堀越
写真はパソコンに入っていたもので適当です。なんで入ってたかしらないけど、撮ったときにはどこか面白いと思ったのかもしれません。
先日のドラマで、高校生が元グラビアのお姉さん(役)に問題を教えてとせがんだところ、「私、堀越だから(無理)」と拒否したシーンに、堀越の学長が激怒した(とかしないとか)という話題があったけれども、作品に対して反射的に意見を言えるこの風潮が、表現の質を落としかねないと思っている。別にみんなで作品作ってるわけじゃないんだからさ。
堀越の件についていえば、大多数の人が面白いと思える表現なら、くだらない反論は慎むべきだと思うんだよね。誰がどうみても「堀越に失礼だ」とは思えない表現だし。いや、当事者にとっては傷つくんだとかいう意見もあるでしょう、それならば殺人事件や交通事故もののドラマ、不倫ドラマ、全部NGです。日本には毎日そういった当事者がいるので傷つけてしまいます。
自分の話になるけど、舞台や映像にかかわらず、書いた台本について結構大事にしていた部分について、軽い感じで訂正(もしくはカット)を求められたりすることがある。台詞って外から見ると軽い気持ちで作ってるように見えがちだけど、わりと細密な作業の結果だったりするから、役者やスタッフが「なんかうまく言えない」「撮れない」とか言って勝手に変えるのは、ちょっとどうかなという気持ちがある。それってやっぱり後ろ向きな変化だから、面白く変えてもらえたパターンなど、ほとんど無いに等しいし。ただ、それはこちらの台本の意図が通じてない場合も多々あるのでなんとも言えないのだけど。あと、演出の意図によって変えていくのはいいとしても、たまに出来の悪いパロディを差し込まれることがあって、それは結構やめてほしいなあと切実に思っている。しかもウケてないしね。あれ、なんか途中から文字でかくなってない?
Posted by 徳尾 on 11月 8th, 2014 :: Filed under 日常
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