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すっきり

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今日で撮影は終わる予定だったが、雨で持ち越しになった。

ちょっと前に友達に子供が生まれた。
非常にめでたいことだ。
その際、「もうバンバン塾とか行かせちゃうんだ?」と聞いてみたら、「いや、俺は勉強なんかできなくていいと思ってるんだよね。もっと自由な感じで、やりたいようにやらせるというか、元気であればそれでいいよ」と返された。
これは一見、子供のことをすごく考えている、優しい発言に聞こえるけども、僕ははっきり言って、全くそうは思わない。
これはただの、責任放棄や言い逃れだ。
元気があるのとないのだったら、元気があるのがいいに決まっている。
それと同様に、勉強ができるのとできないのだったらできるのがいいに決まっている。
そもそも、勉強ができることはイコール元気がないとはならないだろう。
これは、自由という名の不自由というか、自由面した不自由というやつで、僕が本当に嫌いな考え方だ。
やりたいようにやらせるっていったって、何の判断もできないガキなんかにやりたいことなんてわかるわけがない。
それに、やりたいことが学者になることだったらどうするんだよ。
本当の意味でやりたいようにやらせるっていうのは、あらゆるものになれる可能性を最大限に高めてあげることなのであって、放任するっていうことではないよね。
放し飼いにしてる猫じゃないんだから。

なんでこんな話をしたのかというと、ちょっと話が違うし、あと、今回の仕事の場合は違うのだけど、結婚式のとか細かな映像の仕事を受けると、だいたい「やりたいようにやってくれてかまわない」みたいなことを言われるからなんだよね。
そんなこと言われても、やりたいことはないというか、基本的にはそもそもやりたくない。
仕事を振ってきているのは依頼側なわけだし、やりたいことってのは当然のことながら依頼側にあるはずなのだけど、何も考えてないからなのか理由はよくわからないけど、いつの間にかやりたいことが受ける側にあることになっているんだよね。
当たり前のことなのだけど、こっちはやりたいとかそんな感情は全くなくて、ただ頼まれたから善意で受けているだけ。
まあ「やりたいように」っていうのを「専門的なことはわからないし、思い付かないから、適当に成立させてくれ」みたいな意味で言ってることは理解しているけどね。
それでもやっぱり、言われた時はすごい違和感あるんだよな。

あと、書いていて思い出したけど、昔、バイトしていた時に、ちゃんと仕事はしていたのだけども、なんかやる気がない感じでやっていたら、いきなり女性の上司に「もっとやる気出していかないと、このバイトで上の方にいけないよ!」とか怒られたことがある。
あれも本当に意味がわからなかったな。
僕は一度も、このバイトで上にいきたいですとか、このバイトがやりたくてやりたくてしょうがないですとか、言ったことはなかったのだけど。
まあ、もしかしたら「上にいきたい?」とか聞かれて、否定するのもあれだし「まあ、そうですねえ」とかくらいは言ったかもしれないけど、そんな、それで一生食っていってやるとか、そんなこと思いながらバイトやっている人なんて普通に考えていないだろう。

何が言いたかったのかよくわからなくなってきたけども、久々にダラダラ長く文句を言って、少しすっきりした。


Posted by 北川 on 5月 9th, 2012 :: Filed under 日常
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