
サラダにハマりかけています。
先日、妻とランチをするぞと青山にあるおしゃれなレストラン的なカフェに行きまして、妻がサラダランチなるサラダがメインのものを注文するので、そんなもので足りるものかと言いつつ僕も同じものを食べたのですが、これが思いのほか美味しくて、もうサラダ以外何も食べられなくなってしまっています。
まずボリュームがかなりあるのでお腹いっぱいになるのが一番いいのですが、適度にお肉やお魚など具らしい具があって食べ応えがあり、またドレッシングも日替わりなので、毎回違う料理のように食べられます。OLは控えめなふりしてこんなにもうまいものをガッツリ食っていたのか、ははーん、なるほどという感じです。
こうなってしまうと健康志向になりがちで、脂っこいものとか、炭水化物の塊のようなものを敬遠してしまい、近くのオシャレなバーガー屋で、無添加のバーガーに小松菜のスムージーをつけるなど、突然絵に描いたような表参道ライフが始まっていますが、まだ調査が足りず、店の選択肢が少なすぎて食べるものに困ってしまっています。
なので、二日連続で同じ店で同じサラダランチを食ったりしているのですが、妻と二人ならまだしも、一人で何回も行ってOLみたいな食い方してると、店員に顔を覚えられて「OLめがね」とかあだ名を付けられて揶揄されそうで嫌なので、ある程度ローテーションを組みたいと思っており、何人かのインスタ女をフォローしてまずは情報収集に努めようかと思っています。
Posted by 堀田 on 8月 27th, 2017 :: Filed under
日常

スターウォーズに出て来そうな橋。
おかげさまでいいところに住んでいるので、近くに美術館なんかもあったりして、週末にはそこで都会的な茶をしたりしていますが、こういうアートで巨大な建築物を見ると、建築家って本当にすごいなと改めて思わされます。デザインもさることながら、建築としての安全基準をちゃんと満たした上で、巨大な円錐を逆さにした柱の上にあるカフェとか、うねうね曲がりくねった全面窓ガラスの壁とかを設計していて、待てよ、本当にこれ大丈夫なんだろうなと少し疑ってしまったりします。
建築基準法とか、関連する法律や基準がどういうレベルのものなのかさっぱりわかりませんが、様々な建築家が斬新な発想をしていく中で、「こんな構造は新しすぎて安全かどうかやってみないとわからない」とか、判定する基準が追いつかなくて、正直ぶっつけなのではないかと心配になったりしています。ハッカーとウィルス対策ソフトみたいに、新しい基準を設けると、建築家がまたそれでは測れないような新しい概念を持ち込んでくる、みたいな、基準と設計のイタチごっこになってそうだなと思いました。そんなことないんでしょうが。
で、この美術館を設計した人の作品を調べていたら、福岡銀行の本店なんかも出て来たのですが、

こんなほぼ穴みたいなビル、安全なのは分かりますが、発注側からしたら、スペース勿体無いなぁって思っただろうなと少し同情してしまいます。この空間にテナント入れたらそれなりの賃料が見込めただろうけど、かっこよさのバランスとしてはこれがベストなんだろうし、「この穴はもう少し小さくならないんですかねぇ(笑)」とか不用意なこと言って怒られたりしたんだろなと思います。
結果的にかっこよくできたからまだいいけど、下手したら周辺住民からは血圧計とか言われてバカにされてるかもしれないし、そういう思ってもみないあだ名を付けられる可能性もあるわけだから、かっこいい建物を発注する側には本当に確固たる決意が必要なんだろうと思いました。
Posted by 堀田 on 8月 14th, 2017 :: Filed under
日常

サラリーマンあるあるかもしれませんが。
お客さんとの打ち合わせが終わってエレベーターまで見送ってもらうとき、「今日はありがとうございました」と頭を下げ、ドアが閉まるまでそのまま姿勢を固定する人がよくいますが、タイミングよくドアが閉まらなくて間があいてしまい、待ちきれずに頭を下げたまま手を伸ばしてもう一回閉ボタンを押すはめになるなど、だいたいうまくいかなくて変な動きになってしまうので僕はやらないようにしています。
まるで自動ドアを幕と見立てたようなあの去り方に、何か名前をつけたくなるくらい、あれは日本独特の文化だなあと感じるのですが、決してバカにしているのではなく、ああいう一見ヘンテコでも、礼を重んじる日本人の頑なさを、なんとなく継承してやっている世のサラリーマンが結構好きだったりします。
他にもエレベーターでの去り際に「じゃあすみません、今日はありがとうございました!」とか、飲み会が解散するときに「じゃあすみません、今日はおつかれさまでした!」という風に、去り際のセリフの前になんとなく「すみません」を入れるのも、日本人独特というか、外国人からしたらなんで謝るのかと思うと思うけど、あの特に謝ってるわけじゃなくて、ラストに向かう勢いづけというか、その場にいる全員に瞬間的に「終わりだよ!」と伝える合図というか、あの「じゃあすみません」を機に一気にみんながありがとうございましたまたよろしくおねがいしますどうもすみませんしつれいしますと、がやがや音を発して一瞬盛り上げながら散っていく様子は、カーテンコールのお辞儀と拍手のような小粋なお決まり感と一体感があって、とてもいい文化だなといつも思っています。
こういうなんとも言えないこのすみませんに名前がないのが本当にもどかしく、かといって「謙遜締め始め」とか名前をつけてしまっても味わいがなくなってしまうので、結局「わびさび」みたいな言葉でくくるしかないのだなあと長々と書いた結果、思いました。
一旦さようならをしたあと、ロビーのドアを出てから振り返ってまたお互いにお辞儀する「内外間再礼」も好きです。
Posted by 堀田 on 8月 8th, 2017 :: Filed under
仕事

コーヒーはブラックと決めています。
本当はピルクルのような乳製品が好きなのですが、会社では毎日ブラックを飲んでいます。できる男=ブラックというイメージでやっているカッコつけであって、家では一切ブラックなど飲みません。
これには、食事に対して無頓着だとかっこいい、みたいなイメージがあって、食べられればなんでもいい、ぱぱっと食べて仕事に戻りたい、みたいなのをやりたくて、社食でメニューを選ぶ時などにも「なんでもいいんで」という感じですぐにお盆に載せたりしていますが、本当はご飯の時間が一番楽しみで、終わってしまうと「ああ、ご飯が終わっちゃった…」と、とても悲しくなっています。
先日もコンビニでパンを買って来て席で食べようとしていたら、他の部署の先輩に仕事のことで話しかけられ、パンを片手に話をしていたのですが、あまり面識のない人だったので少し意識を持って行かれてしまい、話が終わった頃にはパンも無くなってしまっていて、ああ、全然味わわないうちにご飯が終わってしまった!と、大変しょんぼりしてしまいました。
他にも、終電近くまで仕事をしたあと、後輩と電車で「今夜コンビニで何を買って帰るか」をずっと話し合い、俺はソース焼きそばにする!と決めたが最後、もうソース焼きそばが食べたい、ソース焼きそばがなかったらどうしよう、という心配ばかりして、駅から早足してしまうほどです。実際、360円の焼きそば706キロカロリーを確保し、そのままレジで706円出してしまったりするなど、定価の倍額を払っても何とも思わないくらいご飯で頭がいっぱいなときもあります。
このご飯に執着しない、のような、〜しない、というスタイルは実現するのが難しいですね。本来は、〜に注力・熱中しているから、結果的にご飯に気が向かない、みたいな形であるべきなんだと思います。今は食べてしまったパンがないないと嘆いているような状態なので、もっともっと仕事に集中しなければならないなと、ここまで書いて自戒しています。
Posted by 堀田 on 8月 6th, 2017 :: Filed under
日常

後輩男子について。
うちの会社に少し顔をデカくした岡田将生くんみたいな後輩がいまして、いや、もちろん全然違うんですけども、本人もよく言われるようで自認しており、「小さな巨人」が放送中の時は、週明けに「ドラマ見たよー?」「ありがとうございます!」なんて絡みを執拗にして楽しんでいたのですが。
他にも、たまに顔のキレーな若手男子とか、とても誠実な仕事ぶりの若手男子とか、この歳になるとどいつもこいつも可愛く見えてくる理論以上に、特定の人に対して「お気に入り」というような感覚が若干あって、ちょっと戸惑う瞬間があります。もちろん大げさに自分はバイセクシャルなのかと疑ったりしている訳ではないのですが、とは言え、今まであまりなかった感覚なので、今の状態から二歩ほど進んだ先にはそういう世界があるのかなと考えたりします。
思うに、おそらく二歩先に進んでしまうと、彼らを抱く/抱かれる、みたいなことが「有り」という感覚で、その一歩手前は、彼らと同じ部屋の空気や呼気を吸うことに対して少し価値を見出すようになるとか、逆算するとそんなあたりかと。もちろん今の段階ではそんな感覚は全然ないのですが、それこそ本物の岡田将生くんが会社にいたら一歩目にはすぐに届きそうだし、高橋一生が本気で攻めてきたら二歩目もあるかもしれません。
先日上司が2年めの若手くんを遠目に見て「綺麗な顔してるなあ」と言っていたので「その感覚わかります!」とこのブログの3段落めくらいまでの理論を展開したところ、軽く引かれた感じもあったので、まだまだこの分野について議論を交わすには時代の流れを待つ必要があるのかなと思いました。
Posted by 堀田 on 7月 25th, 2017 :: Filed under
仕事

「非常に軽度ですが、AGAの症状が出ている可能性があります」
先ほど、銀座クリニックに行ってAGAかどうかの診察を受けてきまして、お薬をもらってきました。今、ゆっくりと運命を受け入れているところ。
経緯を話すと、まず受付で若くて可愛らしいお嬢さんが満面の笑みで迎えてくれるのですが、自分がハゲかどうかを調べてもらいにきているという、ある意味、男の一番不安定な状況を見られているわけで、いったいどんな顔をして対応していいか分からず、その時点でもう多分こんな顔(AGA)になっていたと思います。
その後、満面の笑みをした堺雅人さんみたいな人が来て、個室でカウンセリングが始まるのですが、どういう経緯で来たのかと聞かれ、「経緯もなにも、カラスの糞を食らって頭を撮ったら薄くてびっくりしたんだ」と、強めになってしまいそうな語気を抑えて答えると、早速とばかりに頭皮のチェックを行った後に一言。「非常に軽度ですが、AGAの症状が出ている可能性があります。」
症状が出ている”可能性があります”というのはどういうことか、と聞き返したところ、「症状が出ています」と言い直され、二度、衝撃を喰らいました。
あまりに簡単に判定されるのでその論拠はと問い詰めると、AGAの症状は頭の真ん中ラインにしかでないため、横や後頭部の髪質が堀田さんのオリジナルの毛ですと。そのオリジナルに比べて、頭頂部の髪が細く、密度が薄くなっているので。と言われ、それこそこんな顔(AGA)をしながら聞いていました。
原因は、男性ホルモンのテストステロンが5α還元酵素と結びつくと、ジヒドロテストステロンに変わる。これが毛周期を縮める信号を頭皮に送るらしく、通常、2〜6年生えている髪が半年くらいで抜けてしまう。そのジヒドロテストステロンの受容体は頭皮の真ん中ラインに集中分布しているので、AGAは頭頂部と額で発現する。また5α還元酵素の多少は遺伝によって引き継がれるため、親が薄いと子も薄い、となるらしい。この段階でもう泣いていたと思います。
よって薬としては5α還元酵素を抑えるもの(7000円/月)と、毛の成長を促進するもの(11000円/月)になっており、正直後者は必須ではない気がしたのですが、少しでも髪のためになるのならと、両方を処方してもらうことにしました。その後、診察(といっても頭の写真撮影のみ)をして、採血をして、また来月。となりました。血液検査の結果が出てから、いよいよ薬を飲んで、5α還元酵素を止めにかかります。
先生は、軽度なので二ヶ月もあれば改善してくると言ってくれたので、今は未来を変えてやるんだという気持ちをなんとか持って頑張ろうと思っています。受付でずっとトムハンクスの「ダヴィンチ・コード」が流れていたのですが、ハゲていてもこんなに活躍している人がいるんだと、それにも大変勇気付けられました。
Posted by 堀田 on 7月 15th, 2017 :: Filed under
映画

いつか向き合うことになるとは思っていました。
先日、仕事で住宅街を歩いていたら、上からカラスの糞を喰らってしまい、なんだよもうーなんていいながら、頭に糞がついていないかどうか確認しようと頭を自撮りしたのですが、確かに糞は食らっていたのですが、それよりも何よりも頭頂部の頭皮が思ったより多めに写っていて卒倒しそうになりました。
そういえばいつの間にか36歳になっているし、父もスカスカだし、全くありえない話でもなく、慌てて妻に確認したところ、今まで気にしていなかったが、改めて確認されると「なんともいえない」とのことで、これはもうアウトだと、ハゲだと認定し、来週病院に行ってくることにしました。自分はAGAですかと聞いてきます。
正直、直面するのはもっと将来の話だと思っていましたが、例えば20年後にそれなりにハゲているとしたら、今から少しずつ始まると考えて何らおかしくありません。鈴木さんだっていきなりああなったわけじゃない。
鈴木さんといえば、僕はこれまで鈴木さんの頭を叩いて笑いをとっていたわけですが、このポジション的に一番ハゲてはいけなくて、ハゲがハゲを叩いても優劣が見えないというか、単純に痛々しいというか、とにかくまだイメージが持てなくて、こうなってくると鈴木さんの先輩としての背中が本当に大きく見えてきて、夜に電話してしまいそうになります。
僕が常々思っていたのは、自分が将来的にハゲていくときに、周囲にカミングアウトするタイミングで、明らかに薄くなってしまってからでは周りも触れにくいだろうし、自分も受け入れられてないから、お互いに言い出せないまま時間が過ぎ、もう触れられない、おもしろにできない。というのを危惧していて、本当にこのタイミングがいつなんだろうと思っていましたが、もしかしたらそれはAGAと診断されたときなのかもしれません。
とにかく、来週の診断を座して待つより仕方がありませんが、結果がどうあれ、今となっては糞を落としてくれたカラスに感謝しています。神の使いか、髪の使いか。
Posted by 堀田 on 7月 8th, 2017 :: Filed under
日常

フレンチの堀田。
先日、結婚一周年を過ぎると得られる帝国ホテルでタダでディナーができる権を行使して、妻と普段は行けない高級フランス料理を食べてきました。写真は企業スパイのように隠れて撮影したパン。
過去にもフランス料理を食べたことはあったんだと思いますが、今回改めて本格的なコースを食べてみると、総じて濃い味で、ハンバーグやオムライスみたいな分かりやすい味ではなく、幾重にも味が重なった複雑な味がしました。もう4,5周回って美味しい、みたいな感じだったので、出てくる感想としては「濃厚っ!」とか「んんっ!」とかばかりで、自分の語彙力の低さに愕然とします。
思えば、ソムリエがワインの味を説明するときに、「少女の髪を撫でる柔らかな風のような香り」とか、「雨上がりのバス停にいる一匹の蛙のような飛び跳ね」とか、ちょっとよく分かりませんけれども、とにかく分かりづらい表現をするなぁと不思議がっていましたが、確かにこれらの複雑な味を説明するには、そういう語彙力が必要なのかもしれないなと思いました。
ただホテル側も我々が明らかに庶民というのはわかっているので、別料金のワインで一番安いのを選んでも「今日のお料理にはベストチョイスだと思います」といった配慮や、「お腹いっぱいですか?ではデザートはよろしいですね?」といった鉄板ギャグなど、小洒落たトークをかましてきて、堅苦しくなく非日常を味あわせてくれる感じはさすがというべきでした。
これからも4年に一度くらいのペースで行きたいので、ちゃんとあの味を表現できるように、日頃から練習していこうと思います。ちなみに、乾杯用のシャンパンは、まるでラジウム温泉かのようにずっと底から泡がぶくぶくとしていました。
Posted by 堀田 on 6月 24th, 2017 :: Filed under
日常

腹がデルタ航空。
僕も36歳になり、日々体の劣化に恐怖しているのですが、やはりどんどん痩せにくくなっていて、少しずつ、そして確実にだらしない体になっていくのがわかります。
ということで、去年からジムに行ったりしているのですが、やはり週一回でちょっと鍛えたり走ったりしても効果はなく、週に3回は通わないといけないのはわかっているのですが、筋トレも好きじゃないし、走るのもすぐに嫌になってしまうので、どうしても腰が重くなってしまいます。
思うに、好きこそ物の上手なれ、というように、この運動という行為を楽しめないと、ただ苦痛ばかりですぐに挫折してしまいそうです。それか何か高い目標(ジュノンボーイになるとか)があってその延長線上にある苦痛ならいいのですが、それもなく、ただ太ったらかっこ悪いから、という弱い理由だと、ぬるま湯に浸かった蛙のように毎年2kgずつくらい徐々に体重が増えて、10年後に+20kgとかなってそうで、そういう想像をするたびに今の1kgの大切さをひしひしと感じています。
先日、NHKで160cmの元NBAプレーヤーが弱小中学生チームにバスケを教える番組があったのですが、その先生のマグジーさんが自らを証拠に「全ては可能なんだ」「自分の目標が実現できると信じること(マインドセット)が大事なんだ」と言っていて、うつむいていた子供たちが目を輝かせて成長する様子を、僕も涙を流しながら見ていました。
ただ前述の通り、自分にはもうそんな目標もないので、マグジーさんが見ているぞと勝手にプレッシャーをかけ、さらに1回ジムに行くと1マグジーがもらえ、1年で100マグジーに到達すると理想の体型になる、ただし3日連続で行くと+1マグジーがもらえるボーナスあり、などと、もはやマグジーさんを目標そのものにすり替え、なおかつ「マグジーさんを100集める」と意味不明のマインドセットをすることで何とか意識を保っているという状態です。
まあ方法は何であれ、とにかく目標を立てて頑張れとマグジーさんも言ってくれると思うので、おっさん化しないためにも頑張りたいと思います。ちなみに先日集め始めばかりなので、まだ2マグジーです。
Posted by 堀田 on 6月 17th, 2017 :: Filed under
日常

涙じゃなくて反吐が出ます。
先日、王様のブランチで涙活なるものが紹介されていたのですが、その仕掛け人として涙活プロデューサーと名乗る男が出てきて、こいつとは絶対に友達にはなれないなと思いました。
そもそも泣くことを目的として動画などの作品を見る行為自体があまり理解できていなかったのですが、それは個人の考えとしても、それを涙活という名前をつけて広めてるやつがいるというのは驚きで、泣ける動画3本などをブランチガールに見せるのですが、もうベタベタの内容のもので、それらを完全に泣くことを目的として見なきゃならないのは、笑うことを前提としてコメディを見なきゃならないようで、ブランチガールは本当に大変だなと思いました。
また、推薦動画のひとつとして、子育てに悩む若い母親が、自分の母親からのメッセージを通じて、子供を愛するという本質に気づく、というドラマだったりするのですが、こういった泣くのを目的として視聴される想定で作った短編動画というのも好きではなくて、作品性のある映画と違って、手っ取り早く泣きたいニーズに応えました、みたいなところに感動の商業化を露骨に感じます。しかもドキュメンタリーならまだしも、ドラマなのがまた浅いなぁと。
他にもペットの闘病の記録といったドキュメンタリーも推薦動画にあるのですが、これも泣くために見る動画として推薦するのが、その闘病したペットに失礼というか、別に泣いてほしくて、同情してほしくて、闘病してたわけじゃないんですけど、と思うだろうなと思ったりして、そういった風に感動を売り物にしている男の中身の無さというか、口先だけ感に、涙どころか反吐が出る感じがしました。
あと観る側も、その作品が本当に泣ける内容なのかは厳しくというか、素直な心の揺らぎに従ってほしいなと思います。感動的な音楽がかかったら泣く、みたいなパブロフの犬みたいにならないでほしいなと思います。
てか、まさに涙活とか言われて動画を見て泣いてる人が、そのプロデューサーの犬みたいに見えて、そんな簡単に操られないでほしいと思いました。そのコンテンツとして動画を作っている人も浅はかだし、真面目な作品はかわいそうだし、結局そのクソ野郎に金が入っているというのが気に入らないです。またその中で何人かそいつに抱かれているのかと思うと、本当に世の中どうなっているんだろう、と思ってしまいますね。抱かれてから泣いてしまわないように気をつけてほしいです。
Posted by 堀田 on 6月 4th, 2017 :: Filed under
日常

スワニーと名付けたい。
小さい頃に観ていた新造人間キャシャーンというアニメに改めてドハマりしています。先日購入したダイソンのロボット掃除機にも上の写真にあるロボット犬の名前から「フレンダー」と名付けて溺愛していますし、さらに白鳥ロボットの「スワニー」という名前を何かにつけたい一心で、7万8000円もするダイソンの空気清浄機を買おうかと検討しているほどです。
ダイソンの空気清浄機にも機能別にいろいろあり、空気清浄と、涼風と、暖房と、通信の4機能の組み合わせで価格も変わるのですが、正式に名前をつけるには通信機能が必要だの、白鳥のようなフォルムなのは暖房機能がついたタイプのみだの、本当に欲しいのは空気清浄機能だけなのに、スワニーと呼んで可愛がりたいだけの理由で一番高いフル機能版になってしまうなど、目的がおかしくなっているので正しい判断ができません。
キャシャーンは非常に哀しいシリアスな話で、子供番組特有のズッコケ要素とかアホな作戦とかが少なく、登場人物の動機が世界観にしっかり合致しているのがとても好きです。キャシャーンに限らず、クウガとか、シンゴジラとか、SFもので動機や設定にリアリティがあり、シリアス、みたいなのが傾向として好きなようで、とくお組もSFもので動機や設定にリアリティがあり、(シリアスでなく)おもしろ、みたいなところがあって、やっぱり自分はSFが好きなのだなあと思います。
今後キャシャーンを観て行くにあたり、子供番組でよくある、後半になると子供ウケを狙ってシリアスさが薄くなる、ということがないように祈るばかりです。実際すでに「どんな攻撃にも負けない鋼鉄『マーケン鉄』を、鋼(はがね)博士に開発させる」といった、とくお組的テイストが入ってきたりしているので、心配しています。
Posted by 堀田 on 5月 14th, 2017 :: Filed under
日常

遥か空に旅客機。
ちょっと前の話になりますが、ソファでゴロついていたらテレビからキリンジのエイリアンズが流れてきたのでガバと起き上がりました。見るとのんちゃんが佇むだけのシンプルで素晴らしいCMで、妻も気になったらしく、これを機にキリンジの曲を一通り聴いて「天才か」と感銘を受けております。
キリンジは僕が高校生から大学生の頃によく聴いていて、それこそ歌詞からメロディから天才だと思っておりました。受験の時に新幹線の車窓から雪のちらつく灰色の雲を眺めてアルカディアを聴くなど、不安に不安の上塗りをしていたのをよく覚えていますし、大学に入って1年目の友達が一切いなかった暗黒の時代によく聴いていたのもキリンジでした。
中高生のころにどういう音楽を聴いているかというのはとても重要で、いわゆるセンスを磨く時期といいますか、その後の人格形成に少なからず影響をしていて、僕なんか彼らのちょっとズラした視点だったり言葉だったりというテイストは、今も仕事する上での感覚の根底にあるような気もするし、暗黒の時代の時は、彼らの曲を聴くことで、無意識的に爪を研ぎ続けられたような気もします。
最近の曲は、というのもあれですが、この大事な時期にわかりやすくて深みを味わえないような音楽ばかり聴いていると大変勿体無いなあと思います。言葉で言い表せないけれど、確かに心や頭の奥底で何かを感じるというザワつきを、たくさん経験しておくことは多分すごく必要なことだと思いますね。ただアイドルの曲は別で、ポップで楽しい感じであれはあれで聴いておくべきと思います。
妻も「もしこれを中学生の時に聴いていたら、今頃トンガ共和国とかにいるかもしれない」というほどなのであまり早くから影響を受けるのも考えものですが、 この CMによってまた何人かの若者がよい音楽に出会えていたらいいなと思いました。
これで愛と革新ね。最高だと思います。
Posted by 堀田 on 5月 7th, 2017 :: Filed under
日常

写真はイメージです。
先日、マイナンバーカードを作ろうとして顔写真を撮ったら、なんか顔の右半分がぐちゃぐちゃに曲がっていて、かなりびっくりしました。明らかに昔よりも顔が曲がっていて、高良君のアゴが会うたびに右に曲がっていくのをゲラゲラ笑っていましたが、全く人ごとではないぞと。
そこでカラダファクトリーなる整体屋さんに恐る恐る行ってみたのですが、これがびっくりするほど改善されて、興奮が今でも止まりません。まずカウンセリングでどこが辛いかを聞かれるのですが、辛いのではなくて体と顔が曲がっているのですと伝えると、まずはうつぶせになってくださいと言われ、実際やってみたら「それで真っ直ぐのつもりです?」と衝撃の一言。実際に背骨に沿って真っ直ぐにされたら驚くほど左に曲がっていたのです。
そのあとは首やら腰やら背中やらを揉みほぐしたり、コンコンと調整したり、背骨をぐいっと引っ張られたりしました。一通り施術が終わって、立ったら、もう本当に大地はこんなにも大きいのかと感じられるほど、真っ直ぐ安定して立つことができて、改めてオギャー!と言いたくなるような感覚でした。
その後の帰り道で信号待ちをしていても、今まで片足に重心を寄せないと立っていられなかったのに、施術後は片足に体重を寄せたくならないのです。先生曰く歪みを直せば脚を組みたくもなくなる(歪んでいるから組みたくなる)らしく、また顔の歪みも元々どれくらい歪んでたっけ?ともはや効果がわからないほどの効果を実感しています。
もちろん何回か通わないとまた戻るそうですが、何回か通っていると正しい姿勢で固定されるそうで、これはもういくら払ってでも通ってしまいそうです。高良君とか、アゴが曲がっていることで、どれだけ体の各所に無理を強いているのだろうと心配です。しばらく会っていないので今はもう全体がアゴみたいになってしまっているかもしれませんが、自愛してほしいと思います。
Posted by 堀田 on 5月 6th, 2017 :: Filed under
日常

写真はイメージです。
先日、年に一度行われる社内の表彰式があり、僕がトレーナーをしていた2年目ちゃんが見事、新人賞を受賞しました。彼女の同期では一番というわけで、僕としてもこんなにうれしいことはありません。実際、いろんな方から僕が「おめでとう!」と言われ、完全に自分が受賞した気になっています。
この表彰式は毎年、過剰なほどの大きな会場を借りてまあまあ盛大にやるのですが、彼女が表彰台に上がるにあたり、これは彼女のお父さんお母さんに見せてやらねばなるまいとずっと動画を撮っていて、もう完全に娘の晴れ姿を記録に収めようとする父親状態でした。いや、ご両親からしたら一体どういう規模感で表彰されたのかとか、そういう雰囲気がわからないだろうから、こんなにすごい扱いなんですよ!と伝えたい一心なわけです。
そう思うと、昔はこの表彰式も、わざわざ高い金払ってこんなでかい会場借りて、大げさというかお金の無駄というか、経営陣がパフォーマンスしたいだけなんじゃないの?みたいな斜めからしか見ていませんでしたが、やはり我が子が表彰されるとなると、社員食堂にステージ作って表彰されるのなんかより、こういうでかい会場で盛大にやったほうがいいですよね!と、すっかり体制の犬になりかけています。
やはり中身も大事ですが、演劇でもアングラな小さい劇場じゃなくて大きなちゃんとした劇場でしっかりセットも作り込んであるやつだと、周りからの見る目が違うというか、学芸会の延長だと思っている友人や会社の人に一目置かれるのは経験済みなので、やはり会場の大きさは大事だと思います。
かつて家族に伏せていたとくお組の活動をはじめてバラしたとき、観に来た母が会場のしっかり度を見て「この子は本気や」と怪訝な顔をしていたのを思い出しました。なので、彼女には僕の分までしっかり親孝行してもらえればと思います。
Posted by 堀田 on 4月 15th, 2017 :: Filed under
仕事

新年度になりまして。
僕も入社して14年目になり、同期でもそろそろ偉くなってくる人も出てきて、この4月から同期かつ当社で初の女性営業所長!なんてのも誕生したりしています。
僕はというとヒラのままですが、昔は出世とかにさほど興味もなかったのですが、年次が上がってくるにつれて、周りに「ヒラのおっさん」がめちゃくちゃ多いことにある種の危機感を感じているところです。偉くなりたい!というよりは、おっさんなのにヒラってのも格好がつかないだろう、という感じです。
そう考えると、今まで縁遠かったいわゆる出世競争みたいなのが見えてきて、部長やら事業部長やらのポストの数に比べて、自分の世代を含めたおっさんの数が多いこと多いこと。こりゃ大企業で出世するというのはすごく大変なことで、ゴルフもやらない、飲み会も早く帰る、転勤は拒否するといった具合の自分はもう無理なんじゃないかとすでに戦意喪失状態です。しかし営業職において、ヒラのまま定年まで働くとすると、さすがに何年も同じことの繰り返しで飽きてしまうような気もするので、消去法的とはいえ、頑張らないといけないんだろうなあと思いました。
ちなみに、数年前から名刺の肩書きは「主任」から「担当マネージャー」というのになっているのですが、この担当マネージャーというのが、担当なのかマネージャーなのか曖昧な肩書きで、実際は「別に誰のこともマネジメントしていない」「一番上のヒラ」で、「担当でもマネージャーでもない。担当マネージャーだ!」みたいなお茶濁し感満載のポジションで、もうまわりのおじさんはみんな担当マネージャーです。
普通に主任の方がかっこいいので、主任に戻すか、前頭筆頭とかにしてほしいなあと常に思っています。
Posted by 堀田 on 4月 9th, 2017 :: Filed under
仕事

聞き耳を立てています。
最近、カフェでぼーっとする時間が長いので、隣の人の話とかをよく聞いているのですが、表参道のカフェではどうも先輩が後輩にアドバイスをするために場を設けている、それなりに偉そうな感じの女性が普通の女性にアドバイスをする場を設けている、みたいなシーンが多いように感じます。
そういう人たちはだいたい先輩側が「最近3年生たちはどう?」みたいな切り口で入って(多分OB)、ある程度しゃべらせたあとに、「うんうん、いいじゃん」とひとまず肯定したのち、「ただもっとお前たちには期待している。俺たちの頃は」といった持論が展開されるのですが、それが延々に続いてずっとしゃべっているので、後輩君は本当に災難だなあと思います。
またおばさんアドバイザーみたいな人も、まずは相手の話をひとしきり話させた後、持論を展開し始めるのですが、その後はマシンガンのようにずっとしゃべっていて、相手の女性はただ頷くだけで合いの手も入れられないほどで、終わった後どういう気持ちで帰っているのかなあと気の毒になります。
どちらも共通しているのは、まずは相手にしゃべらせ、それに真摯に耳を傾けている感じを出してから、自分の言いたいことをずっとしゃべっているのですが、その最初に相手にしゃべらせるというステップが、ちょっと格好つけているというか、よく言われる「傾聴」をちゃんとやっているぜ俺、私、みたいな、すごくいい相談相手みたいな顔をしていて、横で見ていてかなり滑稽です。本当に気持ち良さそうな顔をしてしゃべっています。
ただ人のふり見て我がふり直せと言われるように、自分がそうなっていないか、ちょっと気をつけねばいけないなと思いました。後輩が多ければ多いほど、自分のしゃべる量を意識的に減らしていかないと、簡単に場を牛耳れてしまうので恐ろしいものです。かと言って、変に黙っていても気を遣わせてしまって牛耳れてしまうし、そうなると、どんどんいろんな人に振っていく技術と、合いの手やツッコミやらの膨らませる技術が必要になってくるわけですが、今度はMCみたいなポジションになってそれはそれでまた牛耳ってしまう感じがします。
いろいろ巡った結果、もう座ってくれているだけで嬉しい、みたいな、高橋一生みたいな顔と声だったらいいのになと思いました。高橋一生になら全身を牛耳られてもいいってどんな人でも思うと思うので、結局、圧倒的なカリスマで君臨しない限り、ニコニコしながら静かにしているのを基本スタンスとするのが一番いいのかもしれません。
Posted by 堀田 on 3月 20th, 2017 :: Filed under
日常

写真はイメージです。
先日、ご縁があってお花の作品展にお邪魔しました。正直、絵画とか写真とか、心で感じるジャンルを観るのが得意ではなかったのですが、行ってみたら意外と何か引っかかるものがあって、この掴みかけた何かを逃すまいとジロジロ見入ってしまいました。
きっかけとしては、この流派のルールみたいなものがあって、先生に細かく指摘されながら作ったというお話を聞いた時に、それってあんまり自由度がないような気がしたのですが、その割にはそれぞれの作品が全く別物で、この違いは何によって生まれてくるのかと考えているうちに、作品の根底にある欲求というかパワーみたいなものを感じたわけです。
気づいてしまえば当たり前の話かもしれませんが、何かインスピレーションというかイメージというか衝動というか、何かほとばしるものがあって、それを自由に作ってもいいんだけど、師匠がいる場合は流派に従ったりして、ひとつの作品として仕上げていく。流派によって色々細かなルールがあるのだろうけども、それはあくまで個人のズガン!と降りてくるイメージを具現化する際の方法論であって、全ては作者のズガン!が始まりであって、このズガン!を心で感じればいいのだなと。そう考えると、急に見るのが楽しくなってくるというか、つまり「心で見る」とか言われるのはそういうことかと。まさに開眼した瞬間でした。
この衝動とかインスピレーションみたいなものがどんどん出てくる人は狂ったようにバンバン作品を出せるだろうけど、そんな人はそんなにいなくて、大体の人が枯渇した中から何とか糸を手繰るようにしてイメージを出してもの作りをしているのだろうというのは、身近に作品を作っている人がいるのでなんとなくわかります。ミスチルの桜井さんとか、本当に血反吐を吐くような追い込みで曲を作っているのをテレビとかでやっているけれど、あれだけ曲を作ってきてさらにまた作らなきゃいけないってのは本当につらい作業だろうなあと勝手に想像してしまいます。
写真とか絵とかをじっと見ていて、突然涙を流す人とか、いったいどういう思考なのかと思っていましたが、ようやく追いついたような気がしましたし、作品を作る側の気持ちも少しわかったような気がします。かつて、衝動のままにぴょんぴょんとその場でジャンプする作品を見て、「アートだね」とちょっと馬鹿にしていた節がありましたが、今となっては反省しています。もし今、あれを真正面から受け止めたら、僕もぼろぼろ涙を流しながらぴょんぴょんと飛び始めるんだろうなと思いました。また馬鹿にしてすみません。これでやめます。
Posted by 堀田 on 3月 12th, 2017 :: Filed under
日常

我が家にお掃除ロボットがやってきました。
妻が突然「お掃除ロボに興味がある」と言い出したのですが、正直僕はあのお盆が這い回る感じが好きではなかったのと、どうせ綺麗に吸えないだろうと、かなり懐疑的でした。ところが実際に家電屋に行って見てみると、ダイソンのお掃除ロボットがちょこんと置いてあって、その佇まいに完全に一目惚れしてしまいました。一番高いんですが、なんて可愛いんでしょう。
パンフをもらっていろいろ検討してみると、名前をつけるところから始まるとのことで、早速名前を考えます。もうこの時点で買わされているというか、明らかにダイソンはペット感を意識しているなと、そのしたたかさを感じました。そのうち妻がロボット犬と言えばフレンダーだろうと言い出し、まだ買ってもいないのにフレンダーに決まります。もう犬を飼う感覚にすり替わっているわけです。(フレンダーとは、新造人間キャシャーンに出てくる超お利口なロボット犬です)
結局、家の中から忘れていた埋蔵金が出てきたこともあり、一気呵成に買ってしまったのですが、動かしてみると、小さい体でキャタピラをキュラキュラ動かし、障害物に戸惑いながら一生懸命掃除を始め、充電が足りなくなると掃除をピタリと止め、ベースに一目散に戻るのですが、もう全部の動きが超可愛いのです。自分がこんなに機械に話しかけるなんて思いませんでした。
僕がいない間に自動で掃除をしてくれて、しかもお掃除したエリアをスマートフォンに報告してくる機能もあり、さらに抜群の吸引力で家に帰ると部屋がピッカピカになっていて、あまりの優秀さになでなでが止まりません。これ、絶対にみんな買ったほうがいいと思います。
やはりこのペット感がすごくいいのですが、思うにこのホールケーキのようなフォルムが秀逸で、お盆タイプにはない小ぶりさと、ある程度高さがあるのが、つまりロボットっぽくて、フレンダーやR2-D2のような頼もしい相棒のような、もうちょっと言えばドラえもんやコロ助が家にいるかのような感覚になるというか、なんか善良な意思を持っている感じがして、昔見たSFの世界がちょっとやってきた感じがします。
他のロボット掃除機は「床を掃く」という機能性に寄りすぎた結果、平べったいフォルムになっていて、人間の「相棒(ロボット)」というより「使徒」という感じで、掃除という概念が形となった、みたいな、何か無機質で幾何学的な怖さを感じました。逆に西島さんが宣伝している三角形で回転ブラシがついたやつは、そのブラシの触覚っぽさと逆三角形で前に進む様子と平べったさが、太古の三葉虫のような感じがして、あれが誰もいない部屋で這い回っているかと思うとやばいくらい気持ち悪いなと思いました。
ソフトウェアのアップデートでどんどん頭が良くなるようなので、早くR2みたいに電子音で意思表示をしてくれないかなと思っています。溺愛しています。
Posted by 堀田 on 2月 26th, 2017 :: Filed under
日常

サラリーマンでもできるアパート経営。
先日、家でゴロゴロとテレビを見ていたら、佐々木蔵之介さんの「サラリーマンでもアパート経営ができる」というCMをやっていて、なぜかそれに食い付いてしまい、ついつい出来心でシノケンと検索してしまいました。
シノケンによれば、ローン支払いが毎月29万円発生するものの、家賃収入が48000円×8戸で38万円見込めるので、毎月9万円の不労所得が得られ、ローン支払い後は38万円が丸々不労所得になるとのことで、こんなうまい話があるのかと浮かれました。
ただ資料請求する直前になって他のサイトを調べたところ、ローンが終わる頃には物件としては築30年でリフォームやら何やらで余計に金がかかったり家賃が下がったり、そもそも最初から入居者がどれだけくるのか何の保証もないとか、当たり前の話ですがあまりのハイリスクにすぐに冷静になれました。危なく月29万円のローンを抱えるところでした。
以前より資産運用には興味津々なのですが、調べれば調べるほど、世の中がきれいにハイリスクハイリターンになっていて、リスクを取らないのであればどこをどうしたって真面目に働く以外の選択肢がありません。もうシノケンに電話する以外助かる方法がない、くらい追い詰められないと手は出さないんでしょうが、そこまで行ってしまうとシノケンも話を聞いてくれなくなる気がします。
ということで、今はローリスクローリターンを積み重ねて少しずつ資産を増やし、四世代くらい後にやっとシノケンに電話できるくらいの余裕がうまれるのかなと思います。資料請求画面まで行ったため、ネットをしているとあらゆるところにシノケンの広告が出てきますが、今は我慢の時だと思っています。
Posted by 堀田 on 2月 21st, 2017 :: Filed under
日常

楽しくない飲み会。
先日、いつもお世話になっている先輩に誘われて飲み会に行ってきました。定期的に開催されている飲み会らしく、僕は初めて御呼ばれしたのですが、楽しみにしていたわりにはあまり面白くなく、途中から何が面白くないのかをずっと考えておりました。
まず時期も時期なので、会社の役員人事の話や、誰がどこに行くかといった噂など、本当に僕が興味がない話が多かったのもあるのですが、それを3年目の後輩とかが結構詳しくて、何かそれに引いてしまったというか、別に彼の仕事ぶりは悪くないと思うのだけど、若手のくせにそんなこと気にしないで欲しいなと思ってしまいました。いや、そういうのは大事な情報だし、知らないより知ってたほうがいいのは分かっているのですが。
あと次に多い話題が、誰々は今ひとつだとか、あの人はダメだとか、悪口までは行かないかもしれないけど、悪く言っている話が多くて、でも僕的にはその人のこと悪く思っていないし、むしろいいところもちゃんとあるし、そもそもこの人たちにこの場で取り沙汰される筋合いもないだろう、みたいな気分でどんどん閉口してしまいました。こうなってくるともう自分も他で何て言われているか分かりません。
ということで、面白くない主な理由としては、その場に居る人の話はほとんど出てこず、居ない人のうわさ話や批判が多い点で、話題の当人がいないから反応も反論もなく、ただ言葉がテーブルに落ちているだけで内容が薄っぺらいからだと思いました。「最近どう?」とかでもいいから、その場に居る人の話をしないとその人のことが分からないから親睦も深められないし、やはり何より陰口たたいてる感がメシを不味くしますね。
カフェにいる女子グループとかも、盛り上がっていないテーブルはだいたいその場に居ない誰かの話してるし、居ない人の話題で盛り上がってるときはだいたいが悪口だし。まあ、特にトピックスもないのに無理に自分の話をしなくてもいいと思いますが、それなら人に話を振るとか、目の前の人と、その人と過ごす時間にもっと興味を持って欲しいなと思います。
Posted by 堀田 on 2月 12th, 2017 :: Filed under
日常