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時代

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被災地の支援、余震、原発、様々予断を許さぬ状況だ。
僕は当然のことだが、戦争を経験してはいない。
阪神大震災や中越地震も経験してはいない。
それらを経験された方は別であるが、多くの関東圏に住む人は、僕と同様に、特に何もないという時代を生きてきたはずだ。
だから、現代の日本の芸術というものは、非常にスケールの小さな個人的な世界を描いたものであったり、現実感のないファンタジー的なものであったり、もしくは閉塞感からくる無感覚で無機質なものであったりと、そういったものが多いとよく言われている。
しかし、今回の震災を乗り越えたとしたら、そういった何もないという状況は、確実に、そして決定的に変わる。
何かがあった上での表現こそが日本を引っ張っていく時代が確実にくる。
くるというか、そういう表現できない人は、安っぽいばったもんと認識される時代になる。
まあばったもんはいつの時代ものさばり、意外と人気を博したりするものだが、それは置いておいて、とにかく表現における軸が変わるというか、できるというか、そうなる。
映画においては、ネオリアリズムとかがそんな感じのイメージだが、そういった、社会や時代を感じる、現実的で肉体感のある表現が求められる時代がくる。
で、これはきっと、震災中だし、まだ誰も言っていないことのはずだ。
だからもし今後、こういったことを言っている人がいたら、大声で周りに言うようにしてもらいたい。
「あ、それ北川のパクリだ!」
「あ、それ北川の方が早くから言ってた!」
「あいつは予言者だ!」
できる限り多くの人にそう思ってもらって、ほめてもらいたいので、きつい毎日が続きますが、被災地の方、被災地以外の方、みんな、生き延びて、今回の震災を乗り越えていってもらいたいです。
僕もほめられるために何が起きようとまだまだのさばるぞ!
(実際には誰もが思い付くしょうもない考えだということもわかっていますし、絶対にほめられないことはわかっていますので、本気になったり、あいつ痛い奴だとか言わないようにしてください。よろしくお願いします。)


Posted by 北川 on 3月 19th, 2011 :: Filed under 未分類
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