とくお組
2003年慶應義塾大学の2つの劇団(劇研・創像工房in front of.)のOB・現役を中心に旗揚げしました。主にコメディを作っており、宇宙船の機関室や画家の脳の中といった「非日常」世界で、キャラクターたちの心理や言動は「日常的」に描くという作風です。HPにて主宰・徳尾浩司の会社員コラム連載中。
« ATMの手数料
|
メイン
|
板東グラデーション »
オートマティック記憶モード
[日常] 「iPad あげる」「iPad 譲ります」をリアルタイム検索するなどの乞食プレイ。
---------
人生で何回も見る夢というのがありますが、本当に印象に残っているもの以外はあまりよく思い出せません。「あれもよく見る」「これもよく見る」とずるずる思い出すのは、ぼくの場合、ふとんに入って眠る直前です。
頭が夢を見る状態に近づくと、夢の記憶箱が開くといいますか。これは何かしら、脳の作りの問題が関わっているのかもしれません。
--------
人間は「物を覚える」とか「物を忘れる」ということに関しては自然にお任せしているけれども、将来的には何を入れるか、何を消すかということは機械的にコントロールできる時代がくるかもしれない。知らないけど、そういうSFはもうありそうですわね。
人間なんてしょせん覚えられる量は決まっているから、ある程度の年齢から先は、1入ってきたら2消さなくちゃいけないとか、頭の中では秘密裏にそんなやり取りが行われているのでしょう。
もしそれがコントロール可能な時代が来たら、テスト前でどうしても覚えなきゃいけないから教科書を一冊流し込みたいという人もいるだろうし、その代わりに3歳で生き別れた父親との思い出は1つ消さなくちゃいけないとか、そういう決断を迫られることもあるのでしょう。古くても残っている記憶というのはそのぶん容量も大きいだろうし。
東大に入るためにやたら辞書とかを詰め込みすぎて、過去のない廃人になってしまうとか。
そう考えると実際に記憶をモニターで目の当たりにすると忘れるべきものが少なくて、なかなか消せないものかもしれませんね。消してもいいやつというのはたいてい容量が小さいんでしょうし。一昨日の晩御飯とか。
今のオートマティックモード(人間の記憶の仕組み)は印象の強いものから残すようなメカニズムになっていて、なかなかよくできていると思うのだけど、僕に関しては「え、これが重要なの?」と思わざるを得ないものも多いと個人的には感じている。
例えば小学校三年生の記憶。
1.学校の教室で日本シリーズ、巨人対西武を見ていて、巨人がリード。うれしくなった僕は、下校時に見知らぬ上級生に「巨人が勝ってますよ!」と息を弾ませながら声を掛けた。
2.手紙の文末にENDと書くのが流行っている女子がいたのだが、いつもヨNDになっていて心の中で「惜しい!」と思っていた。
3.クラスメイトのすだこういち君に対して、「ちいうこだす!」と逆さまから読んでからかっていた。
マニュアルモードだと確実に消してもいい内容なんですが、でもきっと小学校三年生のフォルダにはこの記憶しかそもそも残っていなくて、これを消してしまうと小学校三年生の一年がまるまる消えてしまうんですな。
Tweet
日常 日時: 2012年11月04日 23:12 |
パーマリンク
« ATMの手数料
|
メイン
|
板東グラデーション »
とくおNOW