兄弟で物を創作するということ
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[日常] 兄弟で監督をやっている人たちが多くいる。



コーエン兄弟とか、ウォシャウスキー兄弟とか、タビアーニ兄弟、古いところではリュミエール兄弟とか。物作りをする上で「兄弟」とはどんな意味を持つか。

一人で物を作る人はみんなそうだと思うのだが、創作過程で「これって本当に面白いのかな」とか「正しい方向なのかな」と立ち止まることがある。いわゆる行き詰まるというやつだ。そんな時、周りの人に「理解できない」と言われて自信を無くしたり、「こうすべきだ」と最大公約数的な意見に引っ張られて凡庸な作品に仕上がってしまうことがある。

こんな時、最善の方法は自分で自分の能力を信じて仕上げることだったりするが、そんなに自己肯定力が強い人ばかりではないので、ついつい周りの反応を見てしまう。そんなとき助けになるのが、同じ価値観を持った「兄弟」の存在であると言えるのだ。

同じ趣味趣向を持った兄弟は、どちらかが作って悩んでいるものに対して、未完成でもその意図を理解してくれる存在であったり、間違っているところを指摘してくれる「鏡」のような存在なのだろう。互いが客観性を持った「自分」として利用しているのだと思う。

ちなみに、僕には四歳上の兄がいるが、何でも笑うので使い物にならない。たぶん年齢差も関係があるのだろう。上にあげた監督は皆2,3歳差である。


日常 日時: 2011年06月24日 23:52 | 

とくおNOW

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