低反発
低反発のマットで寝たいなと思い、調べてみたら、実はけっこう腰に悪いらしく、買うのやめた。
ぎっくり腰持ってるから、ほんと危険だな。
あぶなく安いやつを買ってしまうところだったぜ。
高いやつでもあんまりっぽいけど。
Posted by 北川 on 1月 14th, 2011 :: Filed under 未分類
低反発のマットで寝たいなと思い、調べてみたら、実はけっこう腰に悪いらしく、買うのやめた。
ぎっくり腰持ってるから、ほんと危険だな。
あぶなく安いやつを買ってしまうところだったぜ。
高いやつでもあんまりっぽいけど。
昨日、夜中に徘徊をした。
凍死しそうな美女を救うことになる可能性があると思ったからだ。
しかし、夏と違って、今は外も寒いから、人はほとんどいなかった。
虫も鳴いていないし、くそ静かだった。
だからなんかこわくなって、すぐに家に帰った。
徘徊は夏に限るなー。
足元が寒い。
年も明けて毎日どんどん寒くなっているが、僕の家も例外なく寒い。
部屋にいて暖房も入れてるのに寒い原因に、ずっと裸足だというのがあると思う。すごく寒い。
昔からスリッパを履く習慣がなくて、実家ではおかんが用意する厚手の靴下とかを履いていたが、
一人暮らしを始めて早10年、ずっと室内では裸足で通してきた。
理由は、帰宅後にまた靴下を履くのがめんどくさいからだ。
よって今はただ、冬が過ぎ、春がやってくるのをじっと待つしかない。
早く窓を開け、鼻唄を歌いながら、裸足で部屋の掃除とかをしたい。
掃除もめんどくさがりそうだけど。
ゴレンジャーにはじまり、今年で35年を迎えるスーパー戦隊シリーズ。恐竜や車や冒険や侍や天使など様々なヒーローが出て来たが待望の35作品目は…
海賊戦隊ゴーカイジャーだ!
たしかにどこぞで流行った作品がスーパー戦隊には反映されがちだが、海賊とは…。
しかも宇宙海賊らしい。
スタートから宇宙ってのがスケールでかい。
宇宙といえばフラッシュマンやギンガマン(このころまでは〜マンってのが主流)だが、あくまで元地球人だったり、神聖な存在だったりだった。(まあ敵は概ね宇宙要塞から飛んでくるけどね。)
宇宙海賊キャプテンハーロックも地球が故郷だから地球を護ったが、果たしてこの海賊は地球を護るなんてことするだろうか?護れるの、ゴーカイジャー?
あとは内容だなあ。
ボウケンジャー、仮面ライダーW並の品質を望む!
かつ、男らしくたくましい主人公を望む!
またコイツがやって来た。
芝居が近くなると大量のチラシがうちにやってくる。
今回は何万枚だろうか。よくわからない。
今回は新しくプロの制作さんを仲間に入れたから前回に比べたら配布先は心配ないけど、
それでもちゃんとこいつらをハケ切れるか不安である。
もし前回みたいに友人や行きつけのお店に渡してくれる神がいたらお願いしたい。誰かいませんか(ToT)
今回は前回の反省を踏まえ、通路の右側に段ボールを配置している。
僕は左足の薬指を過去のリキマル公演で脱臼しており、
前回はその古傷に段ボールの角をぶつけまくると言う地獄を見たのだ。
今回は例えやられたとしても右足になるはずだ。
ただこれは部屋から外に出るときのルートに限る話で
外から部屋に入ってくるときのルートでは気を付けなければならない。
あれは本気で痛いから本気で憂鬱だ。
そろそろ地デジにしないとやばいなと思い、テレビを買った。
REGZAにしたかったが、高かった上に、小さくてフルHDのがなかったので、安くて小さくてフルHDのがあるAQUOSにした。
以前、実家がテレビを買い換えた時期に、ちょうど高良が実家に来たことがあった。
実家のテレビもAQUOSだった。
高良は、それを見て「おっ、テレビ買い換えたんだー。そういえば、テレビってTOSHIBAのが一番いいらしいね。で、一番だめなのってどこのか知ってる?」と聞いてきた。
僕は「いや、わかんねえなー」と答えた。
すると高良は、チラッとうちの実家のテレビを見た後、あからさまにつくった神妙な顔をして、「それが…言いづらいんだけど、AQUOSらしいんだよ」と言ってきた。
あれ以来、AQUOSがこわい。
本当はAQUOSなんか買いたくなかった。
REGZAにしたかった。
一番だめなAQUOSになんて、僕はしたくなかったんだ。
これは後輩が送ってくれた初日の出の写真だ。
初日の出なんて、何年も見ていない。昔は家族で半強制的に見に行っていたが、いまはそれを実行してくれる人はいない。
初日の出なんてただの太陽だろ?とは決して思わない。一年の始まりの貴重な日の出だと思っている。だから初日の出を拝むことはかなり好きだし大事なことだと思っている。
だから来年こそは!と毎年思うのだが、思うように起きられず、そのくりかえしになってしまっている。
来年は絶対見ようと思う。
ゲームムービーの素材を書き出したりしている。
書き出しというのは、単純な作業なので、割と考え事とかができる。
今は、もし突然上戸彩が裸で俺の前に現れたら、「ああ、きっと俺の人生は、今、この瞬間のために存在したのだ!それだけじゃない!俺を生んだ母親、父親、俺をこの瞬間に導いた、全ての人間の人生さえも、きっと、きっとこの瞬間のために存在したのだ!」と叫ぶだろうな、ということを考えた。
ケトルを買ったよ。
我が家では、飲み物の最高温度が常温だったが、こいつを手に入れたことにより、いつでも温かい飲み物が飲めるようになった。
床冷えで有名な我が家には持って来いだ。
生活水準が上がったよ。
実はパリジャンの小道具で初めてケトルの存在を知った。
それまで俺の全てはポットだった。
しかし、ポットは一人暮らしにはデカすぎる。
しかもポットより断然早く沸くではないか!
小さくてお洒落。
まさに俺が描いていた都会の一人暮らし。
なんだか、さらに生活水準が上がったような気がする。
ほんとケツみたいな果物だなぁ。
桃を見れば見るほどお尻みたいに見えてくる。
こんなにも体の部位に似た食べ物も他にないだろう。
色も遠からず似ているし。
ジュースのパッケージにお尻の写真を入れても気づかれないかもしれないくらいだ。
まだ似ている部位がケツだったからいいものの、鼻とか手とかだったらかなり気持ち悪い果物になっていたはず。
お尻はなんとなくかわいいし、ちょっとだけセクシーみたいな感じがいい。
桃のピーチっていう響きにも何となくお尻感が漂う。
成人の日にそんなことを考えた。
ウルトラマンだ!
実家からプレステ2を回収し、昔やったゲームで再び遊んでいる。
中でもこのウルトラマンの格闘ゲームはリアルすぎてかなり面白い。
柴田さんも絶対にハマるはずである。
もちろん柴田家の子ら二人もウルトラマンは大好きなはずだから、このゲームも大好きに違いない。
しかし決して見せてはならない。
今は絵を描いたりあやとりをしたりと、脳の柔らかいうちにたくさん考えることをしなくてはならない。
今ゲームにハマったらバッパラパーになってしまう。
DSとかモンハンとかやり始めたらその子の可能性を変に消してしまいかねない。
一生を左右するものが間近にありすぎて怖いわー。
冬の夜長はひたすらトランプだ。しかしひたすらやるわりにはあまりゲームの種類をしらない。
ぶたのしっぼってのがあるのですが、ぶたのしっぼみたいにカードをならべて……。
ここまでしかわからないんだ。並べ方までわかるのだけど、このあとどうやって遊ぶかがわからない。とりあえずめくってはみるものの、だからどうしたという感じだ。
わからんなあ。
ほんと、わからんわあ。
疲れていたり、精神的におかしくなっていたりすると、突然酔うことがある。
昨日はゲームムービーの撮影の後に飲みがあったが、帰り道に渋谷駅に着いた辺りで突然前後不覚の状態に陥った。
それまでは割と正気を保っていたのだが、突発的にきた。
で、気が付いたら朝になっていた。
しかも、終点の駅の東横インで寝ていた。
いや、気が付いたら、というのは嘘だった。
電車で寝過ごして終点まで行ってしまい、もう電車もなかったためタクシーに乗ろうとしたが、タクシーがめちゃくちゃ混んでいた上に、もうぶっ倒れそうだったから渋々東横インに泊まった、というのは覚えている。
しかしそれは、ほんとフラフラの意識が朦朧とした状態でのことだったので、もうほとんど覚えていないと言っていい。
ほんとあの状態でよくここまでの判断ができたな、と自分の危機回避能力や判断力の高さに惚れ惚れしているが、文章で見ると、かなり理性的に動いているため、全然酔っていなかったように思われそうなのが非常に残念だ。
本当に僕は、意識が飛びそうな状態の中で、あれだけの判断をしたのだ。
適当なところで寝てたら凍死していたところだったんだ。
本当にあぶなかったし、本当にすごいことを成し遂げたんだ。
それだけは、わかっておいて欲しい。
今日はヨーロッパ企画さんのゲームムービーフェス向けの素材撮影をした。
結構楽しいゲームになる気がしてワクワクしている。
こんな下らないことに休みを費やすのは本当に最高だ。
トイレの神様がどうも好きになれない。
感動しろと押し付けがましい感じや、関西弁にしときゃ情緒出るだろという浅はかさなんかも嫌だが、それ以上に、痛みを痛みと捉えておらず、むしろ美談にしている感じが嫌だ。
婆ちゃんの死という痛み、婆ちゃんにきつくあたってしまったという痛み、彼氏といちゃついていて婆ちゃんをほっぽっておいたという痛み、様々な心の痛みを、「まるで私を待っていてくれていたかのように」(歌詞と違うかも)と、自分勝手な解釈で美談に仕立てあげている感じが不愉快だ。
そんな安っぽく、ヒロイックな考え方のものに、男子校出身者の僕が感動できるわけがない。
涙を流せるわけがない。
痛みというのは、痛いからこそ意味がある。
婆ちゃんに恩返しできないまま婆ちゃん死んじまった、という痛みを背負いながら生きていくことでしか、婆ちゃんを弔うことはできない。
だから携帯小説とかもそうだけど、あの手のもの嫌いなんだよな。
もっと罪や痛みと向き合って生きていかないとだめだな。
ほんと善人面した悪魔の多い世の中だぜ。
正月に荻窪の祖母宅に行く途中にあった無敵塾(合格ホール!)。
無敵という言葉を久しぶりに見た。
無敵にはかなりの憧れがあるが、なかなか字としては書かない。
無敵といえはマリオのスターが有名だが、あんなのは時間制のチカチカでテンカン起こしてぶっ倒れて穴に落ちるのが関の山だ。(無敵なのに穴に落ちたら死んでしまうのはいかがなものか!)
だが、僕にとって無敵はローラーヒーロームテキングだ。
この主題歌が頭のなかでぐるぐるまわる。
無敵〜無敵〜無敵てきてき、ムテキンパンチ〜。
…あ〜、だんだん無敵になってきたなあ、俺!
ついに、である。
半年近くマンションのある部屋の外に出され回収されなかった寿司盆。
オートロックのためマンションに寿司屋が入れずずっと放置されていたわけだが、ついに今日、ごみ捨て場に出されていたのを発見した。
衝撃の結末である。
確かにもうこうするより他に手がなかったのだろう。
今さら寿司屋に回収依頼をするわけにも行かず、モヤモヤしているうちに年が開けてしまった。新年は新たな気持ちでスタートしたい。
そんな心情が透けて見える。
少々悲しい形ではあるが、本件はこれで一応の解決を見た。
あるとすれば、これが捨てられるまでに寿司屋が回収できるかどうかだ。
この寿司盆がまた新鮮な寿司ネタを乗せられる日が来ることを祈っている。
風呂でのぼせてしまったようで、気分が悪くなり、風呂の床で一時間くらい寝ていた。
前にも一度だけ同じことがあった。
その時は、突然目の前が真っ白になって、気絶しそうになった。
低血圧だからなー。
気を付けないとな。
弁当が主食。
自炊をしないので基本的に晩御飯は吉野家とかコンビニ弁当とかで済ます。
最近はオリジン弁当が加わり、かなり幅が広がった。
こんな食生活をたまに哀れむ人がいるが、本人的には慣れているので問題ない。
でも今弁当の写真を客観的に見たら、確かに何かちょっと悲しい気もしてきた。
まぁでも自炊はしないな。
ゴキブリとかありえないから。
リキマルも終わって、年明けから仕事と並行で、第17回公演「雲をつかむような冒険」の台本を書いている。
いつも台本を書く前にアイデアノートが一冊分パンパンになってから書き始める。いつもパンパンになるのが遅いのだが、今回は年末までにパンパンになったのでいいペースだと言える。パンパン言いたいだけだ。
台本は文字数にして25000字~30000字ぐらいが僕の芝居の90分ぶんぐらいになるので、これから卒論を書くみたいな気持ちでジワジワ進んでいく。プロット通りに進むのか、思わぬ方向に進むのか、書いてみないとそこは分からない、まさに冒険。
鈴木さんが出てくるかどうかも、書いてみなければ分からない。