とくお組
2003年慶應義塾大学の2つの劇団(劇研・創像工房in front of.)のOB・現役を中心に旗揚げしました。主にコメディを作っており、宇宙船の機関室や画家の脳の中といった「非日常」世界で、キャラクターたちの心理や言動は「日常的」に描くという作風です。HPにて主宰・徳尾浩司の会社員コラム連載中。
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ナンバープレートを持参するイメージ
[日常] 引っ越して5年ぐらいになる。
原付を買った場所と現住所では区が違うので、今の区で税金を払ってくれというような通知が来ているのだが、手続きの為には区の窓口にナンバープレートや印鑑を持参せよとある。
自分の中で、どうにも原付のナンバープレートを窓口に持参するというイメージがつかめなくて、手続きに踏み込めないでいる。
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パソコンでDVDを見ていて、途中でやめてディスクを取り出すことがある。
で、忘れた頃にまたディスクを入れると、僕のパソコンの場合は前に見た続きから再生される。いわゆるレジューム機能というやつだが、なんでいったんディスクを外に出したのに覚えているんだろう?と思っていた。
つまり「ココまで見たよ」という情報が記録されるのは、ディスクなの?本体なの?という疑問だ。
例によって検索してみたら、同じような質問している人がいて、回答としては「本体に決まってんだろバーカ」というようなことが多く書きこまれていた。それでも質問者はあまり納得できていないようで、「いや、ディスクに書き込まれる可能性ってホントにないんですか」と食いついていた。
確かにその感覚は分かるなあと思った。僕の家にあるDVDも、新旧問わずに多くの作品が途中(前に見たところ)から始まるので、なんとなく個々のディスクに記録されているような気になってしまうのだ。
僕の場合、レンタルDVDの6,7割は途中で見るのをやめて返してしまう。で、見たことを忘れて同じものを借りたりすることはよくあるので、いつか、ディスクを入れたら途中から再生されて「あっ!続きだ!」と思う日が来るのかもしれない。
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日常 日時: 2010年11月07日 23:15 |
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