己の自転に乗るか乗られるか。
最近はずっとコンビニ野郎な僕ですが、シフトに一緒に入るメンバーの殆どが大学生か高校生で困っています。テンションが圧倒的に違うのは当たり前としても、もう、本当に彼らの使う言語がわからない。もちろん、日本語ですから何となく言わんとしてることはわかるのですが、どうしてもモヤモヤとした曖昧な部分が残るのです。それを、「えー、それどういう意味?」などと聞いてみるものの、向こうからは「あー、ま、いいっす。」みたいにあしらわれ、僕は得意のへらへらで返すばかり。でも、へらへらを繰り返す度に、ピキッと心にヒビが入る音がするのです。それは、「俺、もうオッサンなんだ」ということを痛感するというのはモチロンなのですが、何よりも「こいつら、昔、俺がオッサンを見る時にしていた目つきを俺にしやがる。」ということをはっきりと認識する自分がいるのです。使い方あってるかわからないですが、因果応報というか。愛されたければ愛しなさいというか。
翻って。時々、老人たちとダンボールを作ったり潰したりしているわけです。老人たち、もう、本当に何言ってるかわからない瞬間が沢山あるのです。これは、音声的に聞き取れないといったレベルのものが殆どなのだけれど、そういう時に直面した瞬間、僕は「老人を見る目つき」というものを、してしまっている。気をつけてはいるものの一瞬イラッとしている自分がいるし、隠せているとは到底思えないし、伝わってしまっていると思うのです。自分が、やられて心にヒビが入ったとかうだうだ言っていることをやってしまっているわけです。未来の自分に対して。僕は「老いる」こと強く感じると共に、同じことをしてしまっている自分を恥じると共に、「越えられない何か」を感じるのです。
さらにさらに。先日、大学時代の同期のホームパーティに参加してきたのですが、もう、本当に会話が弾む弾む。もちろん、同じ経験を沢山してきた仲間ということもありますが、お互いがお互いを歳相応に認識して見てることがとても楽に感じたのです。アラサーたちがちょっと懐かしんだりふざけたり。同じ時間の流れの中で同じ雰囲気で歳をかさねていく。こういう仲間がいるということが、とんでもなく幸せなことなんだなというのを強く感じたわけですね。
ま、そんな感じですね。
Posted by 篠崎 on 10月 26th, 2011 :: Filed under 未分類
You can skip to the end and leave a response. Pinging is currently not allowed.