2015年11月21日
デブストリーム
[日常] 打ち合わせに行った会社のトイレが溢れていました。
個室からどんどん水がフロアに出てくるので、僕はそれを避けながら、フロアに水が浸される前に用を足して退散したんですが、僕と入れ違いに入って来た人は、その広がる水たまりを前にして「なんだなんだ!? ヤバイんじゃないか? ヤバイぞ!?」と、いちいち緊急事態を声に出しててちょっと笑いました。これは掃除の人しか対処できないだろうから、早く退散したほうがいいのに、しばらく「ヤバイぞ!?」と独り言のように言っていました。
ひょっとして、僕が詰まらせた人だと思って、僕に言っていたのかも。
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食欲が止まらないです。また、デブまっしぐらです。
昨年からやってきた「あんまり食べないダイエット」は、それなりに効果がありました。普通、ダイエットといえば「運動する」とか「バナナにする」とか、方法は無数にあるけれど、それは全部何かの習慣を「足す」という行為になってます。それって本来は必要のないことで、問題が余計にややこしくなっているだけだと思うのです。
太ってる人は食べてるし、痩せてる人は食べてない、というごく簡単な真理。これが強い説得力を持って世に浸透しないのは、「食べてる、食べてない」という表現の、量の絶対的な比較がされていないからです。つまり、痩せてる人の「いっぱい食べた」は太ってる人の「あんまり食べてない」と同等かもしれないし、両者の会話がそもそも噛み合っていない。
だから、「あの子は食べてると言ってるのに痩せている。私はあんまり食べてないのに太っている、ということは、これは体質に違いない」という誤解が生じてくる。完全にデブの発想です。
かくいう私も、デブ・ストリームに入ってしまったようです。抜けたい。
2015年11月19日
記憶の向こう側
テーピングしながら走っています。
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[日常] 小学生の頃に見ていたアメリカ横断ウルトラクイズ(バブルの産物)。
ふと、どこかの回で「とある参加者が早押しで『オクラホマ州』と回答するところを『オクラホママ州』と噛んだ」ということを思い出して、それは一体誰が、第何回のウルトラクイズの、どのクイズで噛んだのかを確かめたくなって、記憶を紐解くという無駄な時間を過ごしたのでした。
僕は重要な記憶はすっぽり抜け落ちているくせに、何のインパクトも意味もないことを鮮明に覚えていることが多くあって、それもその一つです。今日でまた”更新”されてしまったのであと10年は消えないでしょう。
朧気ながら、「どこかのチェックポイントで、バックトゥザフューチャークイズがあった」「確か、郵便局員の人がいた」など、数少ないヒントをもとに、それが第14回のウルトラクイズであることに絞って動画を探し始めました。
7分15秒からの場面
見つけました。
実際にはクイズの回答ではなくて、どのアメリカの州を選ぶかでポイントが変わるクイズの時に「オクラホマ州」を選択したという場面でした。でも確かに思い切り噛んでて、記憶通りです。スッキリしました。
この郵便局員の佐藤さんはそのまま優勝します。ああ、ウルトラクイズは夢があったなぁ。クイズはまったく得意じゃないから生き残る自信はないけど、スタッフとかで関わってみたかったな。テレビが最も力を持っていた時代じゃないでしょうか。
2015年11月18日
平成になった頃
[日常] 今日の地面です。
道路になんで「W浅野」って書いてあるんだろう? と思った。
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「孤独のグルメ」を見ているせいで、何でも無い定食屋で冷や奴が出てきたぐらいで「ほぉ~……冷や奴かぁ。これはうれしいなぁ」というナレーションがいちいち浮かんできます。
いや、冷や奴やし! と頭の中で突っ込み返しますが、よくよく考えると、幸せに生きるって、ひとつひとつのことに有りがたみを感じたり、感謝したりすることなんではないかとも思います。
んー、でも冷や奴だしなぁ。
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その昔、こち亀の60巻を買った日、その帰り道に自転車のハンドル操作を誤って派手に転倒し、買ったばかりの単行本の表紙が雨に濡れてグシャグシャになるということがありました。それが89年の10月頃ですから、世の中は平成になった年。私は小学四年生でした。
それからあまり単行本を買わなくなってしまったので、いつまでも僕の中ではこち亀の60巻というのは「こち亀の中では新しいほう」という印象のままです。もう既に地獄を制圧して天国に攻めに行ったり、めちゃくちゃでした。
今はもう196巻とかまで出てるそうなので、もう両さんの顔もまったく違うんでは、と見るのが怖いです。
2015年11月15日
神から与えられた
[日常] 喫茶店やファミレスで「おきまりの頃に伺います」と言う店員さんがいるでしょ。
日本語としておかしいかどうかはこの際はいいとして、僕には、その店員さんがちゃんとおきまりの頃に来る人なのか、来ない人なのか、を見分ける力があります。神様はこんなどうでもいい能力を僕にくれたのです。これはもう、本能みたいなもんで、どういう差があるかは説明は出来ないんですが。
このおきまりの頃に来ない人、というのは、永遠に来ないです。こちらから呼ばないと来ない。でっかい声で呼んで「あ、決まりました?」って感じで来る。たぶん、僕が思うに、そもそも「おきまりの頃に伺う」というマニュアルを心のどこかで了承していないんだと思います。そんなもんエスパーじゃないんだから分かんないよ、という顔をしている。その微妙な表情を僕は最初に読み取るわけです。「あ、この人、来ないなと」。
ちゃんと来てくれる人だって、すごく遠くから気を配って見てくれているだけで、店内が混雑してくると大変だと思うんです。こっちとしては「おきまりになったらお呼びください」で全然いいと思うんですけどね。
客の気持ちを読んでやってくるなんて、そんな不完全で曖昧なコミュニケーションをルール化しちゃいけません。
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走っているフォームとかが適当なのか、さっそく足を(地味に)負傷しました。
左足の甲がすごく痛み出したんですが、今は便利ですね。ネットで調べたらすぐにそれは「 短腓骨筋腱付着部炎です」と出てくる。足の付け根の部分が炎症を起こしているみたいですが、病院に行くほどではなさそうで。
ただ、家の中を歩くのも痛くてヒョコヒョコしてしまうし、完全にじじいです。
ペンで殺す
[日常] 飲み屋の個室で見た、本日の使用不可です。
こんなガチガチに封じなくても分かるって……と思うけど、相手は酔っ払い。物理的に使えないようにしないと、それで注文しようとする人が続出なんでしょうね。ただ、これだけ固めるなら「使用不可」の文字は不要だと思いますが。
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やっぱり人間ですから、どんなに年を取っても「なんなんだこの人」とムッと来ることはありまして、よそで悪口のひとつも言いたくなるものですが、それはやっぱり良くないなとギリギリ食い止めるわけです。
でも、飲み込んでばかりだとストレスが溜まってしまう。そこで、ここ十年ぐらいやっていることとしては、「イヤな人に会ったら、いつか物語に登場させる」という発散方法です。僕の書く演劇やドラマには、たまに長い説教のシーンとかがあるんですけど、ああいうのは実際にそういう目に遭ったというのが大半ですし、行き場の無いストレスの終着地でもあるのです。まあ、イヤな人間ばかり増えても誰も観たくないと思うのでホドホドにしなければなりませんけど。
ドランクドラゴンの鈴木さんが以前テレビで、「イヤなやつに会っても『こいつは殺せる』と思ってから平気になった」というようなことを言っていましたが、それに感覚はすごく近いと思います。いつかペンで何とかできるなら、いいじゃないかという感覚です。
ただ、もちろん逆のこともあります。素敵な人に出会って、「こういう人間を描きたい」と思うようなことも!
2015年11月13日
雑な天気予報
[日常] 我が家にAmazon fire TVがやってきました。
テレビに付けるとAmazonやHuluやNetflixなどがテレビで見られるというやつで、そのついでにNHK Worldも見ているんですが、このNHK Worldの天気予報が大ざっぱで好きです。
「インドは晴れ、スリランカはだいたい曇りですね」
縮尺が小さすぎて、世界を股に掛けてるビジネスマンとかじゃないとあんまり意味が無いという。
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来年公開予定の映画の、スタッフとキャストの集まりに行って来ました。
CGさんや編集さん、音楽の方といろいろ話しました。同じ作品に対しても関わり方がそれぞれ違うので、仕事のやり方を聞いたりして楽しかったです。共通するのは皆、作業中は地味で孤独だということ、やっぱり芝居をきちんと見てるんだなぁということ。
キャストの中には4,5年ぶりに会う人もいて、同窓会のようでした。覚えててくれて良かった。
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舞台 「殺意は月夜に照らされて」が14日(土)から23日(月・祝)上演します。
今回は脚本を書かせてもらいました。元・アガサクリスティ研究会の人たちで繰り広げられる話なんですが、私自身はアガサクリスティに詳しくないので、なんともその辺はいい加減なのですが、詳しそうに見えたら幸いです。
毎回、当日券も少しあるようなので、是非よろしくお願いします。
2015年11月12日
こっちを見るな!
[日常] 人は一日に何回笑うのか、という記事を昔見たことがありまして。
それによると、健康のために推奨される笑いの回数は成人で15回、英国人の平均で7.2回だそうです。最近、というか、僕は普段ほとんど誰とも接触しないので、人と話して笑うという機会が少なく、7.2回よりもずっと少ない気がします。ニヤっとするのも含めて2,3回ぐらいじゃないでしょうか。
また、別の脳科学に関する記事を読んで興味深いと思ったのは、人間というのは身体の反応が先で、意識はその後付けである、というものです。つまり面白いから笑うのではなく、笑うから面白いというふうに脳が解釈する、という順番。緊張するから手のひらに汗を掻くのではなく、手のひらに汗を掻くから、緊張していると脳が解釈する、という順番。「意識」が身体の反応を観察している可能性があるらしいのです。
特に面白いことがなくとも、顔がニヤニヤしていれば、意識(脳)が「ん? 何か面白いことあった?」と解釈してくれるので、健康のためにできるだけ、ニヤニヤした生活を送ろうと思っています。
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携帯の写真を整理していて。
言わずと知れた太陽の塔。
今年の五月ぐらいに車で鳥取へ行った時の道中(大阪)で撮った写真。これ、高速か幹線道路か忘れましたけど、いきなり眼前にドーンとこれが登場するんです。その登場のインパクトがすごくて、行きも帰りも車内が恐怖の絶叫で包まれるという。
手みたいなのが生えてる位置が低いのも気持ち悪いし、お腹に謎の顔があるし、上のシンバルみたいな顔の冷徹な目はこっちを見てるし。
ちなみに夜になると、目が光るらしいんですが
子供絶対泣くでしょ。
2015年11月10日
披露宴コントの作法
[日常] 走ってますよ。まだ走ることの喜びを見いだせずにいますが。
子供の頃は冬になると持久走がイヤだったし、部活で走るのもイヤだった。高校最後の持久走が終わって「これで一生走らなくて済むんだ!」と晴れやかな顔をしていたのを思い出します。それからずっと15年あまりちゃんと走らなかったし(大学でもなぜか演劇部なのに走ったりしていたけど)、やっぱり根本的に走ることが好きではないから、続くかどうか不安でいっぱい。
救いはどれだけ走ったか、スピードはどれだけだったか、消費カロリーはどれだけだったか、等、事細かくスマホに記録されることでしょうか。成果が可視化できるのは大きいと思います。
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ミュージシャンって、知人の結婚式のために曲を作って歌ったりするでしょ。
で、それが結構グッとくる良い曲だったりして、のちにCDで発売されたりなんかする。その結婚式に参加してないのに、想像してグッときちゃったりする。これだから音楽の力ってすごい。ミュージシャンってカッコイイ。それを聴いた新郎新婦だって、間違いなく感動しただろうし、一生の想い出になっただろう。
それに引き換え、我々はどうだろうか。作家・役者とは名ばかりの自称パフォーマンス集団である私たちは「コントをやってくれ」と頼まれることがあり、一日二日、なんだったら三日ぐらい稽古する。「素人の余興とは違うんだ」という思いを胸に、一生懸命稽古する。僕もこの十年で何本の結婚式コントを書いただろう。結婚する親友のために、その友達を笑わせるために、一生懸命考えた。
ところが、努力のわりにこれが参列者に喜ばれたかというと、そうでもなかった。なんせ「誰だよ、この人たち」という完全アウェーの状態から入るうえ、充分なスペースもなく、声もまったく通らないのだ。結果、「なんだか売れない劇団員たちが騒いでいる」という情報だけが参列者たちにじわじわ伝わっていくという惨劇を、幾度となく繰り返してきた。
基本的に、披露宴会場は外国だと思ったほうがいいと思っている。つまり、言葉で何かをやろうとしてもダメなのだ。そして、笑いもダメだ。普通にやっても、新婦のゼミ友とかがやるラッスンゴレライに負けてしまう。まず、あんなところで何をやっても、基本的なテキストが伝わらないのだ。
ということで、十年の経験で培った「伝わるコント」を、我が劇団員、堀田尋史の披露宴では必ず実現したいと今から燃えている次第である。
2015年11月09日
スーツマン
[日常] 年末にかけて結婚式や二次会などが続くので、スーツでも新調しようと。
普段、仕事でスーツは着ないので年に何回かしか着ないのですが、着ないうちにすっかりサイズも合わなくなってしまって、これはちょっと作り直さねばと思った次第。
オーダーメイドといえば、今から何年か前、まだ会社勤めをしているときに、オーダーメイドのスーツ屋さんで採寸したら、その時サンプルで着せられた上着を見て店のオヤジが「それでちょうどいいじゃん」と言って結局、全然オーダーメイド感が出なかったことがありました。なので、今回はその店はやめて、「対応が丁寧だ」という評判を一応見てから赴きました。
まずは、小さいアルバムみたいなのに綴じられたサンプル生地を選ぶところから始まったのだけれど、サンプルなので生地が小さく、色味と模様は分かっても、それがスーツ全体に適用されたとき、どんな印象になるのかが分からない。部分では良い感じでも、全体に広げるとうるさくなりやしないか、思ったより明るい感じになって芸人みたいになったりやしないか、いや、かと言ってこんな薄い模様じゃ、全体で見た時にリクルートスーツみたいになりやしないか、など、この生地選びの過程でえらく悩んでしまいました。
で、まあ最終的には適当に選び、ボタンの数やポケットの付け方を選び、裏地を選び、折り返しの長さを選び、、、なんかの色を選び、、、、最後のほうは「どっちがいいと思いますか」と逆質問で責め立て、逆オーダースーツになりました。
そして何と出来上がりが年明けという、年内の行事にはすべて間に合わないことが判明して店を後にしました。
意識の高い食事
[日常] お昼に入った店が。
ちょっと野菜に気をつかってますみたいなご飯屋さんかと思いきや、肉も魚も卵も一切使わない、ベジタリアンの上をゆくビーガン(完全菜食主義)のためのようなお店でした。ぜんぶのメニューが植物性。パリスヒルトンか!
そんな意識の高い食事をするつもりは無かったのに、結果的になんだか身体にありがたい食事になってしまった。そこで食べた大豆ミートなるもの、まあ、お肉みたいな味ではあるのだけど、それってホントのビーガンはそんなもの食べたいのだろうか。
ベジタリアンと言っても、何から何を食べるかによって区分がいろいろあるみたいですね、知らなかったですけど。肉だけ食べない「ノンミートイーター」、卵は食べる「オボ・ベジタリアン」、収穫によって植物を殺さないものだけを食べる「フルータリアン」、もう食べること自体をやめちゃった「ブレサリアン」。
家族にこういう人がいたら、つべこべ言わずに食べろ!! と言ってしまいそうになります。
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家で仕事をしていると訪問販売がたまにやってくるのですが。
先日は水の無料サンプルをお持ちしました。「いいです」というやり取りをしたのだけれど、その方は去り際に「怪しいもんじゃないんです。(チラシを見せながら)モンドセレクションでも金賞を獲ってまして」と言い残して行った。
モンドセレクションと言えば、今でこそ「出せば獲れるんでしょ」という認識が世間にも広まっていますけど、最初の頃は確かになんかすごそうな、世界的に認められてそうな雰囲気がありましたね。モンドセレクションという響きも高貴。日本人は昔からこういう「海外の栄誉」にすごく弱いという民族性もあると思います。
ちなみに「モンドセレクション銅賞」で検索すると、なんでも無さそうな醤油とか、栗きんとんとかが出てきます。それは果たして、名誉なことなのか。。
2015年11月06日
何考えてるか分かんないヤツ
[日常] 走り始めて三日目ですね、大きな山を越えました。これはいわゆる禁煙の辛さに似ているんじゃないでしょうか。
何か習慣を始めても続かなくなるのは、「ご褒美」が「苦労」を上回らないときだそうです。英会話とかも、やめちゃう人が多いと言われるでしょ。きっとマスターするには苦労するのに、その経過で見返りと呼べるものが少ない、あるいは実感できないから。
そのことは自分でもよく分かっているので、できるだけランニングに伴う苦痛(苦労)の値を下げて、褒美の値を上げないと、と思っているのですが、ランニングごときでいちいち自分に褒美なんか与えていられないというのもあるし、どうするのが適切か、いろいろ思案しているところです。
給水ポイントに美女が立ってるとかがいいんですが。
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走っていると、のっぺりとした塔が見えてきて、こんなところに給水塔が? と思って帰って調べたら清掃工場の煙突でした。
昔、団地に住む友達の家に行くときに、でかい給水塔に遭遇し、「なんだこの、一階のドアしかない、窓がないキモチワルイ建物は!」と泣きそうになって自転車を全速力で漕いで帰って来たことを覚えています。給水塔の何が怖いって、窓がないことだと思います。顔がない人間みたいな、あるはずのものが無い違和感と言いますか。
清掃工場の煙突も、シュッとしてて、なんだか不気味だったなぁ。何考えてるか分かんないヤツでした。
拾い集める
[日常] 足がパンパンです。
一日目よりも数段、遠い距離を走れるようになったのですが、片道でバラバラになった身体を、帰りの片道で拾い集めて帰るみたいな走り方になっています。情けないかぎり。
明日は、途中で落としてきた腰を拾いに行きます。
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加藤啓さんが出ている、月刊根本宗子「超、今、出来る、精一杯。」を観に行きました。
まともな感想はあまりうまくないので書けませんが、ところどころ面白く、ところどころそうでもなく、全体的に劇場は熱気を帯びていて、こちらもその空気に浸りながら良い気分になれる、という感じでしょうか。この、劇場の空気をお客さんと一緒に作るということは非常に難しいことで、羨ましいことです。
ここ最近、いろんな劇を観て感じることは、男性作家の書くものと、女性作家の書くものは、そのメッセージの伝え方に大きな違いがあるなということです。もちろんどちらが良いとか悪いとかいうことではなく、ただの傾向の話ですが。
女性作家はやはり、お客さんに共感して欲しいという、等身大のキャラクターが「あるある」を伝えることが多くて、男性作家は上からドーンと抽象的な物語をおろして、「さて言いたいことは何だったでしょう?」というものが多いですね。答え:実は言いたいことは特にありませんでした。というのも男性作家に多いと思います。
まあ、本当にどちらがどうというわけではないんですが。どちらも上手な演劇は楽しいです。
2015年11月05日
殺意と略する私
[日常] 「孤独のグルメ」をちまちま見ているせいで、中華屋で頼み過ぎました。
腹が減る前の、あの前半部分のドラマっているんですかね笑 いや、あれが無いとダメなんでしょうけど。
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舞台「殺意は月夜に照らされて」の通しを、動画で見ました。
最近は、稽古の様子とか通しの様子を動画で確認できるので、大変便利な世の中になりました。本当は本番まで観ないでおこうかとも思ったのですが、何か自分の本で気になるところが無いかチェックしたくて、観てしまいました。役者もいいし、既にいい仕上がりになっていて、本番が楽しみです。
ちなみに、今回は「宣伝するのに、あったほうがいいだろうな」と思って、脚本を書く前にキャッチコピーを3パターン用意して提出したのですが、どういうわけか、気づけば 同じページに3つ連続で羅列されていました笑 区切った傍線までそのままコピペされてるという。なぜそうなった。
ということで、ストーリーはこんな感じです。良かったら観に来てくださいね。
豪雨の中、動けなくなった園田たちは、とある洋館を訪ねる。
彼らを迎えたのは、温かい食事、清潔なベッド、燃えさかる暖炉――。
ところが、洋館の住人の姿はどこにもない。
まるで、我々が来ることが分かっていたかのような、
十分すぎるもてなし。
そう、これはきっと罠である。
――
これは罠だ! 食べたら死ぬぞ! これは罠だ! 眠ったら殺されるぞ!
上を見ろ! シャンデリアには気をつけろ!
疑心暗鬼が渦巻く、怪しげな洋館。
恐怖が笑いを、笑いが恐怖を誘う。
サスペンス(風)シチュエーション・コメディ!
――
「食うな、これはきっと、罠だ!」
2015年11月04日
走る2
[日常] これから毎日走ると書いた翌日に風邪でダウン。もう治りましたが。
時間のある時にこつこつ見ている「梅ちゃん先生」がもうすぐ終わりそうで名残惜しい。このドラマのいいところは、「この人が、この時点で、この情報を知ってなきゃいけない」というのが、ご都合じゃなくて自然に作られている点。油断するとキャラクターが死んでしまいそうな竹夫兄さんの使い方もうまいなあとか。
突然長期入院した父・建造や、「あさが来た」の惣兵衛みたいに、突然出て来なくなると「役者のスケジュールかな……」と思ってしまいますが。
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というわけで走り始めました。
こんなにも走れないものかと自分の体力(脚力)に絶望した第一歩でしたが、今はルートやら時間やら距離を測ってくれるアプリがあるので、スタートがダメでも、どんどん良くなっていくのが分かれば、ちょっとは励みになるのではないかと思ってます。
それにしても1,2km走ったぐらいでもう身体がバラバラになるほど老化していて。どうりで、集中力もないわけです。
2015年11月02日
走る
[日常] ここ最近は舞台「殺意は月夜に照らされて」の脚本直し作業をしていました。
稽古はすでに始まっているのですけど、脚本を見返すたびに細かいところから大きなところまで直したくなる部分が出てきて、ちょこちょこ直しては送る、直しては送る、本筋とは全く関係のないギャグを送る、オチがちょっと変わる、みたいなことを繰り返していました。
役者さんは本がコロコロ変わるので、覚えた台詞が無くなってしまったり、そもそもシーンに出て来なくなったりと、気が抜けなかったことでしょう。
瑞樹さんや、演出の亀田さんの「こうしたほうが」というアイデアも素晴らしいので、さも自分が考えたかのように脚本にさせてもらったり。ありがたい限りです。きっと出来上がりはさらに良くなってると思うので、観に行かれる方は楽しみにしていてください。
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これから毎日走ることに決めました。
去年から健康のために徐々に体重を減らしてきたのですが(あんまり食べないダイエット)、ここ最近はまったく減らずに平衡状態になってきて。でも、別に食べるのは我慢したくないので、それならば走りますかと思った次第。あと、意志が弱いので書かないときっと続けられない。
これから才能が爆発することは無いので、少しでも健康で長く働けるようにがんばることを目標に差し替えました。
2015年11月01日
富士山
[日常] 書くことも特にないので大好きな プチ日記に乗っかります。
芸能界のことは本当に疎くて、それほどの興味もないんですが。
オリラジ藤森慎吾さんとフリーアナ田中みな実さんの破局について、メディアでいろいろ報じられているのを何となく見ていたら、破局の最も大きな原因は田中みな実さんのご両親が結婚に猛反対したことにあって、その理由は藤森慎吾さんがチャラくて信頼できないからとのこと。
もしこれが本当なら、すごい話だなァと思います。芸能人のキャラなんて半ば演技みたいなものであって、それを見て当人を判断するような人が実在するんだという驚きといいましょうか。
昔、裕木奈江が似たような理由でドラマの役なのにバッシングを受けて、それ以来めっきり露出が減ったということがありましたけど、テレビを見ている人というのはかなり「見たままを信じやすい」気がします。ただ、行き過ぎなければそういう関係は特に不健全だと思わないし、良い意味で「騙し、騙される関係」が成り立てばいいと思います。ドキュメンタリーじゃあるまいし、真実のキャッチボールをしたところで、楽しくないでしょうしね。
そんな中、いろんなチャンネルが増えて、「ラジオで見せる顔のほうが本物」という人もいますけど、それも厳密に言えばまだ演じていると思うので騙されてはなりません笑。その人の本当を知るには、もう一緒に住むしかないと思います。
そもそも芸能人というのは、遠くから見るのがいいのであって、近づいたところで良いものが見られるかというと、そうではないというのが真実ではないでしょうか。富士山みたいなもので。
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