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生理的

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今日、喫茶店にいたら、声優とかのような話し方をする男女四人の隣になってしまったのだけども、なんかムカムカしてきて、パソコンを何度か叩き割りそうになってしまった。
そういった方々に罪がないことはわかっているのだが、僕自身の生理的な問題として、昔からそうなのだが、どうしてもあの手の声にはイライラしてしまう。
というか、もっと正直にいえば、声だけでなく、話す内容、所作、そういったすべてが癇に障る。

表現を志す人間は、つい表現そのものの進化などに目を奪われがちなのであるが、すべての表現というものは、どう考えても、本来的にいって、リアリティというものとの距離感や折り合い、そんな葛藤の中に存在するべきだろう。
なぜなら、この世界は、確かに、明らかに、目の前に存在してしまっているのだから。
しかし、あくまで僕の言う、ではあるが、声優的なる人たちというのは、まるで、目の前にあるこの世界を忘れてしまったかのような、そんな態度をとってきはしまいか。
自身の醜い顔など忘れてしまったかのように、アニメのキャラクターよろしく、奇妙な猫なで声で話し、さっき便所でうんこした薄汚い身体など忘れてしまったかのように、漫画の登場人物よろしく、コミュニケーション上不必要なほどの大きな動きでリアクションをとる。

忘れてはならない。
お前はアニメのキャラクターでも、漫画の登場人物でもなく、醜い顔して、うんこして、生活している、一人の人間だ。
線で描かれた絵ではなくて、普通に存在している人間なのだ。
お前がアニメのキャラクターみたいに行動したって、周りからは、「普通の人間が奇妙な行動をして、アニメのキャラクターのように見てもらい、かわいい(かっこいい)と思われようとしている身の程知らずの気持ち悪い奴」という風にしかうつらないのだ!

この世にある、すべての素晴らしい作品たちは、どれも、現実と闘い、苦悩する中で、つくられている。
自身を包む現実から目を逸らし、安直で非現実的な行動をとってはならない。
この点において、僕のいう、声優的なる人たちというのは、明らかに、表現者として失格なのだ。
まあなんでもいいけれども、喫茶店とかの公衆の面前では、もっと普通にしてくれ。


Posted by 北川 on 6月 10th, 2014 :: Filed under 日常
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