とくお組モブログ
いつも手元にとくお組

かるた

だいたいこれで覚えました。

小さいころ、「犬棒かるた」というカルタが家にあって、姉とよくやっていたので、だいたいのことわざはこれか、五味太郎さんの「ことわざ絵本」で覚えました。「ていしゅのすきなあかえぼし」とか、正直今となっても意味不明のことわざも多いのだけど、この絵だけはよく覚えている。そもそもことわざじゃないのかもしれない。小さいときの脳みその柔らかいときに、こうやって遊びを通じて知識を植えつけるというのは本当にすばらしくて、どんどんやるべきだなとよく思います。

カルタといえば、僕は父方の親戚が多かったこともあり、お年玉を結構もらっていて、おじいちゃんおばあちゃん、おじさんおばさんを含めると8袋くらいお年玉袋があって、姉と合わせると16袋にもなったので、お正月ということもあって、姉とお年玉かるたをよくやっていました。16袋のお年玉袋をたたみの上に広げて、姉が「○○おじさん 1000円お年玉 ・・・・『か』!」と読み上げて、二人でお年玉袋を「バンッ!」と取り合うゲーム。「か」というのは、かなこの「か」、「ひ」はひろしの「ひ」です。

読み上げる姉のほうが完全に有利なのですが、当時の僕はその不正に気づかずにまじめに楽しくやっていたものです。しかし今から思えば、もらったお年玉をバンバン叩いていくというのも失礼な話ですが、別に大声で金額まで読み上げなくてもいいのに、と思います。


Posted by 堀田 on 5月 3rd, 2014 :: Filed under 日常

当たり前

当たり前のことをゴールにする人が嫌い。

近々「ありがとう」がテーマの表彰式みたいなのがあるらしく、本当にそういうのが嫌です。前にも書いたと思うけど、「ありがとう」の気持ちを大切にってことで、ありがとうと言っている写真をつなぎ合わせて、それで「ありがとう」の文字を作ったり、ビデオカメラを持って回っていろんな人の「ありがとう」をつなぎ合わせるビデオを作ったり、本当にそういうのが嫌いです。

ありがとうの気持ちを持って仕事をするのは当たり前であって、その当たり前ができていないのでちゃんとやろうというのは全然いいんだけど、そうではなくてもはや「ありがとう」を言うことが美徳になっていて、本質を見失っているのではないかと思うのです。ありがとうを言うもの大事ですが、ちゃんと仕事する方がもっと大事でしょう。

「もともと全員がオンリーワンだからナンバーワンにならなくてもいい」っていうのも本当に嫌いで、全員がオンリーワンなのは当たり前であって、そこを確認してゴールした感じで落ち着いていては何にもならないというか、だからそれは当たり前じゃん、と思う。それぞれがオンリーワンな上で、ナンバーワンを目指せよと。ナンバーワンを目指さなくてもいいけど、「オンリーワンだからそれでいい」というのは完全に思考停止している。

「ありがとうがテーマ」とか本当に演出が古いというか、寒いというか、そんなのアピールされてもうんざりで、ありがとうバッジつけるとかマジでやだ。と、いう風にピリピリせずに、流して適当に合わせてればいいじゃんね、とも思うのですが、このあたりがまだ子供だなあと自覚しています。


Posted by 堀田 on 4月 29th, 2014 :: Filed under 日常

おもしろトーク

ここ最近は、ほぼ毎日「タコ女」の稽古にいそしんでいます。

とくお組の稽古の時も、スパイスガーデンの稽古の時もそうだったけど、基本的に休憩時間は俳優さんたちの面白トークに耳を傾け、仕切る立場にいる僕も会話に参加してしまってなかなか稽古が始まらない、ということがよくあります。今回の稽古場もひどいです。なにしろおしゃべりのプロ、面白怪獣がそろっているので。普段は聞けない裏話だとか、なんだかんだ笑って聞いてるとだいたい休憩をオーバーしてしまいます。

まあ、自分も「話が途切れてしまったら、稽古を始めますからね」などとよく分からない脅しをしてしまっているのですが。それでも、今回は自分が本を書いているわけではないので、稽古自体はゆとりがあります。

昨日は出演者である小村さんが誕生日だったのですが、稽古の途中でサプライズをやろうということで、僕が他の出演者たちと、喫煙所に出向いて打ち合わせをしていたんです。普段、僕は喫煙所には行かないのだけど。そこで、セリフの途中で音楽が止まってモノローグを言う場面があるので、そこで「小村さんが41歳になりました!」とセリフを変えてはどうか?と提案したところ、ちょうどそのセリフを言ったところで小村さんが喫煙所のドアを開けて入ってきました。完全に聞こえていたと思いますが、小村さんは聞こえなかったふりといいますか、何も気づいていない体でいてくれました。そしてサプライズ本番では、めちゃくちゃ驚いてくれたのでした。さすが役者です。

そのことを抜きにしても、この方は名優だと思います。 是非、絶品の演技を劇場に見に来てください。


Posted by 徳尾 on 4月 29th, 2014 :: Filed under 日常

物悲しい

暖かくなってきました。

昨日今日と会社でひとり仕事をしていて、しかも珍しく誰もフロアに来なかったので、本当に一人でずっとお仕事をしていたのですが、なんていうか、本当にずっと一人だったんで、帰り道になんとなく悲しい気持ちになってしまいました。特に明確な理由はないので、ほんと、物悲しいとはこのことです。

やっぱり春とか秋とかは、寒くも暑くもないので、外を歩いているとなんかそういう余計な感情を抱く隙が生じるといいますか、汗だくとか、コートを羽織って足早に歩いてるときなんかに物悲しくなんかならないものね。なんていうか、広い空間で、静かで、暗めで、暑くも寒くもない条件下では、ふっと周りを見渡して不安になって悲しくなるんでしょうか。

逆に、狭くて、うるさくて、明るくて、めっちゃ暑い/寒いって環境だったら、全く物悲しくなんかならない。物悲しいとは「なんとなく悲しい」という意味のとおり、ほんと、特に理由はなくて、そういった環境に依存するもんなんですかね。こんな隙間の感情にも名前がちゃんとついていることにびっくりした。


Posted by 堀田 on 4月 28th, 2014 :: Filed under 日常

ごはん

ごはんがなぜだかおいしい。

大人になってからごはん(お米)がどんどんおいしくなる。僕は濃い味のものが好きなので、小さいころはあまり味のついていないごはんは食べる気がなく、おかずばかり食べていておかんによく怒られたものですが、最近はごはんをもりもり食べています。ただあまり味がないという点では昔から変わっていなくて、正直さっきもお弁当食べたときにご飯が余ってしまったのだけど、ごはんだけだとやっぱり味気ない。

なので、多分ごはんのおいしさはおかずとの組み合わせで突然倍増するものだと思うのだけど、なんでこんなにおかずもごはんもおいしくさせられるのかが考えれば考えるほどなぞだ。おかずっていうか醤油をちょっと垂らすだけでもすごいおいしいし。パスタも単体では全然おいしくないけど、味がつくとめっちゃうまくなる。パスタなんかは特に、味を味わうための媒体としての役割しかないのではないかと思うが、ごはんもそれに近いかもしれない。おかずを味わえる量を物理的に増やす媒体といいますか。主食なのに謎である。

あと就職活動の面接とかで「自分は食べ物に例えるならごはんです。誰とでもマッチして相手の力を引き出せるから。」とか言っちゃう人がいますが、そんなのありふれていていろんな人と被ってるし、自分単体では何もできないと言っているのと同じなので、これに関してはごはんとかは言わないほうがいいと思います。「僕はチーズインハンバーグです。中身がドロッとしてるんですが、そこが喜ばれます。さあ、みなさんもぜひご賞味あれ!」とか言う人の方が採用されると思う。


Posted by 堀田 on 4月 26th, 2014 :: Filed under 日常

アフリカ

イケメン後輩くんとコンビニに行きまして。

お昼ごはんを買おうと二人でコンビニに行ったのですが、二人とも特にコレと言ったものを見つけられず、「心躍らされるものはないッスね」「もう何年も食ってるからねえ」なんて会話をして、それぞれ弁当やそうめんを買いました。

でもよくよく考えてみたら、例えばアフリカの子供とかがコンビニに来たら、めちゃめちゃ心躍るものばかりが並んでいるワンダーランドなのではないかと思った。日本があまりにも豊かなだけで、それを当たり前みたいにしてはいかんなと。「アフリカの子」ってひとくくりにするのも間違ってると思いますが。

というふうに、大変失礼かもしれませんが、基本的に何かあっても「アフリカの子に比べたら全然マシ」と日々思うようにしています。なので毎日めちゃめちゃ楽しいです。


Posted by 堀田 on 4月 25th, 2014 :: Filed under 日常

エネルギー

比較的、脱原発派です。

あまり深く考えている訳ではありませんが、原発についてはやめた方がいい派です。最近では小泉さんと細川さんが一緒になって、脱原発、再生可能エネルギー社会へ、的なことを言っていて結構だと思っているのだけど、なんていうか再生可能エネルギーじゃなくても、別に火力発電でいいじゃんと思ってしまう。

火力発電もCO2とか害があるのだろうけど、原発で事故って海や土を汚したり、人や動物が住めなくなったりするよりはマシというか、まあマシじゃないかもしれないけど、とにかく「原発をなくしたい」なら、難しい再生可能エネルギーとか言っていないで手っ取り早い方法で一時的にしのぐ、まず実現する、という技もあると思うのですが、どうなんでしょうか。

やれるところからやる、っていうのは、前に進むという意味でとても大事だと思いますけどね。ちょっと一足飛びにやりすぎなんだよな。バブルを生きた人たちはだいたいそんな気がします。


Posted by 堀田 on 4月 23rd, 2014 :: Filed under 日常

うち

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最近は、大学生、高校生、中学生、小学生、女の子はだいたい、自分のこと、「うち」って言うでしょう。
方言ならまあいいんだけども、東京生まれ東京育ちの子でも、もうバンバンにみんな言ってますよね。
なんでしょう、僕は、あれが、大っ嫌いなんですよ。

まず、端的にいって、くそダサいですよね。
自分ことを「うち」って。
家じゃねえんだから。
あと、言葉として、すごく、下品ですよね。
自身のことを指す言葉っていうのは、この世にたくさんありますが、間違いなく、その中で最も品のない言葉だと思います。
二位は「オラ」ね。
とにかくまあ、知性を全く感じないですよ。
一時期のおバカタレントや、海外のタレントさんが拙い日本語を話すのを聞いて「かわいいー」みたいに言われる風潮にも、ほんと反吐が出ましたが、そういう感じいつまで引きずってんだっていうね。
小学生がギャルぶって「うち」と言ってるのを見ると、「え、なに、君、ギャルなの?」とか「それ言うとモテると思ってるの?」とか、とにかく、将来にまで精神的影響を及ぼすくらい追い込んでやろうか、みたいな気持ちになってきますね。
ただでさえ、バカみたいなドキュンネームつけられてる子供が多いのに、言葉使いまでバカ丸出しじゃあ、ほんと、将来とんでもないことになりますよ。

とにかくもう、ほんと最近は、世論が力持ち過ぎっていうか、なんかみんな、わーっと表面的な事柄や意見に流されるでしょう。
ニュースも視聴率のことばっかですし。
ほんと、どうでもいいっていうか、ちょっとは中身の部分語ってくれよって思いますね。
しかも、それで叩かれたりする側はたまったもんじゃないですよ。
小保方さんの問題はあまり言うつもりはないんですけども、少なくとも、素人がギャーギャー勝手に言って、リンチみたいなことしてんじゃねえよ、とは思いますね。
街やワイドショーで騒いでる人で、実際に論文読んだ人っているんでしょうか。
まあ僕は当然、読んでないですけどね。
とにかくまあ、ありゃ、ちょっと異常ですよ。

もうしかしほんと、FacebookとかTwitterとかLINEとかのせいで、しょうもない意見が世間に蔓延し過ぎね。
僕のこのブログも含めてね。
だって、最近の子は、家帰ったらずっとLINEやってるっていうじゃないですか。
コミュニケーションが大事とか、そこから学ぶものもある、とか抜かすのかもしれないですけども、そんな、周りの小学生とか中学生とかの意見とかなんて何の足しにもならないっていうか、そんなもん聞いてる暇あったら、世界的な哲学者の意見とか、文豪の言葉とか聞いといた方がはるかに有益でしょう。
しょうもない、まだ未成熟な人間とコミュニケーションをとることで得られるものなんて、はっきり言って、何もないですよ。
LINEとかを一日中やることほど、くだらないことはないですね。
だからもう、FacebookとかTwitterとかLINEとか、そういったものにまつわる全てのもの、つぶれりゃいいんですよ。
あの手のものは、世の中をよくする、みたいなことをたいてい掲げていますけれども、ほんとかよって気がしますよね。
どうせ、バカ騙して金稼いでやろう、くらいにしか思ってないでしょう。
本当にくだらない。
小学生が電車でゲームやってるのちらっと見ましたけれども、カードみたいなの出てきて、「バトル!」とかなって、バッバッバッ!「Win!」みたいな、あまりにもくそみたいなゲームで度肝抜かれましたよ。
どう考えても、あれで世の中がよくなるとは思えないし、なんなら世界を変える、とかそんなこともあり得ませんし、新しい価値観をつくろうとだってしていないしで、ほんともう、完全に詐欺ですよ。
とにかくもう、僕はキレそうです。

話が逸れましたが、とにかく「うち」ね。
これだけは、やめてもらいたいですね。
まったくかわいくないんで。
方言は別ね。
方言の人は、遠慮なく使ってください。
東京とかの子供がギャルぶって使う、「うち」の話です。
あれはほんと、自分のことを名前で呼ぶのと同じくらい、強い自尊心を感じて吐き気がしますよ。
長々書いてきましたが、実は最大の問題は、こういった「うち」をかわいいとか言い出す男の問題だったりもするんですよね。
もうほんとくそだと思いますが、まあそれはまた、気が向いた時にでも書きます。


Posted by 北川 on 4月 22nd, 2014 :: Filed under 日常

花見再考

今年もお花見はできませんでした。

暖かい日が続いたと思ったらまた冬みたいな寒い日があったりして、気がつけば桜にも葉っぱが混じって、ふりかけみたいになってきてしまっている。こんな寒い中でお花見をするのはどう考えても無理だ。平日にやろうと思ったら夜になってしまうのでかなりの確率で肌寒いし、土日の日中にやろうにも寒い日にあたる可能性が五分五分なのに数日前から約束して集まるのも難しい。

思うに花見はある程度寒いことを前提に企画し直した方がいいと思う。つまり「桜を見ながら酒を飲む」だと寒さ対策がゼロなので、「桜を見ながら鍋をする」とか暖かいものを喰う前提にしておかないとやろうという気にもならない。要は外でみんなと酒を飲みたいというのが本音で、桜は集まるための口実にすぎないと考えると、もっと暖かくなる5月とかに集まれる理由だけ考えればよっぽど参加率も上がると思う。母の日にみんなで集まるとか、メーデーとか。


Posted by 堀田 on 4月 8th, 2014 :: Filed under 日常

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何週間か前に、ただ寝ていて起きたら、なんか腰が怪しい感じになっていて、まあその時は湿布していたら数日で痛みが引いたから大丈夫か、と思っていたのどけれども、昨日、コンビニで下の棚を見て、体を上げたら、それだけで完全にぎっくり腰になってしまった。
今は、腰が痛過ぎて全く動けないし、もうとにかく腰が痛いということしか考えられなくて、様々なことが滞りまくっている。
何年前だったか、たしか漂流教室のちょい前だったと思うのだけれども、机をちょいと押したらぎっくり腰になってしまったことがあった。
あの時はスパーンといっちゃった感じがあったけども、今回は、ぐわあっと三秒くらいかかって認識していく感じだったな。
なった瞬間は、段々下半身の力が抜けていって、思わずその場にヘタヘタと倒れ込んでしまったよね。

しかし、ぎっくり腰ってここまで痛かったかなあ、あんまり覚えていないんだよな。
いや、すっげえ痛かった記憶はあるんだけどね、今回ちょっと尋常じゃないんだよね。
一歩歩くだけで、腰に激痛が走り、腰というか上半身が落ちそうな気がして、ビクンっと全身が緊張状態に陥って硬直し、その場にぶっ倒れそうになるというか。
まさかヘルニアじゃあないよな。

いやー、あれ、何日くらいで動けるようになったかな。
覚えてないんだよな。
ほんとつらいわ。
なんなんだろうな、この体。
ほんと、生きづらいわ。


Posted by 北川 on 4月 6th, 2014 :: Filed under 日常

プリキュア

プリキュアが気になり始めた。

気がつけば歴代のプリキュアが溜まりに溜まってかなりの数になっているようで、こういう歴史を感じさせる作品がすごく好きなので、気になり始めています。彼女たちのどれかが初代で、二代目三代目・・・と続いているのでしょうか。世界観はどうなっているのだろう、連続した同じ世界の人々なのかしら、などなど。

でもその昔、セーラームーンをテレビで観たことがあって、その異常な脚の長さはいいとして、顔が隠れていないのに変身前後で正体がばれないとか、戦闘よりも変身シーンが長いとか、やはり男女では重要視するポイントが違うようなので、もしかしたらプリキュアを観ても「おもしろい」とは思わないのかもしれないけど。セーラームーンで言うと、戦闘シーンは各々のセーラー戦士たちが必殺技をくるくる回りながら連続発射すると、次の瞬間、敵が「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」と叫んで、背景がビカビカしながら死ぬ、みたいな感じになっててマジで驚いた。必殺技が当たる描写はないのね、みたいな。

その点、男の子の番組はあくまで戦闘シーンが重要で面白いのだけど、ドラゴンボールは、高重力下で修行する、わざと瀕死になってから回復する、合体する、一日で一年分の修行が出来る、など「どう闘って勝つか」よりも「どういう修行をしたら相手を超えられるか」みたいにシフトしてて、それはそれで面白かったと思う。


Posted by 堀田 on 4月 4th, 2014 :: Filed under 日常

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春が好きだ。
正確に言うと、四月が好きだ。

杉花粉、街に溢れかえる軽薄な男子大学生、という悪条件があるにも関わらず、やはり四月はいい。
生きよう、という気持ちになる。

屋外という不安定な場所で紙コップなどの安い入れ物で酒を飲み、スーパーとかの油ビタビタの惣菜を食べ、周りの人たちはバカみたいにうるさい、花見。
そもそも酒をあまり飲まないということもあって、そんな花見も大嫌いな僕だが、それでもやはり、春はいい。

何がいいって、女の子がいい。
女の子が最も輝くのは春なんじゃないかと思ってしまうくらい。
新社会人として、着慣れないスーツを着て、緊張した面持ちの女の子。
不安を抱えながらも、化粧して、小洒落た服着て、大学デビューしていく女の子。
ああ、彼女らは、今、ここから、こうやって、大人になっていくのだ。
そう考えると、ほんと胸が締め付けられる。
きっとその瞬間は、彼女らにとっては、結婚する時の次くらいに美しい瞬間なのだろうな。

しかし、だ。
そこいくと、男はどうだ。
あいつら、どうなんだ。
あいつら、まっじでうぜえったらありゃしねえ!
ほんと、もう手に負えないくらい気持ちわりい!
バカみたいにツルツルの顔して、同じような服着て、きったねえ色に髪染めて。
声もでけえし、もうほんと、そもそも言ってることがくそつまんねえんだよ!
「まじで!?」「まじで!?」って、おめえ、まじでうるせえわ!
どうせお前みたいな軽薄な人間に、そんな驚くような大層なことなんて起こってねえだろ!
あいつら、でけえ声で驚ろきゃ笑いとれてモテると思ってやがる。
あいつらもう、性器以外の臓器が体ん中に一切存在していないね。
全身が性器でしょう。
新入生の女の子を落とすために、二年の男とかが「大丈夫?」とか言って心配してる、あの小賢しいやり口とかもすっげえ気持ち悪い。
たった一年程度で培ったような浅はかな知識を、堂々と公衆の面前で披露すんなよ!
恥ずかしくねえのかよ、そんな完成度の低い芸披露してよ!
ほんと、ここぞとばかりだからな。
その照れの無さ、羞恥心の無さ、というよりは、羞恥心を性欲が飲み込んでいるその状態、ほんと人間としての程度の低さを感じるな。
もはや「大丈夫?」って言ってる吐息がイカ臭くすらある。
それにそもそも、そんな優しくねえだろ、お前!
周りが見えてねえんだから、他人のことなんて考えられないだろ、お前は!
だったら相手の女の子のことだって考える能力ねえよ、てめえには!
それにそもそも、性器には思考力なんてもん存在してないわ!

ほんと、ここで随分とひどい毒を吐いてはいるけどさ、あんな奴らよりはさ、俺の方がよっぽど優しいんだぜ!
ほんとそうなんだよ!
女の子もさ、なんで気付かねえんだよ!
あんな奴らに騙されるなよ!
全部嘘なんだよ、あんな奴らの言ってることは!
ほんとにそうなんだぜ!
それにさ、性器に介抱されるなんてあんた、ちょっと頭おかしいぜ!
あんな奴らのところいくくらいなら、俺のとこ来いよ!
来てくれよ!
まあ、正直、めんどくせえなあと思っちゃうだろうけど、まあ、あんな奴らよりは無害だろう!

まあ、あそこまでじゃないとはいえ、僕にも似たような時期あったんだろうけどね。
いやー、思い出すだけで恥ずかしくて気狂いそうになって消えてなくなりたくなるわ。


Posted by 北川 on 4月 3rd, 2014 :: Filed under 日常

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写真は二年前かな、まあそれくらいのものだ。
これを見た時は、太ったなーと自分でもびっくりしたもんだが、今は、それよりもさらに太った。
坊主頭だし、太っているし、もうほんと僕は、鈴木さんに限りなく近付いていっている。
まあ、実際の鈴木さんは、そこまで太ってはいないけれども。
いやーしかし、この4月からちょっと毎週こぎれいな格好をしないといけないことになっていたもので、ビジネスカジュアル的な服を二ヶ月くらい前に2セット買ったんだけども、昨日着てみたら、ジャケット、シャツ、パンツ、全てが着れなくなっていた。
あれはほんと、衝撃的だったな。
もう、すっげー損したし、このままだとそもそも着る服がない。
これはまじでまずいので、昼は毎日スープ春雨のみ、そして、夜に走る、というのをやることにしたのだが、一日目にして、もう、足がパンパンだ。
明日とか走ったら、疲労骨折しちゃうんじゃねえかな。
こんな脂肪しかないような足で、この体重を支えられる自信ないよね。
毎日ラーメンを食べ、一日中パソコンに向かうか、拝むかする、という不摂生極まりない、一切運動のない生活を送ってきたツケがまわってきた。
いやー、やらなきゃいけないこともなかなか終わらなくてあんまり寝れないし、服の問題もあるし、花粉症だし、痔がひどいし、なんかすごいストレスフルだなー。
せめてストレスで痩せないかな。


Posted by 北川 on 4月 2nd, 2014 :: Filed under 日常

香港

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香港に数日行っていました。
写真はホテルの前で適当に撮ったやつなので、あまりいい写真じゃありません。

僕もあまり詳しくはない上に、ニッチなあれなので、説明してもあまり伝わらないとは思うんですが、まあ、でかい国際映画祭には、だいたいマーケットってやつが併設されてるんですね。
映画祭ってのは、映画を上映するだけではなくて、いわゆるバイヤーとか色んな人が来ますから、併設されたマーケットというもので、映画が売り買いされたりするものなんですね。
で、よく賞が話題になったりしますけれども、あれは基本、マーケットではなく、映画祭の方の話ですね。
しかもコンペ部門という部門でありまして、これは、まあ日本語だと招待って言われるのでわかりにくいんですが、何千という応募の中から選ばれた10本とかしか入れない部門でありまして、たとえ賞をとれなくても、コンペ部門に入るだけでも相当にすごいことではあるわけです。
入選というニュアンスの方が、本来は近いでしょう。
まあコンペにも、メインコンペとか色々ありますが、賞レースに乗っかること自体、大概がすごいことですね。
逆に、コンペじゃないものは、金払ってマーケットで全員参加、みたいなものがほとんどでありましょう。
この辺、一般の人や、なんならマスコミでもめっちゃくちゃに報じられることが多くて、そもそもコンペ部門じゃねえから、金でぶっこんだだけだから、みたいな映画を「受賞なるか!?」とかいって報じてるしょうもないケースもよくあります。
それ絶対賞とれねえというか、賞レースに入ってすらいねえから!みたいな。
もちろん、武の映画なんてのはカンヌとかのコンペ部門であります。

で、僕は今回は、マーケットの方に行っていたんですね。
ただ、これがまたややこしい話なのですが、時に、企画マーケットという形で、映画の企画のコンペをマーケット側が主催するケースもあるわけなのですね。
これは、応募のあった企画が審査され、選ばれた企画のみがコンペ対象として、ビジネスマッチングの機会を与えられ、さらには賞の授与もある、つまるところ、そういったものなのでありまして、まあほとんどの人が知らないとは思うのですが、香港国際映画祭のこのマーケットのコンペは、その界隈じゃあけっこう有名なやつなのです。
で、僕はそれに行っていたのです。

長々書いてきましたが、僕は一応、企画を出して、それこそ世界から何百という応募がある中で、20企画くらいだかとして選ばれ、コンペ対象として香港に行ったのだと、なんなら飛行機代と宿泊費とかは全額向こうが払ってくれて行ったのだと、これを強調したいがために、ここまで言葉を重ねてきたのです。
まあ早い話が自慢なのですが、あまりにも話題にならなかった上に、金払ってマーケットに来た観光客みたいなロクに事情を知らない日本人のおっさんに「僕もあっちにブース出してるんですよ。一緒ですね」みたいな態度とられてキレそうになったりで、もうとにかく、なんで日本人の多くはこんなに事情を知らないんだ、と激しく憤ったので、誰も読むことのないこの場所でくらい、自慢させてください。
まあ、結果からいいますと、受賞はならなかったんですけどね、僕の企画以外のほとんどは、総予算5億とかそんなのなんですよ!
そもそも、よくもまあ、僕みたいなもんのくそ安い企画が入ったもんでしょう。
まあ、受賞とかだけでなく、普通にビジネスマッチングの場ですし、それはちゃんとやってきたので、別に賞はいいんですけども、受賞しなかったらクソとかすぐ言われたり思われたりするんでね、これだけは言わさせてください。
そんなことはない!
理由は上に長々書いてきましたがね、そんなことはないのです。

で、こんだけ長く書いてきて、ここから本題なのですが、その期間中に、いくつかのパーティーに誘われまして、まあしょうがないので出席してきたんですね。
これがもう、ほんとしょうもないというか、なんでしょう、とにかく不健全だなと感じたのです。
僕のいたコンペのパーティーとかはいいんですよ。
みんな、自分の企画やクリエイティビティに自信を持っていて、だからこそ、相手もすごい奴なのだ、君も選ばれて来たのだろう?みたいな感じで、対等に、相手と意見を交わし合い、健全にクリエイティブというものと向き合った、素晴らしい空間です。
ああいうのがあるからこそ、あの場に憧れるというのもあるくらいです。
問題は、金にものいわせて、なんの哲学もない、映画というものをロクすっぽしらない、クリエイティビティの欠片もない、ただ、そういう空間に憧れているだけの人たちが主催した、日本人だけの、バカみたいに派手なパーティーです。
彼らにとっての映画は、酒、金、女、それを手に入れるための手段にしか過ぎないのですね。
もしくはただのミーハー、下手の横好きです。
ロクな作品もつくれず、選ばれもしなかったおっさんが、偉そうにガハハと笑いながら、むしろこっちをバカにしてきたりもする。
ああいった場で一番偉いのは、金持ってる奴でも、女はべらしてる奴でもなくて、最もよい作品をつくれる奴、そうなるべきだと僕は思います。
あんなしょうもねえ人間がはばかっている場なんてもんからは、新しいものなど何一つ生まれません。
あんな場からは、金を生み出すシステム、ヒットを生み出すシステム、と彼らが盲信するものによって、くそみたいな作品が、バカみたいに量産されていくだけです。
ほんと、僕が彼らの立場だったら、恥ずかしくてあの場にいれないですよ。
プロデューサー気取り、クリエイター気取りの人間の、いかに多いことか。
ああいう奴らが、日本の文化のレベルをガンガン下げていっているのだと、ほんとまじで気付いて欲しいですよ。
あいつらバカだから、自覚がないんですよ。
だって、ああいった手合いは、もうとにかく声と態度がでかいし、性欲が尋常じゃないし、金もバカみたいに持っているでしょう。
だから、なんか勘違いするんですね。
俺は偉い、みんなもそれをよいと思っている、と。
しかも、明らかに接待用の姉ちゃんと思われる人とかが、軽く仕切られた空間に待機してて、おっさんが帰る時に呼び出されて、さっとついて行かせたりしてるんですよ!
ほんと、嫌悪感しか感じなかったですね。
そういうのは、せめて人に見せないで、勝手にひっそりとやってくれよと。
ああいう奴らはその辺さえも、自分の偉さを強調するために、あえて見せてくるんですよね。
どんだけ不安なのかわからないですけど、もうほんと、なんか気持ち悪いですよ。
まあ別に、そんな人がいてもいいんですけどね、とりあえず、あそこをクリエイティブな場だと言い張るのであれば、そこは別のものとして考えてもらいたいですね。
全くもって自己が作品というものに飲み込まれていない。
むしろ作品やクリエイティビティが、自己顕示欲と性欲に飲み込まれている。
まあ、確かにああいった世界は華やかですからね、憧れるのもわかりますよ。
僕だって憧れていますしね。
しかし、それならそれ相応に、ちゃんと表現と向き合って、ああいった場にいるべきだと僕は思いますね。
それが、僕みたいな、才能の乏しい人間がああいった場にいる、最低限の礼儀というものだと僕は思いますね。
ほんと、てめえくそつまんねえんだよ、のさばるな、とか、よっぽどはっきり言ってやろうかとも思ったんですけどね、まあその勇気はなかったですね。
こわいですからね、ああいう奴らは。
まあここに書くのもあれかもしれないですけどね。
そうしたら消しますか。

いやー、しかし腹たったなあ。
ほんとくだらねえわ。


Posted by 北川 on 3月 30th, 2014 :: Filed under 日常

11

おかげさまで11年目です。

先日、会社の4月からの新体制が発表されまして、今年も無事、転勤もなく本社勤務となりました。そろそろローテーション的には危ないのだけど、仕事に対して後ろ向きだと飛ばされかねないので、逃げるより攻めろの精神で何とか今年も生き残りました。まあそもそも頑張れる環境にいることの幸運が前提としてあるんでしょうが。

具体的に何かあったわけではないけども、Twitterとかで誰かに愚痴を言ったり、不満をこぼしたりしている人をよく見かけるけども、あれは普段から愚痴っぽい人なんだろうか、それとも我慢ばかりしている人なんだろうか。王様の耳はロバの耳的な感覚だとしたら、かなり聞こえてしまっている。

かつて第一回WBCで日本代表が優勝して、次の監督に原さんが指名されたとき、前任の王監督へのインタビューで「原監督は相当なプレッシャーだと思いますが?」という質問に、王さんが「彼は大丈夫。明るいから。」と言っていたのをよく思い出すのだけど、内面はどうあれ、やっぱり対外的に明るい人っていうのは素敵だなあと思います。

ちなみに僕は明るくはないですが、前向きな方だと思います。いいね!


Posted by 堀田 on 3月 25th, 2014 :: Filed under 日常

足場

足場の強度が気になる。

東京ではまだまだどんどんビルが建てられていて、大手町とか、まだ作るんかと思うほど建設中のビルが多くてシティ派の僕としては嬉しい限りですが、足場の上を悠々と移動する鳶の人とか見ると本当にすごいなあと尊敬してしまいます。

高所恐怖症の僕としてはこの足場の強度が気になるところで、つまりどれくらいの風でどれくらい揺れるのかとか、やんちゃな人がわざとガタガタ揺らしたりしたときにどれくらい大丈夫なのかとかが、乗らないけど、すごい気になる。てか人が揺らすのは大丈夫だとして、地震になったら思いっきり下から揺らされるわけだから絶対危ないと思うのだけど、どうなんだろう。「震度7にも耐える足場」とかあるんだろうか。

なんかあんまり足場の耐震性を重視してたらビルを作ってるんだか足場を作ってるんだかよくわからなくなりそうだし、やっぱりある程度弱いモノだと思うのだけど、でも地震で崩れて死んだりしたら大変だしね。そこは「うまく崩す」とかそういう技術があるんでしょうか。いやー気になります。


Posted by 堀田 on 3月 19th, 2014 :: Filed under 日常

ご無沙汰

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ご無沙汰しております。
最近、かなり時間がなくて、更新できていません。
すいません。

色々と完成させないといけないものがあるのですが、押せ押せになっちゃってて、ほんとちょっと責任感で頭おかしくなりそうです。

そんな中ではありますが、何日かに一回は映画を見に行っています。
まあ、それがいけないのかもしれませんが、いま行かないと終わっちゃったりするんで。

で、その中で、画像のもの見に行きました。
大衆的な映画だとナメてかかる人も多いかもしれません。
が、間違いなく素晴らしい映画だと思います。
メリーゴーランドのシーンは言わずもがなですが、北川景子が錦戸くんの寝顔を見るところなんかも涙止まりません。

というか、他にも様々素晴らしいところがあり、なにより色々長く書きたくなる映画なんですが、あんまり時間ないもので、これで。
もうすぐ終わっちゃうんで、ぜひどうぞ。


Posted by 北川 on 3月 18th, 2014 :: Filed under 日常

客観

センスとか能力とか、そういうこと以前に大事なのは、やはり客観性というやつだろう。自分の出し物が、他の人からどう映っているかということだ。客観性を欠いた出し物は、単に演者が青春の汗を散らせただけで終わる。柴田が演劇を観たあとによく怒っているのはそれだ。

これまた難しいのが、じゃあ客観性があれば面白いかというと当然そうは言えない。見てて最初は全然ついていけないんだけど、あまりにポジティブで進み続ける表現に、いつの間にかハマっていた、などという経験もあるだろう。見ている人の顔色を窺っていてもダメで、味方がたとえ自分一人でも続けなければならないこともある。それは前提に置いたうえでの客観性だ。

写真の鈴木さんを例に取ると、これは客観性を欠いた、世界中が自分の味方(ファン)であるということを前提にしたポジティブな表現だ。何も悪いことをしていないのに、悪口の対象になりうる隙がある。具体的にはつま先がちょっと上がっている部分が腹立つだろう。

僕は何も鈴木さんのダメ出しをしたい訳では無い。これはこれでいいのだ。なぜなら、この雰囲気は僕が要求したものだからだ。

 


Posted by 徳尾 on 3月 14th, 2014 :: Filed under 日常

パナマ運河

パナマ運河が意外に狭い。

昔から大変有名なパナマ運河が、写真で見たらびっくりするくらい狭かった。まあ、この写真はパナマ運河の一部しか表していないのだと思うけど、それにしても船一隻しか通れない(どうやら二車線あるみたいですが)というのは意外でした。なんか道路みたい。でもここを通らないと大陸をぐるっとまわらないといけないのだろうから、やはり要所なんですなあ。

あと全然話が逸れるけど、昨日は震災から3年ということでいろんなニュース番組で特集を組んでいて、復興がいまだに進まない現状だとか、原発職員の現場とか、頑張っているボランティアとかが中心で、なんというか、末端の現状を報じるだけで、それがなぜなのか、みたいな部分があまり分からなくて、なんだかなあと思ってしまいました。核心を突いていないというか。原発がなぜなくならないかとか、なぜお金がうまく使われないかとか、いろいろあるでしょう。

「震災を風化させてはいけません」みたいなことをみんな言って締めるのだけど、それなら震災特番とか言って、一日中放送するくらいやってもいいのにと思う。確かに毎日震災の話するものあれだから、せめて3年目とかの日には一日中やればいいのに。一日やれば、どうしても核心を突かざるを得ないだろうし。なんか、ニュース屋さんも思いっきり風化してるじゃん、みたいな印象。「笑顔」とか「絆」とかもいいんですけど、それって全然根本を見ていないというか、そんなことより「分析」が必要だと思いますけどね。

まあ結局なにが言いたかったかというと、パナマ運河が思ったより狭いということです。


Posted by 堀田 on 3月 12th, 2014 :: Filed under 日常

追憶

最高傑作でした。

ここ最近、隙を見てはドラクエⅢをやっています。スーパーファミコンでのリメイク版をやっているのだけど、小学生のときに姉ちゃんと一緒に胸熱くしたあのファミコン版の方がやっぱり面白かったなと改めて思います。ラスボスのゾーマがあらわれた時には鳥肌が起ちました。名前も、デザインも、音楽も、何もかもが洗練されていた。こんな奴に勝てるのかよっ!とか言いたくなる感じね。

会社の後輩らの世代だともうファミコンと言ったらスーパーファミコンを指すらしく、あのファミコンは「なんかあったみたいッスねw」というレベルだったりしてびっくりである。「ドラクエを終えるときはリセットボタンを押しながら電源を切らねばならない」なんて、笑われそうで言えやしない。

当時はバグが「裏技」として広まったりと、あの不安定さもよかったと思うけど、僕は昔「ナイトガンダム物語」というRPGをやっていて、かなり後半の後半くらいになったら、あるはずの町がなくて(バグ)、結局クリアできなかったという苦い経験もあります。当時は「バグ」という概念がなかったので訳が分からず、本来その町があるはずの島の1マス1マスを泣きながら「しらべる」して歩いたものです。

似たような経験で、コンビニのおにぎりが出てきた頃に「牛カルビ」のおにぎりを食べていたら、最後まで牛カルビが出て来なかった、なんてこともありました。当時の僕はすごい悲しそうな顔をしていたと思う。


Posted by 堀田 on 3月 4th, 2014 :: Filed under 日常