業
昨日はブログを何回送っても更新に反映されなかった。
キレそうになった。
今日、電車で異常にいちゃいちゃしているカップルを見かけた。
僕をチラチラ見てはなんかこそこそとやっているような気がしたので、写真を撮ってやった。
最近の僕はかなり大胆だ。
電車という公衆の面前でいちゃつくカップルにムカつくのは、彼らに切実なるものがないからだろう。
もし男が、「すいません、僕、この電車降りるくらいのところで死ぬんです!だから今は、いちゃつかせてください!」とか言っていたら、僕もムカつきはしない。
今、どうしてもいちゃつかなければならない、そういった強い思いがない限り、人前でいちゃついてはいけない。
あと、前にも書いたが、基本的にこういったところでいちゃついている奴らは、本当に変な見た目の人が多い。
彼らは、本当は(こいつ変な顔なんじゃないか?)と思ってしまっているその自分の心を、人前でいちゃつき、(どうだ、見てくれよ!俺はこいつが大好きなんだ!うらやましいだろ、もっと見てくれよ!うらやましいだろ!)と叫ぶことで、誤魔化している。
人は生まれ、生き、子孫を残し、そして死ぬ。
嵐が吹き荒れようと、戦争が起きようと、それは変わらない。
日陰で生きてきた者たちが、衆人の注目をあえて浴びながら、愛を確かめ合うというその行為は、人間の生命の業の深さというものを我々に教えてくれる。
ひどいことを書きました。
でも、後悔していません。
後悔はしていませんが、許してください。
ひがみってやつなんです。
Posted by 北川 on 9月 3rd, 2010 :: Filed under 未分類
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