
バスタオルで髪の水分を取るのが好きです。
お風呂上がりに髪の毛をバスタオルで拭くときに、ちゃんと拭くと、ちゃんと髪の毛の水分がバスタオルに移ると思うんですけど、あれが結構好きです。ちゃんと拭けば拭いただけ、バスタオルが濡れるわけで、そのときに、ああちゃんと水分が移動してるな、というのに感動を覚える訳です。何を言ってるか分かりますでしょうか。
それの何が感動するのかというと、物理な感じがしていいのです。物質がモノからモノへちゃんと移動する感じ。腕の水分だって一緒なんだけど、髪の毛についてる水分は、一本一本についてるから量が多くて、拭いたら拭いただけバスタオルが濡れるので、その物質の移動する感じがよくわかるのです。物理っていうか化学なんでしょうか。
でも僕は文系なので、この程度の事象で勝手に感動しているのだけど、理系の人、特に研究職の人とからしたらチャラくて仕方ないと思われてしまうのだろう。世の中のいろんなものはたくさんの理系の人か研究して開発したモノで溢れていて、文系の人間はそれを使ってああだこうだと喋ってるばかりで、本当に申し訳ない。全然分からないけど、塩基配列とかを日々使っている人から見たら、お前に水というモノの何が分かるのか、と思われてしまうだろう。
上の写真は水の3Dモデルみたいなものらしいですが、僕ら文系からしたらブルマからはみ出たケツだとしか思えない。あなたも最初見たときそう思ったでしょ!
Posted by 堀田 on 2月 27th, 2014 :: Filed under
日常

忙しいアピールをするな。
日曜日にCoCo壱番屋に行ってカウンター席に座ったら、店員の一人でリーダー格と思われる男が、異常なまでの高速でバタバタと動き回り、他3名くらいの店員に対して大声でテキパキと指示を飛ばしていたのだけど、それが何とも煩わしくて大変気分を害しました。一生懸命働くのはよいことだと思うのだけど、その忙しさを客にアピールしているとしか思えないほど、とにかく全てが大袈裟なのである。
まず目の前で高速でバタバタと作られても落ち着いて喰えないし、声も異常にデカいし、しかも「うん、今んとこ耳に聞こえたのは全部(頭に)入ってる」とか「(伝票の)6枚目からはまだ全然”見えてない”」とか「これはまるで東京マラソンだ」とか、とにかくやり取りの内容が妙にキザというか、カッコ付けているというか、こんな忙しい状態を華麗に切り盛りしている俺=すごい、みたいな感がすごく伝わってくるのです。
でも実際そんな言うほど混んでないし、そもそもこの程度でアップアップしてるお前の実力はどうなのさ、という気もするし、さらに言ってしまえば「たかがココイチじゃねえか」と言いたくなるわけである。申し訳ないけど、世の中もっと大変な状況の人もたくさんいるのだから、この程度でかっこつけないでほしい。客はおいしいカレーを食いに来たのであって、君の活躍を見に来たのではない。
学生時代からそうだったけど、本番の数日前から、忙しいのをアピールしてやたらめったらせわしなく動き回ったり、必要以上に人にキツく指示したりする人がいたけど、あれはマジで自分が無能であることの証明でしかなく、周りから見たらかなりかっこ悪いと思うのだけどなあ。
まあヤル気に満ちているのはよいと思うけど、「これはまるで東京マラソンだ」にはちょっと笑ってしまったよ。
Posted by 堀田 on 2月 25th, 2014 :: Filed under
日常
今日から一週間、修行の予定だったのですが、雪で荷物が届かなかったため登嶺できず、来年にまた行かなければならなくなってしまいました。
奈良に前泊していたのが無意味になってしまったことはまあいいんですが、今は、頭をすでに剃ってしまっていたこと、これが、重く重くのしかかってきています。
完全に、ただ突然頭を剃っただけの人になってしまいました。
こんなことってあるんですね。
しかしほんと荷物届かなかった時は一時、パニック状態に陥りましたよ。
駅で知らされて、電話口にほんと大声でキレましたしね。
いやまあ、キレてもしょうがないんですけどね、ただ、ちょっとやばすぎるっていうか、ほんとどうすんだよそれって感じで。
まあしかしほんと、今年と来年の不運はもう使い果たしたように思いますね。
今年と来年はたっくさんいいことあるかなあ。
パニックで思い出しましたが、最近は、ベイビーレイズの恋はパニックを時に聞いています。
このブログを読んでくれている奇特な方々ならもうご理解いただけていることと思いますが、僕好みの、非常にいい曲だと思っています。
Aメロっていうんですか、最初の辺りはちょっと微妙ですが、サビ前辺りからの流れは素晴らしいですね。
お・て・あ・げ、みたいなところなんて、ここ何年も聞いたことのない、最高の軽さでしょう。
会いたいよ、あたしをわかって、こんなにも好きなのに。
そんな感じの、鬱陶しい背景や感情という情報の重たさを一切感じさせない、圧倒的なまでにスッカラカンの軽やかさ。
あまりの軽さに、聞いていながら何cmか身体が浮遊してしまうような、そんなウキウキした感覚。
そう、恋のキラキラした感覚というのは、まさにここにこそあるのです。
ほんと、アイドルの曲ってのはこうあるべきですね。
アイドルのかわいさってのは、軽さ、ここにこそあるのだと、僕は断言してしまいたいくらいです。
挫折みたいな深い感情とか、ライバルとのドロドロした関係とか、まあ裏では色々あるんでしょうけれども、そんなものを見せるのは、僕とかみたいな気持ちの悪い人間がやっておけばいいのです。
アイドルは、とにかく軽く、太陽のようにまぶしく、それが一番なのです。
ほんと、次に撮ろうと考えている映画のラストで流したいくらいですね。
まあ、ベイビーレイズ関係者、僕の関係者、双方から、激しい反対を受けて、なんなら何発か殴られることもあり得るでしょうけれども。
ゲオでDVD借りようとしていた時に(エロいのとかじゃないですよ)有線から流れてきて、気になって歌詞ググって聞いてみただけなんですけどね。
いやー、ほんといい出会いをしました。
Posted by 北川 on 2月 18th, 2014 :: Filed under
日常

ペギラが来た!
昨日はすごい雪が降っていて、ペギラが来たのかと思ったほどでした。ペギラというのはウルトラQに出てきた冷凍怪獣で、普段は南極にいますが、たまに東京に来ます。
前々から言っているけど僕は寒いのが嫌いだし雪なんてもってのほかで、昨日は一日中家にいて寝ていました。雪できゃーきゃー遊んでいたのは本当に何年前なんだろう。小さい頃から雪はあまり好きじゃなくて、小学生くらいの頃に家族で「ザウス」という屋内スキー場に行ったことがあるけど、そのときも全然滑れないし、寒いし、何よりも足をとられることに小学生ながら異常にイライラして、かなりナーバスな精神状態になって家族を困らせた記憶がある。「スキーなんて二度とやらない!」とそのときに高々と宣言した。
僕にとってみれば、雪なんて災害みたいなものなんだけど、雪国で暮らしている人もいるわけで、つまりは雪と言うものを受け入れるメンタルが僕にはない。受け入れられるかどうかはつまり、日々の生活の中で雪対策がしっかりできていて、あまり被害を受けない状態まで持って行けているからだと思う。僕は厚手のコートもごつごつした靴も持っていないし、とにかく足をとられる状態を脱してないから、どうしても嫌いになってしまう。スキーも滑れるまで練習すればきっと楽しいのにね。
対策と言えば、ペギラは南極の苔からとれる「ペギミンH」という物質が弱点なのを知っているくらいです。これをミサイルに詰めて撃ち込めばやつは退散します(死にません)。
Posted by 堀田 on 2月 9th, 2014 :: Filed under
日常

写真は昔のバイト先です。
19歳から20歳くらいのころ、東京に出てきて始めてのバイトをしたのが、写真のカフェでした。人見知りなくせに「やっぱりバイトは接客業だろう」と思ってホールで入りました。当時から形から入るスタンスは変わっていません。なお、あとで聞いた採用理由は「面接のとき、なんか生意気だったから」だそうで。
我ながらよかったなと思うのは、若い頃にしっかりと接客の教育を受けられたというか、オーナーが言葉遣いにうるさい人で、「チーズケーキになります」とか「メニューのほうをお下げします」といったいわゆる「喫茶店敬語」を徹底的に直されました。この場合、「チーズケーキです(ございます)」、「メニューをお下げします」と言わねばならない。
おかげで社会人になっても間違った敬語を使わないで済んでいるし、後輩が間違っているのを聞くと訂正したくなってしまうようになった。実際、よかれと思って、新人とかには注意したりしています。面倒くさがられているかもしれませんが。
他にも当時びっくりしたのは領収書で、宛名に「上様」と書く文化があるのを全然知らなくて、お客さんに「上様で。」と言われたときに、「上様?(将軍?)」としばらくの間、全く意思疎通ができないことがありました。あのとき店長が助けてくれなかったらマジで「お殿様のことですか?」と聞いてしまうところでした。
Posted by 堀田 on 2月 5th, 2014 :: Filed under
日常

もうこれが答えなんですが。
東京に出て来て早14年経ちまして、山手線なんてもう何回乗ったか分かりませんけども、いまだに内回りと外回りがぱっと言えない。正直、これが分かっていなくても全く問題ないというのはそれこそ14年やってきて分かっているのだけど、シティ派を自認する上でこれは知っておかないといけない気もしていて、何かいい覚え方はないかと思っていました。
受験勉強では日本史が僕の中の稼ぎ教科だったのだけど、攻略法としてはありとあらゆる出来事の年号を語呂合わせで覚える、という手法を採っていて、これがセンター試験で9割は簡単に取れるといっても過言ではないくらい効果てきめんだったので(私立一本だったので関係なかったけど)、その経験から内回り外回りも何か語呂合わせでいけないかと色々思案していたら、ネットで「自動車と同じく左側通行」というすごく覚えやすいのがヒットしてしまった。語呂合わせがよかったのになあ。
ちなみに、歴史の年号はきれいさっぱり忘れてしまったのでお教えできませんが、リトマス紙の色の変化については、”あお“から”あか“に変わると”酸性”なので、”おかあさん”と覚えてください。
Posted by 堀田 on 2月 4th, 2014 :: Filed under
日常
弟から「たぶん好きなんじゃないかな」とSHISHAMOを紹介された。
誰でも気付くことである上に、他にも要素はあるけれども、まあ主だって若い頃のaikoをバンドにした感じであって、たしかに悪くない。
声もなんとなくかわいいし。
だが、どうにもこう、心にスコーンと刺さりはしない。
最近の曲ってのは、どれもそうだ。
別に心に刺さるような情熱的な曲を求めているわけではないのだけども、なんだろう、どれも今ひとつ心に響かない。
というか、そもそも情熱的であることを売りにした最近のバンドの曲ですら、有無を言わさず心に刺さってくるような感覚って、正直にいって全くない。
なんかただかっこつけてるだけか、ださく見えるようにしてるだけかのように見えてしまう。
昔の人より、みんな随分とうまいんだけどね。
最近の若い子ってのは、ほんと若いうちから色々うまいよね。
僕がこう感じてしまう原因ってのは、まあ多くは僕がおっさんだから、ということがあるのだろうけれども、それだけでなくて、なんだかどれもつくりが非常にロジカルなんだよね。
感受性に任せてつくりました、みたいなものも、全然そんな風には見えないというか、むしろそう見せるためのロジックにまみれているように見えてしまう。
別に何にも考えるな、感じろ、とかそんなわけわかんないこと言ってるわけではないのね。
あと、ロジカルに見えないための方法はこうだ、とかいうつもりもないの。
だってそんなことしたら、上に書いたように、そういうロジックで満ち溢れてしまうからね。
そうじゃなくて、どうしたらロジカルなものから逃れられるのか、そこと向き合って、闘うことがまず第一に必要なのだと僕は思うんだよね。
これだとロジカルに見えてしまう、これだとロジカルじゃないというロジックがバレてしまう、じゃあどうしたらいいんだろう、ここを何度も考えないといけない。
で、これがおそらく、最終的には、その人の作家性というか、作品をつくる時の倫理観として立ち上がってくる。
最近の人ってのは、早いうちから完成しちゃってるから、どうにもこの感覚を感じない。
だから、作品の細部同士が全然呼応しないんだよね。
たとえば、「僕に彼女ができたんだ」のサビのところとか、全然「僕に彼女ができた」感じがしない。
「みんなに自慢したい」感じもしない。
歌詞にロジカルにaikoっぽいメロディ乗っけて(逆かも)、それっぽく歌ってるだけだから、全てがエモーショナルに呼応しない。
こういうところって、歌詞を見ただけでこのメロディが浮かんだり、メロディ聞いただけで「彼女ができたんだ」っていう感情や情景がなんか伝わったりしちゃうくらい、ドンピシャっていうか、一体感を持ってつくられていない限りは、絶対に心に刺さらない。
そのためには、こうきたからこれ入れなきゃ、みたいなロジカルなことやってたら絶対だめなんだよね。
もう完全にそこだけぶっこぬきで、独立して成立するくらいの感覚でやらないとだめなんだと思う。
でもこれって、こうしたら売れる、みたいなマーケティングの理論みたいなやつが、一番の癌なんだと僕は思うんだよね。
だって、あんなにロジカルなものってないでしょう。
まあたしかに人は、そういうロジックで何かを買ったりするのかもしれないけれども、そういうロジックで人は作品に感動したりしてるわけではないと僕は思うんだよ。
aikoの桜の時とかだって、女の子の心を女の子の目線で歌ったから感動した、とかじゃなくて、CMで3秒くらい曲聞いた瞬間に「なんていい曲なんだ!」とか感動して、僕は買っちゃったわけね。
もうそんなもんなのよ。
色々なことはその後だよ。
だから、その3秒という細部をつくれなければダメなのだと僕は思うのよね。
その3秒を理解した上で、全ての意見ってのはあるべきであって、その3秒への理解がないところで偉そうにこうした方が売れる、とか語るから、今の色んな音楽やドラマみたいに、スッカスカの外枠だけしかないものができ上がるわけでしょう。
まあ、たしかにその方が金稼げるのかもしれないけどね。
でも、金稼ぎたいなら、普通の会社に就職して稼いだ方がよっぽど効率がいいわけでね。
だから金なんてのは、しょせん作品性を出せない人の言い訳ね。
まあこれは、ろくに金になっていない僕の言い訳であるけどね。
Posted by 北川 on 1月 30th, 2014 :: Filed under
日常
写真は関係ありません。
今日はブラックホールの出来事を見た。
まごうことなき傑作であった。
まずもって、構造が既に勝っている。
台詞も演出も演技も研ぎ澄まされている。
そして何より、沈黙をおそれない演出・演技が素晴らしい。
今回のような狭い、フラットな空間においては特にであるが、観客と演者が共有すべきは、人物像や物語や台詞等々ではなく、沈黙なのである。
沈黙の共有は、すなわち思考している時間そのものを共有することである。
人は、他者と会話をしている時には、他者と自己を差別化する。
人は、他者と沈黙を共有した時には、自己と他者が一体化する。
ここでのポイントは、沈黙を「共有」できるか、ということであるが、そのためには、沈黙をおそれない演出・演技が必要なわけである。
他にも沈黙については色々なポイントがあるが、まあとにかく素晴らしい。
内容に関しては、ネタバレになるのであまり書けないが、落とし所も僕は素晴らしいと感じた。
納得いかない人もいるかもしれないが、僕は、世界はそのようにできていると常々思っている。
もしかしたら、もっともっと不必要な、回収されない伏線というか、まあ要素が多数散りばめられていてもよかったのかもしれない、とも個人的に思ったけれども、今のシャープで硬質なつくりも素晴らしい。
何か賞とかとる可能性もあると思う。
他にも色々あるけれども、ちょっと今からやることあるので、とりあえずこの辺りで。
だいぶ席埋まってしまっているようですが、ぜひどうぞ。
傑作です。
Posted by 北川 on 1月 22nd, 2014 :: Filed under
日常
大変遅れてしまいましたが、あけましておめでとうございます。
年末年始だったというのもありますが、色々とけっこう忙しくて、なかなか書くことができませんでした。
まだ何ヶ月か忙しい感じなので、あんまり書けないかもしれませんが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
最近も時に映画見たりしていまして、先日、故あってソーシャル・ネットワークを見ました。
映画自体はそこまで、という感じでしたが、それとは別で、ほんとFacebookとかなくならねえかな、と新年早々思いました。
Facebookにアップするために写真を撮る、という発想が、そもそも僕には受け入れられません。
行楽地に行くと、「早く撮ってー」とか言って、片足を上げ、両手を目いっぱい広げるという明らかに不自然な状態で静止し、写真を撮ってもらって即Facebookにアップ、という人をよく見かけます。
なんというリア充詐欺でしょう。
そんな不自然な静止を演じてまで、自分は楽しい人生を送っているのだ、と他人にアピールしたいものなのでしょうか。
承認欲求の尋常でなさに、ちょっと引きます。
そりゃあ僕も時にさみしくもなったりしますが、人と繋がり続けることの面倒くささに比べたら、さみしさの方がまだましだ、とか思ってしまいます。
とにもかくにも、行楽地でリア充詐欺写メを撮っている人を見ると、だいたい小声で「けっ、詐欺師が、嘘つきが…!」と独りごちています。
全然関係ありませんが、他には、先日、かぐや姫の物語を見ました。
まあ他にも色々見てはいるんですが、このかぐや姫がまあ、本当に素晴らしい作品でしたね。
何回も体がぶるぶると震えて、嗚咽するくらい涙流しました。
宣伝では、姫の犯した罪と罰、とか言われていますが、みんなが知っているかぐや姫という物語を選んでいるという点において、既に、物語性やその解釈などというものはあんまり考えないでくれと、観客に監督が訴えているように僕は思います。
人々の顔、風にざわめく木々、そこら中を飛び回る虫や動物、落下する雨、雪、葉と、幾重にも折り重なった影。
きれいな音楽と歌声を聞きながらそんなものを見ていると、きっと体が底の方から、勝手にぞわぞわ震えてくるのを感じるはずです。
とはいえまあ、どこがいい、とか、実のところ、上に書いたようなことなんかじゃあ到底形容はできませんが。
まあとにかく、かなり遅れて見たくせにあれなんですが、見てくれと、そのように思いました。
では、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
Posted by 北川 on 1月 14th, 2014 :: Filed under
日常

洗濯物を取り込むのが遅いです。
自炊はしないけど、あまりクリーニングは使わないで、ちゃんと自分で洗濯して、干して、取り込んで、アイロンがけもやっています。ただ一度干してしまうと、本当にパンツとかシャツがなくなるとかしない限り全然取り込もうとしないので、下手すると一週間ぐらいずっと干しっぱというときもある。
別に忘れているのではなくて、何となく窓から見えるし、ああ取り込まなきゃなって思っているのだけど、やらない。で、結局雨が降ったりする。雨が降ると取り込むのかというと、だいたい家に帰ってくる頃にはもう結構濡れてしまったあとなので、この段階でも取り込まず、また翌日から干し始める、という感じ。もう1サイクル行こう、みたいな。
あと全然関係ないけど、下着泥棒って今ひとつ理解できない。きれいに洗ってあるパンツをGETしても何の意味もないんじゃないかと思ってしまうのですが。
Posted by 堀田 on 1月 8th, 2014 :: Filed under
日常

お恥ずかしい話ですが。
つい最近まで、江戸城(の天守閣)はまだあって、陛下は江戸城をちょっとリフォームして住んでいらっしゃるのだと思っていた。言われてみれば天守閣を見た事が無かったけど、それは江戸城(皇居)の敷地があまりにも広くて、端からは見えないのだとばかり思っていた。
でも先日皇居周りを散歩していて(シティ派)、せっかくなので敷地内に入ってみたら(入れるのも知らなかった)、奥の方に石垣だけあるエリアに来て、まさかここが江戸城なのかと愕然とした。これは映画「猿の惑星」のラストで歩いていた砂浜がニューヨークだった時の衝撃に近い。
絶対、天守閣を復元したら観光名所として盛り上がると思うのだけど、やっぱり大変なのかしら。あのオフィスビル街に天守閣がどーん!とそびえ立つ様子は素敵だと思うんだけどなあ。まあ、そんなカッコいいことしたら他のお城の人気がなくなって商売上がったりなんですかね。名古屋城とか。
Posted by 堀田 on 1月 4th, 2014 :: Filed under
日常

あけましておめでとうございまーす!
唐突ですが、たまに脳内でミサイル発射のイメージが映るときがあって、検索したらまさにドンピシャな画像が出て来ました。これ、特撮じゃなくて本物らしいけど、こんなの飛んで来るなんて戦争ってのは恐ろしい。撃ってる側も大やけどしている。
ちなみに調べてみたら、ミサイルとロケット弾の違いも勉強できました。推進装置だけで誘導装置を持たないのがロケット弾だそうです。てかミサイルは誘導装置ついてんのか!
なんでこんな物騒なものがたまに脳内でチラつくのかは不明ですが、今年もまたこんな感じで、気になったことを調べるきっかけにするブログにしたいと思います。
Posted by 堀田 on 1月 1st, 2014 :: Filed under
日常

ショートケーキが一番好きです。
僕はお茶をするのが大好きなので、年間にケーキは結構食べる方だと思う。その中でもなんだかんだで一番好きでよく食べているのがショートケーキだ。チーズケーキもタルトもモンブランも好きなんだけど、だいたい80%くらいの確率でショートケーキを選んでると思う。ショートケーキを選ばない場合は、メニューにそもそもないか、前日に喰っているかくらいだ。
女子のタイプも正直なところ、ケーキに例えるならショートケーキみたいな子が好きで、それはつまり、王道タイプと言いますか、誰がどう見てもかわいい、みたいな感じの子が好きですね。
しかしこの「ショートケーキ」という名前がなんかすごいガーリーな印象があって、これを好きだと口にするのは何となく恥ずかしい気がする。ショートケーキという字面にあの白と黄色と赤のブリブリな感じが印象づいちゃってるんだよな。「ザ・ケーキ」とか言う名前に変えてほしい。
読み返してみて、中盤のショートケーキみたいな女子が云々のくだりはいらないなと思いました。
Posted by 堀田 on 12月 27th, 2013 :: Filed under
日常

メリークリスマス!!
昨日、AKB48の大島優子さんに頭突きをかまして、そのあと痛がる彼女の頭の匂いを思いっきり嗅ぐ、というたいへん変態性の高い夢を見ました。
本当に夢っていうのは何なんでしょうね。大島さんはかわいいと思うけど特に好きなアイドルでもないから日常で全然思い浮かべることはないし、さらに女性にヘッドバッドを食らわせて頭の匂いを嗅ぐことも全然趣味じゃないのですが。
こんなので夢診断とかされたら本当に変態扱いを受けてしまう。まぁすごいいい匂いがしましたけれども。
Posted by 堀田 on 12月 24th, 2013 :: Filed under
日常
今日、考え事をしながら駅の地下を歩いていた。
と、ポケットの中にゴミが入っていることに気付いた。
依然として考え事をしてはいたものの、「捨てよう」と思い、前を見た。
柱が見えた。
裏にゴミ箱がありそうだ。
「あれはこうでこうだから〜」なんて考えながら、ゴミをポケットから取り出し、柱をまわって、捨てる態勢をとった。
と、そこにはゴミ箱はなかった。
むしろ、浮浪者の人が寝ていた。
「あ、浮浪者の人だ」と思った。
そう、「あ、浮浪者の人だ」とだけ、思った。
考え事をしていたせいで、「あ、ゴミ箱はなかった。浮浪者の人だった」というところまで考えが至らなかった。
そのため、思考と行動にズレが生じてしまった。
ゴミを捨てる動きを止める、という信号が、腕の神経に伝達されるのが一瞬遅れてしまった。
僕の腕は、ゴミ箱にゴミを捨てる時と全く同じ軌跡を、そこでたどってしまった。
要は、「あ、浮浪者の人だ」と思ったまま、ゴミ箱に捨てるように、浮浪者の人に向かってゴミを投げてしまった。
ゴミは、見事に浮浪者の人に当たった。
浮浪者の人は、目を覚まし、ゴミに気付き、僕をにらむと、烈火のごとくキレ始めた。
僕は瞬間、我に返り、「うわっ、あっ!」とか言って、ゴミをとろうとしたりした。
が、浮浪者の人が起き上がり始めたりして、わけがわからなくなってしまったのだろう、気が付けば僕は、突然、その場からダッシュで逃げ出していた。
こんなに本気で駅の地下を走ってる人は見たことがない、というくらい、僕は、地下を疾走した。
改札をくぐるくらいまで、怒鳴り声が聞こえ続けた。
いやー、こわかった。
ほんとすいませんでした。
悪気や他意はなかったんです。
Posted by 北川 on 12月 24th, 2013 :: Filed under
日常
街を歩くカップルを見た。
言い方は悪いが、見た目の釣り合いのとれていないカップル。
これまたこういうところに書くと嫌がられるケースだが、男側の方がはるかにかっこよく、女側の方が微妙なケース。
僕は見た。
何を言っていたのかよくわかりはしなかったが、女がわがままっぽいことを言い、それを男が渋々受け入れた、その瞬間を。
そんな決定的な瞬間の、女の顔を。
その時の女の顔には、「自分のわがままが通った」なんてことだけでは到底説明がつかない、深い深い満足感、男を支配していることからくる恍惚とした感情、さらには、それらによって男の愛情を確認するという、相手からの愛情の表現を尽きることなく求め続ける悲しい人間の業、そんなものが、はっきりと映っていた。
ああ、愛とはなんて一方的で、不寛容なものなのであろうか。
正直にいうが、世の中にはびこる愛なんてものは、世の中がいうほど、美しいものではないと、僕は思う。
見苦しくて気持ち悪くてさもしくて汚くて、本当に見ていて胸くそが悪くなるような類のものだ。
そんな醜いものだからこそ、美しい、とかも、言うつもりは僕にはない。
我々は、他の生命体を一方的にぶっ殺し、ごめんなさいもなしに平然とそれを食って生きていく。
醜くても、汚くても、どうしても求めてしまう、世のいう愛なんてものは、たかだかそんな類のものに過ぎない。
街はクリスマスムード一色で、愛を着飾り、少女漫画よろしく、一方的で不寛容な愛を、美しいものかのように日々、喧伝している。
嘘くさ過ぎて、ほんと反吐が出るぜ。
まあ、そういったやり方の方が女性は喜ぶのだろうし、実際、今の経済って女性が動かしているのだろうから仕方のないことなのかもしれないけど、そんなもんに媚を売っているから、どんどん文化が衰退していく。
勘違いしないでもらいたいが、別に女性を批判しているわけではない。
勝手に、各々で、強くたくましく自分らしく、生きていってくれていいと思っている。
だが、そういった女性たちに媚を売っている現代の社会や経済、果てには男どもに、本当に腹がたつ。
くだらないものはくだらない。
しょうもないものはしょうもない。
そこんところは、ちゃんとはっきりさせて、動いていってもらいたい。
「これかわいいじゃん」とか言って、女の子にキーホルダーとか進めてる男とかまじで気持ちわりいから。
男に女の子のいう「かわいい」とか、絶対理解できないから。
僕は男だからわかるんだよ。
あれ、絶対わからないで言ってるから。
服もそうだろう。
「俺はこういう服がいいと思う」とか女の子に言う人いるけど、だいたいがお前の着てる服の方が女の子の着てる服よりださいし、そもそもドン小西クラスとかでない限り、男の方が女の子より服のセンスなんかねえから。
そうすりゃ抱けるとか思って、適当な嘘ついてんじゃねえぞ!
まじで気持ちわりいんだよ!
てめえは少女漫画の主人公じゃねえんだよ!
昔のジャンプ読んで出直してこい!
あと、街歩いてて誰かこわい人に突然ぶん殴られやがれ!
Posted by 北川 on 12月 19th, 2013 :: Filed under
日常

堀田という漫画がある。
堀田という名前はマイナーと言うか一般的と言うか、色的にもきれいな感じもなく、一言で言うと「ぱっとしない」名前なので、あまり作品中の登場人物として出てこないし、歴史上でもあまり目立った動きはしていない。なのに、なぜか「堀田」というど真ん中なタイトルの漫画が存在していて、読んだことないけど、なんかエログロい系の内容らしい。
Wikipediaによると、“『堀田』(ほった)は、山本直樹による日本の漫画作品。『マンガ・エロティクス・エフ』(太田出版)にて連載。「仕事場」、「神殿世界」、「過去」を舞台に主人公の「堀田」が様々な体験をする。”ということで、他のレビューとか読んでも、結構生々しい感じの漫画らしい。なぜ堀田なんだ。
まぁやはり堀田というネーミングはこういう陰鬱な雰囲気を連想させるのにぴったりな感じなんでしょう。なんとなく分かるし、実際僕も中身は陰鬱なやつなんで、的を得ていると思います。
ただ漫画に出てくる堀田で一番有名なのは、スラムダンクに出てくる三井の悪友の堀田だと思う。彼は堀田にまとわりつく陰鬱なイメージを払拭してくれる唯一といっていいキャラクターなので、これからはもっと全面に出て欲しい。他にも有名どころの堀田と言えば、歴史上の人物で老中・堀田正睦(まさよし)というのがいて、彼は幕末の激動期にハリスと日米修好通商条約を結ぶために色々と活躍した人物らしいが、どうも井伊直弼の方が目立っていて全然有名じゃない。
やつが堀田のぱっとしない歴史の根源なのではないかと思う。
Posted by 堀田 on 12月 16th, 2013 :: Filed under
日常

あまり気にしていなかったのですが。
野球場というものは、球場によって大きさが違うらしい。外野が広めだったり、フェンスが高めだったり、左右非対称だったり(写真)、いろいろあって、ピッチャーに有利だったり、バッターに有利だったり、という感じらしい。そういえばフェンスの高さは気づいていたけど、まさか外野の広さまで違うとは思わなかった。それはいいのだろうか。
ホームラン王とか競っているというのに、この球場の大きさが等しくないというのは公平性が無く、狭い球場が本拠地のチームの4番打者に有利に働くだろう。前に日本野球連盟が今年から「飛びやすい球」に変えたことを黙っていて問題になってたけど、球場の大きさが違うのはあまり気にならないんだ・・・という感じ。なんかプロスポーツってもっと厳密に規格が決まってそうなのに、そこってアバウトでいいのね。
球場の大小について選手も分かっていると問題にならないのでしょうか。黙ってじりじりと少しずつ球場をちょっと狭くしたりしたら怒るんだろうな。何事も黙ってやるとダメなのよね。
Posted by 堀田 on 12月 15th, 2013 :: Filed under
日常

うまいパスタ屋を見つけました。
今日、午前中に上司とともにお客さんのところに行った後、上司がおすすめのパスタ屋があると言うので行ってきた。なんだか昔よく行っていた店らしく、とにかくうまいうまいと連呼するのだけど、さすがにそこまでじゃないだろうと、言うてもパスタのうまさの限界値はそれなりだろうと思っていたのだが。
店内はこじんまりとした感じだが美味しい匂いが立ちこめていて、期待感を煽る。僕は明太いかパスタを頼み、上司は具だくさんナポリタン。大盛りにするかと聞かれて、ちょっと迷った末、せっかくだからと思って大盛りを注文。すると隣の席にクリームソースのパスタがやって来て、これがすごい旨そうなので、あーこれはクリームソース系にするべきだったかあと少し後悔したのだけど、やって来た明太子パスタが予想を遥かに超えて旨かった。
旨くない明太子パスタもないだろうけど、ここのパスタはバターに濃いバターを使っているようで、下味が濃厚についていて、濃い味が好きな僕は大満足。あまりの旨さに喰っている途中で「これは大盛りにすればよかったなあ」と大盛りを喰っているのに勘違いするほど。上司の頼んだナポリタンは、写真のような一般的な赤い奴じゃなくて、ぱっと見和風の感じでスープっぽいやつだったので、ちょっと変化球のナポリタンなのかなと思って一口もらったら、ど真ん中の豪速球ナポリタンだった。ナポリタンの味なんだけど、それがすごい旨い。これはクリーム系がどんな味なのか楽しみだ。
ちなみに隣にも旨そうなハンバーグ屋があるのだけど、上司はいつも迷ったあげく、確実に旨いパスタ屋を選んでしまうらしい。確かにもしハンバーグが普通の味だったら、一口目で「やっぱりパスタにしとけばよかったなあ」ってなって、二口目から全然旨くなくなってしまうだろう。だから僕も上司も一生そのハンバーグ屋には行かないと思う。行くとしたら、パスタ屋が臨時休業のときだけ。でもその日はもう口がパスタの口になってるだろうから、別のパスタ屋に行っちゃうかもしれない。だからやっぱりそのハンバーグ屋には行かないと思う。ごめんね。
Posted by 堀田 on 12月 12th, 2013 :: Filed under
日常
最近は、仏教の研究して、家帰って、飯食って、映画見て、寝て、週末は寺の仕事して、って、ただそれを繰り返している。
ほんと、俺はいったい何をしてるんだろうって気持ちにもなるが、そこはあまり感じないようにというか、うまいこと見て見ぬフリをして生きている。
上に書いた感じだと、なんというか、かなり暇そうにも見えるかもしれない。
でも、仏教に削られる生活の時間というものは、ほんと、みんなが想像している以上に、かなりのものなんだ。
だから実際、睡眠時間を相当に削って、かなり強引に毎日、映画を見ている。
そんなことしてまで映画見て、いったい何になるのって感じかもしれないけれども、これだけが、今の僕の支えというか、最後のプライドというか、ほんと、そういう感じなんだ。
人生、思うようにいかない時もそりゃあるけれども、一生、ずっと、うまくいかなかった人たちというのは、そんな時に、何にもせずに、ただただ人生をサボり続けていた人たちなのだと、僕は思う。
今はこんな感じで、ほんと時には気も狂いそうになるけれども、いつかきっと、とんでもないことになってみせるんだ。
いつかくるかもしれないチャンスのために、今はほんと、ギンギンに牙を研いでおいてやるんだ。
ほんと絶対、俺は、やってやるんだからな!
痛いこと書いているのは自覚してるんですが、軽く酔ってるので、そのままアップしちゃいます。
Posted by 北川 on 12月 9th, 2013 :: Filed under
日常