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電車の中で、ギャルかなんかが太腿を露わにしているのを見かけることがある。
細い場合は、文句なしに受け入れる。
だが時には、丸太のように屈強なものをさらけ出されることもある。
僕はこれを、受け入れられるのだろうか。
実は、受け入れられることがある。

屈強さ、すなわち強さというものは、主に男性的なものだろう。
女性は男性に強さを求めるように、男性は女性に弱さを求める。
従って、男は女の強さというものを基本的には受け入れられない。
これは僕に限っての話だろうが、僕は女性の偽物の強さでさえ、受け入れることはできない。
例えば勝間和代かなんかが、強い女を装いつつ、実は弱い女性的な面も持っています、みたいなことをやっているのを見ると、はらわたが煮えくりかえりそうになる。
僕の中で、強がりとぶりっ子というのはほぼ同義だ。

ではなぜ僕は、女性の屈強な太腿を受け入れることができるのだろうか。
これはおそらく、本能の問題だろう。
屈強な女性の太腿、ここに僕は、安産の可能性を見い出しているのだと思う。
屈強な太腿で、力強く踏ん張りながら我が子を確実にこの世に産み落としてくれる、そんな姿を僕は、プロレスラーのように太い太腿を持つ女性に見ている。
そう考えていくと、屈強な太腿というのは、男性的なものではなく、むしろ非常に女性的なものであるということがわかる。
女性的な強さは、仕事をバリバリこなすことにでも、ガツガツと肉食的に男を狙うことにでもなく、母性、そこにある。

近年、強い女性というものがよく取り上げられるようになってきた。
子供をつくらず、バリバリ仕事をこなす女たち。
それも別にいいだろう。
悪いことだとは思わない。
女性が男性的に強くあってはならないなんて話は一切していない。
むしろそういう魅力を持った人とかだっているだろう。
しかし、そんな女性と家庭を築けと言われたら、それは話が別だ。
それは、はっきり言って無理だ。
無理解だとか、差別だとか、そういうことではない。
そういう女性は、女性的なのではなく、男性的だから無理だ。
僕はゲイではないのだから無理だ。

まあでも、そもそも北川みたいな男こっちから願いさげよ、誰だか知らないしね、この不細工どチビ低収入が、みたいな感じなんでしょうがね。

だが言わせてください。

うるっせえんだよ!
傷つくからそれ以上はやめろ!


Posted by 北川 on 2月 27th, 2011 :: Filed under 未分類
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4 Responses to “腿”

  1. tomoco
    2月 27th, 2011

    今回は長文でしたね。
    しかもなおかつ、力作ですね。
    ちょっと真剣に読んで、唸ってしまいました。

    北川さんにステキな女性が現れることをただひたすら願ってしまいました。

  2. 北川
    2月 27th, 2011

    すいません、実は基本的に書くことがないので、適当にダラダラ書いているんです。
    なので、そんな大それたものではないんです。
    正直なところ、ただ世間にいちゃもんをつけたかった、それだけなんです。
    なんか真剣に読んでもらった上に、願ってもらってほんと申し訳ないです。
    次からはもう少しちゃんと書きます!

  3. (ρ.-)
    2月 28th, 2011

    (^-^)b
    なかなか読みごたえありましたね!

  4. 北川
    3月 1st, 2011

    ありがとうございます!
    では今後は、大河小説みたいなやつを書いていきます!

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