とくお組モブログ
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ししゃも

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弟から「たぶん好きなんじゃないかな」とSHISHAMOを紹介された。
誰でも気付くことである上に、他にも要素はあるけれども、まあ主だって若い頃のaikoをバンドにした感じであって、たしかに悪くない。
声もなんとなくかわいいし。
だが、どうにもこう、心にスコーンと刺さりはしない。
最近の曲ってのは、どれもそうだ。
別に心に刺さるような情熱的な曲を求めているわけではないのだけども、なんだろう、どれも今ひとつ心に響かない。
というか、そもそも情熱的であることを売りにした最近のバンドの曲ですら、有無を言わさず心に刺さってくるような感覚って、正直にいって全くない。
なんかただかっこつけてるだけか、ださく見えるようにしてるだけかのように見えてしまう。
昔の人より、みんな随分とうまいんだけどね。
最近の若い子ってのは、ほんと若いうちから色々うまいよね。

僕がこう感じてしまう原因ってのは、まあ多くは僕がおっさんだから、ということがあるのだろうけれども、それだけでなくて、なんだかどれもつくりが非常にロジカルなんだよね。
感受性に任せてつくりました、みたいなものも、全然そんな風には見えないというか、むしろそう見せるためのロジックにまみれているように見えてしまう。
別に何にも考えるな、感じろ、とかそんなわけわかんないこと言ってるわけではないのね。
あと、ロジカルに見えないための方法はこうだ、とかいうつもりもないの。
だってそんなことしたら、上に書いたように、そういうロジックで満ち溢れてしまうからね。
そうじゃなくて、どうしたらロジカルなものから逃れられるのか、そこと向き合って、闘うことがまず第一に必要なのだと僕は思うんだよね。
これだとロジカルに見えてしまう、これだとロジカルじゃないというロジックがバレてしまう、じゃあどうしたらいいんだろう、ここを何度も考えないといけない。
で、これがおそらく、最終的には、その人の作家性というか、作品をつくる時の倫理観として立ち上がってくる。
最近の人ってのは、早いうちから完成しちゃってるから、どうにもこの感覚を感じない。

だから、作品の細部同士が全然呼応しないんだよね。
たとえば、「僕に彼女ができたんだ」のサビのところとか、全然「僕に彼女ができた」感じがしない。
「みんなに自慢したい」感じもしない。
歌詞にロジカルにaikoっぽいメロディ乗っけて(逆かも)、それっぽく歌ってるだけだから、全てがエモーショナルに呼応しない。
こういうところって、歌詞を見ただけでこのメロディが浮かんだり、メロディ聞いただけで「彼女ができたんだ」っていう感情や情景がなんか伝わったりしちゃうくらい、ドンピシャっていうか、一体感を持ってつくられていない限りは、絶対に心に刺さらない。
そのためには、こうきたからこれ入れなきゃ、みたいなロジカルなことやってたら絶対だめなんだよね。
もう完全にそこだけぶっこぬきで、独立して成立するくらいの感覚でやらないとだめなんだと思う。

でもこれって、こうしたら売れる、みたいなマーケティングの理論みたいなやつが、一番の癌なんだと僕は思うんだよね。
だって、あんなにロジカルなものってないでしょう。
まあたしかに人は、そういうロジックで何かを買ったりするのかもしれないけれども、そういうロジックで人は作品に感動したりしてるわけではないと僕は思うんだよ。
aikoの桜の時とかだって、女の子の心を女の子の目線で歌ったから感動した、とかじゃなくて、CMで3秒くらい曲聞いた瞬間に「なんていい曲なんだ!」とか感動して、僕は買っちゃったわけね。
もうそんなもんなのよ。
色々なことはその後だよ。
だから、その3秒という細部をつくれなければダメなのだと僕は思うのよね。
その3秒を理解した上で、全ての意見ってのはあるべきであって、その3秒への理解がないところで偉そうにこうした方が売れる、とか語るから、今の色んな音楽やドラマみたいに、スッカスカの外枠だけしかないものができ上がるわけでしょう。
まあ、たしかにその方が金稼げるのかもしれないけどね。
でも、金稼ぎたいなら、普通の会社に就職して稼いだ方がよっぽど効率がいいわけでね。
だから金なんてのは、しょせん作品性を出せない人の言い訳ね。
まあこれは、ろくに金になっていない僕の言い訳であるけどね。


Posted by 北川 on 1月 30th, 2014 :: Filed under 日常
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