裸の王様
もう真実の言葉は聞けません。
僕も入社13年目とかになってきまして、フロアを見渡すと半分くらいは後輩になってきています。部下こそいませんが、仕事を通じていろいろ教える立場でもあるので、育てるという見地でいろいろ考えて発言したり、とくお組ですので、おもしろいお兄さん的でもあろうとしているわけですが。
ただ「お兄さん」と言えるかどうかは実は微妙なところで、僕的には断然「お兄さん」のつもりでも、相手からは「おじさん」と認識している人も出てくるだろうし、そしてそれを誰も指摘してくれないと思うので、自ら「自分はお兄さんではなくおじさんなのでは」という問いを常にしていかなければ、あっという間に裸の王様になってしまいます。
よく会社の偉い人たちを見ていると、裸の王様とまではいかずとも、あまり部下からハッキリ意見を言われていないというか、なんか一方的にしゃべっている感じがして、この「偉くなるとしゃべってくれなくなる」というのは、その人が恐い人だとかワンマンだとかの性格もあるだろうけど、結構、年齢とかポジションとかデジタルな要素で誰しも陥ってしまうものな気がしています。別に嫌いじゃないし恐くもないけど、ちょっと面倒なだけだから、特に意見もしなくていいか、みたいな。
なので、飲み会とかで自分を取り巻く環境の居心地については、最近少し懐疑的というか、おもしろいこと言って笑いを起こしているように見えて、実は愛想笑いの可能性があるとか、このコメントはヨイショの可能性があるとか、今のこのトークは面倒くさがられている可能性はないか?とか、年齢が離れれば離れるほど、ひっかかりが出てきてしまいます。まあ、そうは言っても気にしすぎだろうとは今の段階では思っているのですが、この状態がもはや上裸の王様かもしれないし、考え出したらもうキリがありません。
一度、顕著にその可能性があると思ったのは、あるカラオケで、まあ僕も十年以上サラリーマンやってるわけなので、だいたいこれを歌っておけば大丈夫だろう的なものはいくつかあって、一発目誰も行かないときは、それこそお兄さんとして背中を見せるべく、ジュリーの「勝手にしやがれ」あたりでスタートするときがあるのですが、あるとき、後輩が気を利かせた感じで、「勝手にしやがれ」を入れ、曲がかかって僕に「どうぞ!」とか言ってマイクを持ってこられたときがありまして、この”自分じゃない人に曲を入れてもらう感覚”に戦慄を覚えたことがありました。子供に「王様は裸だ!」と言われ、もしや?と思い始めた王様の気持ちは、もしかしたらこんなだったかもしれません。
かといって、「なんでも意見してくれよ」なんて言ったって「はい!」としか言われないし、もうどうすりゃいいのかって感じですね。とりあえず、まずこちら側が相手に嘘をつかないようにするとか、カラオケのレパートリーをどんどん変えていくとか、できるだけの対応をして行きたいと思います。
Posted by 堀田 on 7月 10th, 2016 :: Filed under 仕事
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