悲しみの果て
テレビでエレカシが歌った悲しみの果てがちょっと前に話題になっていた。
エレカシの中で一番好きな曲だ。
まあ、時々カラオケでも歌うことがあるとかその程度の好きさだったし、今ほどメッセージを理解していたわけでもないけど。
僕は時々、本当の切なさというのは涙の果てにあるわけではない、明るさの果てにある、だから僕はベタベタに明るいポップスが切なくて好きだ、みたいなことを書いてきた。
で、僕は、悲しみの果てなんかもそうだが、こういった何かの果てに別のものを見出だしたりするというのが、わりと好きだ。
だが、その中で一つだけ、どうしても共感できない感覚がある。
醜さや汚らしさの果てに、美しさを見出だすという感覚だ。
醜さや汚らしさの果てに笑いがあるというのは共感できるが、美しさがあるというのはどうも理解できない。
僕の中で、うんこはどうあがいてもうんこだ。
うんこはおもしろいものにはなるが、美しいものにはならない。
ここまで書いてきてあれなんだが、これをおもしろくまとめる算段が全くたたないにおいが自分の中でぷんぷんしてきた。
なので、今日はこれで。
Posted by 北川 on 4月 2nd, 2011 :: Filed under 未分類
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4月 2nd, 2011
私も昔は良く
ドブネズミの美しさって
何だろう?って
考えてました。
答えは…
出なかったです。
いつか甲本ヒロトに
聞いてみたいです。
4月 3rd, 2011
あれはなんなんでしょうねー。ドブネズミみたいな生活を送ってきた人は、弱さを知っているから云々ということなんですかね。しかし、ドブネズミの優しさとか強さとかが美しくなることはあるかもしれませんが、ドブネズミ自体は風呂にでも入らない限り美しくはなり得ないですよねー。