点天
駅とかで売ってる点天の餃子がかなり好きだ。
明日から一生毎食点天だ、と言われたらむしろかなり喜ぶと思う。
実は行ったことないのだけど、やはり食べ物は大阪のがうまいよなー。
もし点天の人が奇跡的にこれを見ていたら、ぜひタダで一年分とか送って欲しい。
Posted by 北川 on 7月 30th, 2011 :: Filed under 未分類
駅とかで売ってる点天の餃子がかなり好きだ。
明日から一生毎食点天だ、と言われたらむしろかなり喜ぶと思う。
実は行ったことないのだけど、やはり食べ物は大阪のがうまいよなー。
もし点天の人が奇跡的にこれを見ていたら、ぜひタダで一年分とか送って欲しい。
ビッキーという青年がいる。
毎週放送中の「堀甚八のファイティング一本勝負」に、毎回4コマまんがとか、イラストを送ってくれる青年がいる。ビッキーだ。正直、誰なのかは実はよくわかっていないのだが、美大に通っている19歳くらいの青年だ。
写真は彼が描いてくれたファイティングの新ロゴだそうだ。ザキさんが発注したのか僕が発注したのか忘れたが、しっかり描いてくれた。太陽がザキさんになっているのも見逃せない。
だのにいつも番組内で紹介し忘れる。描いている方からすれば、いったい何のためのお絵かきなのだと憤ることだろう。本当に申し訳ない。準備が間に合わないのだ。
よってモブログでせめてもの罪滅ぼしをしよう。ごめんなビッキー。俺はお前の絵、どっちかっていうと好きだぜ!
檀れいの結婚について考えながら寝ていたら、顔中汗でびちょびちょになって寝れなくなってしまったので、今日のブログをもう書いてしまいます。
かなり過去のものになりますが、金麦の檀れいの良さについては書いてありますので、詳しくはそちらを参照してもらいたい(まあわざわざこんなもののために参照したりする人はいないと思いますが)のですが、まあとにかく、僕は金麦の檀れいが、なんか喪失感があるというか、まあそんな感じがあって好きだったわけです。
しかし、最近の金麦はと言えば、なんか大人の色気みたいな感じのたるさというか、なんかアンニュイな感じというか、そんなんばかりを強調してしまっていて、悲哀みたいなものが一切感じられないつくりになってしまっており、僕はどうも好きになれませんでした。
このいきなりのCMのつくりの変化というのは、やはり檀れいの結婚のせいなのでしょうか。
話が少し変わるようですが、僕は、新垣結衣の良さというのは、ポッキーや十六茶のCMで見せる、あの明るさにあると思っています。
こういうことを言うと必ず、「本人は本当は暗いんだよ。わかってないな。」とか言い出す人がいますが、はっきり言って、何一つわかっていないのは、完全に偉そうに僕にそうやって言ってくる人たちの方です。
僕が言っているのは、彼女の魅力が最大限に発揮されるのは明るいことをしている時だ、ということですので、本当はどうだとか、そんなものは一切関係ありません。
真実と本質というのは、別のところにあることもあります。
で、今回の檀れいのことに関してですが、結婚の話を聞いてからというもの、僕の目には、色々な人がどや顔で僕にこう言ってくる様が浮かんできています。
「結婚してたからああいう金麦になってたんだよ。今の金麦の方が正解だったんだ。」
「檀れいは本当は性格悪いんだよ。だから今みたいな悪女っぽい方がいいんだ。」
「お前がいいと言っていたものは、本当の檀れいではなかったんだ。」
しかし、ここまで書いてきたら皆さんおわかりになると思いますが、彼らが話す、その真実から単純に引っ張ってきた浅はかな言葉の数々は、たったの一つも本質を有してはいません。
確かに今後、結婚を機に、檀れい自身が新たな自分の魅力の出し方を見い出していくこともあるでしょう。
そしてそれが、彼らの言うような方向性において花開く可能性もあるとは思います。
しかし、現状のあのCMの檀れいの姿は、昔のCMの彼女の姿よりも、明らかに魅力的ではありません。
その点においてだけで見ても、彼らの語る言葉は一つの本質も持ち得てはいないのです。
だからつまるところ、僕は何一つ間違ってはいなかったのです。
誰がなんと言おうと、間違ってはいなかったのです!
そうなんだ!
間違っていなかったんだ!
合ってたんだ!
絶対そうなんだ!
ギャーギャー言うなよ!
絶対そうなんだからな!
まじで合ってたんだからな!
この話二度とするなよ!
すごい毛が抜けた。
最近あごの部分に大きなニキビみたいなのができていて、ずっと気になっていたのだが、先日九州支社でいじっていたら、突然中からズボズボズボッとめちゃくちゃ長いヒゲが出てきた。どうやらニキビではなくてヒゲが皮膚の内部で丸まってしまい、そのまま外に出ずに伸びまくった結果、ニキビみたいなドームができていたらしい。
突然のことでびっくりしたのだが、長さを計ってみたら、4cmもあった。抜けた瞬間かなりびっくした。抜いている瞬間、何が起きているのかよくわからなかった。まだ抜けたからよかったものの、これがずっと抜けなくてどんどん伸びていったら一体どうなってしまっていたのだろう。
高良みたいにアゴが曲がってしまったかもしれない。
写真撮影とかがあるので、美容院で髪を切った。
美容師の人はよく「髪やわらかいですねー」とか「スタイリングはどうしてますか?」とか、髪に関する話を振ってくるが、女性と違って男は、ハゲ以外に髪の話題を持っていないので、申し訳ないことに僕も、全くもってその話題に乗ることができない。
また、「この後どこか行かれるんですか?」とかもほぼ確実に振られる話題の一つだが、そんな髪切った後に毎度どこかに行ってる奴なんていやしないので、「普通に帰っちゃいますねー。すいません。」と返して話が終わる。
まあ、本を読むことで、「俺は話さなくてもいい人なんだよ」とわからせてあげればいいのかもしれないが、それはそれで「こいつ人が髪切ってやってんのに本なんて読みやがって。失礼極まりねえな。」とか思われそうな気がしてどうしても読むことができない。
だから、話が全く盛り上がらないだけでなく、最終的には、変なチビが、イケてる美容師の人が髪を切る様を、本も読まずただただ無言で鏡越しに見つめ続けるという、異様な光景が毎回そこに立ち上がってしまう。
従って、僕はその耐えがたい状況を打開するためにいつも、まず髪の切り方を見て、「なるほど、その手があったか」みたいな顔をして時間を潰し、それにも限界が来たら、その髪を切る方法に思いを巡らすうちに、ある種の瞑想状態に到達してしまう人間を装うことにしている。
何も話さないこの時間は、何の意味もない無駄な時間だったのではなく、二人が何がしかの真実に到達するために、どうしても必要な時間だったのだ、という感じを演出しているのだ。
しかしまあ、そんな意志は全く伝わらず、「なんだこのチビ、気持ちわりいな」みたいに思われてるだけなんだろうな。
でもまあいいんだ。
相手がどうとかではなく、とりあえず自分が納得できるかどうか。
精神を削られないためには、そっちの方が重要だからな。
しかしきつかったな。
ほんとあれ、ロボットかなんかがやってくれねえもんかな。
愛車が洗濯バサミにはさまれている。
過去には便座カバーを被せられたり、靴下を被せられたりいろいろな仕打ちを受けてきたが、今までは乾くまでの一時的なものだった。
しかし、この洗濯バサミは中長期的な保管場所のつもりだと思う。
「あ、ここちょうどいいな」と思ったのだろうか。ひらめいた!ってな感じだろうか。
仕返しをするならば、このまま原付で
どこかに行ってしまうことだろう。
必要性が出てきたので、電車とかの移動中に仏教哲学みたいなやつを勉強し始めた。
しかし、年も年だし、完全にゼロからのスタートだしで、まあ全く頭に入ってこない。
寺に生まれていない人でも俺よか遥かに詳しいんじゃないかっていうくらい仏教に関する知識がゼロだ。
なんか受験の直前に現代社会かなんか勉強し始めて、まあ全く頭に入ってこなかったことを思い出すな。
1から2は瞬殺だけど、ゼロから1は大変だよな。
久々に飛行機に乗った。
写真は出発時の羽田空港から見えたピカチュウ。よくポケモン号みたいなのがあるが、外側にペイントがしてあっても乗ったらあまり意味がないだろうとか思っていた。
ただこれがKARA号だったら絶対に乗りたい。太陽にほえろ号も魅力的だけど殉職しそうだから人気なさそうだ。少女時代号はきっと脚を見せるために横向きにペイントするだろう。
すれ違う飛行機のパイロットが一番楽しそう。
別に今日された、とかそんなんではなく、なんとなく思ったことなのだが、酒を飲んだりしている時に、おしぼりを投げる人っているだろう。
あれなんなんだ。
品がないし、失礼だし、何よりまったくおもしろくないしで、すげえ腹たつんだよな。
「おーい!」とか言ってツッコミみたいなノリで投げたりする人もいるけども、あれも全然おもしろくないだろう。
おもしろいとかじゃなくて、まさかかっこいいとでも思ってんのかな。
本当に不愉快だよな。
まあ、もしかしたら甲子園行きたかった人とかなのかもな。
そうだったらまあ許すわ。
土屋アンナの息子の名前は澄海(スカイ)。
怒られるかもしれないが、ものすごいセンスだなと思う。まぁ僕も長男の名前は一太郎、次男はパワーポイントにしようとか冗談で言ってるくらいだからアレだけど、もし自分が本気で「澄海」で「スカイ」とか付けられたら恥ずかしくて堪らなくなると思う。そのマジな感じが恥ずかしいというか。まぁ澄海くんは僕らとは真逆の道をこれから歩むだろうから恥ずかしいとか思わないんだろうけど、それにしてもキツイ。完全にヤンキーの発想だ。
もし自分の奥さんが「澄海(スカイ)がいいわ、」とか進言してきたら、戸籍に登録するときに黙って「武藤」とかむちゃくちゃな名前で登録してやりたくなると思う。あとで「なんで武藤なのよ!」と怒られても「澄海(スカイ)よりマシじゃボケ!」と逆ギレできる自信がある。
でもあと15年もすれば会社にも澄海(スカイ)だの実流苦(ミルク)だのすごい名前のやつらで溢れかえるんだろうな。もうみんなモデルかデザイナーとかになればいい。
九州ではラーメンをよく食べた。
CoCo壱番屋にしか行かないようなことを書いていてなんだが、博多にしばらくいるとあって、何だかんだでラーメンはよく食べた。屋台のラーメンとかもちゃっかり食べた。
あと、東京でも食える一蘭という店にも行ったが、ここはカウンター席が一人一人パーティションで仕切られていて、店員ものれんの奥にいて顔を出さず、ラーメンに集中できる環境を、がコンセプトのめんどくさい店だった。普通に食わせてほしい。
何より言うほどうまくないのがまた何だかなぁという感じだった。
土器を見た。
これは縄文土器。今から25000年前の作品というか実用品らしい。
最初は「ふーん土器ね」程度で観ていたが、25000年という数字をじっと観ているうちに、なんだか目の前にあるこの土器がハンパなく凄いものなんじゃないかという気分になってきて、猛烈に興奮してしまった。
25000年の字もまだないような時代に、まだ半分猿みたいな人が粘土質の土を見つけ、形を作り、火をおこして焼いたわけだ。
それがまだ現存しているというすごさ!
時空を越えたこの土器に、魅了されてしまった。
土器の前でこんなに自分が興奮するとは思わなかった。
25000年後のために、土器でも作るか。
暑いとどうしても作業効率が落ちてしまうので、これはどうしたもんかな、と毎年思っていたけど、こういうときは読書すればいいかと思うようになった。アウトプットはしんどいけど、インプットならそれほど集中力もいらない。
というわけでいろんなものをほっぽり出して読書したりしているけど、面白い本って、映画と同じで十作品に一つぐらいしか当たりがない。演劇なんてもっとひどいけど。
今日も青山いってきます。青山ブックセンターも劇場に近いけど、あそこはお洒落なだけで欲しいものは無いイメージ。
博多にいます。
来週も九州で仕事なので土日は博多に泊まっている。博多にはきっと旨いもんがいっぱいあるだろうことは知っているが、僕の昼飯はCoCo壱番屋である。しかも土日で二回も食った。いつも以上に食っている。
僕に一番欠けているものは何かといえば、間違いなく好奇心だろう。基本的にあまり新しいことに興味が無かったりする。まぁこれがヨーロッパとかだったらさすがにいろいろ見て回ろうかなとか思うけど、同じ日本だからねぇ。
先週、寺の仕事で原付で色んな家をまわっていたのだが、その時、ハンドルを握る手に鳥の糞が思いっきり落ちてきた。
僕は本当に数えきれないくらいの回数、鳥にうんこをされているが、もう冗談抜きで鳥に便所だと思われていると思う。
あと一回くらいやられたら、もう開き直って、頭な一歩前へとか貼り付けとこうと思う。
昔、細木数子のが流行っていた時、僕もまあ自分はなんだろうと調べてみたことがあった。
僕は確か土星の+だか−だかの霊合星人というやつだったが、この霊合星人というのが、土星以外のやつの影響も受けるとかそんなので、ちょっとちゃんと覚えていないが、まあ要は分裂気味とかそんなんだった。
それはまああまり気にもとめなかったのだが、そこに、ツイてたりツイてなかったりが結局プラマイゼロの奴みたいなことが書いてあって、正直それはけっこう気にした。
まあ誰でもそうなのかもしれないというか、そう思ってしまうだけのものなのかもしれないが、僕はいいことがあると、鳥の糞が頭に落ちてきたり(実は先週も落ちてきたが、それは後日書きます)、そういうことが起きるところがある。
うまくいくだけでは人生って済まないもんだな。
もうちょっと掘り下げて書こうと思ったんですが、突発的にそんな感じでもなくなってしまったので、夜にでもまた全然違うこと書きます。
ふらりと立ち寄った靴屋。
夏だからサンダルがにぎわっていた。
ビルケンストックの白いサンダル。僕はこれを10年愛用している。
10年たっても全く壊れない、鬼のパンツ並に強靭なサンダルだ。
でもやはりソールは削れたり、最近色あせてきたかなと感じていたわけだ。
ふと棚をみると、見慣れたサンダルが。
新品のビルケンストックや!
でもなんか違和感がめちゃくちゃある。
つか、まったくの別色に感じるほど、純白だ。
まっちろけっけ。
その前に、俺の履いているこれは、一体なんなんだ。
比較するために写真を撮ったが、明らかに色あせているというか、きたねえ。
自分はこんなに汚いものを履いて街にくりだしたり、お母さんたちと話したりしてたのか…。
内側、足の形に真っ黒じゃんか…。
恥ずかしくなって、逃げるように店を出た。
徐々な変化って人間気づかないんだな…。
知らないうちに太ってしまうように…。
くやしい!
何故かダブルベッドだ。
昨日から九州入りして一週間くらい新規回りすることになっている。土日も帰れない。そこで、せまっくるしいビジネスホテルも息が詰まると思ってちょっといいホテルを予約したら、何故かのダブルベッドだった。
ダブルベッドってこんなに広いのか!と昨日は喜び勇んで寝たのだが、本当はDVDデッキがあるホテルがここしかなかっただけで別にベッドはシングルでいい。土日はこの無駄にエロい部屋で溜まっている太陽にほえろ!のDVDを見たり、ファイティングイベントの構想を練ったりしよう。
そういえば今週末はザキさんの単独イベントがあるのでお暇な方は当日フラりでも是非どうぞ。そして8/6は海の家でファイティング一本勝負!のイベントがあるのでこちらも是非お願いします。大いに飲みましょう。
第三舞台が解散するとのこと。ちょうど自分が大学にいる頃は休止とかになっていたので見たことはないが、劇団がまた一つ消えていくのは寂しいことだ。
音楽でも劇団でもアイドルグループでも、仲が悪くなって解散するのは仕方ないけど、「新しい道への一歩を踏み出すため」みたいなキレイな理由で解散していくのはあまり好きではない。離婚理由とかに似てるかな。離婚理由で「お互いが大親友であるために」みたいなこと言う人いるでしょ。そんなに仲いいなら解散(離婚)すんなよ、と思ってしまう。
世の中のアーティストさんたちは、ちょっと「解散」という言葉に酔ってるところもあると思う。山を越えて人気が無くなってくると、このまま続けることがなんだか格好悪く思えてくるというか、もっと本来の自分は違うところにあるんじゃないかとか、でもね、それはたぶん勘違いで、解散したからって新たな自分は生まれてこないし、失ったデメリットの方が大きくなる。
そういう人たちは中二病みたいなものが冷めたときに今度は、「再結成したらかっこいいんじゃないか」と思い始めるんだけど、それも勘違いなんだよな・・・。
というわけで、一番いいのはわざわざ「宣言」しないこと。活動したくなくなったら、しなけりゃいいじゃん。と思います。
今日、エスカレーターに乗っていたら、横を女の子が歩いていった。
かわいい子だったので、心の中で「おっ」と思った。
すると、次もまた続けざまに女の子が歩いていったのだが、その子はさっきの子よりもさらにかわいい子だったので、心の中で「おおっ」と思った。
すると、また次も女の子が続けざまに歩いていったのだが、その子はその前の子よりもさらにさらにかわいい子だったので、心の中で「おおおっ!」と思った。
すると、また次も続けざまに女の子が歩いていったのだが、その子はもはや芸能人と言ってもいいくらいにかわいい子だったので、もうなんか「うおおおおっ!」と大声を出しながら拍手をしそうになった。
ニュートンは、リンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を発見した。
僕は今日、秩序とある一定の構成を持ちながらリズミカルに登場する美女の一群を見て、人を感動させる物語には起承転結または序破急と呼ばれる型があるのだということを知った。