立ちぬ
そういえば、ちょっと前に「風立ちぬ」を観てきました。最近、ファッと意識が落ちてしばらく眠ってしまうことがあるのだけど、この映画も、途中で意識が途切れてしまうことがありました。映画が悪いんじゃなくて、僕のコンディションの問題なのですが。
家に帰って、どこの意識が途切れていたのか、「あらすじ」を事細かく再現しているサイトを見ていると、ちょうど主人公がドイツに行っているシーンがばっさりと(自分の中で)カットされていました。あれ、何分ぐらいあったんだろう。
一般的に、音楽でも劇作でも小説でもなんでもそうですが、物を長く作っていると、直接的に心に突き刺すメッセージ力というものがだんだん弱くなっていきます。(と、思います)。それは作り手の表現手法がどんどん懲りすぎていって、主題の中心がぼやけすぎてしまうからです。(直接的に言うことが照れくさくなってきたりするのもあります)
音楽なども分かりやすくて、あるバンド(歌手)の初期の頃の作品はシンプルで瑞々しくて感情にスッと入ってくるのに、最近のはもう、こねくり回しすぎちゃって、よくわけわかんないな、みたいなことってあるでしょう。
こねくり回してしまうのは、キャリアの中でシンプルに訴える手法は既にやり尽くしてしまっているからです。そして、いつの間にかシンプルな手法に戻ろうとしても、その感性は悲しいことに廃れてしまっているのです。
そういう意味で、ここ数年の監督作品の中では、分かりやすく、ストレートでシンプルなものにうまく回帰したんじゃないかと思いました。
予告編で流れる高畑勲監督の「かぐや姫の物語」。個人的にはこの人の演出こそがジブリの心臓で、彼が口を出していた魔女宅ぐらいまでの作品は全体バランスが絶妙だったと思います。
Posted by 徳尾 on 8月 20th, 2013 :: Filed under 日常
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