by 堀田 on 11月 9th, 2013 :: Filed under 日常

黄色

活路は前だ。

人生色々あるもので、順調に進んでいたと思いきや、思いもかけないタイミングで急に大ピンチに陥っている。これを何とかしようと色々考えていて、いったん止まって何とかするか、前に進んで敢えて茨の道を行くか、大変悩ましい。

ほぼ全員が止まって何とかすることを選択しようとしているのだけど、正直、時間が止まる訳じゃないのに、止まって何とかなるものなのか?という気がしていてならなくて、余計に危ないが、ここは前進した方が結果的に問題を解決できるのではないかと考えている。でも当然それはさらにリスキーで、まさにハイリスクハイリターン。世の中はよくできている。

本当に意思決定というのは難しくて、ていうか自分に意思決定権限がなかったりもするのだけど、それだけに周りを説得して前進させるというのは大変なストレスがかかるというか、いっそ自分で決められるのなら腹くくるだけだけど、周りを説得しているうちに、反対意見もたくさん聞くから、なんか弱気になって来たり、何も自分がそこまで頑張って進まなくても、まわりが止まれって言ってんだから、止まった方が楽だし、俺の責任じゃねえし、みたいになりそうで、本当に面倒くさい。途中から俺がやりたいかやりたくないかみたいな話にすり替わってるんだけど、そうじゃなくて、やるべきかやらざるべきか、なんだけどな。

てかやっぱりどう考えても、活路は前だろう。もうこんなの世の中レベルでいえば、本当に大した仕事じゃねえのによう。


Posted by 堀田 on 11月 8th, 2013 :: Filed under 仕事

タカラヅカ

最高のステージでした。

先日、機会があって初めて宝塚を生で観てきました。これだけ長い間、多くの人々を魅了しているのだから、その人気の秘密を探ってやろうと、多少勉強してから臨みました。結果、とにかく素晴らしいものでした。

宝塚について僕が語るなんて大変おこがましい限りですが、思った感想として言うと、宝塚のよいところはその「フォーマット」の素晴らしさだと思う。大なり小なり、”お決まり”というか”ルール”みたいなのがあって、例えば最後のパレードなるものも、もうパターンは決まっていて、それをみんな観たいし、実際に観て、例外なく感動するのだと思う。こうやって書くとワンパターンだと言っているようだけど、これはフォーマットと言うべきもので、完全に大成されているもの、伝統芸能で言う”型”みたいな美しさがあって、これはきっと長い歴史の中で、磨きに磨いて出来上がった型なのだ。

ドリフや吉本新喜劇もそうだけど、このフォーマットを見つけられるかどうかで、世代を超えて永遠に愛され、未来永劫まで継続されるものになるかどうかが決まってくると思う。宝塚は、誰もが感動する美しいフォーマットが出来上がっていて、決してこの律を崩さず、そのフォーマットの中に圧倒的な実力で中身を入れてくるので、こんなにも力強く、安定したクオリティが出せるのだと思う。これこそ文化だ。

たまにこのフォーマットというものを理解しない人間が、パターンを変えたいとか言い出して崩す場合があるけど、本当にそれは愚かなことで、全く真実が見えていないクソやろうだと思っている。いいものの何がよくて、何が骨なのか、物事の構造を理解してほしい。


Posted by 堀田 on 11月 7th, 2013 :: Filed under 考察

ニュース

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Yahooニュースのアプリを使っている。

そうすると、「〜〜、視聴率10%!」とかそんな感じの見出しの記事をかなりよく見かける。
で、なんかこういう要素が必要、とかそんな感じのことを何の評論家だかわからん人が話していたりする。

まじでくだらないというか、本当にどうでもいい。
あの手のマーケティング理論とか、本当に、一欠片の価値もない。
そういうのが必要なら、そんなわけわからん奴の話なんかじゃなくて、パソコンで統計とって、超客観的にドラマつくった方がまだ参考になる。

あの手の、なんか視聴率とか、なんていうんだろう、ヒットの法則とでもいったらいいのかな、なんかそんな感じのことを語って作品を知ったつもりになっている人って、作品をまともに鑑賞し、語る感性や能力が自分にはない、と言っているようなもんだね。
批評家と作家ってのはそもそもの役割が違うから、だったら自分でつくってみろよどうせくそつまんねえから、とかは言うつもりないけれども、あんな何の発見もない、作品の魅力を引き出すこともない、後付けでどうでもいい作品の外側のデータばっか語る批評とか、なんていうか、批評になってすらもいない。
というか、そもそも作品を全く理解できていないしするつもりもないような奴の話なんか聞く気にもなれないし、聞いていてもくそつまらない。
ほんと、批評家気取り、プロデューサー気取りの多いことったらないね。

しかも、そういう、しょうもないくせにやたら声と態度だけでかい人たちが、あらゆる作品や才能ある人たちをだめにしていっている。
だって、そういう人ほど、売れ出しそうな人に向かってアドバイスとかし始めそうじゃない。
「これからはこれこれこうした方がいいよ。誰々の時はそうだった」とか「前にヒットしたやつはこれこれこうだったから、これこれこうした方がいい」とかさ。
だけどそういう意見って、その売れ出しそうな人ができることとか、やりたいこととか、そういうの完全に無視してるし、なんなら全く理解してないっていうか、たぶん理解できてないで言い出してる意見だから、はっきりいって何の参考にもならないし、無理矢理やって、まあうまく乗り越えて次のステージいく人もいることにはいるだろうけども、たいていの場合はまあ、潰れていくよね。
ほんと、そんな数字とか法則とかじゃなくて、その人ができることとか、一番に輝くこととか、そういうのをちゃんと理解して、その上で展開を考えていくことが重要だよね。

そのためには、やっぱり月並みだけども、まずはその人を完全に愛さないとだめね。
金とか自分の権威のためとかそんなんじゃなくね。
前にきゃりーぱみゅぱみゅを女優として売り出せるのは僕しかいないと書いたことがあるんだけども、当時の僕は、彼女を愛していたからね。
彼女の親が彼女を愛している強度の次くらいの強度で。
まあ最近は、なんかもう彼女自身が慣れてきちゃったというか、違う感じになってきちゃったなというのと、正直僕自身ちょっと飽きてきちゃったなっていうのと、あと単純に、もはや女優に転向するタイミング完全に逸しちゃった感もあるっていうか、世間がもうある種のイメージで見ちゃってるからどうしてもそれを意識した上で色々考えていかなくちゃいけなくなったってのもあるっていうので、あれだけども。

いやー、しかしほんと視聴率とかまじでくだらないね。
まあそれがないと金まわらないってのはわかってるけども、ほんと、どうでもいい意見とか人とか、そういうの全て無視してやっていけたら最高だよね。
まあ、こんなこと考えてる奴なんて、そもそもから無視されてしまったりするわけなんだけどね。
ほんと世知辛いよなー。


Posted by 北川 on 11月 6th, 2013 :: Filed under 日常

抱く

部屋の模様替えをしました。

デザイナーズマンションらしいマンションに引っ越して来て2年半が経ち、いつの間にかマンネリになってしまっていたのですが、先日次回公演のチラシ撮影で自宅を開放し、レイアウトをみんなでいじっていたら、なんだか模様替えがしたくなって来たので、一気にやってみました。

チラシ撮影のときにラブホテル感を出そうとしてベッドを中心に置く方式をやったので、それをそのまま採用したら、本当に抱き部屋みたいになりました。いやらしい。

正直、こんな部屋に連れて来られたら、引くというか、やる気満々すぎて、こっちも何をしゃべっていいか分からなくなってしまうと思う。それこそもう、やるしかないと言いますか。

夏には戻そうと思います。


Posted by 堀田 on 11月 4th, 2013 :: Filed under 日常

抗体

予防接種を受けました。

前にも書いたと思うけど、僕はインフルエンザにかかりやすい方なので、今年もちゃんと予防接種を受けました。数日間会社に来ている医療機関に任意のタイミングで受けに行けるんだけど、僕は注射が嫌いなので、なかなか行く気にならない。むしろ社員番号で区切って指名してくれた方が思い切りがつく。

まあ、そうは言っても大人だし、そんなにビビってる訳でもないのだけど、行ってみたら隣で注射されてるおじさんが「痛え!」みたいな顔してるので、かなりビビってしまった。でも運良く上手な方だったようで、あまり痛くなく終了しました。やっぱり腕ってあるんだと思う。

しかし人間の免疫力を応用したこの予防接種という仕組みは大変すばらしい発想というか、人間の体って本当にすごいし、それを突き止める人間の科学力は本当にすごいと感心してしまう。子供たちが注射がいやだとうるさいなら、こういう仕組みのすごさとか、それを突き止めた人間のドキュメンタリーを見せてから、その注射という行為の価値を知らしめれば、大人しくなるのではないかと思う。(僕がやっているように)

ていうか、なんで注射である必要があるんですかね。飲み薬で抗体入れてくれればいいのに。


Posted by 堀田 on 11月 1st, 2013 :: Filed under 日常

押し付け

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近々研究発表等々あって、精神的余裕がない。
といいつつ、合間でかなりの本数映画見たりしているから、まあ言い訳だけど。

先日、実家でWOWOWの映画を録画予約するために番組表見ていたら、マイガールを放映することを知った。
前に似たようなことをちょろっと書いたこともあるし、そういうのいくつもあるからあれなのだけれども、中学生の頃、夜中に偶然テレビで見てボロボロ泣いたことのある映画の一つだ。
ビデオ屋で借りればまあ一発なのだけど、なんとなく、そのWOWOWでやってたやつを録画して実家で見るんだ、みたいな気に今はなっていて、なんとなくそれを楽しみに日々を生きている。
中学生以来、一回も見たことがないし、マコーレカルキンが出てて蜂に襲われちゃう、くらいしか覚えていないから、非常に楽しみだ。
あれを見た次の日、学校行って、コンクリート貼りの階段で友人に「いやー昨日マイガールって映画見てボロボロ泣いちゃったよ」とか「俺はあの映画で女の子の心を少し知った気がするよ」とか「絶対見た方がいいよ」とかしつこくしゃべってたら、いきなり友人から「自分の価値観を人に押し付けないでくれ」とか言われたんだよなー。
あれはびっくりしたな。

というわけで、約20年越しくらいでここで皆さんに押し付けることになるわけですが、機会あったらマイガール、ぜひどうぞ。
これまた中学くらいの記憶なので曖昧ですが、2より1の方がよかった記憶があるので、ぜひ1の方をね。
全然違ったらすいませんて感じですが、たぶん涙止まりませんよ。


Posted by 北川 on 11月 1st, 2013 :: Filed under 日常

制限

ご来場ありがとうございました。

昨日、リキマルサンシャインが無事閉幕しました。ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。あの空間でしか生まれないであろう感動を、みなさまと共有できて大変嬉しく思います。次のいい場所が見つかりますように。

リキマルはエチュードが主体なので、目の演技も重要だろうという事で、昨日は眼鏡でなくてコンタクトにしました。正直、お芝居の本番の日以外はもうほとんど眼鏡なので、ワンデーで買っているコンタクトがずっと使われずに置いてある。

理由としては、とにかく眼鏡が楽チンだからに尽きるのだけど、もうずっと眼鏡だから、例えば会社の後輩とかは「堀田さんは眼鏡の人」という印象になっているはずで、変にコンタクトをすると、今日は何かあるのかしら、何か勝負の日なのかしら、とか思われるのではないかと疑心暗鬼になってしまうからである。

完全に自意識過剰だとは思うのだけど、でも実際「今日はコンタクトなんですね」とか聞かれたら、「うん、ちょっと気分でね」としか返せないので、なんかそれがオシャレしてるみたいで恥ずかしいのである。いやオシャレしたっていいんだけど、でも別にオシャレになってないなし、その気分って何やねん、みたいに自分で思ってしまうので、なんか「付けなければならない理由」が明確に無いとコンタクトを付けられなくなってしまった。

大人になるにつれて、そうやって自分の作った制限にがんじがらめになって自由に生きられなくなってしまうのでしょう。そういう意味では、エチュードはお題や状況によっては、そういう制限とか超越して何かをやらなければならない時が来るからいいですね。普通じゃくまのプーさんとかやらないから。


Posted by 堀田 on 10月 29th, 2013 :: Filed under 演劇

リキマルサンシヤイン

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今日は。
柴田です。

リキマルサンシヤイン無事終わりました。ご来場ありがとうございました!
たった一回きりの公演というのは初めてでした。
まるで夢のようなスピード。

しかしこれでコレドが最後となるのは物悲しいですね。

なんか次、いい場所がありましたら教えてください!
酒が飲めて、客席は50くらいで、バタバタできるところ!

また皆様にお会いできることを楽しみにしております!

あの、解散したわけじゃないですからね。


Posted by 柴田 on 10月 28th, 2013 :: Filed under 日常

安心安全

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昨日も雨が強かった。

小さい頃から台風とか大雨とかの日の夜に、雨音や風音を聞きながら布団で寝るのがすごい好きだ。「おー、さむさむ!」とか、「おー、怖い怖い!」なんて言って、自らの安全を実感する行為がたまらなくいい。

僕にとって本当に家ってのは大事で、例えばキャンプで外で寝るとか言うのも極力避けたい。とにかく寝るのが大好きなので、悪条件で寝るというのは、グルメがすごいマズイものを食べさせられるのと一緒なのである。

僕もすっごいうまいもんを食ってから、安全な家のベッドで寝ると本当に幸せなので、これを死ぬまで毎日続けたい。


Posted by 堀田 on 10月 26th, 2013 :: Filed under 日常

濃い

濃い味が好きです。

今日はお昼ごはんで、久々にファーストキッチンに行った。ファーストキッチンに行く理由は決まってポテトを食べるためである。

僕は濃い味が好きな方で、ポテトも普通の味よりもフレーバーポテトみたいにさらに味がついている方がいい。いつもだいたいチーズ味を頼むのだけど(濃いから)、今は「3種の贅沢チーズ味」とかになっていて、願ったり叶ったりである。実際食べたら本当にうまくて大満足の昼食でした。チーズが濃くて、心底おいしいと思った。

濃い味と言えば、ソースはウスターソースよりもとんかつソースとか中濃ソース派である。で、今日たまたま聞いた話で、ソースの原材料が主に野菜と果物だと聞いてマジでびっくりした。野菜と果物を煮詰めるとソースになるらしい。全然信じられない。

この知識を誰かに自慢したいのだけど、「そんなのは一般常識だ」と会社の人に言われてしまった。だからここにだけ記しておこう。ここは王様の耳はロバの耳に出てくる穴のようなものだから。


Posted by 堀田 on 10月 25th, 2013 :: Filed under 日常

コミュニケーション

写真はイメージです。

うちの会社では社長ほか経営層が、若手を中心とした社員たちと交流を深めることを目的とするコミュニケーション会が毎月開かれていて、最上階のパーティスペースで立食形式でやっているらしい。いままで僕は不参加を貫いていたのだが、今日は出なくてはならないことになってしまい、行きました。

行ったはいいけれど、社長はいたけれど、特にコミュニケーションを取るでもなく、ピラフをぱくぱく食べて、いそいそと仕事に戻ってしまったが、帰りながら、偉くなってしまうのは可哀想だと思ってしまった。

彼らは純粋な気持ちでこのようなパーティを企画し開催しているのだろうけど、そして別に僕らも彼らが嫌いな訳でもないのだけど、なんとなく面倒で、なんとなく煙たがられてしまっているのだ。だってコミュニケーションとか言われても、社長と雑談したいわけじゃないし。

勘違いしてもらって困るのは、若手の忌憚の無い意見を聞きたいのであれば、このようなパーティ形式では無理なのである。社長に話そうにも、自分の置かれている状況などが社長とかから見たら細かすぎて、それを説明するのにすごい時間がかかってしまって、結果、面倒になっちゃうのである。やるなら普通に仕事中にふらりとやってきて「30分くらい話せる?」とかいってランダムに社員を掴まえ、「君は何の仕事してるの?」くらいのところから入ってほしい。そんな、ワイワイガヤガヤうるさい立食パーティでまじめな課題提起なんてできないだろう。

なので、当たり障りのない話しかしないし、こっちも一応ニコニコしてそれなりに会話をするのだから、それで「コミュニケーションを取れた」とか満足されても、それって全然意味ないんだよなあ。裸の王様というか、誰もそういうのを指摘もしないから、なんだか可哀想な感じもする。

要はコミュニケ—ションを取ること自体が目的になっちゃってて、そもそも何のためにコミュニケ—ションを取りたいのかっていう話だと思うんだけど。社員の話を聞きたいってのは嘘じゃないと思うけど、やり方がうまくないというか、途中からやることが目的になって満足してしまっているというか、そんな感じがして寒いので、いつも不参加なのです。ピラフはおいしかったです。


Posted by 堀田 on 10月 24th, 2013 :: Filed under 仕事

ものまね

昔のものまね王座はおもしろかった。

歌番組はすっかりなくなったけど、ものまね王座歌合戦的な番組はよくやっている。あんまりまともに見てないけど、昔に比べて全然面白くなくて残念である。神無月さんを除いて、最近のはものまねというよりは「ネタ」ばかりで、正直全然似てないのも多いし、レパートリーも、いつもの人がいつもやっているやつを、シチュエーションを変えたり、コントみたいにしたりしてるだけで、結局ものまねとしては全然深まっていなくて、複数人が「コラボ」とか言ってるのなんて、もう全然ものまねじゃなくてただの寒いコントである。

「細かすぎて伝わらないものまね」も最初はすごく面白かったのに、途中からネタ合戦になってしまって、全然「細かすぎて」じゃなくなってしまい、本当に残念だった。あれは、マニアックな目線でなければ見つからない細かい動作(実際にやっているもの)を真似るから面白いのに、途中から「こういうことやりそう」という妄想の世界になってしまって、完全に趣旨とズレてしまっていた。それはものまねじゃないって!

昔はコロッケとか清水アキラとかが、それはもうずっとお腹抱えて笑ってしまうくらいのすばらしいネタを、歌に合わせてどんどん繰り出して来て、本当に面白かったものである(ビジーフォーの外人のネタはほとんど分からなかったけど)。あれはちゃんと歌を歌いながら「ショー」を見せてくれていて、ものまね自体にすごく力があったのだと思う。だから定番のものまねでも何度でも面白かった。ほんと、あの頃のものまね王座に戻してほしい。

ちなみに、僕が人生で最初に観に行ったステージは、確か長島スパーランドというところでやっていたコロッケさんのものまねライブだったんだけど、これが本当に面白くて、ずっとゲラゲラ笑っていた。熱いやかんをステージの上において、「燃えよドラゴン」の曲を流して、「あちゃー!」って言ってるだけのネタとかあったけど、あれは本当に、本当に面白かったなあ。


Posted by 堀田 on 10月 23rd, 2013 :: Filed under 考察

社員旅行

会社の温泉旅行に行ってきました。

最近元気が無いからみんなで温泉に行こう!という鶴の一声で決まった今回の旅行。僕も入社して10年になりますが、初めての経験でした。だからという訳ではないが、いつもは写真なんて全然撮らないのに、なぜか今回は100枚くらい撮っていた。

上の写真は僕のお風呂上がりのものですが、100枚ある写真のうち、上品なのはこの一枚くらいで、あとは本当におじさんの裸しか写っていない。諸先輩や後輩らの幹事団がバスやホテルの手配から宴会場でのゲームの数々などやってくれたのだが、これが大変よく練られていて、本当にこういうのは馬鹿にできないというか、尊敬に値すると思った。上下関係がある程度ある中で、宴会を盛り上げるのって本当にすごいと思う。

特に僕は入社以来、飲み会からイベントから、ほとんど幹事なるものをやっていなくて、これは別に僕が悪いというよりは周りが僕に幹事をなぜかやらせないから、そのまま何も分からないうちに10年経っちゃったのである。今でも僕の後輩と一つ上の先輩とかが幹事に指名されたりしてんだけど、絶対に誰も僕を指名しない。何かすごい気を遣われているというか、「こいつは絶対面倒くさがる」とバレているというか。

いや、思うに演劇とかやってるから宴会芸みたいなものに対して、ちょっと一歩引いてしまうというか、馬鹿になりきれないというか、そういう態度がちょっと透けて見えちゃってるのかもしれないなあ。いや、こういうのは馬鹿になってやったほうが絶対クオリティの高いパフォーマンスができるんだけどね。それは全然馬鹿じゃないし。

とにかく、忙しい仕事の合間を縫って宴会の準備をし、当日はきちっと段取りよく回して宴会では大いに盛り上げ、一段落したあとで幹事のおじさんがタバコをふうーーーっと吸ってまたゲラゲラ笑っているのを見て、本当にこの人たちはすごいなあと感心し、自らの小ささを再認識したのであります。


Posted by 堀田 on 10月 19th, 2013 :: Filed under 仕事

自分

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「よくわからない人だ」と言われることが多い。
先日、大学で講義する機会があったのだが、その時もそのようなことを言われた。
まあそれは別に何とも思わないのだが、そのような時、よく思う。

僕も、僕のことがよくわからない。
わからないし、もはやそれは、どうでもいいとすら思っている。
かなりの昔に、自分をわかることなんて、諦めるというか、放棄している。

というか、むしろみんなに聞きたい。
みんなは実際、自分のことってわかっているのか?

僕は、自分のことなんてやつは、一生かかっても、絶対に、わかることはない、と思っている。
だって、単純に自分の身体を構成している細胞だけで考えても90%くらいは見たことがないというか、よく知らないわけだし、脳みそだって、現代医学をもってしても、ほとんどが解析できていない。
そんな状態で、自分のことなんてわかるわけがない。
そりゃあまあ、適当な言葉で型にはめて、なんとなくわかった気になれたりすることもあるけど、そんな単純じゃないっていうか、それで自分の全てを示すことなんてやはり不可能だ。

だから僕は、他人のことも正直、よくわからない。
その辺は、なんかもう、ぼやっと、なんとなくで判断して、ものすごく適当に生きている。

でもまあ、それでいいとも思っている。
人間なんてそんなもんだ。

だから僕は、脚本とかを書く時、人物の設定っていうか、こういう性格で、誕生日いつで、こんなあれで、みたいなものを、一切つくらない。
いきなりシーンや物語というか、人物がどう動くかとか話すかをつくる。
我々は普段、他者のことを判断する時に、「あの人は誕生日いつで、こんな性格で〜」とか別に考えていない。
まあ、そういうのが絡む時は考えることもあるけども、基本的には、具体的な動きや発言からしか判断していない。
だから、それと同じように考えていく。
まあそうすると、かちっとした、いわゆるキャラクターみたいなものにはなりにくいんだけど、そんな、ミッキーみたいなマスコットじゃねえんだから、いわやる「キャラクター」って感じの人間なんてこの世にはいないだろう。
だから、人物像なんてもんは、不可解だったり、多面的だったりしていい。
それが人間というやつなわけだから。

上と関連して、学校ではだいたいこういったことベラベラ話すことにしてるんだけど、その考えを適用して作品つくった学生とか、後で先生にくっそ怒られてたりするんだろうな。
それに、こんなこと考えてたら、あんまりお金にもならないだろうし。
実際、まあ僕も先生には相当に嫌われていたし、ネットとかでくっそ叩かれることもあるしね。
でも、僕は僕の言ってることの方が正しいと、これに関しては、かなり信じてるね。
だからまあ、全然別のやり方でもいいんだけども、ぜひ周りのしょうもない意見とかは無視して、自分が正しいと思ったやり方で、ぜひみんな頑張って欲しいね。
まあそこにおける自分って、よくわからないから多少矛盾してるんだけどね。


Posted by 北川 on 10月 17th, 2013 :: Filed under 日常

忘れる

よく忘れ物をします。

歳を追うごとに、モノを忘れて行ってしまう事が多い。傘とかはビニール傘であろうが、ちゃんとした傘であろうが、簡単に電車の中に置き忘れて行ってしまうので、もう買っていると本当に勿体ないから、基本は雨が降っていても傘を差さずに濡れて帰るというのを徹底している。

まあ傘は誰でもあるとして、前には自転車を忘れて行った事もあって、コンビニに自転車で行って買い物をした後、自分が自転車で来ている事を忘れてそのまま歩いて帰り、その後、2週間後ぐらいに自転車に乗ろうとしてやっと「あれ?」と気がついた。しかもそのコンビニは駅までの通勤ルート上にあって、毎日行きと帰りに自転車の目の前を通っているにもかかわらず全然気がつかなかった。自転車からしたら毎朝晩「おいおいおいおいおい!」って感じだったろうと思う。

しかも気づいたときは完全に「盗まれた!」と勘違いしてたし。こういうときはだいたい僕が犯人です。


Posted by 堀田 on 10月 16th, 2013 :: Filed under 日常

ステルス

センサーに反応しません。

昔からずっとなんだけど、センサー関連の感度が悪い。自動ドアの前に立っても全然反応してくれなくて、ドアとキスしそうなぐらいまで近づいてしまうことがよくある。あとトイレの洗面所で、手を出すとセンサーが反応してお水を出すやつがあるけど、あれも何度やっても全然反応してくれないし、トイレで手を掲げると水が流れる系のやつも、何度やっても流れないときがあったりして、もう流すのくらい普通のレバー方式にしてくれよと思ってしまう。

もちろんうまく反応してくれるセンサーもあるので、要はモノによって、何に反応するかが違っていて、僕だと反応しにくいものがあるのだと思う。物理的にいるかどうかはさすがに反応してくれていると思うので、反応されていないとすると体温とかだろうか。それならまだいいけど、なんかドラゴンボールのスカウターみたいなので、ゴミ扱いされてたら嫌だ。


Posted by 堀田 on 10月 14th, 2013 :: Filed under 日常

コール

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飲み会にて。
男A、突然立ち上がり、

男A「学生注目!」
みんな「なんだなんだ!?」
男A「…いつ飲むの!?…今でしょ!」
みんな「(手拍子と共に)はい!はい!はい!はい!はい!はい!男Aに、お・も・て・な・し!お・も・て・な・し!」

男A、注がれたビールを一気飲みし始める。

みんな「じぇじぇじぇ!じぇじぇじぇ!じぇじぇじぇ!じぇじぇじぇ!」

男A、飲み干す。

みんな「じぇじぇじぇーーーー!?」

拍手が巻き起こる。
と、女B、突然立ち上がり、

女B「学生注目!」
みんな「なんだなんだ!?」
女B「いつ飲むの!?…今でしょ!?」
男A「女Bに、倍返し!」
みんな「倍返し!倍返し!倍返し!倍返し!」

女B、注がれたビールをあおる。


Posted by 北川 on 10月 11th, 2013 :: Filed under 日常

思い込み

思い込みが激しい。

自分のよくないところを一つあげるとすれば、思い込みが激しいときがままある。分析的思考はあるほうなのだけど、「ちゃんと調べる」ということはあまり好きな作業ではないので、こうだと思った事は、実は情報が足りなかっただけで、違っていた、なんてことはよくある。限られた情報の中で、自分の中では理路整然と論理立てられているだけに、大声で間違った事を言っている可能性もあって、これはやっかいだ。

かと言って、限られた時間や限られた情報の中で、ある程度見切り発車的に決めて行かなければならないことも多々あって、間違っていても仮説を立ててどんどん行動していかないと、正しいかどうかも分からないじゃないか、という思いも一方である。慎重になりすぎて大人しくなってもねえ、と。

でもそうやって仮説と検証を繰り返して得て行った経験値を、相手に押し付けてしまったりして、それもよくないというのもわかる。結局、常に謙虚に、見聞を広げ続けろという事なんだろうけど、やっぱり興味の無い事とか、全然知らない人の事、全然知らない世界の事について知るのは僕にはすごく苦手なことで、そこが大人になっていくにつれ重要なんだとすると、正直今後の人生について困ってしまう。

ベンチャー企業の社長とかが、この手の話で、ああだこうだとか、ああしようこうしようとかFacebookとかですごい語っているけど、確かに彼らは見聞を広めるという事にすごくどん欲なように見える。そしてああいう感じには、なんとなくなりたくない。もう32歳ですけど、これから一体どういう人間になって行くんすかねえ。


Posted by 堀田 on 10月 11th, 2013 :: Filed under 考察