演劇と支配
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[日常] とある演劇ニュース。

二ページ目いらんやろ。


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暴力をふるう指導者というのはどこにでもいると思うけど、演出家や監督の場合、体育教師などと違って「言葉を持っている」という点で、動機の質が違う。

つまり言葉で指導することも技術的には可能だが、あえて暴力という手段をとっているのだろう。おそらくそれは演劇(劇場)的な効果を狙っていて、暴力空間を共有させることによって支配関係を公に構築する意図があるのだ(それも間違っている方法だと思うが)。性的な興奮を満たすための役割もあって、一石二鳥というわけである。

やっかいなことに、役者と演出家という立場はそういうことが最もやりやすい環境にある。宗教において教祖と信者の関係でも起こりやすいのは周知のことだが。

基本的に演出家や監督という生き物は、大嘘つきのド変態でなければ務まらない仕事である。ただ、それを作品以外のところでは理性で押し込めて生きていくべきなのだが、たまにその変態性をあえて包み隠すことなく「自分はちょっと社会からはみ出てしまう、やんちゃな芸術家なんだ」とふるまう人たちがいる。

そういう人たちの存在が記事の二ページ目にある「演劇人って難儀な生き物」という一般評価に繋がるのだろう。


演劇 日時: 2014年09月21日 11:19 | 

とくおNOW

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