とくお組
2003年慶應義塾大学の2つの劇団(劇研・創像工房in front of.)のOB・現役を中心に旗揚げしました。主にコメディを作っており、宇宙船の機関室や画家の脳の中といった「非日常」世界で、キャラクターたちの心理や言動は「日常的」に描くという作風です。HPにて主宰・徳尾浩司の会社員コラム連載中。
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キャメラ
[考察] 和田アキ子がカメラをキャメラと言うのは、そこそこ知られている事実だと思う。
おそらく映画の世界だったりなんだったりの歴史の流れで、昔は「キャメラ」と言っていたのだろう。ただ、そこに僕たちが違和感を感じるとすれば、
それは「明らかに周りがカメラと言っている中で、敢えて『キャメラ』と強調しなければならない精神性」なんではないかと思う。カメラとキャメラではキャメラの方が発音しにくいため、「ファン」を「フアン」というおばさんとは根本的に性質が違う。そこには、なんらかの意図があると思うのだ。
ところで、先日打ち合わせで年配のカメラマンさんとお話をする機会があった。
打ち合わせが始まる前の雑談の段階で薄々そんな気がしたんだけど、その方もカメラマンではなく、キャメラマンだった。
会話の中にスルっと滑り込む「キャメラ」というワード。うおっと思った。別に自分が素人なだけで、こういうものだ、こういうものだと言い聞かせるのだけど、身体は適応できずに聞くたびに、うおっと思った。
そんな中、「さて、今回は2キャメで行こうと思うんだけど?」と話を振られて、
「2キャメで」
と答えていた。
キャメって!・・・キャメって!!おれ、キャメって!!机の下でガシガシひざを叩きながら、唇を噛んだ。どうして言ってしまったんだろう。いや、あの瞬間は、カメラと言い直せば、キャメラマンさんを訂正しているように思ったんだと思う。
キャメに入りてはキャメに従え。目には目を、キャメにはキャメを。
そうか。もしかすると、和田のキャメラも、かつての「先輩」とか「上司」とか「尊敬する人」とかに歩調を合わせた結果なのかもしれない。
キャメラに潜む処世術。そして今、和田が権力の頂点で使う意味とは。
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考察 日時: 2008年03月17日 10:39 |
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