[日常] 3月ぐらいから書いていた
「徳山大五郎――」の脚本も書き終わりました(放送は10月まで)。
若い人の群像芝居を書くのは楽しいです。劇団もメンバーが20代の頃は書いてて楽しかった(今が楽しくないというわけではありませんが)。僕自身、熱い人間でも何でもないので、物語の中で正直に気持ちを吐露するみたいなこと、若い人たちにやってもらうことで、満足を得ているところがあります。
今回の脚本を書くにあたって今の若い人たちを見てみると、「元気が無い」「声が小さい」「何考えてんだかよく分からない」という印象でしたが、それは僕が子供の時、すでに大人たちが言い始めていたことでした。僕たちだって相当、元気無かった。
逆に「元気ある若者」ってなんだよということです。結局、一時バブルで浮かれていた世代の人たちのことでしょう。そしてその上の団塊の世代の人たちも数だけウジャウジャいるから、なんだか群れてテンションが高かっただけなんではないかと。
そう思うと妙に苛立ってきたのでした。よく言われたなあ「元気無い」って。なんだよ、楽しいことなんかありゃしないのに、元気なんかねえよって話です。
話は戻りますが、ドラマになると「元気無い若者」のリアリティを追求すれば追求するほど、しゃべらなくなるというジレンマに陥りました。思いをみんな胸に抱えちゃって、黙っちゃうという。
「ここは黙っちゃうよなぁ~」と思いながら、「……」多めの台本になりましたが、結果的には大きな制約もなくたくさん好きなように書けて楽しかったです。
日常
日時: 2016年08月03日 14:12
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