とくお組モブログ
いつも手元にとくお組

異種

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最近、動物が好きです。

大人になってからなんですが、動物全般にすごく興味が出てきていて、旅行など何か遠出をするときはだいたい動物園や水族館、ワニ園などに行っています。写真は伊豆の動物園で挨拶したキリン。

動物のどこに興味が湧いてきたかと言うと、まずその種類の多さとへんてこな形状でしょうか。キリンとか象とか見慣れている一般的な動物でも、改めて首や鼻の長いのを見ると、なんだこれは!という気持ちがむくむくと出てきて、なんかずっと見ていられる感じです。動物園とか博物館に行くと、名前も聞いたことない、ドリルみたいなぐりぐりした長い角が生えている鹿みたいなやつとか、骨盤みたいな角が乗っかっているトナカイとか、いやー立派だなあ、と思わせられるようなマイナー動物もたくさん居て、本当にその種類の多さにびっくりします。

おそらく進化の過程でそういう形になっていったんでしょうが、理由は分かりませんが、それが合理的だと思って彼らはやっているわけで、本当、彼らを見るたびに一番頭が悪いのは人間なのではないかと思えてきます。動物は基本的に本能で、生きるために最も合理的と思われる選択肢を選んでいるのに、人間だけ、あれこれ悩んで、どうしてそうなるの的な間違った判断とかもしちゃうわけで、まあ結局感情ってやつがそういう非合理的な判断を導いてしまうんだよなあ、人間だものなあと、みつをのようなことをぐるぐる考えながら動物を見て回っています。まあ単純に動物よりも難しい判断を迫られているのはあると思いますが。

ただこれ、動物たちが総じてかわいいのが大前提にあるのでこれだけ受け入れられるのですが、虫は本当にダメです。生物の多様性という意味では、虫だって受け入れるべきなのだと思うのですが、もう見るのも嫌だし、なんなら気持ち悪いという理由だけで殺そうとするし、動物だって、近所でうろうろしてて角で威嚇されたり、部屋に入ってきてうんこでもしようものならマジ勘弁してくれとなりそうだし、そういう面では、僕の言っている動物好きなど薄っぺらいものだなーと、不必要に自虐的になったりします。

異文化も異種も受け入れるというのはなかなか難しいものなので、やはりもののけ姫のように子供の頃から慣らしておくのがいいというか、僕も小さい頃にもっと動物に興味を持っていたら、動物の研究をする道を選んでいたかもしれません。先日の国立科学博物館は高校生以下無料となっているのも、知識・科学の継承や優しい心の育成という意味で本当に意義深いことなのだと思いました。

他の国の宗教やら文化も早めに触れて慣れさせておいたほうがいいだろうけど、三角関数やら逆上がりやら、漢字やら絵やら音楽やら、教えなきゃならない内容って他にもたくさんあるだろうし、それが本当に教えなきゃならないかどうかも含めた優先順位付けも大変だし、本当に教育というのは一番難しい分野だなあと思います。


Posted by 堀田 on 11月 13th, 2016 :: Filed under 日常

科学博物館

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これは国立科学博物館のパンダプレートです。

先日、妻に誘われて上野の科学博物館に行ってきました。博物館というのは実はあまり馴染みがなかったのですが、行ってみてなかなか楽しいところだと思いました。宇宙の起源とか、生物の多様性とか、そういうのが好きなので足さえ疲れなければ何時間でも居られる感じです。

こういうのが好きなのもあるかもしれませんが、僕が会社の飲み会などでたまに熱弁するもあまり理解してもらえない理論があって、仕事をする上で問題や困難にぶち当たった後輩などに「究極的には光の速さだけが一定だから」といったザキさんみたいなことを言ってポカンとされることがよくあります。

僕も言い方が良くないと思うのですが、つまり言いたいのは、問題にぶち当たったときに、ああ嫌だとか、どうしようとか、悩んだり迷ったりするのもいいけれど、解決するためには、いま何がどう問題なのか、もっと具体的に言うと、誰が何を言っているのか、それが誰の意見とどう対立しているのか、それのどの部分がどう問題なのか、といった原因を細かく追究して問題点を明らかにし、それを解決する選択肢を並べ、決定権を持っている人は誰なのかを会社や社会のルールに照らして調べて決裁を仰げば、だいたいのことが解決するというか、少なくとも個人で思い悩むことはない、ということが言いたいのです。

つまりつまり、論理的に物事をなぜなぜと掘り下げていけば、問題点も解決策も(解決策が全くないことも)見えてくるし、それは究極的に突き詰めると、世の中は全て原子でできているとか、宇宙の起源とか、相対性理論みたいな話になるわけだから、ある意味、「論理的に物事を考えて事実を追究すること」のシンボルとして「光の速度だけが一定だ」みたいな話をしますが、ちょっと自分でも飛びすぎているなと反省します。

とまあ、ここまで解説したとしても「それは正論だ」とか「そんなうまくいかない」なんて言われます。主にその理由を問うと「人間は感情の生き物だから」みたいな背景なのですが、確かにどう正論で通したって嫌なものは嫌とか、好きなものは好きみたいな「愛」や「憎しみ」といったものはあるけれど、それはそれで理解できるというか破綻していないというか、この人が嫌だといっているのはただこいつが嫌いだからだ、という論理を明確にしてあげれば、じゃあどうすればいいか、みたいなのは見えてくると思います。「人間は感情の生き物だ」みたいなことを言う人はちょっと思考停止しているだけなんじゃないかと思います。

いずれにしても、そうやって問題の原因を分析していかないと、ともすれば自分のせいでうまくいかないとか悩んだり、誰も味方がいないような寂しい気持ちになったりして負の感情に支配されてしまう可能性があるので、しっかり何が悪いのか、自分が悪いなら謝ったり正しいアクションをすればいいし、自分が悪くないのなら悪くないで主張できるし、困ったときほど感情を排除して事実のみ追究すればいいということが言いたいんですが、なかなかうまく伝わりません。

みんな悩んだら科学博物館に行けばいいのに、と思いました。


Posted by 堀田 on 11月 6th, 2016 :: Filed under 日常

ハラ

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あくまで一般論として書きますが。

飲み会などで、いまだにセクハラ行為を散見することがあるかと思いますが、本当にあれは何とかならないものかなと思います。酔った勢いの”フリ”して女子の腕や肩を揉む人、卑猥な話を振る人、夜中に電話したりする人、いますけども、あれ本当に何なんだろうと呆れてしまいます。まあ単純にスケベなんでしょうが。

そういう人に限って、セクハラという言葉に対して「最近はなんでもかんでもすぐにセクハラだパワハラだと言われる」「昔はもっと飲み会で怒られていたし緊張感があった」といった嫌悪感を示すのですが、まあそうなんでしょうけども、セクハラはセクハラなので、いったい何を言っているんだろうといつも思っています。例えば、サラリーマンとして、上司の言うことを嫌でも聞いて、飲み会で緊張感を持って気配りをしたり、どんなに疲れていても最後の最後まで付き合ったりするのは、接待の練習にもなるし、別にいいことだと思いますが、それと女の子の身体を触ることは全く関係がないことなので、完全にロジックエラーを起こしているというか、とにかく「なぜ触るんでしょうか」と言いたくなります。「スケベ心で触ってんですよね」と言いたくなります。

普通に、女の子の身体を一瞬触ったことで得られる快感と、失う信用を天秤にかければすぐに分かることだと思うのですが、それでもやっているとなると、得られる快感がものすごいか、信用を失っているということがあまり分かっていないかのどちらかだと思います。おそらく後者だし、ちょっと翌日に冷たい態度を取られたりしたとしても、それをネタにまた男同士でゲラゲラ笑ったりしている感じもあって、本当にそういうことしてるから若手の心が離れていってしまうんだけどなあと残念に思います。ちゃんと伝えてあげられていない僕が悪いのかもしれないと思ってしまうほどです。

だいたいこの手の人はバブル絶頂期にばりばり仕事をしていた人たちで、すぐに飲み会でも昔話をしてあの頃を懐かしんだり、「最近はやりづらい」的な話をするのですが、かわいそうだけど、その時代はもう終わっているし、古き良きものもあるし、今の若手がよくないこともあるし、そこにいろいろ議論はできるけど、繰り返しになりますが、そのことと、女の子の身体を触ることについては全く関係がないので、本当に何をごっちゃにしてしゃべっているのだろうと思います。自分たちがスケベ心でやっていることを、サラリーマンとしてのマインド論と一緒に正当化するのは間違っているというか、何でそんなロジックになるのか、ちょっと信じられない思考レベルです。

そのあたり目を瞑ってても気分が悪いし、そういう場面で都度言っていくしかないのであって、それはそれで大変だし、もう面倒くせえなあ、大人なんだからちゃんとしてくれよと、あくまで一般論として思っています。


Posted by 堀田 on 10月 23rd, 2016 :: Filed under 日常

新垣と星野

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新垣と星野。

先日、この二人が出ているドラマをなんとなく観ていたのですが、もう自分はこんなにもガッキーが好きなのかよと改めて認識させられたのでした。ガッキーはずっと前からずっと好きでしたが、なんというか、それはもう当たり前すぎるというか、「ガッキーは殿堂入り」とか言って、ある種、棚上げして、他のかわいい子についてああだこうだ言っていたのですが、そこにガッキーが(高いところから)降りてきて、「一番は私でしょっ!」って怒られた気分でした。はい、一番はガキさんです。

今回のドラマで、ガッキーが社会から必要とされていないという点にありえなさを感じる訳ですが、そのせいあってか、ガッキーが喜んで星野源の家をきれいに掃除したり、看病をしてあげたり、料理もうまかったり・・・と、なんかいわゆる古い感じの女性らしさといいますか、献身的な感じが、もうお嫁さんにしたい欲を掻き立てられると言いますか、なんでこんなかわいい子が俺なんかのために、みたいな、そういうときめきメモリアル感もあって萌えるわけです。そして何よりも他のかわいい女優さんと違うのは、とにかく星野源に嫉妬してしまうことです。この嫉妬が過ぎてまともに観られない感覚ってのは、本当になんなんでしょうか。なに嫉妬してんだと。

ただそこもこのドラマはうまくて、星野源っていう天才を配置してくるから、まあこっちも全く太刀打ちできないというか、言い訳できないというか、星野源にならガッキーをやってもいいか、みたいな感じでなんとか観ることができます。これがただのイケメン俳優だったらちょっと嫉妬がメラメラし過ぎてしまうんですが、星野源はまず音楽がすごいからなあ、といった感じで、諦めがつく、納得がいく、という感じです。30歳を過ぎると、どこか「男は顔じゃなくて中身だろう」という風に、戦い方しだいではガッキーをも、みたいな発想になりがちですが、そこを完膚なきまでに叩きのめしてくる星野源の全方位的な隙のなさに、まさに屈服させられたのです。

小沢健二が出てきたときも、こいつは天才だとすぐにわかったのですが、星野源もそういう感じというか、ああ、こいつはもうあらゆる面でモテるやつだし、しかもいいやつで友達にもなれそうだし、この飛び抜けた才能を持っているくせにいい塩梅な感じは、本当にこれはガッキーをモノにできるのではと期待するし、彼でなければもう納得できないところまで僕は来ています。


Posted by 堀田 on 10月 15th, 2016 :: Filed under 日常

フレンドリー

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このおじさんが元凶な気もしますが。(女子アナはいいです)

テレビと言えばニュース番組ばかり見ているのですが、NHKの夜の番組で、ラジオブースみたいなセットの番組における、ちょっとフレンドリー感というか、崩した感じの演出が上手くいってないような気がしています。

あの普通のニュース番組と違うカメラアングルとか、おじさんのしゃべり方のラフさとかが、なんかハマってない感じというか、敢えてそうしています感、こんなスタイルにも挑戦しています感が前に出ちゃってて、なんか不自然で、観ていてちょっと眉をひそめてしまいます。ニュースに対するコメントやトークも、正直あんまり面白くないというか、滑っているというか。

めざましテレビの内輪ウケ感も相当ですが、あの人達は性格が明るいというか、本当に楽しそうだから気にならないんですが、NHKの方は、Twitterやらスタイルから入っている枠組みに、出ている人がハマり切れてない感じがして、そのくせちょっと得意げというか、うまくできてると思っている感じがするというか、いや、やるならもっとめざましさんみたいにちゃんとやれよ!と思ってしまいます。

まぁ何よりも一番イラっとするのはTwitterのコメントがいちいち出てくるところで、「〜〜は大事です。」と当たり前のことを念押ししたり、政治家に「海外もいいけど、国内もしっかりよろしくお願いします」とか釘を刺したり、あの一般人が正義漢ヅラしてテレビで喋ってる感じがうるさいので、あれは本当に非表示設定できるようにしてほしいです。

めざましテレビの占いも、「でも大丈夫!今日のラッキーアイテムは、にしんのすまし汁です! いってらっしゃい!」みたいな、いやいや、なんで12星座のザックリさでそんな超具体的なアイテムなんだみたいなむちゃくちゃ感がすごいありますが、そういう突っ込みも全く意に介さず、とにかく朝は笑顔でいってらっしゃいなんだ、みたいな、そういう振り切れてる感じが潔く、一枚も二枚も上手だと思います。


Posted by 堀田 on 10月 8th, 2016 :: Filed under 日常

ネックレス

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ネックレスは多分一生しないと思います。

予め申し上げておくと、決してネックレスをつけている男性がどうのこうのではなく、単純に自分がつけられないという話です。結婚してから指輪だけはつけていまして(父は失くして怒られたから)、なんとなくその違和感ももうなくなってきたわけですが、どうにもネックレスだけは無理だろうなと予想しています。しなきゃいいだろって話ですが。

なんにせよ、身につけるものに機能的な意味を求めてしまいがちで、ネックレスをつけるなら磁気ネックレスならいいとか、指輪も結婚したし失くしたくないからとか、そういう理由をつけなければならないのは、本当に残念なことだと最近思っています。つまり、ファッションとして身につけられなくなってしまっていて、そのセンス一本で勝負できないので、つい、そうではない理由を必要としてしまい、結果、装飾モノは何もつけられません。帽子も無理ですね。

前も書いたかもしれませんが、昔はコンタクトレンズの日もなんとなくあったのに、最近では眼鏡キャラで会社でも通っているので、もう理由もないのにコンタクトにしてしまって「今日は何か勝負の日なのかな」とか思われたくない一心で、もうコンタクトは芝居の本番以外では付けられません。せっかく買った装飾品であるレイバンのサングラスも、コンタクトの日がないのでかけることができません。

このファッションについては、これはもう自信のあるなしが全てというか、究極的に正解はないので、俺はコレがいいと思う、みたいなのが強ければいいんですが、ないので、てかなんだかんだでその時代ごとに正解・不正解があったりするから、もう本当に毎日誰かに決めて欲しいし、会社がスーツで行ける会社でよかったなと思っています。

ただヒゲがもっと生えれば、そのあたり変わっていける気がしています。


Posted by 堀田 on 10月 2nd, 2016 :: Filed under 日常

募金

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したいと思っていますがしていません。

街で募金をやってるのをたまに見かけますが、内容にもよるけど、基本的には募金してあげたくなるんですが、したことはほぼありません。コンビニのレジにあるやつはできるんですが、街頭のやつはどうにも無理です。

一番募金したくなるのは盲導犬で、あれは本当に盲導犬は偉い!と普段から思っているのもありますが、実際に目の前に盲導犬が寝そべっているので、お利口さんねー!と褒めたい気持ちで募金したくなります。でもしません。

しない理由は単純に恥ずかしいからだと思います。一体何が恥ずかしいんだか分かりませんが、優しい人間みたいに見られたいと思ってると思われるのが嫌なのか、入れるときにお礼を言われたりする触れ合いが恥ずかしいのか、とにかくわざわざ足を止めて財布を取り出して、っていう間が嫌なんだと思います。

あとなんか、根底に募金をやることが偽善っぽいと思っているというか、誰かのために立って声をあげている行為に、なんか素直になれないというか。募金ってそんなに効率のいい集め方じゃない気がするし、その時間働いたほうが稼げないか?とか、あと実際たまにちょっと気持ち悪い人がやってたりして、その募金対象には募金したいけど、なんかあなたには嫌なんだよな、みたいな。ああ、なんて汚い心の持ち主なんだと書いていて自戒します。

最近では、貧しい子供たちのために毎月定額で引き落とされるタイプとかあって、あれは誰に見られるでもないのでいいのですが、それでも、なんかそういうことをして自己満足したい自分のエゴの方を意識してしまい、結局やってません。この偽善という概念との闘いはなんだろうと思います。別にもはや偽善でも何でもない素直な気持ちなのに、当の僕が偽善判定をしてブレーキをかけるという。

「しない善より、する偽善」と言われるように、偽善でも何でもいいからやれよってのは分かっているのですが、募金を目の前にすると、結局、何も感じてないフリして目もくれずに通り過ぎてしまい、何となく罪悪感を感じています。いっそ触れ合いとかいいから、改札機みたいにSuicaでピピッとタッチする感じで募金できればいいんですが。


Posted by 堀田 on 9月 21st, 2016 :: Filed under 日常

集めて揃えて並べる

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集めて揃えて並べるのが好きです。

僕に限った話ではないと思いますが、同じシリーズのものを集めて並べるのがとても好きです。マンガとかDVDは分かりやすい例ですが、大きさが揃っていて、番号が振ってあって、均等に並べることができるものに喜びを感じてしまうのは僕がA型だからでしょうか。

たまにDVDとかで一枚一枚の表紙が全て同じで、番号だけ違うのがありますが、あれは好きではないです。シリーズのいいところは規格が同じだけどそれぞれが違うところなのであって、太陽にほえろ!のDVDとかは全部違う装丁だったのに、途中から同じ写真になってしまって、もうそれだけで集める意欲が失せてしまいました。たまにそういうコレクター気質を理解していない商品があったりすると分かってねえなあと思います。

仕事に於いてもそうで、僕は新規担当営業だったりする訳ですが、会社の共有フォルダに提案先企業ごとのフォルダを作っていて、提案中は企業名だけのフォルダ群なのですが、新規でGETできた場合には、そのフォルダ名を右クリック→「名前を変更」をして「01.〇〇社」「02.△△社」…という風に番号を振ると、新規獲得企業が上から順番に並ぶので「おおー」と自分の中でなって、また集めたくなる、みたいなことをしています。今度、後輩ちゃんが仕事を穫ったらこの番号を振る儀式をやらせてやりたいと思うのですが、多分「あーはい、わかります」とスカされてしまうのだと思っています。

という風に同じ規格のものを並べるのが好きなので、丸いものよりも四角いもののほうが好きというか、佐藤可士和の事務所みたいな、四角い箱が並んでいる倉庫みたいなのにすごく萌えます。そういうのは自然界にはあまりないと思うので、やはり都会のコンクリートのカクカクした世界でずっと生きて行きたいなと思っています。


Posted by 堀田 on 9月 18th, 2016 :: Filed under 日常

バイキング

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帝国ホテルに行ってきました。

早いもので先日結婚記念日を迎えることができまして、記念に奮発しようということで妻と帝国ホテルのバイキングに行ってきました。写真は後半にひたすら食べたパンです。

北海道の新婚旅行では、ホテルのバイキングが今ひとつで、期待していたほど美味しくなく「普通に美味しい」の域を出なかったのですが、そこはやはり帝国ホテル、大変美味しくいただきました。

食べながら北海道のバイキングと何が違うのかを考えてみると、まず、お皿が違いました。北海道では3×3の9マスのお皿に盛っていくのですが、帝国ホテルは普通のお皿に盛ります。一見、仕切りがなくて不便ですが、仕切りがあるとプレート感というか、社員食堂感が出てしまい、結果、お皿のほうが高級感があります。

さらに食べ終わったお皿は、僕らが料理を取りに行っているうちにホテルマンがいつのまにか(いつのまにかではないですが)下げていたり、高い位置からお水をさーーーっとかっこよく入れてくれたり、我々のことを「奥様」「旦那様」と呼ぶなど、同じバイキングでもやはり違います。

見渡せば、客層も、北海道は旅行客がほとんどだから浴衣を着てるファミリーが中心ですが、帝国ホテルは多少着飾った大人の男女が中心で、かかっている音楽、夜景、などなど、隅々に高級感があるわけです。

ここまで来て遅ればせながら、僕らは料理というよりも、雰囲気を食べているのだということに気がつきました。よくテレビで芸能人の格付けと称し、高級ワインと安ワインの飲み比べなどをしてますが、実際はあれの通りで、なかなか僕みたいな普通の人は違いがよくわからないはずで、エビフライとかもすごく美味しかったけど、ニチレイの冷凍食品をあそこで食べたら絶対うまいと言っているだろうと思います。もちろん、絶対的にうまいものばかりでしたが、もはやその”確からしさ”なんて帝国ホテル側しかわからない。まぁつまり、どこにお金を払ってるかっていうことに改めて気がつきました。

いずれにせよ、世の中不景気だと言われていますが、我が身を顧みれば、南青山に住むだの、記念に帝国ホテルで食事をするだの、客観的に見て、リッチな生活をしてるもんだなと思います。これもこれまで育ててくれた両親や友人・会社の方々の支えがあってのことだなと、まず感謝の念を抱くことができたのも、これも帝国ホテルの雰囲気なのだと思います。


Posted by 堀田 on 9月 5th, 2016 :: Filed under 日常

下の名前

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女子大生の話に聞き耳を立てています。

カフェやレストランなどで隣の話をなんとなく聞いてしまうのですが、女子大生の会話で、おそらくサークルの男子の話なのでしょうが、「こないだカズヤが」とか「でもそんときマコトに言われたんだけど」とか、ファーストネームで呼んでいるのが、なんか一軍感があっていいなと思います。

僕なんか、下の名前はヒロシですけれども、ヒロシなんて女子に呼ばれたことは一度もなくて、でもそれは僕がそう呼ばれるような風体をしていないからで、きっと僕がもっとチャラっとしているというか、トレンディーというか、もっともっと明るいやつだったら、周りの女子もそういう子たちだろうし、そういうサキとかアヤみたいな女子から、ヒロシがこないだ車を運転してたときに、なんて話をされてたんだろうなぁと、そんなパラレルワールドを想像したりしています。別にそうなりたかったわけでもないけど、そういうパターンもあったんだろうなと、その分岐点はどこだったんだろうなと考えたりします。

そう思うと、学生時代も僕の周りの仲間たちは、「こないだヒトシとマサヒデが」とか「コウジが」「シュンタロウが」とか誰も呼ばれてなかったし、一方で「テッペイが」「テツマが」とか呼ばれるやつは同期でもいたけど、彼らとはそんなに仲良くなかったし、まぁもっと前の時代、なんなら生まれたときからやっぱりこの道だったんじゃないかなと思います。

あと、ああいう一軍の人たちはあだ名をあんまり付けないイメージですね。ボーイとか、中将とか、カフェでそういう名前を耳にしないので。てか、ばかにしてるわけではないんですが、下の名前で呼び捨てにするのってちょっと恥ずかしくないのかなとか思ってしまいます。ダンサーがみんな下の名前でアルファベットみたいなのと同じ感じがして、なんか聞いてて笑ってしまいそうになるときがあって、そういうときに自分は根暗だなと思います。

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Posted by 堀田 on 9月 1st, 2016 :: Filed under 日常

お菓子

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お菓子が好きです。

日々、間食をしないようにとは思っていますが、我慢すればするほど、こういうお菓子を気兼ねなく食べたくなって、結果、食べたりしています。特に一人で家でゴロゴロしている休日に、漫画を読みながらポテトチップスなどを食べ、一冊読み終わって次の巻に手を伸ばす瞬間に、ああ幸せだなぁと思うものです。

じゃがりこも結構好きで、ポテトチップスに比べてコンパクトサイズなので、ついペロリと食べてしまいます。

前に出張で新幹線に乗っていて、なんか食べたいなと思ってたところに、移動販売のお姉さんが「じゃがりこ、トッポなど…」と言いながら通りかかって、じゃがりこ食べたいなーと思ったもののその時はがまんをしてスルーしたのですが、やっぱりじゃがりこが無性に食べたくなって、お姉さんが2週目でやってきたときに「すみません、じゃがりこください」とピンポイントで言ったのに、「申し訳ありません、じゃがりこは売り切れまして、柿の種やトッポならありますが…」と言われ、「あ、じゃあいいです」と答えたのですが、なんかすごくじゃがりこを食べたかった一点狙い感と平静を装った感がバレバレでとても恥ずかしかったです。

最近、35歳の大人が一人でお菓子を買う感じが恥ずかしいというか、全然普通だと思うのですが、数年前にカッコつけでブラックコーヒーを飲み始めたあたりから、なんか変な自意識過剰でよくないなと思います。基本、食に興味ないフリをしたいのだと思うのですが、全くそんなことがなく、顔もどっちかというとブラックコーヒーよりもじゃがりこみたいなくせに、ほんと自分で自分にいい加減にしろよと思います。


Posted by 堀田 on 8月 17th, 2016 :: Filed under 日常

ミスコン

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先日、妻がミスコンに出る夢を見たそうで。

なんのミスコンなのかはわかりませんが、曰く、何かしらのミスコンにエントリーしていて、最初は他の出場者とも「がんばろうね!」「緊張するね!」などと結束していたそうです。そして審査に入ると、タキシードを着たウルトラ兄弟が現れて、各々のウルトラマンたちの推薦を受ける審査方式らしく、他の参加者にはいろんなウルトラマンが付いてくれているのに、妻には誰も付かず、振り返ると、袖の長いタキシードを着たバルタン星人が、長い袖により自慢のハサミを閉じられた状態で立っており、なんだバルタンかあ、となったらしいです。

その後、他の出場者が正装したウルトラ兄弟たちにエスコートされてドレスアップしてきて再登場し、最初は団結していたにも関わらず、バルタンしか付いていない妻を見下し始めると(本来であればここでブチ切れるのになぜか夢の中では大人しくしていたそうですが)、そこに宝塚歌劇団花組トップスターの明日海りおさんが特別審査員として突如現れ、「優勝者は昨年優勝者の連番で決まります」などと驚きのルールを明かし、結果、エントリーナンバー145番の妻が逆転優勝したそうです。

さらに副賞として高級自動車が贈られることになり、車を会場まで持ってくるまでの時間ができたそうなのですが、妻が自分も車に乗ってくるのかと勘違いして会場からハケてしまったため、主役が居なくなって会場がざわつき、それに妻も気づいて急いで戻ってきたら、それを見て会場全体がふわっと和んだ、みたいなお話です。

なんというか、僕はよく「全裸で仕事をしていて途中で気づいて慌てて家に帰る」という精神衛生上良くない夢ばかり見るのですが、この「大好きな自分が大好きなものに囲まれている」楽しい夢を見られるのがとてもうらやましいと思いました。基本「寝ていても自分の笑い声で起きる」みたいな人なので、そのポジティブさは見習いたいところです。ただそのうち永塚君みたいに夢遊病にだけは発展しないでほしいと思います。本当に恐いから。


Posted by 堀田 on 8月 7th, 2016 :: Filed under 日常

本質的な優しさ

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劇団メンバーにも知らないうちにほとんどが既婚者となりましたが、私自身、ドラマの仕事などでも「不倫」「結婚」などに関する話題をちらちら書くことも増えました。自分もいい歳になってきたということです。

最近、妊娠中の小倉優子の旦那が不倫していたということがニュースになってましたね。10月10日が結婚記念日だということで、毎月10日に花を贈っていたとのこと。月命日みたいですね。こういう男性は男から見ても危険というか、嘘臭い見本です。

基本的に、男性は「ロマン」や「気持ち」などが無い生き物です。サプライズしたり、花を贈ったり、そういう男は自己愛こそあれど、純粋に相手の喜ぶ顔が見たいとか、そういうのは突き詰めていけば、嘘です。「いやいや、ウチの旦那は優しいですよ。ホントに」という人もいるかと思いますが、その手の優しさの問題点は、「他の女性にもやる」ということです。誰にでもできる優しさは、誰にでもやっている、というのが単純な答えです。

自分も人の夫として、どのような夫であることが一番自分らしく自然で、かつサービス精神があり、それでいて他の女性にはそれをしない、というバランスを保つことができるのか。これは考えれば考えるほど結構難しい問題です。

突き詰めて考えた結果、「特になにもしないが、元気で生きている」ということが最高の夫なのでは、と思いましたが、それに妻が賛同してくれるほど、現実は甘くありません。何もせず、生きているだけなのに気づいたら妻が横で噴火していた、なんてことは世間の夫あるあるですが、そうならないためには、日頃から入念に計算とシミュレーションをした上で、定期的に気の利いた優しさを見せねばならないのです。

花を贈るとか、そういう怪しげな表現ではなく、もっと本質的で、日々の生活に馴染んだ優しさです。優しさの見える化です。

「とりあえず、返事をする」ということが今のところ導き出した解です。

 

 


Posted by 徳尾 on 8月 3rd, 2016 :: Filed under 日常

辞めればいいのに

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そんなに言うなら辞めればいいのに。

よくカフェなどでお茶をしたり、電車に乗っていたりすると隣の人の会話が聞こえてきたりしますが、特に女性同士の会話で、仕事への愚痴が聞こえてくることがよくあります。その中で「辞めたいんだけど、引き止められてるから我慢している」という趣旨の話をする人が嫌いです。

昔、コンビニの朝バイトをしていたときに、よく一緒になるおばちゃんがいたのですが、その人がやたら店長への愚痴を僕にこぼす上、こんな店辞めたいんだけど、店長に引き止められているから辞められない、という謎の「私は必要とされている」「私を外せない」感を出してくるのがすごく嫌でした。

店長が引き止めているのはシフトに穴をあけたくないからであって、あなたの能力を見ているのではなく、数として見ているのだと思うし、そもそも本当に店長が引き止めているのかも怪しいし、こいつが辞めると言っているかも怪しい、と思っていました。

という感じで、だいたい女性2人組のおばちゃんに多い傾向なのですが、会社の誰かの悪口に近い愚痴を言いながら、「辞めたいけど、私が抜けたら大変」だの「周りからも、そんな会社早く辞めた方がいいって言われてる」だのと好きなように言っているけど、いいから早く辞めてみろよ、多分辞められるからと言いたくなります。辞めたら次に雇ってくれるところがあるか分からない、みたいなことは全然言わず、あくまで今の職場に求められている(私は嫌なんだけど)というスタンスがイライラします。

まあ愚痴ること自体はいいと思うのですが、こういう人は大抵、自分の必要度が高いことをやたら誇示し、ひいては周りの人間が如何に劣っているかにまで話を広げ、場合によっては顔の造形など身体的特徴を引き合いに出してバカにし始めるという傾向があって、じゃあお前はどんな顔だと思って見ると、ああやっぱりそういう性格しているとそういう顔になっちゃうよね、みたいな顔をしていてなんだかなあとなるので、せめてもっと小さい声でしゃべってほしいなと思います。

写真はそういう話を聞いているときの僕の心境。


Posted by 堀田 on 8月 2nd, 2016 :: Filed under 日常

なんでもない


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なんでもないことですが。

なんでもないふだんを宝物にしよう。みたいなコピーのCMがあると思いますが、なんとなくあれが好きではないです。なんかイラっとするんですね。

なんかこちらが、なんでもないふだんを大切にしていない前提でものを言われている気分になるというか、優しい言い回しをして、実は勝手に決めつけて押し付けてくる感じが気に入らないといいますか。

あと西島さん一家が過ごす生活がやたらオシャレで全く共感できないのもあって、ちょっとその生活、全然なんでもなくないというか、むしろちょっと無理してるんじゃないの?そんな意識高い生活うらやましくないんですけど、みたいに思ってしまうからだと思います。

まぁそこが、ふだんプレミアムなんだろうし、そもそもCMだからいいんですが、なんかこの勝手に「〜〜しよう」みたいに言われるのが好きじゃないというか、例えば、選挙に行こう、なんてのは実際に投票率が低いわけなので気にならないけど、朝に「みなさん今日も一日大切に生きましょう」とか呟かれると、なんでそんな当たり前のことをあなたに言われないといけないの?みたいな気分になってしまい、自分は大らかではないなぁと思ってしまいます。きっと純粋な気持ちで言ってるだけなんだと思いますが。

ACのCMで、セトモノ同士ぶつかると壊れちゃうから大らかになりましょう、なんてのは、まさにそんな僕へのメッセージで、すごくその通りだなと思いますね。つまらないことで目くじら立てずに、なんでもないふだんを宝物にしようと思います。

 


Posted by 堀田 on 7月 23rd, 2016 :: Filed under 日常

はらせんせー

無題

Twitterが使えません。

先日より、突然Twitterからアカウントを乗っ取られた可能性があるのでパスワードが変更されるまでロックしました、的なメールが来て、おおそうなんだと思い、パスワードを変更しようと思っているのですが、これが一向にできません。

新しいパスワードを設定しても、またこの画面が出てきて、延々ループを繰り返してしまいます。もう二週間ほどこんな状態で、どうしようもなく放置しています。まあ、最近は本当に呟くこともなく、ただ書いたブログの周知をしたり、キングダム作者の原泰久先生のアカウントに、「はらせんせー!ヾ(≧∇≦*)/」とひたすら絡み続けるだけだったので支障もあまりないのですが。

そもそももっと調べれば解決できるんだろうけど、最近はこういう「やればいいだけのこと」をやるのが本当に億劫というか、土日も特に何をするでもなく、それこそキングダムをまた読み返したりして(もう10周目くらいなのにまだ涙します)、ちょっとメリハリに欠けております。

そういえば以前、Twitterで原先生に「はらせんせー!ヾ(*・∀・)/」「はらせんせー!(人´∀`)」と何度も絡んでいたら、一度だけ原先生が「ん?(・_・ ) ( ・_・)キョロキョロ」と返してくれたことがあり、びっくりした僕は「|彡サッ!」と隠れるという奇跡のやり取りがありました。

ただこの奇跡のやり取りを保存するのを忘れていたので、あれをもう一度探すためにも、ちょっとアカウントの復活に再トライしたいと思います。


Posted by 堀田 on 7月 9th, 2016 :: Filed under 日常

低層マンション

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南青山に帰ってきました。

北海道の旅行から帰ってきて、東京でまた忙しく働き始めています。会社の近くにはまた高層マンションが建てられていて、すごく都会感があって好きなのですが、昔に比べて、こういう高層マンションに住みたいという気持ちはかなり薄れました。

高層マンションが出てきた頃は、結構それに憧れがあって、あの内廊下と呼ばれるホテルのような廊下がすごくカッコいいと思っていたのですが、やはり南青山に住んでみると、あの高層マンションのセレブ感が、薄っぺらいというか、バカっぽいというか、マンションのデカさも相まって、成金タワーのようにも見えてしまいます。

というのも噂レベルですが、やはりあの高層階と低層階には大きな隔たりがあって、ああいう地域の保育園の先生とかの話を聞くと、本当にそのあたりに気を遣うというか、子供からしたら全く関係ないことですが、親がそういうことしてるとロクな大人にならないような気がしますし、さらに金持ちだからたちの悪い大人になりそうで困ります。(もちろん、高低層なんて気にして住んでいない人もいると思いますが。)

南青山に住んでみて思ったのは、本当の金持ち、本当の豊かな生活を送っている人は、低層マンションに住んでいるのではということです。写真のような高級低層マンションに住んでいる人は、高低の階層で争うこともないでしょうし、しかも内廊下だし、きっと子供も優しい気持ちを持った金持ちになると思います。本当の金持ちは人と比べることなく心に常に余裕があるというのは、柴田さんを見ていれば分かります。

第一、新築の高層マンション地域に移り住んでくる人はそもそもその土地にいなかった人たちが集まっているわけで、やはり南青山のような昔から品格のある地域に住んでいる人の方が、歴史的に見ても本当の金持ちなはずです。街行く人を見ると、やはりここに住んでいること自体を誇りに思っているので、その上でどうのこうのという比較はしていないというか、タワーマンションのように、何階に住んでいるとかなんてのは次元が低すぎて低すぎて。

これで南青山にタワーマンションが建ったらみんな目の色を変えて上層階に住みたがるのかもしれませんが、そういう今の生態系を脅かす外来種みたいなのが来ないことを祈りたいと思います。


Posted by 堀田 on 5月 28th, 2016 :: Filed under 日常

バルビゾン

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東京ドームに行ってきました。

たまに妻と一緒にドームに巨人戦を観に行くのですが、いつもプレイに対する効果音が気になっています。ファウルになったり、フライになったりすると、ドーム内に効果音が響いて何となく盛り上げている感じなのですが、その法則性が全く見えません。何をすると何が鳴るのか。

ファウルになると「ダ、ダ、ダン、ダン!」とよくなるのですが、たまに「ダ、ダ、ダン!」とちょっと短かったり。3塁側へのファウルのときは「ダ、ダ、ダン、ダン!」なのか?と思っていたら次は「ジャーン!」とエレキギターの音だったり、全くよく分かりません。

こういうのはネットで調べれば一発で分かるのですが、あえて調べないで、本件については、音によって盲目の一球速報担当の人に細かなプレイ内容を伝えていると考えています。スライダーでフライのファウルを打ってアウトになると「ジャーン!」とか。

あと、僕の家の近所には「barbizon(バルビゾン)」という名前のマンションがたくさん建っていて、それぞれ「barbizon 28」とか「barbizon 114」とかランダムな数字が付いているのですが、このバルビゾンも数字も何かの秘密結社感が強いので、あえて調べず、街で見かけたら「ここにもバルビゾンが!」「114?!」などと怖がるようにしています。

他にもアクサダイレクトの堤真一さんにそっくりな関西弁の人が誰なのかとか、調べずに謎のままにしておいた方がいいものもあるので、知っている方がいたら絶対に僕に教えないでください。


Posted by 堀田 on 5月 8th, 2016 :: Filed under 日常

平均台

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よくできるなあと思います。

テレビを見ていたら体操の選手が平均台の上でくるくる縦回転して優勝していたのですが、改めて見れば見るほどよくできるものだと感心しました。手も付けずにその場でくるっと後ろ回りして着地するとか、できるようになるまでに失敗した回数を考えるとちょっと引いてしまうほどです。

特に思うのはやはり最初にこれをやった人がすごいというか、「人間として可能かどうか」が分からない状態でトライする人がいて、一歩間違えれば死んでしまうこともあるわけで、そのチャレンジ精神は本当に信じられないレベルです。もう今となっては人間として可能な技は全て出し尽くされているのでしょうか。例えば平均台の上を後ろ向きで全力疾走するとか、絶対に無理だろうという技もいつかできる人が現れるのでしょうか。

前述の後ろ回転で着地するとかも、僕からすると「人間として不可能」のレベルなのですが、それができるようになっているというのはやはり先駆者ってすごいなと思います。「モリスエ」とか「シライ」とか、技に個人名がつくという名誉が与えられるのにも、その苦労を考えるとなるほどと頷けます。逆に個人名じゃなかったら「死の回転」とか全部怖い名前になっているだろうなと思います。


Posted by 堀田 on 5月 5th, 2016 :: Filed under 日常

女子

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電車で流れるサッポロのCMが気になります。

たまに山手線とかに乗っていると、サッポロのイメージガールがビールに合う料理を出すお店を紹介する電車CMがやっていて、そのイメージガールの女子感がすごく気になっています。

どういうことかと言うと、料理の画像が流れてくるのに対して、その女子が無音で「(ウンウン)」とか「(ワーおいしそうー!)」「(えー!)」といったリアクションをしたり、画像を上に「(えいっ!)」と飛ばしたりする動きをしているのだけど、その一挙手一投足が、なんかむかつかせる一方で、それに惹かれている自分もいて、一人で複雑な気持ちになっています。

まあ一言で言うと、あからさまな「かわいい動き」をしているのですが、これが「若い女子だからできる感」がすごくて、それに対して冷めた目で見ている一方で、どうしても僕の男性の要素がそれを欲している部分があって、そんな安易なエサに釣られている自分を受け入れたくない気持ちとの葛藤があります。

ああいう運動神経が悪そうな女子感が好きというか、甘えられて「仕方ねえなあ」みたいになってしまうこの感じは、男の本能的なものなのか分かりませんが、とにかく飲み会でこういう女子がいたら自らを強く律して臨まなければならないなと戒めてくれる良いCMだと思って見ています。


Posted by 堀田 on 5月 4th, 2016 :: Filed under 日常