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自分

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「よくわからない人だ」と言われることが多い。
先日、大学で講義する機会があったのだが、その時もそのようなことを言われた。
まあそれは別に何とも思わないのだが、そのような時、よく思う。

僕も、僕のことがよくわからない。
わからないし、もはやそれは、どうでもいいとすら思っている。
かなりの昔に、自分をわかることなんて、諦めるというか、放棄している。

というか、むしろみんなに聞きたい。
みんなは実際、自分のことってわかっているのか?

僕は、自分のことなんてやつは、一生かかっても、絶対に、わかることはない、と思っている。
だって、単純に自分の身体を構成している細胞だけで考えても90%くらいは見たことがないというか、よく知らないわけだし、脳みそだって、現代医学をもってしても、ほとんどが解析できていない。
そんな状態で、自分のことなんてわかるわけがない。
そりゃあまあ、適当な言葉で型にはめて、なんとなくわかった気になれたりすることもあるけど、そんな単純じゃないっていうか、それで自分の全てを示すことなんてやはり不可能だ。

だから僕は、他人のことも正直、よくわからない。
その辺は、なんかもう、ぼやっと、なんとなくで判断して、ものすごく適当に生きている。

でもまあ、それでいいとも思っている。
人間なんてそんなもんだ。

だから僕は、脚本とかを書く時、人物の設定っていうか、こういう性格で、誕生日いつで、こんなあれで、みたいなものを、一切つくらない。
いきなりシーンや物語というか、人物がどう動くかとか話すかをつくる。
我々は普段、他者のことを判断する時に、「あの人は誕生日いつで、こんな性格で〜」とか別に考えていない。
まあ、そういうのが絡む時は考えることもあるけども、基本的には、具体的な動きや発言からしか判断していない。
だから、それと同じように考えていく。
まあそうすると、かちっとした、いわゆるキャラクターみたいなものにはなりにくいんだけど、そんな、ミッキーみたいなマスコットじゃねえんだから、いわやる「キャラクター」って感じの人間なんてこの世にはいないだろう。
だから、人物像なんてもんは、不可解だったり、多面的だったりしていい。
それが人間というやつなわけだから。

上と関連して、学校ではだいたいこういったことベラベラ話すことにしてるんだけど、その考えを適用して作品つくった学生とか、後で先生にくっそ怒られてたりするんだろうな。
それに、こんなこと考えてたら、あんまりお金にもならないだろうし。
実際、まあ僕も先生には相当に嫌われていたし、ネットとかでくっそ叩かれることもあるしね。
でも、僕は僕の言ってることの方が正しいと、これに関しては、かなり信じてるね。
だからまあ、全然別のやり方でもいいんだけども、ぜひ周りのしょうもない意見とかは無視して、自分が正しいと思ったやり方で、ぜひみんな頑張って欲しいね。
まあそこにおける自分って、よくわからないから多少矛盾してるんだけどね。


Posted by 北川 on 10月 17th, 2013 :: Filed under 日常
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