[日常] たまにtwitterやブログで論争(ケンカ)しているのを見かける。
はたから見ると、大抵はどちらかのつまらぬ誤解が元になっていたりするのだが、書き手の表現力より読み手の読解力の方がむしろ問題だったりする。
特にそう思うようになったのは過去に、発言小町の「中島みゆきの『悪女』の解釈」という投稿を読んでからだ。
「中島みゆきさんの「悪女」の解釈」
この歌詞の解釈はどう考えても一種類しか無いのだが、「私はB案だと思います!」とか「いや、絶対C案です!」とか、はたまた「いやー面白い。いろいろな解釈ができて、やっぱみゆきさんは深いですね!」みたいなコメントで溢れかえっていて、愕然とした。
A案しか無いってば。
中島氏本人も歌詞を書くときに、おそらく誤解が生まれないように「マリコ」とか「男」とか「あなた」とか、人称表現を巧みに使い分けているのだが、それが人によっては全く伝わっていないということである。
もともと実生活でも、コミュケーション能力というのは人によって差のあるもの。そう考えれば、「厳密な議論」はtwitterやブログなどではやらないのが一番であろう。
日常
日時: 2011年01月18日 23:27
|
パーマリンク