とくお組モブログ
いつも手元にとくお組

盲導犬

盲導犬はえらい!

先日、会社に何匹か盲導犬が来ていたのを横目に見て改めて思ったのだけど、盲導犬って偉い。実は最近、犬よりも猫派になってきていて、昔は人間に忠義を尽くす犬の方が賢い気がして好きだったのだけど、最近は逆に人間の言いなりになっているだけのようにも見えて、ともすると、何も考えていないやつなんじゃないか、とか思ってしまい、野性味溢れる猫の方が好きになりかけていたのですが。

でも盲導犬とか、警察犬のレベルまで来ると、ただ人間に従っているというよりは、使命を帯びて、主体的に考えて行動している点で、本当にすごいと思う。何がすごいって、その「目的理解力」が非常に高いところがすごいと思う。もちろん、ありとあらゆるシーンを想定した訓練を何度も繰り返しているとは思うけど、本番では、様々なレアケースが発生する訳だから、訓練でやっていないこととか、訓練でやったけど状況が違う事とか、ぽろぽろといろんな場面に出くわすと思う。それでも多分彼らは「主人の目になる!」という目的が理解できているから、訓練と訓練の隙間にある応用編にも適宜対応できちゃうんだろうと思う。猫はこんなの絶対やらない。

この目的を理解して臨機応変に動く点が、ロボットではできないというか、生物を使う所以なのだと思う。それに加えて犬のこの圧倒的な忠義!やっぱり犬はすごいわん。


Posted by 堀田 on 11月 27th, 2013 :: Filed under 考察

リボン

モデルさんがいいってのはあるんですが。

なんだかんだで、女子のリボンというのは好きなほうです。子供っぽいとかあるのかもしれませんが、いやいやなかなか可愛いじゃないですか。ガーリーな女子が好きな僕にとっては、比較的マストなアイテムである。小さいのでいいから、みんな積極的に付けてほしい。

しかし本当にリボンってのは男には似合わない。絶対にどんな男が付けてても似合わないし、かわいい顔した男だって、さすがにリボンして歩いてたら気持ち悪い。頭に付けても、鞄に付けても、何に付けても似合わない。リボンってのは本当に女子のものという感じがして、それで好きなのだと思うのです。

あと、よくパンティのおでこの部分についてる小さいリボン、あれは何であんなにいいんですかね。あれがあるのとないのとじゃ全然違います。


Posted by 堀田 on 11月 23rd, 2013 :: Filed under 考察

下等生物

登山好きの後輩がいるのですが。

彼はよく週末に一人で登山に行き、たまに遭難しそうになって帰ってくる。昼休みにそういう報告を受けるたびに本当に気をつけて欲しいと思ってしまう。僕みたいに都会でしか生きたくない人間からすると、なぜそんな危険を冒してまで・・・と、ついついおせっかいを焼いてしまう。

何度も書いているけど、僕が山を嫌う理由は虫や草やら自然で溢れているからである。自然は確かに綺麗で雄大な面も多いけど、虫とか草とか気持ち悪いものも多いわけで、そういう部分が嫌いなのである。物事は全て多面的だ。例えば後輩君から聞いた話では、山の中には中指以上のサイズの、赤と黄色のしましまのヒルがいて、そいつがクネクネしてるから気になって眺めていたら、ミミズに追いついて、そいつをズルッと丸呑みとかするらしい。そういう世界なんだよな、あいつらって。

こういう話を聞くたびに如何に人間が高等な生き物であるかを思い知り、あっち側の世界には絶対に行きたくないと思ってしまうのである。みなさんも何か仕事などで悩んだら、ヒルがミミズをズルッと丸呑みしているのを思い浮かべて、あいつらよりマシだな、と思えばいい。相当つらいめに遭っている人、例えば、卑劣ないじめに遭っている人がいたら、ヒルの世界の方がまだマシとか思うかもしれない。しかし、それはいじめているやつがヒル以下なだけで、本来のあなたの世界はもっと美しいものだと思うのである。何ごとも一緒くたに考えてはいけない。物事は全て多面的だ。


Posted by 堀田 on 11月 11th, 2013 :: Filed under 考察

タカラヅカ

最高のステージでした。

先日、機会があって初めて宝塚を生で観てきました。これだけ長い間、多くの人々を魅了しているのだから、その人気の秘密を探ってやろうと、多少勉強してから臨みました。結果、とにかく素晴らしいものでした。

宝塚について僕が語るなんて大変おこがましい限りですが、思った感想として言うと、宝塚のよいところはその「フォーマット」の素晴らしさだと思う。大なり小なり、”お決まり”というか”ルール”みたいなのがあって、例えば最後のパレードなるものも、もうパターンは決まっていて、それをみんな観たいし、実際に観て、例外なく感動するのだと思う。こうやって書くとワンパターンだと言っているようだけど、これはフォーマットと言うべきもので、完全に大成されているもの、伝統芸能で言う”型”みたいな美しさがあって、これはきっと長い歴史の中で、磨きに磨いて出来上がった型なのだ。

ドリフや吉本新喜劇もそうだけど、このフォーマットを見つけられるかどうかで、世代を超えて永遠に愛され、未来永劫まで継続されるものになるかどうかが決まってくると思う。宝塚は、誰もが感動する美しいフォーマットが出来上がっていて、決してこの律を崩さず、そのフォーマットの中に圧倒的な実力で中身を入れてくるので、こんなにも力強く、安定したクオリティが出せるのだと思う。これこそ文化だ。

たまにこのフォーマットというものを理解しない人間が、パターンを変えたいとか言い出して崩す場合があるけど、本当にそれは愚かなことで、全く真実が見えていないクソやろうだと思っている。いいものの何がよくて、何が骨なのか、物事の構造を理解してほしい。


Posted by 堀田 on 11月 7th, 2013 :: Filed under 考察

ものまね

昔のものまね王座はおもしろかった。

歌番組はすっかりなくなったけど、ものまね王座歌合戦的な番組はよくやっている。あんまりまともに見てないけど、昔に比べて全然面白くなくて残念である。神無月さんを除いて、最近のはものまねというよりは「ネタ」ばかりで、正直全然似てないのも多いし、レパートリーも、いつもの人がいつもやっているやつを、シチュエーションを変えたり、コントみたいにしたりしてるだけで、結局ものまねとしては全然深まっていなくて、複数人が「コラボ」とか言ってるのなんて、もう全然ものまねじゃなくてただの寒いコントである。

「細かすぎて伝わらないものまね」も最初はすごく面白かったのに、途中からネタ合戦になってしまって、全然「細かすぎて」じゃなくなってしまい、本当に残念だった。あれは、マニアックな目線でなければ見つからない細かい動作(実際にやっているもの)を真似るから面白いのに、途中から「こういうことやりそう」という妄想の世界になってしまって、完全に趣旨とズレてしまっていた。それはものまねじゃないって!

昔はコロッケとか清水アキラとかが、それはもうずっとお腹抱えて笑ってしまうくらいのすばらしいネタを、歌に合わせてどんどん繰り出して来て、本当に面白かったものである(ビジーフォーの外人のネタはほとんど分からなかったけど)。あれはちゃんと歌を歌いながら「ショー」を見せてくれていて、ものまね自体にすごく力があったのだと思う。だから定番のものまねでも何度でも面白かった。ほんと、あの頃のものまね王座に戻してほしい。

ちなみに、僕が人生で最初に観に行ったステージは、確か長島スパーランドというところでやっていたコロッケさんのものまねライブだったんだけど、これが本当に面白くて、ずっとゲラゲラ笑っていた。熱いやかんをステージの上において、「燃えよドラゴン」の曲を流して、「あちゃー!」って言ってるだけのネタとかあったけど、あれは本当に、本当に面白かったなあ。


Posted by 堀田 on 10月 23rd, 2013 :: Filed under 考察

思い込み

思い込みが激しい。

自分のよくないところを一つあげるとすれば、思い込みが激しいときがままある。分析的思考はあるほうなのだけど、「ちゃんと調べる」ということはあまり好きな作業ではないので、こうだと思った事は、実は情報が足りなかっただけで、違っていた、なんてことはよくある。限られた情報の中で、自分の中では理路整然と論理立てられているだけに、大声で間違った事を言っている可能性もあって、これはやっかいだ。

かと言って、限られた時間や限られた情報の中で、ある程度見切り発車的に決めて行かなければならないことも多々あって、間違っていても仮説を立ててどんどん行動していかないと、正しいかどうかも分からないじゃないか、という思いも一方である。慎重になりすぎて大人しくなってもねえ、と。

でもそうやって仮説と検証を繰り返して得て行った経験値を、相手に押し付けてしまったりして、それもよくないというのもわかる。結局、常に謙虚に、見聞を広げ続けろという事なんだろうけど、やっぱり興味の無い事とか、全然知らない人の事、全然知らない世界の事について知るのは僕にはすごく苦手なことで、そこが大人になっていくにつれ重要なんだとすると、正直今後の人生について困ってしまう。

ベンチャー企業の社長とかが、この手の話で、ああだこうだとか、ああしようこうしようとかFacebookとかですごい語っているけど、確かに彼らは見聞を広めるという事にすごくどん欲なように見える。そしてああいう感じには、なんとなくなりたくない。もう32歳ですけど、これから一体どういう人間になって行くんすかねえ。


Posted by 堀田 on 10月 11th, 2013 :: Filed under 考察

驚く

哲学の話です。

今、ソフィーの世界と言う本を読んでいるのだけど、その本によれば、赤ちゃんはいろいろなものが新鮮だから、世界のいろいろなものにびっくりの連続なのだが、成長するにつれ、どんどん世界に慣れてしまって、大人になる頃にはすっかり驚く事はなくなってしまう。逆に、ある日お父さんが空中浮遊したとしても、赤ちゃんはそんなに驚かないけど、お母さんが超絶びっくりするものであると。哲学者たるものは大人になっても赤ちゃんのように様々な事に驚き、つまり不思議がり、真理を探究するべきというお話。

それを読んで思い出したのだけど、上述のお父さんの空中浮遊でお母さんが驚愕するのと同じ感覚が僕にもあって、それはアルパカを見たときだった。アルパカが急に流行りだした頃、僕はネット上の画像を見て、これは完全に合成による想像上の生き物だと思っていた。こんな動物が本当にいたとしたら、もっと大昔から話題になっているはず、という思考が自動的に入っていて、全く疑う事なく、これは空想上の生き物と思っていた。

ところがある日、Youtubeでアルパカの軍団が向こう側からこっちに向かって走りよってくる動画(まさに上の写真のやつ)を見たときに、「なんだこいつはあ!!!」と超絶びっくりした。あの感覚は、久々に赤ちゃんと同じような感覚を味わえたのだと思う。あれくらいの衝撃が、赤ちゃんには日々起きているとすると、毎日が刺激的で大変だろうなあと思う。犬とか見て「なんだこいつはあ!!!」とかシャンプーしてるお父さん見て「ぎゃーーーー!!!」とか思ってんのかなあ。


Posted by 堀田 on 10月 9th, 2013 :: Filed under 考察

語尾

将来、語尾に「~~じゃ」とつけるだろうか。

よくおじいちゃんは「~~じゃ」と言うイメージがあるけど、実際自分が歳をとったらそういう言い方をするかというと絶対そういう言い方はしないと思う。先述したとおり、身の回りにおじいちゃんがいないのでよくわからないのだけど、今の時代でも「~~じゃ」って言ってるおじいちゃんっているのだろうか。これはなんていうか、ただの方言であって、都会のおじいちゃんは既に使っていない気がするし、逆に地方の若者は使ってる気がする。

同じく自分がおじいちゃんになったら自分のことを「わし」というかというと言わない気がする。多分「俺」とか言うのだと思うんだけど、おじいちゃんで自分のこと「俺」って言ってる人もあんまりイメージがないと言うか、じゃあそもそも今のおじいちゃんたちは自分のこと何て言ってるんだろうか。

自分の父方のおじいちゃんは、ぼくが幼稚園くらいのときに亡くなったし、母方のはぼくの前では「おじいちゃん」と言っていたから、孫がいないときに何て言ってたのか分からない。もしかしたら歳を重ねると「わし」って言うようになるんだろうか。これはちょっとありえる気がしてしまう。

ちなみに。既に30歳を過ぎた頃から「僕たち」とか「俺たち」とか“We”を表現する際には、「我々」という言い方をするようになっている。まぁこれは多分ザキさんからの影響だけど。


Posted by 堀田 on 10月 7th, 2013 :: Filed under 考察

統一試験

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意味がないと思う。

CMでやってる東進かどこかの高校生や中学生の統一試験。一年生から三年生まで同じ問題を解くというものだが、正直それは全然意味がないと思う。

習ってないものは基本的に解けるはずがないし、こんなのは塾とかで先行的に勉強してる下級生が、俺はこんなにもできるんだぜと自慢するためだけにあるようなもんである。

受験自体は浪人生などの上級者か同期との戦いなのだから、できる下級生と比べても意味がないし、下級生からしたら将来の浪人生たちとの戦いのシミュレーションにはなるかもしれないが、習ってる範囲とかが違う時点であまりやる意味がない。

だってどう考えても、線形代数とか、数列とか、習ってもない場合は解けるはずがないし、英語とかも結局帰国子女が学年を超えて圧倒的有利なわけだし、歴史なんて知識として知らなければどんな天才だって分かるはずがない。やっぱりこれは、塾とかで先に勉強している下級生が上級生よりいい点を取って自慢しまくるためだけの仕組みだと思う。そんな余興に付き合う必要はない。

CMで体育館に集められた学生が内容を聞いて「これは…(ゴクリ)」みたいな顔させられてるけど、いやいや、全然意味ないから、と冷めた目で見ている。


Posted by 堀田 on 10月 6th, 2013 :: Filed under 考察

正解

嗚呼、愛しのニコル。

僕が愛してやまないKARAのニコルが、脱退する事が決まったらしい。理由は今のところ何か分からないので何ともいえないのだが、いくらKARAが存続しようが、ニコルがピンで活躍しようが、絶妙なバランスが崩れてしまう事は間違いない。理由はともあれ、そういうベストな状態を崩したその先に、ベストを超える結果は決してない。

KARAは5人だからよいのであって、ニコルは4人といるからベストなのである。これはもう分かりきっている。KARAに於いては、5人それぞれが全く被らない上に、お互いを補完しあいつつ、強力な光を放つという黄金比にあったグループなのに、理由はともあれ、それを崩してしまうというのは本当に勿体ない。やっちゃいけないことってのがあるのである。

何度も言うけど、「この組み合わせがベスト」というのは明確に存在する。世の中には「正解」というのが必ず存在する。不正解でない答えはたくさんあるだろう。でも本当の正解というのはきっと一つだ。本当の正解の前では、不正解でない答えも、やはり不正解なのだ。KARAはあの5人が正解だった。ニコルは決して正解が見えていない愚かな女ではない。その上での選択ということであれば、きっと何か重大な理由があるに違いない。恨むべきはその理由である。

罪を憎んで人を憎まず。ことわざは正解の集まりである。


Posted by 堀田 on 10月 5th, 2013 :: Filed under 考察

老人

お悔やみ申し上げます。

先日起きた事故で、踏切で倒れている老人を助けようとして40歳くらいの女性が亡くなった件。こういうニュースを観てまず思ってしまうのは「なんでそんなおじいちゃんを助ける必要があるんだ?」ということだ。5歳とか、20歳とか、そういう若者であればまだいいけど、70代とかで、しかも線路で横たわってしまっているような人を助けようとして死んだなんて、もう申し訳ないけど全然同情できなかったりする。

これは助けようとした人を非難しているというよりは、どちらかというと、老人の生に対する僕の優先度が低いからだと思う。こういうこと言うと冷たいやつだと思われると思うけど、もう70歳とか超えている人は、遅かれ早かれ死ぬ訳だから、みたいな発想があって、例えば遭難して亡くなった人のニュースが流れたとき、その人が30代とかだと「あらー、まだまだこれからだったろうに」と思うけど、70歳とかだと「ああ、まだよかったな」っていつも思っている。別に老人たちの命を軽視しているつもりではないけど、若い命から比べると、優先順位を下げてしまっているという事である。相対的な話で。

誰しもそういうところあるのかもしれないけど、僕は特に早くにおじいちゃんとおばあちゃんを4人とも亡くしてしまっているから、あまり身近に老人がいなくて、いまいち悲しいイメージがしないからかもしれない。少なくとも、踏切で遮断機が降りてる状態で70代のおじいちゃんが横たわってたら僕は絶対に助けに行きません。


Posted by 堀田 on 10月 4th, 2013 :: Filed under 考察

向上委員会

相武ちゃんは好きなんですが。

プロミスのCMがどうも好きではなくて、相武ちゃん好きを相殺して余るくらいイラッとしてしまう。そもそもこのシリーズの「お客様を想う」みたいなコンセプトが嘘くさいというか、過剰というか、お前らそんなにクリーンじゃないだろう、という偏見を持って見てしまっているのが大きいのかもしれないけれど、とにかく全く信用できない。この女子5人組の中身がいまいち空っぽなんだよな。写真のシーンも一体何に喜んでいるのか、もはや本人たちですら分かっていないだろう。

この向上委員会がやっていることも、まあ限界があるというか、スマホアプリ作ったり、WiFiアンテナ付けたり、はじめてサイトを作ったり、何気にシステム寄りなことしかやっていなくて、もっと泥臭い感じのことをやってほしい感じもするし、そうかと思えば突然新しい看板を作って、模型を作って「わー(パチパチ)」みたいなことをやっていて、全くもって意味不明である。それ全然サービス向上してないし、やるんだったら実際の看板取り付け工事に立ち会うとか、そういうシーンにして欲しい。

しかも最近はそれすらもなくなってきて、メンバーが胸に手を当てて、お客様を想う、みたいな超抽象的な内容になってしまっていて、そのCM流す意味がそもそもあるのか、という気にすらなってしまう。やってる相武ちゃんや吹越さんとかも困っていると思う。

とにかくやっていることが、本社の企画チームが机上の空論で自己満足しているよくない例に見えてしまうんだよな。やるなら頑張って金利下げるとか、そういう現実味があるやつにして欲しい。


Posted by 堀田 on 9月 23rd, 2013 :: Filed under 考察

敵か味方か

敵か味方か。

僕はゴキブリなどの虫が大嫌いなので、キンチョーやアース、ライオン(バルサンはライオンらしい)などの害虫退治用品メーカーには本当にお世話になっている。だって彼らは会社で、虫を殺すために育てる、みたいなことをしているのだろう。マジでありえない職場である。そんな人たちがいるからこそ、害虫退治が僕らにでもできるのである。ありがとう。

しかし、ちょっと考えてみると、彼らも虫を完全に退治してしまったら企業として潰れてしまうわけだから、ある程度手を抜かないと全滅させては意味がない。でも競合とのレースもあるから手を抜く訳にも行かない。そうなると・・・やはり、街に害虫の卵を放っているのではないかと疑ってしまう。

街に害虫が増えれば、殺虫剤のニーズが増えて儲かるわけで、虫を放っては、その虫を殺す武器を作って市民に買わせ、その利益でさらに強力な武器を作って、虫が減って来たら卵を放って・・・みたいなこと、少なからずしているのではないか。まるで戦争の裏にいる武器商である。

まあ我々は虫と戦争してるっていうことですね。一方的に殺してますけど。絶対に攻めて来ないでほしい。やつらとは分かり合えない。

 


Posted by 堀田 on 9月 20th, 2013 :: Filed under 考察

老眼

僕も入社10年目なわけですが。

新入社員の頃はそうでもなかった先輩方で、最近、老眼気味の人が増えて来ている。上司とかにうっかり小さい文字の資料を出したり、細かいExcelのシートを見せたりすると「おおっと、ちょっと待ってな」と言って眼鏡を出して来て、「どれどれ」なんつっているのだが、いつか僕もそうなってしまうのだろう。しかしこの手元の小さい文字が見えないというのは、今のところどんな世界か全く想像がつかない。

僕も目が悪くて近視なので、遠くのものが全く見えないというのはすごく分かるし、遠いものが見えにくいというのは目が悪い悪くないに関わらず、一般的にもそうだから理解できるけど、手元の文字が見えないというのは一体どういうことなのだろう。なんで近いものが見えないんだ!!

今は全く理解できないけど、ある日突然「こういうことか!」と理解できてしまうんだろうなあ。いやー、最近少しずつ老化を感じて来ているのでこういうのを想像すると本当に怖い。でも逆にもし今16歳の体に戻ったりしたら、もう制御しきれなくて爆発とかすると思う。


Posted by 堀田 on 9月 14th, 2013 :: Filed under 考察

招致レース

いやー東京に決まりましたね。

常々オリンピックに興味はないとか言っておきながら、なんだかんだで気になってきて、最終的には5時まで起きて結果発表を見ていた。なんというか、オリンピックのどの種目よりも招致レースの方が面白い気がする。

発表直前がすごい長くて、お互いの都市のPRビデオを改めて流したり、オリンピック歌を演奏したり、それでは前回のロンドン五輪のときの様子を・・・とか引っ張りに引っ張って、関係者は「もう殺してくれー!」という気分だったと思う。あんなクリーンなイメージビデオとか流してても、本当はドロドロのロビー活動とやらを一生懸命やっていたわけで、いやー本当にお疲れさまと言いたい。

特に五輪招致に駆り出された現役選手たちは、これからそれぞれの金メダル目指さなきゃならないから大変よね。まあでも7年後だから多少気が抜けても大丈夫か。てか7年後て!おれ39歳になってるよ!


Posted by 堀田 on 9月 8th, 2013 :: Filed under 考察

ニセ札

思ったより出回っているのではないかと思う。

今日CoCo壱番屋でカレーを食っていたら、レジにスタッフ向けの張り紙が貼ってあって、偽札に注意しましょう、みたいなものだった。でも実際、会計のたびに透かして偽札かどうかをチェックする訳にも行かないし、ある程度精巧な偽札を使われたらどんな店でも絶対分からないと思う。

紙幣に関しても、偽造されまいとすごい細かい絵を描いたり、特殊な透かしを入れたり、簡単には真似できない技術をふんだんに盛り込んでいるのだろうが、同じ人間である以上、似たようなものを作れないはずがないので、結局のところ、イタチごっこである。むしろ技術競争が激化していて、肝心のそれを見破る人間の能力が追いつけなくなっているように思う。

そのうち一万円札を作るのに、一万円以上のコストが必要になったりして、そうしたらニセ札は作られなくなるはず。


Posted by 堀田 on 8月 23rd, 2013 :: Filed under 考察

ライトアップ

東京タワーが大好きです。

今日は仕事が遅くなってタクシーで帰ったのだが、夜に高速に乗ると右にライトアップされた東京タワーが出てくるので、いつもそこを通るまで寝ないようにしている。本当に東京タワーって素敵。

僕が墨田区民だったら、東京スカイツリーにもかなり愛着が湧いているのかもしれないけど、そうは言っても東京タワーは超えないだろう。実際、世田谷区民だけどキャロットタワーに全然愛着湧いてないし。

でもたまに東京タワーは変なライトアップになるから、あれは本当にやめてほしい。なんかブツブツが光ってるだけのやつ。あれ、なんでああいうライトアップなのか、誰がいいって言ってんのかマジで分からない。僕が観光客で、東京タワー観に行ってあんなライトアップだったらぶち切れると思う。

たまに「飽きたから」とかいう理由で、とてもよいモノを変えてしまう人がいるけど、本当にそれってよくないと思う。東京タワーは東京のシンボルなんだから、飽きたとかそういう話じゃないだろう。客観性を見失ってるんだよなあ。


Posted by 堀田 on 8月 21st, 2013 :: Filed under 考察

クジャク

気になります。

昔からずっと知ってたけど、改めて見るとクジャクってすごい派手だ。どこかで進化の方向性が変な方に行っちゃったんだろうなあと思うけど、これで求婚するのが本能だと言うのならすごいルールだ。人間だったら「しゃべれよ」と言われてしまうと思う。でも人間でも必ずしもイケメンがモテるとは限らないように、立派な羽を持っていなくても、フェロモンとか、落ち着きとか、その辺で挽回できるのだろう。落ち着かないクジャクとかモテそうにないし。

しかもこいつ、普通に飛ぶのだそうで、何となく飛べない鳥の一種かと思っていたけど、普通に羽を広げて飛ぶらしい。この派手なのは飛ぶ用の羽じゃないみたいで、畳まれるとしっぽみたいになって、一反木綿みたいな状態にして飛ぶらしい。ちょっと意外だったけど、小林幸子だって衣裳着ながら飯を食えるので、クジャクからしたら「できますよwww」みたいなことなんだろうなあ。


Posted by 堀田 on 8月 18th, 2013 :: Filed under 考察

センス

NHKニュースでTwitterを流すのがすごくうざい。

前に徳尾さんも言っていたけど、本当にコレは何とかしてほしい。こっちはニュースを見たいのであって、一般人の下らないコメントをいちいち流されたのでは全然集中できない。写真では「なんかつながってる感じがして楽しいニュースだなあ」とか呟いてるのが採用されているけど、はっきり言ってコイツはセンスがない。

昔、父親がNHKニュースばかり見ていて、いったい何がそんなに面白いのかと思っていたけど、30歳をすぎると、もうバラエティとかうるさくてあまり見ていられなくて(面白いのもあるけど)、ニュースとか、相撲とか見てしまう。だからこそ、こういうセンスのないものを強制的に見せつけられるサービスはやめてほしい。

相撲と言えば、Twitterに「sumo」というアカウントがあって、

●白鵬(13勝2敗) 対 ○日馬富士(10勝5敗) : 押し出し

●稀勢の里(11勝4敗) 対 ○琴奨菊(9勝6敗) : 寄り切り

○鶴竜(10勝5敗) 対 ●琴欧洲(9勝6敗) : 上手投げ

という風に、何の感情も入れずに淡々と勝敗と決まり手を呟いていくのがあるが、やるとしたらこういうセンスとか全く関係ないのにしてほしい。これすごいセンスいいけど。

 


Posted by 堀田 on 7月 25th, 2013 :: Filed under 考察

NHK

NHKの集金は大晦日にやればいいのに。

よく一人暮らしを始めると、NHKの集金が来て、払っただの払わなかっただのという話があるけど、たいがいの場合は「テレビありません」とか「見ていません」と突っぱねれば払わなくて済むという。とはいえ、NHKの集金と分かってドアを開けることはまずないだろうから、そういうやり取りをするというシーンがあるとすれば、不用意にドアを開けてしまったというパターンだと思う。そうするとテレビの音が聞こえちゃったりして、前述のいい訳が苦しくなる。NHKはこのタイミングを狙うべきだろう。

となると、一番テレビを、しかもNHKを観ている可能性が高い時間帯となると、大晦日の紅白のタイミングで押し掛けるのが一番いいと思う。大晦日なら突然チャイムを鳴らしても、ご近所さんの年末のあいさつかと思って不用意に開けてしまう可能性だって高い。「今お金がありません」とか言われても「明日はお正月ですよ。お年玉があるでしょう?」という風に切り返すことだってできる。

最近だと「あまちゃん」のタイミングで押し掛けるのもいい。高視聴率にホクホクしている場合ではない。急げNHK!


Posted by 堀田 on 7月 1st, 2013 :: Filed under 考察