とくお組モブログ
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おもちゃ

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毎日みっちり授業と宿題、帰れば膨大な編集があり、土日はびっしり法事の仕事がありつつ、課題のレポートみたいな論文を二つ抱え、さらには提出しておきたい企画みたいなものも二つある。
どうでもいいようなことばかりに時間を割かれ、いったい僕はどうなりたいのだ。
あんまり寝てないせいか、ストレスのせいなのかなんなのかよくわからないけど、頭の肌に触ると神経に触れたような感じというか、なんか刺さるような激痛が走るし、ほんと嫌になってくるな。
仏教においては、生きるってのは苦であるとされているけれども、ほんとそうかもしれないね。
しかしまあ、本質的にはちょっと意味が違っていて、欲というやつが満たされることがないからこの世は苦、だから欲を生み出す煩悩とかを滅して悟りの境地に至ろうやみたいなことなんだけども、それはまあどうかと僕は思うな。
だってそれって、まるで欲からは苦しか生まれないみたいな言い方だもんな。
人間、欲が満たされなくてつらい思いもまあするかもしれないけど、欲があるからこそ、それがかなった時に、つらさを超える大きな喜びや楽しみを得ることができるわけでしょう。
で、それこそが生きる意味というか、張り合いというか、そういうもんなんだと思うね。
苦を滅することで、むしろ大切なものを失っちゃってるというか、そんな気がするね。
でもこれって、仏教だけでなくて、目先のめんどくささとか苦しさから逃げている人にも全般的に言えることだと思うな。
まあ、狂ったりしながら色々やる必要もないだろとは思うんだけど、しかし、きっとそうでもしないとつかめない大きな喜びというものもこの世界にはあると思うよね。
でも、まあそれもまた考えもんではあるよな。
この世には色んなささやかな喜びってやつもあると思うんだけど、そういうものには気付けなくなってしまっていくからね。
おもちゃ売り場の前とか歩いている時に、昔は1000円くらいのおもちゃ買ってもらっただけでも発狂するくらい喜んだもんだけど、今はそんな感情全く起こらないな、ちきしょう、俺の心は死んでいる、俺はなんて悲しい人間なんだ、となんか胸がぐっと締め付けられるような感覚に襲われることとかあるしな。
まあどうでもいいか。
そんなおもちゃ売り場通るだけでいちいち発狂してたら心持たんわな。


Posted by 北川 on 6月 20th, 2012 :: Filed under 日常
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