
コーヒーはブラックと決めています。
本当はピルクルのような乳製品が好きなのですが、会社では毎日ブラックを飲んでいます。できる男=ブラックというイメージでやっているカッコつけであって、家では一切ブラックなど飲みません。
これには、食事に対して無頓着だとかっこいい、みたいなイメージがあって、食べられればなんでもいい、ぱぱっと食べて仕事に戻りたい、みたいなのをやりたくて、社食でメニューを選ぶ時などにも「なんでもいいんで」という感じですぐにお盆に載せたりしていますが、本当はご飯の時間が一番楽しみで、終わってしまうと「ああ、ご飯が終わっちゃった…」と、とても悲しくなっています。
先日もコンビニでパンを買って来て席で食べようとしていたら、他の部署の先輩に仕事のことで話しかけられ、パンを片手に話をしていたのですが、あまり面識のない人だったので少し意識を持って行かれてしまい、話が終わった頃にはパンも無くなってしまっていて、ああ、全然味わわないうちにご飯が終わってしまった!と、大変しょんぼりしてしまいました。
他にも、終電近くまで仕事をしたあと、後輩と電車で「今夜コンビニで何を買って帰るか」をずっと話し合い、俺はソース焼きそばにする!と決めたが最後、もうソース焼きそばが食べたい、ソース焼きそばがなかったらどうしよう、という心配ばかりして、駅から早足してしまうほどです。実際、360円の焼きそば706キロカロリーを確保し、そのままレジで706円出してしまったりするなど、定価の倍額を払っても何とも思わないくらいご飯で頭がいっぱいなときもあります。
このご飯に執着しない、のような、〜しない、というスタイルは実現するのが難しいですね。本来は、〜に注力・熱中しているから、結果的にご飯に気が向かない、みたいな形であるべきなんだと思います。今は食べてしまったパンがないないと嘆いているような状態なので、もっともっと仕事に集中しなければならないなと、ここまで書いて自戒しています。
Posted by 堀田 on 8月 6th, 2017 :: Filed under
日常

いつか向き合うことになるとは思っていました。
先日、仕事で住宅街を歩いていたら、上からカラスの糞を喰らってしまい、なんだよもうーなんていいながら、頭に糞がついていないかどうか確認しようと頭を自撮りしたのですが、確かに糞は食らっていたのですが、それよりも何よりも頭頂部の頭皮が思ったより多めに写っていて卒倒しそうになりました。
そういえばいつの間にか36歳になっているし、父もスカスカだし、全くありえない話でもなく、慌てて妻に確認したところ、今まで気にしていなかったが、改めて確認されると「なんともいえない」とのことで、これはもうアウトだと、ハゲだと認定し、来週病院に行ってくることにしました。自分はAGAですかと聞いてきます。
正直、直面するのはもっと将来の話だと思っていましたが、例えば20年後にそれなりにハゲているとしたら、今から少しずつ始まると考えて何らおかしくありません。鈴木さんだっていきなりああなったわけじゃない。
鈴木さんといえば、僕はこれまで鈴木さんの頭を叩いて笑いをとっていたわけですが、このポジション的に一番ハゲてはいけなくて、ハゲがハゲを叩いても優劣が見えないというか、単純に痛々しいというか、とにかくまだイメージが持てなくて、こうなってくると鈴木さんの先輩としての背中が本当に大きく見えてきて、夜に電話してしまいそうになります。
僕が常々思っていたのは、自分が将来的にハゲていくときに、周囲にカミングアウトするタイミングで、明らかに薄くなってしまってからでは周りも触れにくいだろうし、自分も受け入れられてないから、お互いに言い出せないまま時間が過ぎ、もう触れられない、おもしろにできない。というのを危惧していて、本当にこのタイミングがいつなんだろうと思っていましたが、もしかしたらそれはAGAと診断されたときなのかもしれません。
とにかく、来週の診断を座して待つより仕方がありませんが、結果がどうあれ、今となっては糞を落としてくれたカラスに感謝しています。神の使いか、髪の使いか。
Posted by 堀田 on 7月 8th, 2017 :: Filed under
日常

フレンチの堀田。
先日、結婚一周年を過ぎると得られる帝国ホテルでタダでディナーができる権を行使して、妻と普段は行けない高級フランス料理を食べてきました。写真は企業スパイのように隠れて撮影したパン。
過去にもフランス料理を食べたことはあったんだと思いますが、今回改めて本格的なコースを食べてみると、総じて濃い味で、ハンバーグやオムライスみたいな分かりやすい味ではなく、幾重にも味が重なった複雑な味がしました。もう4,5周回って美味しい、みたいな感じだったので、出てくる感想としては「濃厚っ!」とか「んんっ!」とかばかりで、自分の語彙力の低さに愕然とします。
思えば、ソムリエがワインの味を説明するときに、「少女の髪を撫でる柔らかな風のような香り」とか、「雨上がりのバス停にいる一匹の蛙のような飛び跳ね」とか、ちょっとよく分かりませんけれども、とにかく分かりづらい表現をするなぁと不思議がっていましたが、確かにこれらの複雑な味を説明するには、そういう語彙力が必要なのかもしれないなと思いました。
ただホテル側も我々が明らかに庶民というのはわかっているので、別料金のワインで一番安いのを選んでも「今日のお料理にはベストチョイスだと思います」といった配慮や、「お腹いっぱいですか?ではデザートはよろしいですね?」といった鉄板ギャグなど、小洒落たトークをかましてきて、堅苦しくなく非日常を味あわせてくれる感じはさすがというべきでした。
これからも4年に一度くらいのペースで行きたいので、ちゃんとあの味を表現できるように、日頃から練習していこうと思います。ちなみに、乾杯用のシャンパンは、まるでラジウム温泉かのようにずっと底から泡がぶくぶくとしていました。
Posted by 堀田 on 6月 24th, 2017 :: Filed under
日常

腹がデルタ航空。
僕も36歳になり、日々体の劣化に恐怖しているのですが、やはりどんどん痩せにくくなっていて、少しずつ、そして確実にだらしない体になっていくのがわかります。
ということで、去年からジムに行ったりしているのですが、やはり週一回でちょっと鍛えたり走ったりしても効果はなく、週に3回は通わないといけないのはわかっているのですが、筋トレも好きじゃないし、走るのもすぐに嫌になってしまうので、どうしても腰が重くなってしまいます。
思うに、好きこそ物の上手なれ、というように、この運動という行為を楽しめないと、ただ苦痛ばかりですぐに挫折してしまいそうです。それか何か高い目標(ジュノンボーイになるとか)があってその延長線上にある苦痛ならいいのですが、それもなく、ただ太ったらかっこ悪いから、という弱い理由だと、ぬるま湯に浸かった蛙のように毎年2kgずつくらい徐々に体重が増えて、10年後に+20kgとかなってそうで、そういう想像をするたびに今の1kgの大切さをひしひしと感じています。
先日、NHKで160cmの元NBAプレーヤーが弱小中学生チームにバスケを教える番組があったのですが、その先生のマグジーさんが自らを証拠に「全ては可能なんだ」「自分の目標が実現できると信じること(マインドセット)が大事なんだ」と言っていて、うつむいていた子供たちが目を輝かせて成長する様子を、僕も涙を流しながら見ていました。
ただ前述の通り、自分にはもうそんな目標もないので、マグジーさんが見ているぞと勝手にプレッシャーをかけ、さらに1回ジムに行くと1マグジーがもらえ、1年で100マグジーに到達すると理想の体型になる、ただし3日連続で行くと+1マグジーがもらえるボーナスあり、などと、もはやマグジーさんを目標そのものにすり替え、なおかつ「マグジーさんを100集める」と意味不明のマインドセットをすることで何とか意識を保っているという状態です。
まあ方法は何であれ、とにかく目標を立てて頑張れとマグジーさんも言ってくれると思うので、おっさん化しないためにも頑張りたいと思います。ちなみに先日集め始めばかりなので、まだ2マグジーです。
Posted by 堀田 on 6月 17th, 2017 :: Filed under
日常

涙じゃなくて反吐が出ます。
先日、王様のブランチで涙活なるものが紹介されていたのですが、その仕掛け人として涙活プロデューサーと名乗る男が出てきて、こいつとは絶対に友達にはなれないなと思いました。
そもそも泣くことを目的として動画などの作品を見る行為自体があまり理解できていなかったのですが、それは個人の考えとしても、それを涙活という名前をつけて広めてるやつがいるというのは驚きで、泣ける動画3本などをブランチガールに見せるのですが、もうベタベタの内容のもので、それらを完全に泣くことを目的として見なきゃならないのは、笑うことを前提としてコメディを見なきゃならないようで、ブランチガールは本当に大変だなと思いました。
また、推薦動画のひとつとして、子育てに悩む若い母親が、自分の母親からのメッセージを通じて、子供を愛するという本質に気づく、というドラマだったりするのですが、こういった泣くのを目的として視聴される想定で作った短編動画というのも好きではなくて、作品性のある映画と違って、手っ取り早く泣きたいニーズに応えました、みたいなところに感動の商業化を露骨に感じます。しかもドキュメンタリーならまだしも、ドラマなのがまた浅いなぁと。
他にもペットの闘病の記録といったドキュメンタリーも推薦動画にあるのですが、これも泣くために見る動画として推薦するのが、その闘病したペットに失礼というか、別に泣いてほしくて、同情してほしくて、闘病してたわけじゃないんですけど、と思うだろうなと思ったりして、そういった風に感動を売り物にしている男の中身の無さというか、口先だけ感に、涙どころか反吐が出る感じがしました。
あと観る側も、その作品が本当に泣ける内容なのかは厳しくというか、素直な心の揺らぎに従ってほしいなと思います。感動的な音楽がかかったら泣く、みたいなパブロフの犬みたいにならないでほしいなと思います。
てか、まさに涙活とか言われて動画を見て泣いてる人が、そのプロデューサーの犬みたいに見えて、そんな簡単に操られないでほしいと思いました。そのコンテンツとして動画を作っている人も浅はかだし、真面目な作品はかわいそうだし、結局そのクソ野郎に金が入っているというのが気に入らないです。またその中で何人かそいつに抱かれているのかと思うと、本当に世の中どうなっているんだろう、と思ってしまいますね。抱かれてから泣いてしまわないように気をつけてほしいです。
Posted by 堀田 on 6月 4th, 2017 :: Filed under
日常

スワニーと名付けたい。
小さい頃に観ていた新造人間キャシャーンというアニメに改めてドハマりしています。先日購入したダイソンのロボット掃除機にも上の写真にあるロボット犬の名前から「フレンダー」と名付けて溺愛していますし、さらに白鳥ロボットの「スワニー」という名前を何かにつけたい一心で、7万8000円もするダイソンの空気清浄機を買おうかと検討しているほどです。
ダイソンの空気清浄機にも機能別にいろいろあり、空気清浄と、涼風と、暖房と、通信の4機能の組み合わせで価格も変わるのですが、正式に名前をつけるには通信機能が必要だの、白鳥のようなフォルムなのは暖房機能がついたタイプのみだの、本当に欲しいのは空気清浄機能だけなのに、スワニーと呼んで可愛がりたいだけの理由で一番高いフル機能版になってしまうなど、目的がおかしくなっているので正しい判断ができません。
キャシャーンは非常に哀しいシリアスな話で、子供番組特有のズッコケ要素とかアホな作戦とかが少なく、登場人物の動機が世界観にしっかり合致しているのがとても好きです。キャシャーンに限らず、クウガとか、シンゴジラとか、SFもので動機や設定にリアリティがあり、シリアス、みたいなのが傾向として好きなようで、とくお組もSFもので動機や設定にリアリティがあり、(シリアスでなく)おもしろ、みたいなところがあって、やっぱり自分はSFが好きなのだなあと思います。
今後キャシャーンを観て行くにあたり、子供番組でよくある、後半になると子供ウケを狙ってシリアスさが薄くなる、ということがないように祈るばかりです。実際すでに「どんな攻撃にも負けない鋼鉄『マーケン鉄』を、鋼(はがね)博士に開発させる」といった、とくお組的テイストが入ってきたりしているので、心配しています。
Posted by 堀田 on 5月 14th, 2017 :: Filed under
日常

遥か空に旅客機。
ちょっと前の話になりますが、ソファでゴロついていたらテレビからキリンジのエイリアンズが流れてきたのでガバと起き上がりました。見るとのんちゃんが佇むだけのシンプルで素晴らしいCMで、妻も気になったらしく、これを機にキリンジの曲を一通り聴いて「天才か」と感銘を受けております。
キリンジは僕が高校生から大学生の頃によく聴いていて、それこそ歌詞からメロディから天才だと思っておりました。受験の時に新幹線の車窓から雪のちらつく灰色の雲を眺めてアルカディアを聴くなど、不安に不安の上塗りをしていたのをよく覚えていますし、大学に入って1年目の友達が一切いなかった暗黒の時代によく聴いていたのもキリンジでした。
中高生のころにどういう音楽を聴いているかというのはとても重要で、いわゆるセンスを磨く時期といいますか、その後の人格形成に少なからず影響をしていて、僕なんか彼らのちょっとズラした視点だったり言葉だったりというテイストは、今も仕事する上での感覚の根底にあるような気もするし、暗黒の時代の時は、彼らの曲を聴くことで、無意識的に爪を研ぎ続けられたような気もします。
最近の曲は、というのもあれですが、この大事な時期にわかりやすくて深みを味わえないような音楽ばかり聴いていると大変勿体無いなあと思います。言葉で言い表せないけれど、確かに心や頭の奥底で何かを感じるというザワつきを、たくさん経験しておくことは多分すごく必要なことだと思いますね。ただアイドルの曲は別で、ポップで楽しい感じであれはあれで聴いておくべきと思います。
妻も「もしこれを中学生の時に聴いていたら、今頃トンガ共和国とかにいるかもしれない」というほどなのであまり早くから影響を受けるのも考えものですが、 この CMによってまた何人かの若者がよい音楽に出会えていたらいいなと思いました。
これで愛と革新ね。最高だと思います。
Posted by 堀田 on 5月 7th, 2017 :: Filed under
日常

写真はイメージです。
先日、マイナンバーカードを作ろうとして顔写真を撮ったら、なんか顔の右半分がぐちゃぐちゃに曲がっていて、かなりびっくりしました。明らかに昔よりも顔が曲がっていて、高良君のアゴが会うたびに右に曲がっていくのをゲラゲラ笑っていましたが、全く人ごとではないぞと。
そこでカラダファクトリーなる整体屋さんに恐る恐る行ってみたのですが、これがびっくりするほど改善されて、興奮が今でも止まりません。まずカウンセリングでどこが辛いかを聞かれるのですが、辛いのではなくて体と顔が曲がっているのですと伝えると、まずはうつぶせになってくださいと言われ、実際やってみたら「それで真っ直ぐのつもりです?」と衝撃の一言。実際に背骨に沿って真っ直ぐにされたら驚くほど左に曲がっていたのです。
そのあとは首やら腰やら背中やらを揉みほぐしたり、コンコンと調整したり、背骨をぐいっと引っ張られたりしました。一通り施術が終わって、立ったら、もう本当に大地はこんなにも大きいのかと感じられるほど、真っ直ぐ安定して立つことができて、改めてオギャー!と言いたくなるような感覚でした。
その後の帰り道で信号待ちをしていても、今まで片足に重心を寄せないと立っていられなかったのに、施術後は片足に体重を寄せたくならないのです。先生曰く歪みを直せば脚を組みたくもなくなる(歪んでいるから組みたくなる)らしく、また顔の歪みも元々どれくらい歪んでたっけ?ともはや効果がわからないほどの効果を実感しています。
もちろん何回か通わないとまた戻るそうですが、何回か通っていると正しい姿勢で固定されるそうで、これはもういくら払ってでも通ってしまいそうです。高良君とか、アゴが曲がっていることで、どれだけ体の各所に無理を強いているのだろうと心配です。しばらく会っていないので今はもう全体がアゴみたいになってしまっているかもしれませんが、自愛してほしいと思います。
Posted by 堀田 on 5月 6th, 2017 :: Filed under
日常

聞き耳を立てています。
最近、カフェでぼーっとする時間が長いので、隣の人の話とかをよく聞いているのですが、表参道のカフェではどうも先輩が後輩にアドバイスをするために場を設けている、それなりに偉そうな感じの女性が普通の女性にアドバイスをする場を設けている、みたいなシーンが多いように感じます。
そういう人たちはだいたい先輩側が「最近3年生たちはどう?」みたいな切り口で入って(多分OB)、ある程度しゃべらせたあとに、「うんうん、いいじゃん」とひとまず肯定したのち、「ただもっとお前たちには期待している。俺たちの頃は」といった持論が展開されるのですが、それが延々に続いてずっとしゃべっているので、後輩君は本当に災難だなあと思います。
またおばさんアドバイザーみたいな人も、まずは相手の話をひとしきり話させた後、持論を展開し始めるのですが、その後はマシンガンのようにずっとしゃべっていて、相手の女性はただ頷くだけで合いの手も入れられないほどで、終わった後どういう気持ちで帰っているのかなあと気の毒になります。
どちらも共通しているのは、まずは相手にしゃべらせ、それに真摯に耳を傾けている感じを出してから、自分の言いたいことをずっとしゃべっているのですが、その最初に相手にしゃべらせるというステップが、ちょっと格好つけているというか、よく言われる「傾聴」をちゃんとやっているぜ俺、私、みたいな、すごくいい相談相手みたいな顔をしていて、横で見ていてかなり滑稽です。本当に気持ち良さそうな顔をしてしゃべっています。
ただ人のふり見て我がふり直せと言われるように、自分がそうなっていないか、ちょっと気をつけねばいけないなと思いました。後輩が多ければ多いほど、自分のしゃべる量を意識的に減らしていかないと、簡単に場を牛耳れてしまうので恐ろしいものです。かと言って、変に黙っていても気を遣わせてしまって牛耳れてしまうし、そうなると、どんどんいろんな人に振っていく技術と、合いの手やツッコミやらの膨らませる技術が必要になってくるわけですが、今度はMCみたいなポジションになってそれはそれでまた牛耳ってしまう感じがします。
いろいろ巡った結果、もう座ってくれているだけで嬉しい、みたいな、高橋一生みたいな顔と声だったらいいのになと思いました。高橋一生になら全身を牛耳られてもいいってどんな人でも思うと思うので、結局、圧倒的なカリスマで君臨しない限り、ニコニコしながら静かにしているのを基本スタンスとするのが一番いいのかもしれません。
Posted by 堀田 on 3月 20th, 2017 :: Filed under
日常

写真はイメージです。
先日、ご縁があってお花の作品展にお邪魔しました。正直、絵画とか写真とか、心で感じるジャンルを観るのが得意ではなかったのですが、行ってみたら意外と何か引っかかるものがあって、この掴みかけた何かを逃すまいとジロジロ見入ってしまいました。
きっかけとしては、この流派のルールみたいなものがあって、先生に細かく指摘されながら作ったというお話を聞いた時に、それってあんまり自由度がないような気がしたのですが、その割にはそれぞれの作品が全く別物で、この違いは何によって生まれてくるのかと考えているうちに、作品の根底にある欲求というかパワーみたいなものを感じたわけです。
気づいてしまえば当たり前の話かもしれませんが、何かインスピレーションというかイメージというか衝動というか、何かほとばしるものがあって、それを自由に作ってもいいんだけど、師匠がいる場合は流派に従ったりして、ひとつの作品として仕上げていく。流派によって色々細かなルールがあるのだろうけども、それはあくまで個人のズガン!と降りてくるイメージを具現化する際の方法論であって、全ては作者のズガン!が始まりであって、このズガン!を心で感じればいいのだなと。そう考えると、急に見るのが楽しくなってくるというか、つまり「心で見る」とか言われるのはそういうことかと。まさに開眼した瞬間でした。
この衝動とかインスピレーションみたいなものがどんどん出てくる人は狂ったようにバンバン作品を出せるだろうけど、そんな人はそんなにいなくて、大体の人が枯渇した中から何とか糸を手繰るようにしてイメージを出してもの作りをしているのだろうというのは、身近に作品を作っている人がいるのでなんとなくわかります。ミスチルの桜井さんとか、本当に血反吐を吐くような追い込みで曲を作っているのをテレビとかでやっているけれど、あれだけ曲を作ってきてさらにまた作らなきゃいけないってのは本当につらい作業だろうなあと勝手に想像してしまいます。
写真とか絵とかをじっと見ていて、突然涙を流す人とか、いったいどういう思考なのかと思っていましたが、ようやく追いついたような気がしましたし、作品を作る側の気持ちも少しわかったような気がします。かつて、衝動のままにぴょんぴょんとその場でジャンプする作品を見て、「アートだね」とちょっと馬鹿にしていた節がありましたが、今となっては反省しています。もし今、あれを真正面から受け止めたら、僕もぼろぼろ涙を流しながらぴょんぴょんと飛び始めるんだろうなと思いました。また馬鹿にしてすみません。これでやめます。
Posted by 堀田 on 3月 12th, 2017 :: Filed under
日常

我が家にお掃除ロボットがやってきました。
妻が突然「お掃除ロボに興味がある」と言い出したのですが、正直僕はあのお盆が這い回る感じが好きではなかったのと、どうせ綺麗に吸えないだろうと、かなり懐疑的でした。ところが実際に家電屋に行って見てみると、ダイソンのお掃除ロボットがちょこんと置いてあって、その佇まいに完全に一目惚れしてしまいました。一番高いんですが、なんて可愛いんでしょう。
パンフをもらっていろいろ検討してみると、名前をつけるところから始まるとのことで、早速名前を考えます。もうこの時点で買わされているというか、明らかにダイソンはペット感を意識しているなと、そのしたたかさを感じました。そのうち妻がロボット犬と言えばフレンダーだろうと言い出し、まだ買ってもいないのにフレンダーに決まります。もう犬を飼う感覚にすり替わっているわけです。(フレンダーとは、新造人間キャシャーンに出てくる超お利口なロボット犬です)
結局、家の中から忘れていた埋蔵金が出てきたこともあり、一気呵成に買ってしまったのですが、動かしてみると、小さい体でキャタピラをキュラキュラ動かし、障害物に戸惑いながら一生懸命掃除を始め、充電が足りなくなると掃除をピタリと止め、ベースに一目散に戻るのですが、もう全部の動きが超可愛いのです。自分がこんなに機械に話しかけるなんて思いませんでした。
僕がいない間に自動で掃除をしてくれて、しかもお掃除したエリアをスマートフォンに報告してくる機能もあり、さらに抜群の吸引力で家に帰ると部屋がピッカピカになっていて、あまりの優秀さになでなでが止まりません。これ、絶対にみんな買ったほうがいいと思います。
やはりこのペット感がすごくいいのですが、思うにこのホールケーキのようなフォルムが秀逸で、お盆タイプにはない小ぶりさと、ある程度高さがあるのが、つまりロボットっぽくて、フレンダーやR2-D2のような頼もしい相棒のような、もうちょっと言えばドラえもんやコロ助が家にいるかのような感覚になるというか、なんか善良な意思を持っている感じがして、昔見たSFの世界がちょっとやってきた感じがします。
他のロボット掃除機は「床を掃く」という機能性に寄りすぎた結果、平べったいフォルムになっていて、人間の「相棒(ロボット)」というより「使徒」という感じで、掃除という概念が形となった、みたいな、何か無機質で幾何学的な怖さを感じました。逆に西島さんが宣伝している三角形で回転ブラシがついたやつは、そのブラシの触覚っぽさと逆三角形で前に進む様子と平べったさが、太古の三葉虫のような感じがして、あれが誰もいない部屋で這い回っているかと思うとやばいくらい気持ち悪いなと思いました。
ソフトウェアのアップデートでどんどん頭が良くなるようなので、早くR2みたいに電子音で意思表示をしてくれないかなと思っています。溺愛しています。
Posted by 堀田 on 2月 26th, 2017 :: Filed under
日常

サラリーマンでもできるアパート経営。
先日、家でゴロゴロとテレビを見ていたら、佐々木蔵之介さんの「サラリーマンでもアパート経営ができる」というCMをやっていて、なぜかそれに食い付いてしまい、ついつい出来心でシノケンと検索してしまいました。
シノケンによれば、ローン支払いが毎月29万円発生するものの、家賃収入が48000円×8戸で38万円見込めるので、毎月9万円の不労所得が得られ、ローン支払い後は38万円が丸々不労所得になるとのことで、こんなうまい話があるのかと浮かれました。
ただ資料請求する直前になって他のサイトを調べたところ、ローンが終わる頃には物件としては築30年でリフォームやら何やらで余計に金がかかったり家賃が下がったり、そもそも最初から入居者がどれだけくるのか何の保証もないとか、当たり前の話ですがあまりのハイリスクにすぐに冷静になれました。危なく月29万円のローンを抱えるところでした。
以前より資産運用には興味津々なのですが、調べれば調べるほど、世の中がきれいにハイリスクハイリターンになっていて、リスクを取らないのであればどこをどうしたって真面目に働く以外の選択肢がありません。もうシノケンに電話する以外助かる方法がない、くらい追い詰められないと手は出さないんでしょうが、そこまで行ってしまうとシノケンも話を聞いてくれなくなる気がします。
ということで、今はローリスクローリターンを積み重ねて少しずつ資産を増やし、四世代くらい後にやっとシノケンに電話できるくらいの余裕がうまれるのかなと思います。資料請求画面まで行ったため、ネットをしているとあらゆるところにシノケンの広告が出てきますが、今は我慢の時だと思っています。
Posted by 堀田 on 2月 21st, 2017 :: Filed under
日常

楽しくない飲み会。
先日、いつもお世話になっている先輩に誘われて飲み会に行ってきました。定期的に開催されている飲み会らしく、僕は初めて御呼ばれしたのですが、楽しみにしていたわりにはあまり面白くなく、途中から何が面白くないのかをずっと考えておりました。
まず時期も時期なので、会社の役員人事の話や、誰がどこに行くかといった噂など、本当に僕が興味がない話が多かったのもあるのですが、それを3年目の後輩とかが結構詳しくて、何かそれに引いてしまったというか、別に彼の仕事ぶりは悪くないと思うのだけど、若手のくせにそんなこと気にしないで欲しいなと思ってしまいました。いや、そういうのは大事な情報だし、知らないより知ってたほうがいいのは分かっているのですが。
あと次に多い話題が、誰々は今ひとつだとか、あの人はダメだとか、悪口までは行かないかもしれないけど、悪く言っている話が多くて、でも僕的にはその人のこと悪く思っていないし、むしろいいところもちゃんとあるし、そもそもこの人たちにこの場で取り沙汰される筋合いもないだろう、みたいな気分でどんどん閉口してしまいました。こうなってくるともう自分も他で何て言われているか分かりません。
ということで、面白くない主な理由としては、その場に居る人の話はほとんど出てこず、居ない人のうわさ話や批判が多い点で、話題の当人がいないから反応も反論もなく、ただ言葉がテーブルに落ちているだけで内容が薄っぺらいからだと思いました。「最近どう?」とかでもいいから、その場に居る人の話をしないとその人のことが分からないから親睦も深められないし、やはり何より陰口たたいてる感がメシを不味くしますね。
カフェにいる女子グループとかも、盛り上がっていないテーブルはだいたいその場に居ない誰かの話してるし、居ない人の話題で盛り上がってるときはだいたいが悪口だし。まあ、特にトピックスもないのに無理に自分の話をしなくてもいいと思いますが、それなら人に話を振るとか、目の前の人と、その人と過ごす時間にもっと興味を持って欲しいなと思います。
Posted by 堀田 on 2月 12th, 2017 :: Filed under
日常

あの白鵬も飲んでいる。
35歳を超えてくると、どうにも自分の身体に自信が持てなくなって、健康食品等に興味が湧いてしまいます。先日も青汁のテレビショッピングをやっていたのですが、今まで青汁にはあまり興味がなかったのに、いつの間にか見入ってしまっていました。
内容的にはただのテレビショッピングというよりも、ドキュメンタリー方式で白鵬と彼を支えた人たちの絆を描くもので、最後の最後に「そんな白鵬がスタッフとともに常に飲んでいたのが…この青汁」という流れでそこから一気に青汁の宣伝になるのですが、さすが白鵬がずっと飲んでいたと言われると、35歳としてはチャンネルを変えることができません。
さらに水戸黄門の飛猿でおなじみの野村将希さんも、同じくドキュメンタリー方式で、彼を支えた奥さんや子供たちとの絆をたっぷり描いたあとに「そんな野村一家が常に飲んでいたのが…この青汁」という流れになるのですが、白鵬のみならず飛猿もとなると、もう電話をかける寸前まで行きました。
ただ一応、調べてみようとその青汁のHPを見ているのですが、一体どういう成分がどの程度入っているのかがどうにもよくわかりません。詳細な成分表ももちろんありますが、これも多いんだか少ないんだか分からないし、よくある「なになに何個分のこれこれ」といった表記も、もともとその食べ物にその成分が多く含まれているものなのか、そうでもないのか、基準のすごさがよく分からないので、あまり響かないというか、結局、白鵬が飲んでいるという以上のアピールがないのが気になります。
これこれについては一日に必要な量の半分も摂れる、とか必要量に対する十分さみたいなので全部表現してくれればいいのですが、そうしないところはやはり、あまり栄養価は高くないのかなとか疑ってしまいます。でもあの白鵬が騙されているとも思えないし…と、もう白鵬を信じるか信じないかしか判断基準がないので、白鵬が来場所優勝したら買おうと思っています。
Posted by 堀田 on 2月 5th, 2017 :: Filed under
日常

夢を見ました。
昨夜、かなり断片的な夢を見たのですが、ルパン三世に出てくる不二子が不二也(フジヤ)という男性になってしまっていて、それを不二子に戻すには、ファブリーズとボールドが必要だということで、それを買いにいこうとしたら妻が乗り気じゃないなどと言い出して困る、というような内容で、自分史上でもかなり繋がりが分からない夢でした。
本当にこういう夢を見るたびに、一体夢って何なんだろうと思います。いい機会なので調べてみると、「脳にしまわれている過去の記憶の中からたまたま表れ出てきたものが結びつき、ストーリー化されて夢となる。数ある記憶の中からどれが掘り起こされるかは、ほとんどの場合はランダム」とのことで、不二子もファブリーズもボールドも乗り気じゃない妻も、素材部分は確かに記憶にありますが、フジヤは初めてだと思うので、それは僕がストーリー化してる創作部分に当たるのでしょう。フジヤて。
今回の夢はともかく、前にもファイティング等で話したことがありますが、一人暮らしのときに金縛りによく遭っていて、その際は動けなくなるだけでなく、踏切と電車が通る音が爆音で鳴り、さらに視界は真っ赤な空というかなり上手い組み合わせで怖い思いをしました。ああいうときに視界がボールドとかだったら怖くなかったと思うので、やはりストーリー化の部分もある程度、空気を読んでいるというか、金縛りのときは全力で自ら怖く演出していたような気がします。
先日も「うわあああ!うわあああああ!」と泣き叫んでいたほど悪夢をよく見るほうなので、ボールドとか、キレイキレイとか、もっと日用品を掘り起こして怖いストーリーが繋がらなくなるように、家事を頑張りたいと思います。
Posted by 堀田 on 1月 22nd, 2017 :: Filed under
日常

いびきをかいているという衝撃の事実。
ある朝、妻がソファで寝ているのを発見し、風邪を引いたら大変じゃないかと心配したら「いびきがうるさかったから・・・」と言われて膝から崩れ落ちるほどショックを受けました。今まで自分はいびきなんてかいてないと思い込んでいたのに本当は、という事実と、原因は自分なのに馬鹿みたいに妻をいたわってしまった恥ずかしさとで、立てませんでした。
聞けば、最初はそんなことなかったが、一年前ぐらいからいびきをかくようになっているとのこと。正直、いびきをかくのは汚いおっさんか、太っている人か、くらいの認識だったし、自分は鼻呼吸がしっかりできていると思っていた(寝る直前は口閉じてるから)ので、疑いもしなかった事実を突きつけられるこの感じは人生で初めてだったかもしれません。よくテレビでやっている「お前は父さんの本当の子供ではないんだよ」って言われるのも、「あんたいびきかいているよ」と言われるのも、ショックのジャンルで分類すればおそらく同じでしょう。
でもそういわれてみれば、もう結構おっさんだし、実際ちょっと太ってきているので、追いついていないのは僕の認識だけでした。急いでいびきの原因を調べると、概ね「首周りに脂肪が付いているから」みたいなことで、もうショックを隠しきれません。「首周りに脂肪が付いていて、いびきをかいている」とか文字にするのも嫌なのですが、実際そうなのでしょう。確かにこの一年ぐらいでかなり痩せにくくなっていて、太りを実感していたところだったので、辻褄も合ってしまいます。僕は首周りに脂肪が付いているのでしょう。
対策としては、マウスピースをつけるとか、写真みたいなフェイスマスクをつけるとかありますが、それはいびきをかかないという手前の問題を解決するだけで、根本の「首周りに脂肪が付いている」の解決にはならないので、やはりここは堀田メンディー化計画を進めるよりほかにありません。また「口にくわえて重しの付いた羽根をビョンビョンと上下させる装置」を使って、舌が落ち込まないように舌の筋肉もメンディー化したりしています。
というように、30代後半に入ってきたところから来る急激な体の衰えように戸惑いを隠しきれません。ただこうやって事実をちゃんと受け止めるところから始めていきたいと思います。
Posted by 堀田 on 1月 15th, 2017 :: Filed under
日常

和楽器で洋風の音楽を弾くというのがうまくいってない気がします。
たまに和楽器を使って、洋風の音楽を奏でるのをテレビで見るのですが、それがいつもあんまり合ってない気がしています。和楽器の、その道では有名な方が、なんと洋楽に挑戦!とか、あのバンドと和楽器がコラボ!?とかやっていますが、主旋律が三味線やら尺八やら、リズムが和太鼓になってるだけで、総じて食い合わせが悪い感じがします。
ベベンベンベンとか、ブオオオオ、とか、ドドドンドン、みたいな和楽器ならではの音が楽曲に混ざってないというか、ずっとボールの中でかき混ぜてるけどずっと固形のまま独立している食材みたいな印象です。本当に「普段和楽器で演奏しない音楽を、和楽器でやっている」だけなのだけで、その程度で「おお!すごい!」なんてならないし、「そりゃ、そんな感じになるだろう」みたいな予想通り感がすごくて、何をそんなにすごいことのように言っているんだろう、みたいな寒い感じがしてしまいます。
まあ、たまにはそういうことをやってみるのも別にいいと思うのですが、先日テレビで、和楽器でロックをやるバンドがブレイク寸前と紹介されてて、そんな「和楽器×ロック」っていう単発企画そのものを本業にしちゃった感がダサくて、実際に格好とかもすごくダサくて、うわー田舎くさい!と思ってしまいました。
何か表現したいものがあって、そのためには和楽器を使ったほうがいい、というのなら効果的だと思うのですが、最初から和楽器でロックをやることに意義がある、みたいなのだと、ちょっと内容が追いつかない気もするけど、まあ理屈はどうあれ、結局は彼らのやっている音楽の良し悪しが全てなんだとは思います。ただちょっと聴いた感じだと、その音楽もダサくて、なんかもうこいつら内部でヤリまくってるだけなんじゃないかとか、尺八とか、そんな歪んだ印象しか持てませんでした。今度ちゃんと聴いてみようと思います。
Posted by 堀田 on 1月 7th, 2017 :: Filed under
日常

篠崎友の会に行ってきました。
先日、ザキさんが定期開催する篠崎友の会に呼ばれまして、最近僕の抱える人生レベルの悩み相談をしてきました。結果的にわかったことは、下手な友人に相談してもだめだけど、やはりザキさんに相談するとだいたいのことは解決するということでしょうか。おおよその解決の方向性はわかったので、大変有意義な会となりました。堀田の篠崎信仰は強まるばかりです。
あと、これは友の会でもいいましたが、先日、大学時代の友人との飲み会があって、3人での飲み会だったのですが、あとの二人が全然しゃべらないのもあり、流れで、今回と同様の悩みを打ち明けたのですが、人生の目標をどこに置いていいのか分からないという悩みに対して「子供ができれば変わる、子供のために生きようと思うようになる」と言ってくれたんですね。それに対して僕は結構な抵抗があって、でもそうなるものなのだろうかと思っていたら、柴田さんが「子供がいてもその悩みはある!」と言っていただけて、あーよかったと思いました。
ちょっと申し訳ないのですが、その友人は本当にいいやつなんですが、なんというか、ちょっと普通オブ普通というか、とんがった部分とか、おもしろ要素とか、「センス」みたいなのが違うというか、ちょっと彼自身はすごく好きだけど、「子供ができたら絶対に変わる」みたいに一緒に括られるのがいやだったので、柴田さんの発言には救われた気がしました。
実際、子供ができたわけではないので何ともいえませんが、いずれにしても子供が生活の中心になる時期はあろうとも、子供中心の人生には絶対になりたくないという思いがあり、子供も僕の人生を豊かにする要素のひとつ、ぐらいにしたいですね。そうするためには、自分がやりたいことをしっかり持っていないと、簡単に子供に人生持ってかれそうな気がしています。
話は変わりますが、そういうふうに、自分もまあまあ普通なくせに、普通な人になりたくないというか、正直、学生時代の友人との飲み会でうまく立ち回れないというか、一線を引いてしまうときがあります。以前にも、公演に団体でよく来てくれる中学時代の友人集団の飲み会に呼ばれ、そこに一人、イジられ役みたいな友人がいたのですが、そのイジられ方もそんなにおもしろくないし、さらに彼の返しも全くおもしろくないのに、まわりがウケにウケている状況があって、でもそのウケも心からのウケというか、その場の雰囲気で何となく笑っている感じが急に白々しく思えてしまったときがありました。
そのときはそれが妙に気に入らなく、機嫌が悪くなってしまい、ちょっと場の雰囲気を濁してしまった上、その場に居ない別の友人の結婚式へのサプライズVTRを撮るとのことで、「けっこんおめでとう」を一文字ずつフリップに書いたものを、ひとりずつ持ってコマ撮りしてつなげていく、という演出だったのですが、そのおもしろくない内容にまたイラッとしてしまい、コマ撮りなのに一切動かないとか、他の人たちが新宿の街中を練り歩いていろんな場所でコマ撮りしているのに耐えられなくなって途中で帰る、という態度を取った結果、その後、その団体は一度も公演に来てくれなくなる、という経験もしました。あのときは本当に申し訳なかったです。
友人を失うのは悲しいことなので、今後はそういうことはないようにと心がけていますが、いやなものはいや、みたいなところは感じるたびに反芻して整理しておかないと、なんとなく生活が楽しくなかったり、場合によっては人にいやな思いをさせてしまうので気をつけなければと思いました。そんなふうに2016年は僕が20歳ぐらいから数えて初めて、目印のない暇な一年だったので、いろいろ考えるよい機会になったと思います。
Posted by 堀田 on 12月 25th, 2016 :: Filed under
日常

ピコ太郎さんにきっかけをいただいて。
最近、否が応にも流れてくるPPAPを観ていて、正直ふっと笑ってしまったのですが、それを機に僕の中の凝り固まっていた何かが壊れたというか、少し素直になれたような気がしています。
昔からこういうその年の流行りギャグみたいなのはナナメから見ていて、その「真似できるおもしろ」を「みんなが真似している」状態に批判的でした。特にサラリーマンになってから、ギター侍やらマツケンサンバやら、それはそれは飲み会のたびに宴会担当の先輩に引き連れられて、いろいろ準備やら何やらさせられてましたが、本当にあれがいやで、それをやっている先輩もウケているまわりもちょっとバカにしていたところがありました。
でも自分が完全にサラリーマン化していくにあたって、そんな毎年出てくるネタにいちいち突っかかっていたら疲れるというか、別にみんなが楽しいならいいじゃん、みたいな寛容な気持ちになりかけていたところに、PPAPで自分も笑ってしまったこともあり、これを認めることで、今までのとこれからのを全て受け入れられるような気がしているところです。
一方で、自分がどんどん丸くなっていくのが少し嫌なときもあって、どこかで少し尖がっていたいのですが、なかなか難しいものだなと感じています。このあいだも、林先生の顔が気に入らないという内容のブログを書いていたのですが、書いている途中で、小さいブログとはいえ、わざわざ人の顔を批判しなくてもいいじゃないかというか、どう転んでもおもしろくならないというか、自らの品位を下げているだけというか、なんかそういうことばかり気になってしまって、結局書くのをやめたのですが、そういうときに、なんか最近ロックさに欠けているなあと思います。
今、せめてもの抵抗としているのが「君の名は。」を観ないでいるところで、ああいう大ヒットして感動する、泣けるみたいなのに対しては一歩引いていたいのに、実際に観たら感動してボロボロ泣いてしまうんじゃないか、みたいに、ただただ恐れているだけなのを自覚しています。
ちなみにPPAPはあの横を向くのがおもしろいですね。カメラワークの妙というか、あそこが僕はおもしろいと思いました。
Posted by 堀田 on 12月 18th, 2016 :: Filed under
日常

新しい事業部の大宴会に行ってきました。
先日、僕の所属していた部署が解散になり、新しい部署に併合されたのですが、そういうこともあり大江戸温泉での大宴会が催され、飲んできました。最後、たまたまが重なって僕が締めをすることになったのですが、ザキさんを習い、勢いと情熱と愛情とを持って無事締めることができました。前にもいいましたが、中高時代の僕が見たらびっくりするだろうなと思うほど、昔に比べると自分は変わったなと思います。
結論としては「人は自信が全て」だと思うのですが、昔の自分は特にこれといった何か人と比べて秀でている部分がなかったので、とにかく自信がなかったというか、行動力も発言力もなかったですし、中身も空っぽだったのですが、人よりも演劇においては秀でていると思えたところから、そこを起点に演技以外の様々なことについても前向きに吸収できるようになったというか、いわゆる自分らしさみたいなのを持てている気がします。
とはいえ、僕のこの自信というのは本当に相対的なものであって、周りの人と比べて秀でている(負けていない)と思えるからこそ成り立っているというか、つまりどうあっても揺るがない絶対的なものではないなあと思います。高校時代もトップレベルよりもちょっと下の学校に行って、そこで上位に居よう、みたいな作戦を採っていましたが、なんかすごい優秀な人材ばかりの組織に行くよりも、いろんな人がいるちょっと古い体質の組織の中で、独自性を発揮できるほうがいいというか、結局、相対的な自信を保つことで心の健康を保っているという感じです。それこそ芸能界などに飛び込めなかったのは完全にそこがブレーキとなっていたと思います。
ただ相対的というと何か常に人と比べて優越感を得ているように思われるかもしれませんが、自らをフォローしますとそんなことはないですし、さらに言えば、他の人の良い部分や人生の先輩としての尊敬に値する部分を探すようにして自分の中で調和を保っています。そうでないときっと嫌なやつになってしまうだろうし、自分の能力(自信)が絶対的でない以上、嫌われたら終わりというか、いずれにしても周囲あっての自分なので、結局、謙虚さみたいなのが一番大事なのだと大人になるたびに思います。
というふうに、この先このまま無事に過ごせれば幸せな一生になるであろうことは見えていて、その代わり何か大功を成すこともないだろうことを考えるとちょっと物足りないという感じもするのですが、あるとしても今の会社で偉くなるぐらいしか思いつかないし、今の雰囲気だとあんまり偉くなる感じもしない上、そこを目指すとまた心の平穏が脅かされる可能性もあるし、そもそも偉くなってもあんまり大功でもないというか、なんというかぐるぐるしてしまうので、とりあえず今は少しずつ自分の自信の相対性を高めていくしかないなあと。つまるところ自分磨きをしてイイオンナになりたいと思います。
Posted by 堀田 on 11月 20th, 2016 :: Filed under
日常