2015年12月01日
師走、疾走
削除しようとして手がすべり、ショートカット作成をして、余計にアイコンが増える。
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[日常] 走っています。
ようやく身体もこの習慣を受け入れてくれたみたいで、節々が痛くなったりすることもなくなりました。ただ、依然として走ることの楽しさみたいなものは特にありません。長い時間歩くほうが、いろいろと考える余裕があって好きなんですけど、走っている間はしんどいので基本的に頭は空っぽです。人間、こんなに空っぽになれるのかっていうぐらい。空っぽっていうか、必死。
走らないと日に日にデブ道に引き寄せられる感覚があって、半分は強迫観念で走っているという感じでしょうか。特にペースを早めるわけでも、距離を増やすわけでもなく――きっと将来的にマラソンに参加したりすることもないでしょう。ただひたすらに毎日同じことをする、ということに意義があるような気がして。
今日「ひるおび」を見ていると、ジョギングはガンになりやすいという、余計な情報を耳に入れてしまい、ますますモチベーションの維持が難しくなってきました。なんでそんなこと言うんだ!
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先日、ディズニーランドに行って来ました。
僕はこう見えて(どうも見えてないでしょうけど)、ディズニーランドは好きなほうです。ショーとかパレードを見るのも好きだし、アトラクションの待ち時間とかも昔からそんなに苦じゃない。あと、ミッキーの耳とかを付けて見た目はハッピーなのに、顔は怒ってるカップルを見るのが楽しい。など。
行かないうちに、ずいぶんと中国人の観光客が増えたなぁという印象です。ちゃんと並んで!
2015年11月21日
デブストリーム
[日常] 打ち合わせに行った会社のトイレが溢れていました。
個室からどんどん水がフロアに出てくるので、僕はそれを避けながら、フロアに水が浸される前に用を足して退散したんですが、僕と入れ違いに入って来た人は、その広がる水たまりを前にして「なんだなんだ!? ヤバイんじゃないか? ヤバイぞ!?」と、いちいち緊急事態を声に出しててちょっと笑いました。これは掃除の人しか対処できないだろうから、早く退散したほうがいいのに、しばらく「ヤバイぞ!?」と独り言のように言っていました。
ひょっとして、僕が詰まらせた人だと思って、僕に言っていたのかも。
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食欲が止まらないです。また、デブまっしぐらです。
昨年からやってきた「あんまり食べないダイエット」は、それなりに効果がありました。普通、ダイエットといえば「運動する」とか「バナナにする」とか、方法は無数にあるけれど、それは全部何かの習慣を「足す」という行為になってます。それって本来は必要のないことで、問題が余計にややこしくなっているだけだと思うのです。
太ってる人は食べてるし、痩せてる人は食べてない、というごく簡単な真理。これが強い説得力を持って世に浸透しないのは、「食べてる、食べてない」という表現の、量の絶対的な比較がされていないからです。つまり、痩せてる人の「いっぱい食べた」は太ってる人の「あんまり食べてない」と同等かもしれないし、両者の会話がそもそも噛み合っていない。
だから、「あの子は食べてると言ってるのに痩せている。私はあんまり食べてないのに太っている、ということは、これは体質に違いない」という誤解が生じてくる。完全にデブの発想です。
かくいう私も、デブ・ストリームに入ってしまったようです。抜けたい。
2015年11月19日
記憶の向こう側
テーピングしながら走っています。
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[日常] 小学生の頃に見ていたアメリカ横断ウルトラクイズ(バブルの産物)。
ふと、どこかの回で「とある参加者が早押しで『オクラホマ州』と回答するところを『オクラホママ州』と噛んだ」ということを思い出して、それは一体誰が、第何回のウルトラクイズの、どのクイズで噛んだのかを確かめたくなって、記憶を紐解くという無駄な時間を過ごしたのでした。
僕は重要な記憶はすっぽり抜け落ちているくせに、何のインパクトも意味もないことを鮮明に覚えていることが多くあって、それもその一つです。今日でまた”更新”されてしまったのであと10年は消えないでしょう。
朧気ながら、「どこかのチェックポイントで、バックトゥザフューチャークイズがあった」「確か、郵便局員の人がいた」など、数少ないヒントをもとに、それが第14回のウルトラクイズであることに絞って動画を探し始めました。
7分15秒からの場面
見つけました。
実際にはクイズの回答ではなくて、どのアメリカの州を選ぶかでポイントが変わるクイズの時に「オクラホマ州」を選択したという場面でした。でも確かに思い切り噛んでて、記憶通りです。スッキリしました。
この郵便局員の佐藤さんはそのまま優勝します。ああ、ウルトラクイズは夢があったなぁ。クイズはまったく得意じゃないから生き残る自信はないけど、スタッフとかで関わってみたかったな。テレビが最も力を持っていた時代じゃないでしょうか。
2015年11月18日
平成になった頃
[日常] 今日の地面です。
道路になんで「W浅野」って書いてあるんだろう? と思った。
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「孤独のグルメ」を見ているせいで、何でも無い定食屋で冷や奴が出てきたぐらいで「ほぉ~……冷や奴かぁ。これはうれしいなぁ」というナレーションがいちいち浮かんできます。
いや、冷や奴やし! と頭の中で突っ込み返しますが、よくよく考えると、幸せに生きるって、ひとつひとつのことに有りがたみを感じたり、感謝したりすることなんではないかとも思います。
んー、でも冷や奴だしなぁ。
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その昔、こち亀の60巻を買った日、その帰り道に自転車のハンドル操作を誤って派手に転倒し、買ったばかりの単行本の表紙が雨に濡れてグシャグシャになるということがありました。それが89年の10月頃ですから、世の中は平成になった年。私は小学四年生でした。
それからあまり単行本を買わなくなってしまったので、いつまでも僕の中ではこち亀の60巻というのは「こち亀の中では新しいほう」という印象のままです。もう既に地獄を制圧して天国に攻めに行ったり、めちゃくちゃでした。
今はもう196巻とかまで出てるそうなので、もう両さんの顔もまったく違うんでは、と見るのが怖いです。
2015年11月15日
神から与えられた
[日常] 喫茶店やファミレスで「おきまりの頃に伺います」と言う店員さんがいるでしょ。
日本語としておかしいかどうかはこの際はいいとして、僕には、その店員さんがちゃんとおきまりの頃に来る人なのか、来ない人なのか、を見分ける力があります。神様はこんなどうでもいい能力を僕にくれたのです。これはもう、本能みたいなもんで、どういう差があるかは説明は出来ないんですが。
このおきまりの頃に来ない人、というのは、永遠に来ないです。こちらから呼ばないと来ない。でっかい声で呼んで「あ、決まりました?」って感じで来る。たぶん、僕が思うに、そもそも「おきまりの頃に伺う」というマニュアルを心のどこかで了承していないんだと思います。そんなもんエスパーじゃないんだから分かんないよ、という顔をしている。その微妙な表情を僕は最初に読み取るわけです。「あ、この人、来ないなと」。
ちゃんと来てくれる人だって、すごく遠くから気を配って見てくれているだけで、店内が混雑してくると大変だと思うんです。こっちとしては「おきまりになったらお呼びください」で全然いいと思うんですけどね。
客の気持ちを読んでやってくるなんて、そんな不完全で曖昧なコミュニケーションをルール化しちゃいけません。
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走っているフォームとかが適当なのか、さっそく足を(地味に)負傷しました。
左足の甲がすごく痛み出したんですが、今は便利ですね。ネットで調べたらすぐにそれは「 短腓骨筋腱付着部炎です」と出てくる。足の付け根の部分が炎症を起こしているみたいですが、病院に行くほどではなさそうで。
ただ、家の中を歩くのも痛くてヒョコヒョコしてしまうし、完全にじじいです。
ペンで殺す
[日常] 飲み屋の個室で見た、本日の使用不可です。
こんなガチガチに封じなくても分かるって……と思うけど、相手は酔っ払い。物理的に使えないようにしないと、それで注文しようとする人が続出なんでしょうね。ただ、これだけ固めるなら「使用不可」の文字は不要だと思いますが。
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やっぱり人間ですから、どんなに年を取っても「なんなんだこの人」とムッと来ることはありまして、よそで悪口のひとつも言いたくなるものですが、それはやっぱり良くないなとギリギリ食い止めるわけです。
でも、飲み込んでばかりだとストレスが溜まってしまう。そこで、ここ十年ぐらいやっていることとしては、「イヤな人に会ったら、いつか物語に登場させる」という発散方法です。僕の書く演劇やドラマには、たまに長い説教のシーンとかがあるんですけど、ああいうのは実際にそういう目に遭ったというのが大半ですし、行き場の無いストレスの終着地でもあるのです。まあ、イヤな人間ばかり増えても誰も観たくないと思うのでホドホドにしなければなりませんけど。
ドランクドラゴンの鈴木さんが以前テレビで、「イヤなやつに会っても『こいつは殺せる』と思ってから平気になった」というようなことを言っていましたが、それに感覚はすごく近いと思います。いつかペンで何とかできるなら、いいじゃないかという感覚です。
ただ、もちろん逆のこともあります。素敵な人に出会って、「こういう人間を描きたい」と思うようなことも!
2015年11月13日
雑な天気予報
[日常] 我が家にAmazon fire TVがやってきました。
テレビに付けるとAmazonやHuluやNetflixなどがテレビで見られるというやつで、そのついでにNHK Worldも見ているんですが、このNHK Worldの天気予報が大ざっぱで好きです。

「インドは晴れ、スリランカはだいたい曇りですね」
縮尺が小さすぎて、世界を股に掛けてるビジネスマンとかじゃないとあんまり意味が無いという。
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来年公開予定の映画の、スタッフとキャストの集まりに行って来ました。
CGさんや編集さん、音楽の方といろいろ話しました。同じ作品に対しても関わり方がそれぞれ違うので、仕事のやり方を聞いたりして楽しかったです。共通するのは皆、作業中は地味で孤独だということ、やっぱり芝居をきちんと見てるんだなぁということ。
キャストの中には4,5年ぶりに会う人もいて、同窓会のようでした。覚えててくれて良かった。
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舞台 「殺意は月夜に照らされて」が14日(土)から23日(月・祝)上演します。
今回は脚本を書かせてもらいました。元・アガサクリスティ研究会の人たちで繰り広げられる話なんですが、私自身はアガサクリスティに詳しくないので、なんともその辺はいい加減なのですが、詳しそうに見えたら幸いです。
毎回、当日券も少しあるようなので、是非よろしくお願いします。
2015年11月12日
こっちを見るな!
[日常] 人は一日に何回笑うのか、という記事を昔見たことがありまして。
それによると、健康のために推奨される笑いの回数は成人で15回、英国人の平均で7.2回だそうです。最近、というか、僕は普段ほとんど誰とも接触しないので、人と話して笑うという機会が少なく、7.2回よりもずっと少ない気がします。ニヤっとするのも含めて2,3回ぐらいじゃないでしょうか。
また、別の脳科学に関する記事を読んで興味深いと思ったのは、人間というのは身体の反応が先で、意識はその後付けである、というものです。つまり面白いから笑うのではなく、笑うから面白いというふうに脳が解釈する、という順番。緊張するから手のひらに汗を掻くのではなく、手のひらに汗を掻くから、緊張していると脳が解釈する、という順番。「意識」が身体の反応を観察している可能性があるらしいのです。
特に面白いことがなくとも、顔がニヤニヤしていれば、意識(脳)が「ん? 何か面白いことあった?」と解釈してくれるので、健康のためにできるだけ、ニヤニヤした生活を送ろうと思っています。
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携帯の写真を整理していて。

言わずと知れた太陽の塔。
今年の五月ぐらいに車で鳥取へ行った時の道中(大阪)で撮った写真。これ、高速か幹線道路か忘れましたけど、いきなり眼前にドーンとこれが登場するんです。その登場のインパクトがすごくて、行きも帰りも車内が恐怖の絶叫で包まれるという。
手みたいなのが生えてる位置が低いのも気持ち悪いし、お腹に謎の顔があるし、上のシンバルみたいな顔の冷徹な目はこっちを見てるし。
ちなみに夜になると、目が光るらしいんですが
子供絶対泣くでしょ。
2015年11月10日
披露宴コントの作法
[日常] 走ってますよ。まだ走ることの喜びを見いだせずにいますが。
子供の頃は冬になると持久走がイヤだったし、部活で走るのもイヤだった。高校最後の持久走が終わって「これで一生走らなくて済むんだ!」と晴れやかな顔をしていたのを思い出します。それからずっと15年あまりちゃんと走らなかったし(大学でもなぜか演劇部なのに走ったりしていたけど)、やっぱり根本的に走ることが好きではないから、続くかどうか不安でいっぱい。
救いはどれだけ走ったか、スピードはどれだけだったか、消費カロリーはどれだけだったか、等、事細かくスマホに記録されることでしょうか。成果が可視化できるのは大きいと思います。
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ミュージシャンって、知人の結婚式のために曲を作って歌ったりするでしょ。
で、それが結構グッとくる良い曲だったりして、のちにCDで発売されたりなんかする。その結婚式に参加してないのに、想像してグッときちゃったりする。これだから音楽の力ってすごい。ミュージシャンってカッコイイ。それを聴いた新郎新婦だって、間違いなく感動しただろうし、一生の想い出になっただろう。
それに引き換え、我々はどうだろうか。作家・役者とは名ばかりの自称パフォーマンス集団である私たちは「コントをやってくれ」と頼まれることがあり、一日二日、なんだったら三日ぐらい稽古する。「素人の余興とは違うんだ」という思いを胸に、一生懸命稽古する。僕もこの十年で何本の結婚式コントを書いただろう。結婚する親友のために、その友達を笑わせるために、一生懸命考えた。
ところが、努力のわりにこれが参列者に喜ばれたかというと、そうでもなかった。なんせ「誰だよ、この人たち」という完全アウェーの状態から入るうえ、充分なスペースもなく、声もまったく通らないのだ。結果、「なんだか売れない劇団員たちが騒いでいる」という情報だけが参列者たちにじわじわ伝わっていくという惨劇を、幾度となく繰り返してきた。
基本的に、披露宴会場は外国だと思ったほうがいいと思っている。つまり、言葉で何かをやろうとしてもダメなのだ。そして、笑いもダメだ。普通にやっても、新婦のゼミ友とかがやるラッスンゴレライに負けてしまう。まず、あんなところで何をやっても、基本的なテキストが伝わらないのだ。
ということで、十年の経験で培った「伝わるコント」を、我が劇団員、堀田尋史の披露宴では必ず実現したいと今から燃えている次第である。
2015年11月09日
スーツマン
[日常] 年末にかけて結婚式や二次会などが続くので、スーツでも新調しようと。
普段、仕事でスーツは着ないので年に何回かしか着ないのですが、着ないうちにすっかりサイズも合わなくなってしまって、これはちょっと作り直さねばと思った次第。
オーダーメイドといえば、今から何年か前、まだ会社勤めをしているときに、オーダーメイドのスーツ屋さんで採寸したら、その時サンプルで着せられた上着を見て店のオヤジが「それでちょうどいいじゃん」と言って結局、全然オーダーメイド感が出なかったことがありました。なので、今回はその店はやめて、「対応が丁寧だ」という評判を一応見てから赴きました。
まずは、小さいアルバムみたいなのに綴じられたサンプル生地を選ぶところから始まったのだけれど、サンプルなので生地が小さく、色味と模様は分かっても、それがスーツ全体に適用されたとき、どんな印象になるのかが分からない。部分では良い感じでも、全体に広げるとうるさくなりやしないか、思ったより明るい感じになって芸人みたいになったりやしないか、いや、かと言ってこんな薄い模様じゃ、全体で見た時にリクルートスーツみたいになりやしないか、など、この生地選びの過程でえらく悩んでしまいました。
で、まあ最終的には適当に選び、ボタンの数やポケットの付け方を選び、裏地を選び、折り返しの長さを選び、、、なんかの色を選び、、、、最後のほうは「どっちがいいと思いますか」と逆質問で責め立て、逆オーダースーツになりました。
そして何と出来上がりが年明けという、年内の行事にはすべて間に合わないことが判明して店を後にしました。
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