2014年09月08日

ストーリーだけでも
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[日常] HUNTER×HUNTER長期休載へ。

ニュースのコメント欄には「分かってた」「やっぱり」という声が並んでいたけど、その中に「もう漫画はいいからストーリーだけ教えてくれ」というのがあって笑った。普通は、作者たるもの、ストーリー(構想)はしっかりあった上で描いているに違いないと思うものだが、実際のところは読者とほとんど同じレベルで先が無い場合も多いだろう。

というのも、ストーリー(プロット)をあらかじめ立ててその通りに作品を仕上げていくというのは、個人的にはそれはそれで難度の高い仕事だと思っている。確かにそうすることで製作は計画通りには進むのだけど、仕上がったものが面白くないということが往々にしてあるからだ。

ストーリー(プロット)通りなのに、仕上がりが「あれ?」とつまらなくなってしまう理由はいくつかある。プロットは事象の羅列でデジタルチックなものだけど、実際の物語は人物の感情で動くアナログチックなものだから、作者が進めたい方向と、人物の動きたい方向というのがどうしても合致しないことが出てきてしまうのだ。

それは最初に立てるストーリー(プロット)の完成度、という話に繋がってくるのだけど、つまるところ、ストーリーを立てる段階で、人物のアナログな動きも組み込まなければ、設計図としては役に立たない。ただ、それを綿密に作るくらいなら、「もう作品を描いちまったほうが早い」となるのである。

ということで、「ストーリーだけでも教えてくれ」というのは気持ちは分かるが、なかなか厳しい話なんだよ、ということをご理解いただきたく、HUNTER×HUNTERの一件に便乗した自己弁護とさせていただきます。


考察 日時: 09:31

2014年09月07日

脱却の教え
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[日常] 東京に戻ってきました。

羽田空港に着いて、到着ロビーを歩いていると「パパどこまで行くんだよ!」と後ろから知らない子に跳び蹴りされた。その後のなんとも言えない、気まずい顔が印象的だった。

ここで「ふざけんな、まずは謝れよ子供」と思うか、「君のパパじゃなくてごめんな」と思うかでその人間性に差が出るのでしょうが、僕は前者のほうです。ごめんな!


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安達祐実が最近。

脱・子役イメージを狙って、セクシーな演技に体当たりしているというようなニュースを見かけるけれど、それってたぶん、結局のところ子供が脱いでるようにしか見えないというか、「子供っぽく見られるから大人っぽくする」という方向の努力は、かえって子供時代のことを視聴者に思い出させてしまうのではないかと思う。

本気で脱・子役イメージを狙うなら、もう年齢の概念を感じさせない妖怪の役をやってみるとか、お掃除ロボットの役だとか、全然角度の違うものを持ってくるほうが効果的なような気がする。外野からいい加減なことを言っているのは承知の上だが、もう何年も安達祐実はそういうことをやってるような気がして。親心みたいなものか。

親心を感じさせるあたり、まだ脱却できていないと言えよう(うまい!)。


日常 日時: 11:34

2014年09月06日

ゴーヤのカーテン
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[日常] 実家にゴーヤのカーテンが設置されている。



夏の暑さを防ぐために設置されたようなのだけど、風は通らないし、朝から真っ暗だし(電気をつけるから結局暑い)、なんだか見たことのない虫も住んでいる様子。我が家の誇る実益のないエコの象徴だ。

今はもっぱら、これを取り外すのが僕に課せられた任務だけれど、2メートル以上の高さと4メートルほどの幅を持つこのカーテンはしっかりと網に絡みついており、なかなか重い腰が上がらない。秋になり、なんとか枯れて取りやすくなるのを待とう。

ちなみにこのカーテンから得られたゴーヤは1個だけ。その節はスタッフがおいしく頂きました。


日常 日時: 11:36

2014年09月05日

恐怖の洗浄ノズル
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[日常] 以前、実家のトイレが壊れた時。

ウォシュレットのシステムの再起動をするために電源を何回か押していたら、突如スーッとお尻の洗浄ノズルが出てきて、それまで便器を覗き込んでいた僕は「やばい! 顔に掛かる!」と慌てふためいた。

結局、それは再起動の際の各パーツの試運転みたいなことで、水が出ることは無かったのだけど、ノズルの出現ごときで大の大人がすごい勢いでバックジャンプしまうとは思いも寄らなかった。僕にこんな秘められた跳躍力があったなんて。

これは防犯に活かせないだろうか。泥棒が窓から侵入しようとした際、なぜか部屋に便器が置いてある。「なんでこんなところに便器が……」と思ってのぞいてみるとスーッと便器の奥から洗浄ノズルが出てくるのである。思わずのけぞり、恐怖のあまりに退散するのではないだろうか。

それ、別にトイレである必要ないか。水を浴びせる装置でいいか。


日常 日時: 12:26

2014年09月04日

ハイブリッド
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[日常] 店の人にすぐ聞くタイプと、自分で探すタイプがあると思う。

僕はどちらかというと後者だ。昔はその傾向が極端で、自分で探して「無い」と判断するとそのまま店を出ていた。それぐらい店の人に聞くということが億劫だったし、なんとしても自分で探すべきだ、という考えが強かったのだと思う。

それが今は少し変わってきている。最初は自分でとりあえず探してみるけど、ちょっと探して「これはあと5分探しても見つからなさそうだ」と判断すると店の人に尋ねるようになった。ハイブリッドなやり方だ。

ちょっと話の種類は違うけど、携帯電話の保険とかもそう。買ったばかりのときはリスクを考えて保険に入るけど、半年ぐらい経ったらその後の保険料と、壊してしまうリスクを天秤に掛けて保険は解除する。入る、入らないの二択ではなく、最初は入って後からやめるなど、ちょっと柔軟に考えるようになってきた。それを柔軟というかどうかは微妙だけど。

白か黒か決めて動くことは簡単で自分を納得させやすいけど、状況に合わせて動きを変えていくのも、それはそれで頭の訓練になる気がする。風や波をよむサーファーとか(知らないけど)、気候などに左右される職業の人(農業とか)は、そういう思考が備わっていたりして。


日常 日時: 11:41

2014年09月03日

赤魚
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[日常] 本日の赤魚(あかうお)。



もうちょっと具体的な名前は無いものだろうか。実際のところアコウダイなのかアラスカメヌケなのか、チヒロアカウオなのか、どれも似ていてよく区別を付けていないそうだ。もういいや、ぜんぶ赤魚や! そういうことにしよう! ということなのだろう。

消費者もアコウダイと言われればそこまで悪い気はしないだろうが、アラスカメヌケ100円と言われてもなかなか触手が伸びないというのが実際のところだろう。だったらもう、RED FISHでええやろ、それ以上のことを考えるのはお互いやめまひょ、ということだ。

この年になって、何でも知り過ぎるのは息苦しいし、そもそも見ていないものは存在しないのと同じだ、というふうに考えるようにもなった。

もちろん、今もどこか遠くで起こっている戦争のこととか、自分の振るまいが与える影響のこととか、見えないものを想像する力も必要だろう。だがとりあえず、「赤魚」程度のことは、もうあまり深く考えないようにしている。


日常 日時: 10:38

2014年09月02日

文豪気分
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[日常] 実家の真上をゴオオオオ……と飛行機が通過することがある。

そんな時、flightradar24を見るとたちまち「広州発バンクーバー行きの中国南方航空ボーイング787が通過したのだな」というのが分かる。知ってどうするんだという感じもするけど、以前は見えなかったことがどんどん見えるようになってきているし、聞かなくて良かった声や意見もどんどん耳に入ってくる時代になった。

小さいところで言えばスポーツの結果とかもそう。帰宅してからゆっくり見たいと思っていても、勤務中にうっかり携帯を開けてしまって結果が飛び込んで来たり、帰りの電車での話し声で知ってしまったり、うっかり電光掲示板でニュースを見てしまったりする。

昔の文豪でさえ、雑音を断ち切るために旅館に閉じこもったりしていたぐらいだから、情報をきちんと遮断したかったら、もう核シェルターみたいなものに閉じこもるしかないのかも、とさえ思う。

特に自分の中から何かをひねり出すような作業をしているとき、新しい知識や情報を取り込みたいとは思わない。それは、ウンコしているときに食事する人がいないのと似た生理かもしれない。

そんなことを思いながら、大阪の滞在中、束の間の文豪気分を味わっている今日この頃です。気分を味わっているだけで、特にひねりだしてはいないのだけど。


日常 日時: 10:14

2014年08月28日

前後不覚の居酒屋メニュー
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[日常] とある打ち合わせを経て、居酒屋へ。


加藤啓氏。まるで高速で走る乗り物に乗っているかのようです。

しばらくお酒を飲んだ後にふと見上げた壁のメニューが、さっぱり何を書いてあるのか分からなくて、「こんなにワケが分からなくなるほど飲んでしまったのか」と怖くなりました。


メソポタミア文明のくさび形文字ではありません。

よーく見ると「かつお塩叩き」「名物ぶり大根」「天婦羅盛合せ」など、読めないこともないのですが、飲んでた時はさっぱり。外国人にはなるほど、日本語はこう見えているのかと思いました。

ちなみに、日本語を知らない外国人が日本語を聞くと、タカタカテケテケと高速でドラムを叩くような音に聞こえるようです。日本語は柔らかく流れるような聞き心地かと思ったんですけど、そうでもないんですな。

ビートを刻んでいるように聞こえるのは、日本語がたいてい子音と母音がセットになってることも影響しているようですが。


日常 日時: 02:00

2014年08月15日

ボン
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[日常] お盆です。

仏教に詳しいわけではないので「ボン」と言われてもいつのことを指して何をすることなのかは分からないが、小さい頃は親について、とにかく「ボン」らしく帰省したりお墓参りをしたり過ごしてきた。

まだ会社員時代は、ボン休みで帰省したりもしてたけど、その会社にも行かなくなった今、ただ人口の減った東京で、閉まる店に不便を感じながら過ごすというのが、近年の「ボン」だ。

今日もテレビ局で打ち合わせをしてきたが、夏休みは各局ともに敷地内でイベントを行っていて、人混みになっている。一体この人たちは何が楽しくてテレビ局なんかにやってくるのだろう、と思っていたが、きっとあれは地方から遊びにやってきた家族ではなかろうか。まだまだ、地方ではテレビ局という存在が大きくて、魅力的なスポットなのではないか。あれはテレビ局にとっても儲かるらしい。

今年は、日テレは「汐博」、フジは「お台場新大陸2014」、TBSは「夏サカス2014デリシャカス~番組グルメでおもてなし~」、テレ朝は「テレビ朝日・六本木ヒルズ 夏祭り SUMMER STATION」と続く。

そしてテレビ東京は満を持して、何も無い。


日常 日時: 23:23

2014年08月09日

思い出の
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[日常] 東京に帰ってきています。

先日、「思い出のマーニー」を観ました。あまり気にはなっていなかったのですが、ちょうど時間があったので入ってみました。

同じジブリ作品である「となりのトトロ」は、主人公姉妹の母親の病気をきっかけに、夏に家族で空気の良いところに引っ越して、そこで姉妹は他の人には見えない「トトロ」に会う(上映40分後ぐらい)という話です。

一方、「思い出のマーニー」は、主人公の杏奈が喘息をこじらせて夏に北海道へ移り住み、そこで他の人には見えない「マーニー」に出会う(上映40分後ぐらい)という導入。

そこまでは「おいおいトトロやん!」と思いながら見てたんですが、さすがに後半は話も独自路線に入っていきホッとしました。

僕は小さい頃から、「バービー人形」とか「スーパーマン」とかが持つバタ臭さというか、「ガイジン感」が生理的にあまり受け付けない、その手のファンタジーには抵抗がある子供でした。 きっとフランダースの犬(観たこと無い)とかも結構ダメで、金髪の子にくわえて設定までファンタジーだと、ファンタジーを二度塗りしてるというか、ついていけなかったんです。それが、「思い出のマーニー」の宣伝を観ても同じことを思ったのでした。

ガイジンというファンタジーと、幻想のファンタジーが混在してケンカする感じです。

これは原作は海外の児童文学だったと思うけど、設定を日本に変えています。マーニーを日本人にすればいいかというと、難しいところかと思いますが、僕はまあ、日本人のほうが良かったかもしれないと思いますね。「思い出のまさみ」とかだとやっぱり地味になっちゃうんだけど。


日常 日時: 10:32
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