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連日ちょいちょいずつ編集をしている。
脚本がないものの編集の場合、けっこう頻繁に、内容というか物語に縛られないカットの選定ができる。
脚本があるものでもバンバンこういうのできたら非常におもしろいのだけど。
例えば、AがBに殴られて吹っ飛んで転がることを示す場合、カットを割るとしたら、殴られたショットと吹っ飛んで転がるショットとかを繋ぐわけだけども、ここで、さらにもう一発、転がっているショットを適切なタイミングで繋いだりすると、けっこうおもしろくなるんだよな。
というのも、最後の転がっているショットの前までで物語を進める上で必要な情報は示されきっているわけだよね。
適切に情報を示しきるタイミングまでショットを続けていた場合の話ね。
で、そうなると、最後の転がっているショットってのは、物語上は必要のない、余剰なものとして存在しているわけだね。
じゃあ、その余剰な最後のショットには何が浮かび上がるのか。
これはもう、とにかく人が転がっているという状態というか運動、それに他ならないよね。
物語から解き放たれたことで、画面内で起きている運動そのものが、モロにそこに浮かび上がるわけだね。
これが、なんか非常におもしろいんだよね。
ただ人が転がっている状態ってのがおもしろいというか、滑稽に見えるというか。
ちょっと例えが限定的になってしまったからわかりにくくなっちゃったけど、そんな感じのを、多くのカットでできたらおもしろいんだよな。
まあ、そんなことやってもあんまり伝わらない上に、やり過ぎると物語の進行が遅れて、評判悪くなるんだけどね。
しかしこれ、昔も書いたことかもしれないな。
あんまり覚えてないんだよな。
なんか色々同じようなこと書きまくってんだろうな。


Posted by 北川 on 7月 17th, 2012 :: Filed under 日常
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